お兄様の晩餐

戦国時代のお姫様って、こんな感じだろうな。
富樫は桃の顔を無言で見つめた。絶望的な眼差しだった。


呼ばれて見ればなんとも恐ろしい空間。富樫は一歩踏み込みかけて、そのまま踏み出した右足を後ろへ下ろす。右足を軸足に反転、急ぎ退避。
…しかけたところで、
「待て、富樫。ここまで来たんだ、そりゃないぜ」
「やめろォ!!俺ァ帰るんじゃ!!」
背後から急ぎ伸びてきた家主の腕、桃の腕に富樫はガッシリと肩を掴まれて暴れた。桃の手はなよなよとしているわけでもないが、富樫のものとくらべると幾分 白く指がすんなりとしている。そんな手には無限の力があるとでもいうかのように富樫の肩を掴んではなさない。
声にしても、桃の声はあの笑み含んだような声であるのは変わらないのに、時と場合によっては非常に重たく富樫へのしかかることがある。
たとえば好きだとか、ああいう事をしたいとか、触ってもいいか、そういう時特に多い。

「大した用じゃないさ、富樫。ちょっと飯を作ってくれればそれでいいんだ」
「一大事だって呼び出したのはおめぇだろうが!大体飯ぐれぇ自分で作れってんじゃ!」
「そりゃ、駄目さ――」
桃の腕はしっかりと富樫の太い胴回りへ回って、ほとんど後ろから抱き付いている。目的が富樫を引き止めることか、鼻面を富樫の首筋へギュッとすることか半 ばわからない格好になっている。
富樫はますます声を張り上げた。
「何が駄目なんじゃい!!」
しら、と桃は真面目な顔で、
「そりゃ、お前の飯がとびきり美味いからさ――俺にとっちゃ」
思わず脱力するような使い古された口説き文句を、どんな顔で言っているのかと富樫はゲッソリと頬をやつれさせて振り向いた。
まぶしい笑顔の桃の後ろで、のっそりと男が立ち上がり、富樫に向かって堂堂たる足取りで桃の部屋を歩いてくる。
その身の丈は今のところ天井より二十センチばかりしか低くなく、その気になればもっともっと大きくなれる事を富樫は知っていた。
その男がどうして親友の、桃の部屋にいるのか。突発的な事項に対して富樫は特に弱かったが、それにしたって事が事。

「……だ、大豪院、邪鬼…」
「富樫よ、肉が食いたい」
帝王覇王国王ありとあらゆる王が模範とすべきだと死天王の将である影慶が常日ごろから絶賛する男の中の男、と長ったらしい肩書き以上に立派な大豪院邪鬼先 輩が腹をさすっていた。
顎を落とさんばかりの富樫がこぼした呼び捨てをとがめる事もなく鷹揚に構え、邪鬼は厳かに低くやわらかい声で富樫に飯を要求する。
あまりの事に硬直が解けるまで富樫はしばしの時間を要し、

「桃、おめぇって野郎は…」
クウ、と喉を鳴らした富樫は恨みがましいジットリとした視線を桃へ投げつつ、さっさと上着を脱ぐ。
肩を落としながら冷蔵庫を開く富樫の後姿は、さながら生活に疲れた主婦のようだった。
――なんて頼りになる男だろう、まったく富樫って男は!
胸をあたたかいもので満たした桃は富樫の脱いだ上着を大事に胸へと抱えると、畳へ再び寝そべる邪鬼へ向けて、
「押忍、今晩はとんかつです」
などと胸を張って豪勢な事を言った。冷蔵庫に豚肉が入っていたかどうかはこの際問題ではない、邪鬼がどんな料理を喜ぶかだった。
あいにく入っていなかったらしく、冷蔵庫へ頭を突っ込んでいた富樫が蒼白になって振り向く。
「うむ、よろしく頼む」
邪鬼の声の調子が三割がた弾んでいた、このとき桃と富樫は共通の認識を得る。桃を小突こうとしていた富樫は拳の行き先を失い、

「………押忍、富樫源次、精一杯先輩のためにとんかつ揚げさせていただきます」
「うむ」

顎をしゃくって、富樫は桃をスーパーへと連れ出した。
影慶から預かった当座の食費の存在を知った富樫は一応の安堵をしたが、だまし討ちをした桃へはトゲのある態度。
しかし一割ぐらいは自分たちの飲み食いに使ってもいいと桃から聞いて、多少機嫌を直した様子。
コウモリが紫とオレンジと薄群青のまじる空を飛んでいく。サイフを尻ポケットへ、二人ツッカケ鳴らしてスーパーへ。


「なんだか新婚みたいだな」
いつもの悪趣味を桃が笑いながら言った、けれどこの日は富樫もいい加減桃へしかえしをしてやろうと思っていたので、
「そんならおめぇ、邪鬼先輩が子供かよ」

桃が言葉に詰まった、その隙に富樫、かけてゆく。

「………待てよ、富樫!」



豚肉の厚切りとんかつ用は高い、そう言った富樫はスーパーの肉屋のおやじに、
「薄切りのバラ、八百グラムくれや。それからラードも」
そう注文をつけた。一番安いバラでどうやってとんかつを作るつもりなのだろうかと桃が首をかしげていたが、
「いいからおめぇはキャベツ持って来い」
言われるがまま桃はキャベツをカゴへ入れた。タマゴにパン粉も放り込む。
買ったのがバラ肉だったので安く付いた分食いたい菓子やビールをカゴへ入れ、
「もしかしたら邪鬼先輩、好きかもしれねぇからな」
そう理由をつけてカゴに満載。二人上機嫌に店を後にした。

部屋に戻るなり富樫は急いでシャツの腕をまくり、手を洗う。フライパンへ油を入れて、熱す。

薄切りのバラ肉を交互に重ねて大きな肉の形を作り、時折隙間にラードをごく薄く塗りこんだ。洋菓子のミルフィユのように薄切りの肉が積み重なった
「こうすっとよ、一見でけェ肉みてぇだろ」
「ああ、本当だ」

それへ薄く衣をつけて、サッと揚げる。桃がスマートに刻んだキャベツを添えて。
しゃあ、しゃあ、と油にこまかな泡があがり、ミルフィユとんかつ(富樫いわくクズトン)がいい色にあがってゆく。
大きなとんかつを目の前ににし、邪鬼は目を輝かせる。
箸をきちんと美しい形で手にした邪気に、富樫は恐縮してしまった。
「見事なものだな」
正座の富樫はなにか頭からかなぐり捨てるしぐさをし、謙遜をしてみせる。見ていた桃はそのしぐさが三角巾をかなぐり捨てるしぐさであることに気づいて、胸 がウズとした。
「そ、そんなてぇしたモンじゃ、ねぇや…クズ肉の、寄せ集めで…」
「料理がではない。料理も武術と同じく、創意工夫が大事なのだ。貴様は大したものだ」

「お、俺がっ…」
富樫がなにやら言葉にできない感動に打ち震えているのを尻目に、邪鬼はしゃくしゃくと歯切れよくミルフィユとんかつ(クズトン)をほおばっていく。
時折桃がキャベツを刻んだのは自分であると言って、しぶしぶながらもキャベツを食べさせていたのがおかしみがあった。

「そういえば桃よう、この家風呂がねぇが…どうすんじゃ」
「ああ、銭湯に行こうと思ってる。ちょうどいい富樫乗りかかった船だ、付き合ってもらうぜ」
「な、何―っ!!て、てめぇ桃そりゃ…」

桃は影慶メモを指差した。富樫が鼻息を荒く覗き込むと、

『入浴後は身体の水滴をてぬぐいで拭い、おぐしをととのえて差し上げること。また、面倒だとお着替えを嫌がるので上がった後は迅速に行動すべし』

「俺一人じゃ、とても…」
目を丸くした富樫は、

「せ、戦国時代のお姫さんかよ…」
桃が袖を引くので、帰ろうにも帰れない。仕方が無いので自分の分のとんかつをしゃくしゃくとやけくそに食べた。
モクジ
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