秋深し、クマと無視してカライ時

邪鬼は自室の席につくと、影慶影慶と続けざまに二度呼んだ。三度呼ぶまでに必ず現れる男を邪鬼はひそやかだが試している。
三度目までには中々来られぬように早く呼んだ。が、影慶はするりと部屋へ入ってきた。
「お呼びですか」
来たか、今日も影慶は自分の声に答えた。だが、たまには「お呼びでしたか、気付かず申し訳ありません」と慌てる影慶も見てみたい。
俺は贅沢を言っている、邪鬼は小さく笑った。
「一号生共、こんな会話をしていた」
「はぁ」
影慶は気の抜けた返事をした。邪鬼らしくもないわかりやすい会話の始まり方だ。
邪鬼の会話にはある種の柔軟さを求められる。「ついに来たか…」と話しを振られたら、「何がですか」と尋ねるのは正解ではない。「いよいよですな」と答えるのがいい。合わせておいて、それからじょじょに会話の主語や目的を探していくのである。影慶はそれに長けていた。死天王と邪鬼のつなぎとして彼があるのは邪鬼と会話が自然に成り立つということからであった。
「電車の中で飛ぶと、後ろに下がって壁にぶつかりはしないのかと言っていた」
「それは馬鹿なのでしょう」
馬鹿だ。そしていかにも馬鹿の一号生が言いそうなことだ。影慶は興味を示してしまった愛すべき邪鬼様にも困惑した。
「あれらが卒業してから困るだろう、なんとかしてやるがいい」
邪鬼様ともあろう方がお優しいことをおっしゃる――アヤウク口から飛び出しそうになった毒舌を巻いた。
人一倍厳しいようで人一倍後輩に甘いこの帝王様は言うだけ言って、後はお任せなのだ。
「任せた」
負かされた。
そんな気分で影慶は一礼し、生来荒い気性のおもむくまま廊下を歩き、出会いがしらの卍丸のマスクを毒手でもってすれすれに叩き落とした。
気苦労は絶えない、が、ストレスも溜め込まない。
まことに死天王を束ねる立場というのは大変なのである。









ということで掲げられたのが、季節柄にかこつけての【読書の秋】奨励期間である。
とにかく本を読め読めと言いつけられた一号生達は予想通りの文句を垂れた。
「本なんか読んだって腹ァ膨れんわい」
一人がそういえばおうじゃおうじゃと三人答える。団結が生まれた集団というのは強いものだと改めて指導役の三号生達は頭を抱える。指導役と言われても彼らとて読書を進んでする性格の奴などいやしない。一号生の不満も分かるというものだが、読め読めとごり押しするしかない。
シブシブと一号生たちは権力と腕力に服従し、一日一冊を目標に図書室へ進軍することになったのである。
「なお、一日一冊も読めなかった場合は飯を抜く」
一号生達は青ざめた。影慶はしらと言い切りそれっきり去った。一瞬の空白をおいて、全力疾走で図書室へ。
冗談ではない、この食欲の秋に飯を抜かれてたまるものか。
思い思いに本を一冊手にとって、ほこりだらけのイスに座って開く。ああ一ページに広がる活字の群れ、ある一号生は指でたどりたどり、ある一号生は小声で読み上げながら読み始めた。
富樫はケッ馬鹿馬鹿しいぜと猫背に強がって、見栄を張って最後に図書室入りしたのであるがいざ入ってみれば友人達がみな真剣に活字を追っかけているので焦りが湧く。
「富樫、もう本は決めたのか?」
本を手にした桃は席を探しているところだった。富樫は首を振る。
「なぁ桃よお、フケっちまおうぜ」
どうせわかりゃしねぇよと富樫はぼやく。読書なんざしたかねぇやとうんざり顔だ。
「まあそう言うな、三号生のお兄様がたも監視していることだし大人しく本を読むのもいいもんだ」
「ううう」
「本はまだ決めてねえんなら俺も探すよ、ほら、さっさと読んじまえばシゴキより楽だ」
桃は富樫の背中を本棚へと押しやった。富樫は往生際悪くうううともう一度唸る。
「おい、押すんじゃねぇよ桃」
「お前が進まないからさ」
本棚の前で富樫はため息をついた。活字とキザ男は嫌いなのだ。
「本は嫌ェなんだ」
「知ってるさ、けど読まねぇ訳にもいかないだろ。簡単なのを探そう」
桃はジャンルの書かれた古いプレートを指差した。【男気】と書かれている。なるほど並ぶ本は格闘家や武道家、剣豪の手記などが並んでいる。
「この辺なんてどうだ?」
「男臭ェ本なんざごめんだぜ」
桃はそうかと答えて次のプレートを指差す。【魔術】と書かれている。中に一冊目だって新しい背表紙があった、著者にディーノの名前が読めた。
「ワクワクするかもな」
「どう見たってインチキくせぇよ」
桃はううんと唸って次のプレートを指差す。【神話】と書かれている。【余が神となるまで‐王家の谷に生まれて‐】【ゼウス様と一緒】などまとまりのないタイトルが目立った。
「神秘的で、興味がそそられる」
「どうせ蓋開けてみりゃ、ただのギャグかもしれねぇ」
桃はちょっと悲しい顔をして次のプレートを指差す。【暗殺】と書かれている。【毒手作成秘儀】【頭髪隠し武器】といかにもな暗い色の背表紙にそれらしいいかついフォントが並んでいる。
「将来役立つかもしれないな、案外使えるかもしれない」
「なぁ桃、もういいって」
と、富樫の目が一つのプレートに留まった。【衆道】と書かれている。並ぶ本の背表紙には【肉体】やら【艶】【陰間】やら【秘】【禁断】など青少年のアンテナにチリチリくるものがあった。
「桃、この辺はどうだ?」
桃は一瞥しただけでああ、と冷めた声を出した。
「とても読めたものじゃない、ほら、若衆って言葉があるだろう」
「おお」
いい響きだと富樫は手を伸ばしかける。桃は物憂げに窓の外へ目線を投げた。
「その若衆っていうのは昔、中国発祥の肉体を駆使して戦う暗殺集団のことだ」
手をひっこめた。だが、最近の富樫は知恵をつけてきている。桃のことじゃ、からかっとるんじゃなかろうか。ちらりと横目に見た。
汚染進む東京の秋の青空なんぞよりかよっぽど澄み渡っている。
桃は視線に気付いてどうした?と聞いてきた、富樫はなんでもねぇ、それよりそりゃ本当だろうなとにらみをきかせた。
「本当だって、そら、【陰間】ってあるだろう。時代の陰間を縫って暗躍したと言われてるな。それから【色】はシキと読む。【死】の【鬼】に字を当てたらしい」
「ほーん」
「【艶】って字を二つに分けると、【豊か】と【色】だろう。それだけ熟練した技の使い手だったということだな。衆道ってのは【若衆】つまり暗殺者を極めるための道だ。それはそれは血なまぐせぇだろうな」

桃はうん、と頷いた。富樫の横顔に素早く眼をやる。感動しきり、すげぇなぁ桃はなどと言っていて苦笑すら漏れた。
「やっぱりテメェは計りきれねぇや、くだらねぇ事を良く知ってやがんなぁ」
単にすげぇなと言うのが悔しかったのだろう、それが見ただけでわかってしまうほど富樫と言う男はわかりやすい。
桃はそうかなと照れて、さっさとその衆道の棚の前から富樫をどかした。

本はまだ、決まっていない。



一方こちらは虎丸である。富樫に負けず劣らずの愛すべき馬鹿野郎だが、こちらは一応適当に本を選んで窓際の席で読書中である。
隣に座った伊達によっかかりながら、ぶあつい唇をちょっと突き出してわざわざ真面目な顔を作っているのがますます馬鹿で愛嬌があった。
「のうのう、伊達ー」
「あんだよ馬鹿虎、話しかけるんじゃねぇ」
伊達は素っ気無く虎丸に応じた。だが、さっきから隣に座って本を読んでいた虎丸がいちいち「えーと」やら「うん」など声を上げるので気になって集中できない。伊達が読んでいたのは【世界槍術総覧】であった。分厚く、漢字もぎっしりと詰まった疲れる読み物である。
「これどういう意味じゃ、ちーともわからん」
「ああ?」
面倒かけんな、辞書をひけ、そう言うのはたやすい。が、賢い伊達はそうした場合今度は辞書の引き方を教えてくれと言い出すに違いない。
「何だよ」
えーとな、虎丸は太い指で文字を指差した。
「くまと無視した」
「あ?」
「くまと無視した」
伊達はイライラとこめかみをひくつかせながらページを覗き込んだ。
「態と無視した、わざとだ、わざと。クマじゃねぇ馬鹿」
「おおー」
気の抜けた声で賞賛する虎丸の頬に、伊達は呼んでいた本の角をぶつけた。地味に痛い。
「伊達よおー」
伊達は無視した。
「伊達ぇー」
語尾をのばすんじゃあねぇよ男のくせに、伊達のページを繰る指が止まる。どこまで読んだか頭の中がかき回されてしまった、伊達の怒りがふつりと煮えた。
「カライ時ってどんな時?」
怒りを冷やし冷やしページを覗いた。虎丸に付き合っていたらいつだって沸騰してしまって身がもたない。伊達臣人はクールでクールなのだから、怒りなどの感情をむき出しにするのはよろしくない。
「辛い時だ。つらい時」
親切に教えてやったというのに虎丸は納得がいかないようだ。丸い鼻をひくつかせて悩んでいる。
「何が不満だテメェ」
「カライのって、ツライかぁ?」
伊達はとりあえずぼぐんと虎丸の頭を拳で殴った。
「馬鹿が考えるなんざ100年早ェ、読めもしねぇくせに」
「いって…だってよー…ほれ」
虎丸は読んでいた本を、タイトルが見えるように伊達へと向けた。比較的図書室にある本としては新しいが、それでもセロテープで補強してある。
【女心を鷹掴みにする方法】
「まず鷲づかみだ、鷹じゃねぇよ。書いた人間からして馬鹿なんだな」
「お?こりゃタカ?」
「馬鹿が」
「でな、【辛い時に傍にいてやる】っていうのがグッと来るって言うんじゃ。こりゃあ使えそうだぜヘヘヘヘ」
だらしなくとろけた顔、鵜呑みにしている。伊達は心底呆れた。
あんまり馬鹿だから、虎丸の頭をまた叩いた。
「お前は嬉しいかよ」
「え?」
「伊達はツライ時傍に居られるってグッと来るんか?」
不意打ちだ。急に自分の話に来ると思っていなかった伊達は紐しおりを挟み損ねる。
「そんな時はこねぇ」
伊達臣人としてはいい答え方だ。伊達は自分で自分を採点した。
そんな伊達の心中など知らない虎丸はさらに食いついてくる。
「そんじゃ、伊達がもしツライ時きたら虎丸様が傍にいちゃるワイ」
グッ。
何の音だ、鳴ってなんかいない。伊達は机を叩いて打ち消した。正面に座っていた椿山が飛び上がって逃げて行った。
「別にテメェなんか…まあ…万が一、万が一そんな時が来たら…いや…」
「そしたら本番、女の子にも有効だろうしな!カッカカ」
虎丸はガラス片を撒き散らしながら、笑顔のまま図書室の窓から蹴りだされていった。
急に風通しの良くなった図書室ではホコリが舞い上がる。
秋風に煽られながら伊達は熱くなってしまった己と、それからひっそりと火照りを帯びた頬を冷やした。
















三日後。
邪鬼は自室の席につくと、影慶影慶と続けざまに二度呼んだ。三度呼ぶまでに必ず現れる男を邪鬼はひそやかだが試している。
三度目までには中々来られぬように早く呼んだ。が、影慶はするりと部屋へ入ってきた。
「お呼びですか」
来たか、今日も影慶は自分の声に答えた。だが、たまには呼び声に応じず後日になって「呼んでもこないこともあるのだな」とからかってみたい。
からかい、影慶にとっては叱責に他ならないが邪鬼に悪気はない。
俺はわがままを言っている、邪鬼は小さく笑った。
「一号生共、本を読んでいたな」
「そのようです」
そう取り計らったのだ。影慶は面倒ごとを片付けたので肩の荷を下ろしている。
「みな、絵本だった」
「………は」
影慶は眼を丸くした。おお、印象が違うのだな、邪鬼は新鮮な面持ちになった影慶を見据えた。
あの後、真面目に活字を追うのが辛くて一号生達は少しでも字の大きく読みやすい本を探した結果、絵本に落ち着いたのであった。無論影慶はあずかり知らぬ。
ところで大豪院邪鬼自身は先日自分が出した命令もとい指示はすっかり忘れている。忘れているというより、興味が薄れている。
それよりも今は、一号生達が読んでいた絵本に興味が移っていた。
「申し訳ありません」
影慶は頭を下げて逃げるように退室した。邪鬼はむ、と言葉を発そうとして止まる。
素早いことよ、影慶は去ってしまった。呼べば来るのだが、去ったものを無理に呼ぶこともあるまいと思いとどまる。
それにしても、あの本。
「1000万回死んだ猫とは、どんな話なのだ…」
答えはない。
が、読む機会はこれからいかようにでもなる。
読書の秋はこれからであった。
モクジ
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