花火は供養よ線香よ
夏が終わってしまう。
終わったからといって、どうなるものでもない。
夏が終わったら、秋が来る。
わかっている、だけれども、
夕立の後のなまぐささ、
夜に白く浮かぶ夜顔、
プールから上がった後の気だるさ、
髪の毛と首筋の隙間の汗の気持ち悪さ、
夏にしかないのだと思うと、夏の終わりがいかにも惜しかった。
秋には秋の楽しみ方もあるのに、夏がどうにも惜しかった。
まだまだ、あれこれやりたいことも、やろうとしたこともあった。
終わってみれば、何もやっていないようにすら思える。
最中は全く思いもしなかったのに、夏などいつまでもつづくようだったのに。
過ぐる時に初めて惜しむ。
惜しんで、惜しんで、最後に爆ぜる。
男塾一号生虎丸、ただいま極秘任務遂行中である。
どたどたやかましくでなく、つま先を使って音を立てないように廊下を疾走している。
廊下の先、塾長の趣味の品が納められた倉庫がある。盗難防止に拳ほどもある古い南京錠が扉にかけられていて、侵入は困難に思えた。
だが虎丸はかまわず突っ込んだ。ラグビーのタックルよろしく、扉にぶち当たった。校舎が揺れそうな音がしたが、扉はびくりともしないで虎丸を跳ね返した。南京錠も壊れない。廊下に倒れた虎丸は、すぐに起き上がると再び助走をつけて扉へ体全体を突貫させ、無謀な突撃を繰り返す。そのたびに鉄製の扉ではなく、取り付けてある木製の壁が先に破れそうなほどにきしむ。繰り返し繰り替えし、鉄扉と南京錠へ力任せの突撃をしているうち、廊下の奥からどたどたとやかましい足音が近づいてきた。裸足の足音ではない、軍靴の足音である。塾生は塾内ではほとんどが素足のため、その足音の持ち主は、
「こりゃああ!!貴様、虎丸!恐れ多くも塾長の宝物庫に特攻とは命がいらんらしいのう!!」
「げぇ!も、もう見つかったんか!!ちぃぃーッ!」
鬼ヒゲであった。短い足で虎丸へと距離をつめ、虎丸が鉄扉目掛けてしていたようにタックルをかけてくる。虎丸は図体に似合わぬ俊敏さでもってその攻撃をひらりとかわし、
「つかまるわけにゃあいかねぇんだッ!あばよォ!!」
背中を向けて逃げ出した。今度はどたばたと足音もやかましく、無駄な動きも多く走り出す。鬼ヒゲはがっははと高笑い、馬鹿笑いをした。
「不届きモンを逃がすとでも思うたか!ええい、出あえ、出あえイ!!」
時代劇のお代官じゃああるまいしといった大仰な動作で手をかざすと、飛行帽がひょこひょこと走り出てくる。頼りない、と鬼ヒゲは思ったがこのさい文句は言ってられない。なんといっても先日より虎丸はこの宝物庫破りに何度も挑んでいる悪たれだ。逃すわけにはいかない、ここで会ったが百年目、鬼ヒゲも走り出す。飛行帽も走り出す。まさにルパンと銭型、モリアーティ教授とホームズ、二十面相と明智、それよりトムとジェリー。
廊下のくず入れを蹴飛ばし、曲がり角でぶつかり、階段を踏み外しと虎丸の逃げ方はどうにも危なっかしい。擦れ違う塾生達がよう虎丸、今度はどんなヘマやらかしたんだよと囃し立てるのにも答えない。ただ闇雲に逃げた。鬼ヒゲ達がぬう取り逃がしたか、と思う頃に何の間違いかひょっこり現れてしまい、しめしめ馬鹿め、そこにおったかとまた追い立てられる。無駄が多すぎてトムとジェリーのように見ていてもちっとも楽しくない追いかけっこは、なんと飽きずに二十分は続いた。
(た、たのむぜ田沢!おまえの頭脳にかけるぜー!!)
一方その頃、倉庫前。
松尾が見張り、田沢がハリガネ一本で南京錠攻略にかかっていた。そう、虎丸はオトリである。しかしオトリを追いかけるのが鬼ヒゲ一人だった場合のことを考えて、飛行帽まで呼び集めるべくこの三日というもの虎丸は何度となく鬼ヒゲを煽っていた。そして今日、二人ともを倉庫前から引き剥がすことに成功したのである。
「た、田沢!わしゃあいつ教官共が戻ってくるか気が気じゃないぞなー!」
松尾は両手を口のところにもってきて、ぶるぶると女の子がするように怯えて見せた。こんな女の子は平成の今絶えて久しい。
彼氏ポジションである田沢はハリガネを口にくわえて、歯をきらめかせて自信満々に笑った。
「まっかせなさい!!」
田沢は頼もしいのう!松尾は頬をぷくぷくさせて喜んだが、それもつかの間。
開かない。
開かない。
開かない。
虎丸を教官が追いかけていってはや数分。追っ手を一人に減らしたとしても不思議ではない。
田沢の顔に焦りが浮かぶ。汗も浮かぶ。
「た、田沢!!」
「や、やかましい松尾、今、今開く!」
開かない。
もう駄目か、と二人が心の声をそろえて思った瞬間、二人はすっぽりと巨大な影に包まれていた。
「!」
松尾が飛び上がる。
「!」
田沢はカベに飛びのく。
「貴様等、何をしている」
大豪院邪鬼、言うまでもなく男塾の帝王が影慶を従えてそこにいた。邪鬼本人は一号生が二人集まってキャンキャンどうやら困っているようだからどうした、と声をかけたつもりであった。が、邪鬼は悲しいほどに邪鬼で、田沢と松尾は年貢の取り立てに怯える百姓と化す。
「お、オス!大豪院センパイ!べ、別に何でもないであります!!」
田沢は直立して大声で返答した。松尾はまだ南京錠に視線が行く。もうちょっとじゃったのに、その松尾の視線に影慶は気づいた。
「そこに何かあるのか」
田沢は松尾を馬鹿野郎と小声でしかりつけた、ここで三号生と揉めてどうする!しかし松尾は退かなかった。サザエ頭を振り立てて、邪鬼に立ち向かう。
「と、虎丸が集めてた花火がここにあるんです!!」
なれない丁寧な口調はふかし芋よりなお喉につかえた、しかし根性で吐き出す。こうしている間にも虎丸が教官たちを引き付けるために必死に走っている。松尾は続けた。
「教官が取り上げてもうたんじゃ!ありゃ、ありゃ虎丸の花火じゃ!!」
南京錠を掴むと憎し憎しとガチャガチャ揺さ振った。田沢が引き継ぐ。
「このままじゃ、夏が終わるからと虎丸が集めた花火をなんとかやらせてやりたいでありますッ!」
影慶は隣上の邪鬼の顔を横目に見上げた。いつもこの角度から見上げると彫りの深すぎる顔が災いして目の表情がうかがいにくいと影慶は思う。
しかし今邪鬼がどんな顔をしているか、見なくても予想は大体ついている。
田沢、松尾にしてみれば特攻であったこの嘆願。
邪鬼の返答は簡潔だった。
「花火…か、よかろう」
田沢と松尾の間へぬっと手を伸ばした、松尾田沢、悲鳴を上げて飛びのく。頭を握りつぶそうとした訳ではない、と影慶は心の中でフォローを入れた。
邪鬼の指先はクリスマスツリーから飾りを取り外す時のように軽く、南京錠を扉からむしりとった。無造作に廊下へと投げ捨てる。
用件は済んだ、と邪鬼はマントを翻した。影慶も続く。
「こ、今晩七時、塾校庭でありますッ!!」
「ありが、ありがとうございました!!」
田沢、松尾は心からの一礼を偉大なる三号生二人の後姿へ送った。
その五分後、満身創痍の虎丸を二人は胴上げで出迎えた。もちろん最後は腰から落とした。ギャー、と虎丸は怒ったが、まず二人の胴上げに乗るものではないと田沢はしたり顔で諭した。
夜を待つ。
花火は供養よと言ったのは誰であったか赤石は考え込んだ。
夏の夜は、まだ昼間のうちに溜め込んだ光が夜気に溶けているようでほんのりと暗さが薄い。赤石は富樫に押し付けられた手持ち花火の火に頬を緑に照らされながら眼を伏せた。祖母であったか、それともただどこかでそう言われているのを聞いただけか、そんなことはどうでもよかった。
赤石は花火よりも、火花のような男である。ぱあっと燃え広がり、萎むのではなく一瞬にきらりと光る男である。
人は信じはしないだろうが、命を無駄にしたつもりは今まで一度もない。ただ勝つために自分がしたことが、命を吹き消しかねないものだっただけのことである。赤石の頬は白く照った。煙が遠慮なく顔にぶつかってくる。
花火は供養よ、と言ったのはやはり祖母であったと赤石は思い出した。
絣の浴衣の袖から、枯れ木のように細い腕を出して花火を、幼い自分の手に握らせてくれた祖母。危ないからと、着火をやらせてはくれないのを過保護に思い、乱暴な口を利いたことまで思い出した。
花火は供養よ、祖母は繰り返す。あれも盆のことだ。
この火を目印に、おたまさまが集まってくるのよと祖母は言った。おたまさま、とは御魂様、つまり地上に溜まる死者の魂のことである。漢字の当て方は後で知った。
御魂様を煙で押し上げて差し上げるのよと笑う祖母の説明は、手にしたせっかくの花火が抹香臭くなるようで余り気に入らない。赤に青にと楽しく光るのに、線香と同じ扱いとは。
「終わったんならバケツ入れてくださいよーセ・ン・パ・イ」
赤石の回想を打ち破るようにして虎丸がちゃちゃちゃと犬ころのように走り寄って来ると赤石の手から燃え尽きた花火を取り上げて、手にした金バケツに放り込んだ。じゅう、と音を立てて花火は消えた。燃えカスを集めて回っているようで、バケツの中にはもう既に何本も立っている。
「ああ」
虎丸は100円ライターを取り出すと火を出して、赤石の前に出した。どういうつもりか聞くまでもない。赤石の左手にはまだ花火が有った。早く、と虎丸が急かす。ガスがもったいねぇとケチくさいことを言うから、つい指を焦がして着火してやる。地味なシゴキに、虎丸はぎゃーと叫んで跳ねるように逃げた。
その背中がけぶっている。気づけば辺り中が煙だらけだ。皆思い思いに花火を楽しんでいる。三号生の姿もあるところを見ると、夏に実家へと帰らずに自分のように部屋で飯を食っていたところへ軒並み声をかけたらしい。虎丸はいつも以上に元気にバケツとライターを持って塾生の間を走り回っていた。
うっとうしいほどの笑顔だぜ、と赤石はフンと口元を引き結んだ。
この花火をすべてどこからともなく調達してきたのが虎丸であると人づてに聞いて、赤石は呆れを隠し切れなかった。理由を聞いてさらに呆れた。
『そんなもんあれじゃ、ほら、せっかく夏なんだしよう』
夏がもったいなくって、花火を集めてきたというのだ。赤石にそれを教えた男、剣桃太郎は頼みます、と頭を下げた。
そう、一度はうるせぇ馬鹿馬鹿しいと花火を断ったのだ。そこへすかさずの一号生筆頭のおでましと言う訳である。
『せっかくですから、先輩』
一通り虎丸について説明して最後はこれである。赤石は腕組みして考えておくと言ったが、ありがとうございますと言って強引に引っ張り出された。
自分は花火もしねぇで、人のために走り回ってそれで満足か?
赤石は虎丸にそう皮肉を込めて尋ねようかと思ったが、虎丸がそういう何もかもを超えて嬉しそうに汗を流して走り回っているのを見たら気がそがれてしまった。
フン、今日くらいはいいだろうと自分に言い訳をし、月を隠すほどのけむりを手で払うと赤石は大声で虎丸を呼びつけた。
「火だ、早くしろ!」
虎丸は黄色い味付けの奇妙なオカマ声ではァいたっだいまぁと答え、元気にバケツを抱えて走ってきた。
花火は供養よ、いいだろう。
昇れ昇れ、さっさと行け。
赤石はつまらなそうな顔のまま、三本目の花火に火をつけた。
花火はセンコウだ。
そう言った兄ちゃんはもういねぇんだなぁ。
富樫はヤケドだらけの腹をさすった。なんでだか着火した途端、前にではなく持ち手から富樫の腹目掛けて白い炎が噴出してきたのである。暑さに学ランを脱いでいたのが不幸の元である。
まごうことなき不良品であった。虎丸のあの野郎ババ掴ましやがって覚えてろ、と息巻く富樫を桃はまあまあこんなものめったにあるわけじゃないさとなだめて、新しい花火を差し出す。
空を見上げた。どこか酸っぱい煙がもくもくと昇っている。これだけ昇ってりゃ兄ちゃんぐらいのでっかい男でもいいだろうとほっとした。
「富樫富樫」
「あん?」
あれ、と桃が指差した先には、死天王と大豪院邪鬼つまり三号生VIP様様が集まって円陣を組み、ウンコ座りをしているという図だった。富樫が解説を求めて桃を振り返ると、何故だか嬉嬉として語りだした。
「虎丸が邪鬼先輩に渡した花火の中に線香花火があったんだ。それを邪鬼先輩が一つやってみたところ、すぐにぽたりと火花を散らす前に落ちちまった」
「ほー」
「『この潔さ、見事だ』と邪鬼先輩が呟いて、それから延々ああやってる」
「死天王従えてか」
桃は当たり前だろ、とさも当然のように言って、自らも線香花火を取り出した。一本を富樫に渡すとしゃがみこんだ。ほら、と手招かれて富樫もつられてしゃがむ。
「こうやって、風を遮ってるんだ」
「ああ…」
富樫はガスの殆ど残っていないシケたライターで、二人分の線香花火に着火した。お約束のように親指を焦がす。
「シメはやっぱり線香花火だな、桃」
「ああ」
下からオレンジのあかりに照らされ、桃の睫が陰を作った。近くで見ても腹が立つほど男前だと富樫は一人機嫌を少し悪くする。
「花火はセンコウだからな」
桃が上目に覗いてくる。富樫は学帽のひさしを下げた。線香花火のオレンジ玉がじじじ、とあやうく揺れた。
「センコウ」
「家の中の仏壇と違ってよ、外で迷ってる魂全部天国へ煙で押し上げてくれる線香なんだと」
「へぇ」
桃は空を仰いだ。夏の大三角形が見えてもいいのに、ベガもアルタイルもデネブも皆煙に隠れてしまっていた。
「気前がいいな」
「そうだな」
桃の素直な感想に、富樫も頷く。
二人は無言で、オレンジの火花を揺らさぬよう息を潜めて見守っていた。煙だけがくゆりくゆら、昇っていく。
夏が終わる。そして、さみしいさみしい人恋しい秋が来るのだ。
だけれどそれはそれ、これはこれ。
秋なら秋なり、何ぞある。
いつだって何かあるのだ、過ぎるまで気づかないだけで。
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