ショウがはねたら愛魔性
頬の傷をひっつらせてにんまりと笑う、美しい獣のような
後輩のなんと憎たらしいことよ。
「センパイは?」
アイシャドウというよりは極彩色の鱗を乗せたようなまぶたをはじき、女主人は今日一番の喝采を浴びた飛び入り客へ視線をやる。
普段恋愛主義な主人ですら、金を払ってでもお相手願いたいような類まれなる男前。その上鞭捌きが絶品、滅多にない上物だった。
「ランちゃんなら、休んでるワよ。卍丸にアンタがえらくかわいがってくれたんだもの」
言われて飛び入り客はフフフンと鼻を鳴らして不遜に笑ってみせた。その笑い方が清清しいまでに自信にあふれ、王族の寵愛を受けて国を滅ぼすのはおそらくこ
ういった人種だと、女主人はそんなことをなぜだか連想する。
「いけなかったか」
女主人の口ぶりになにかとがめるようなものを飛び入り客――伊達は感じ取る。
「フツウはね。でも、アンタがランちゃんのこと好きでしょうがないのわかったから、許したげる」
「………あ?」
チークのこってりと乗った豊かな頬に皺をこさえながら、たっぷりと女主人は微笑む。
「ワカゲのイタリを、咎めるなんてヤボは言わないワ。たといアンタが踊り子さんに手を出そうってんでもね」
ふふふふ、と笑って女主人は羅刹の休んでいる部屋を伊達へと教えた。
時代がかったつくりのキセルをふかして、女主人は足をばたつかせて笑う。
悪趣味な、羽と偽造宝石とびろうどに包まれた軽薄な部屋に笑い声と怪しいタバコの煙が満ちた。
「痛かったか、先輩」
卍丸のつけた鞭痕は音と痕こそ派手だったが、痛みはサッとひいて赤みも残らない。どこで覚えたのかと問い詰めたくなるようなプロフェッショナルな見世物用
の鞭捌きだった。
けれど今羅刹の目の前にいる、六創傷がなまめかしいまでの凄みを与えた色男がつけた傷は違う、
見た目も一筋赤が入っただけ、音も小さく鋭いピシリとしたもののみ。
けれどその一筋がじんなりと熱をもって、息遣いとともに膨れ上がるような痛みを持つ。そして、気を緩めると忘れること許さじとでも言うように刺すような痛
みを走らせるのだ。
背中を晒し、ビニルの張られた長椅子へうつぶして羅刹は息をそろそろと吐いた。
見世物にしては熱の入った鞭の振るい方だった、と悪態を胸のうちでつく。
場内の熱気にか血色を透かした頬の伊達臣人は羅刹の傍らで痛かったかとたずねた。羅刹は食いしばっていた奥歯をほどいて、正直に痛かったと怒りを口にして
もよかった。
けれど、元元卍丸の招いたこの事態、伊達はただ遊んだだけなのだと思うとそれはできずに、
「多少な。それより伊達、貴様もう寮へと帰れ。一号生が塾外へ出る許可は無い筈だ」
伊達は肩をすくめる、知らないものが見れば小馬鹿にしたようなと取れる仕草だったが、別段本人にそんな気がないということを羅刹は知っている。
ただ身の内からあふれた自信がそう見せているだけに過ぎないということを。
「鬼ヒゲごときが、俺を咎められると思ってんのかよ」
また口の利き方もすこぶる悪い、羅刹は痛いなか苦笑をもらした。
「思ってはいない、が…」
「だろう」
ふふん、と伊達は唇の端で笑ってみせる。羅刹が理解した、それが嬉しい、単純なことに対して生じた笑み。
「が、お前が戻らないことで、他の一号生がシゴかれているだろうな」
「………ああ、そうか」
子供のように素直な頷きで、伊達は目を瞠る。今度は羅刹が笑う番だった、これだけ不遜とも言える男がああも慕われるのは単なる実力だけではない、端端に顔
を出す愛嬌、かわいげというもののせいもあった。
しかし既に夜更けも夜更け、壁でジッジと針を進めていた時計を羅刹は身を捩って時刻を確認しようとして、小さく呻きかける。伊達の手が羅刹の肩を掴んだ。
その手が羅刹を支えようとした、純粋な好意であることはわかっていたがちょうど指の当たったところに鞭痕があって今度こそ声を漏らす。
「ツッ」
「痛かったかよ」
また、伊達がたずねた。先ほどのニヤけたものではなく、本当に痛みの具合を尋ねる色だった。
今度こそ隠しようもなく羅刹は正直に告げた、
「ああ、堪えられない程ではない、が…なにぶん鞭打たれたのも久しぶりだったからな」
「そうなのか?」
伊達は更に目を瞠った、縁取る睫毛の多さを見上げていた羅刹は見る。
「何がだ」
「いや、センパイアンタてっきり…」
「だから何がだ」
「……痛いのが好きなんだろうが。だからこんなところに来てるんじゃ」
「違う!!」
己の性癖が何か多大に歪められて把握される事ほど恐ろしいことは無い、現在自分がロリータコンプレックスと言われているのと同等の誤解をされている。
羅刹は思わず身を起こして怒鳴った、
正しくは、起こしかけた。
「つぅ…っ」
背中の皮膚が大きく捩れて鞭痕という痕が大声で騒ぐ、卍丸の傷も騒ぎに乗じて痛みを喚いた。
伊達の手のひらがヒンヤリと羅刹の背に宛がわれる、ひどく冷たい手が痛みを一気に鎮めていく。
「いきなり起きたらこうなるに決まってんだろ、センパイ」
虎丸相手だったらもっともっと嫌味たっぷりに馬鹿にしたようだったろう、けれど今伊達は自分が加害者だった事をわかっていた。声には気遣い、手のひらは羅
刹の痛みを吸い上げる。
「……ああ、そうだな。貴様の手は冷たいな、心地よい」
「…………」
伊達の返事は無かった。羅刹は伊達の表情を盗み見ようとしたけれど、逆光になっている上にそれ以上角度を変えようとすると背中が痛むので断念する。
冷たい手のひらが、羅刹の痛む背中を丁寧に覆っていく。
「じゃあなんだって、アンタこんな店で鞭打たれてんだよ」
「……借金返済のためだ、」
「借金?」
少しでも熱を持って膨らむ鞭痕が、どうして伊達にわかるのか。羅刹にはまったくわからない。
次の瞬間羅刹の尻にズシリと人の重み、しかし最低限のもの。振り向くことはできない、その重みが伊達のものだとわかっている。
伊達は羅刹の飲みさしていたグラスを喉を見せてあおり、グラスをサイドテーブルへ置くと同時に羅刹の背へとおおいかぶさった。
「伊達?」
まさかこのままエビに固められる事はないだろうと思ってはいても、羅刹の声は硬くなる。今羅刹は背中を見せている上、相手はあの伊達臣人なのだから。
ひやりと羅刹の背中に冷たくぬめるものが触れた、みっちりと背面を覆う筋肉がこわばった。
それが伊達の舌であると気づいたのは半拍遅れてのこと。
「伊達!」
「………」
無言で伊達は羅刹の背中へ舌を這わせた、舌は体温というものを知らぬように冷えて、唾液のぬめりはほとんどなく、ただの水であるらしい尾を引いている。
鞭の痕を追う舌はいつまでも冷たく、時折伊達の唇から滑り出てくる小さな冷たい塊が、羅刹に氷と教えた。
氷を口へ含んだまま、伊達は静かに羅刹の背中を舐める。
いやらしさや卑猥な意思はどこにもない、獣がそうするように至極当たり前の熱心さで伊達は続けた。
羅刹は半ば目を閉じて、伊達のしたいようにさせる。
痛みは何時しかひいていた。
「……寮には俺が話をしておく」
「え?」
冷たい舌は言葉のもつれを引き起こす。羅刹からは見えないものの、伊達の顔は子供のそれだった、子猫のようなあどけなく臆病な顔だった。
羅刹はひいた痛みに伊達へ首を振って見せると伊達をのかせ、ゆんわりと体を起こし、長椅子に腰かけると棒のように突っ立ったままの伊達の腹を肘で小突い
た。虚を突かれたように伊達が戸惑っている。あの憎たらしいまでに器用な男が不器用に戸惑っている様子に羅刹は少し笑った。
「閻魔の三号が言えば、貴様の今日の夜遊び程度もみ消す事ができるだろう」
「………」
「もとはと言えば、卍丸が余計な嘘をついたせいでもあるからな」
その言葉と、羅刹のくたびれたような苦笑に伊達はなにやらよからぬ含みをもった顔をした。今の今までしおらしく振舞っていたあのかわいげはどこへやら、ニ
ヤニヤと声をかけた時と同じ笑みに戻っている。
羅刹の隣へ腰を下ろすと自分の体を羅刹へと寄りかからせるようにして、耳へと唇を近づける。
「本当にマゾじゃなかったのかよ」
「………当たり前だろうが」
伊達の顔を乱暴に大きな手のひらで押しのける、伊達は逆に手を掴むなり手のひらを先ほどのようにベロリと舐めて見せた。氷の切片はすでに口内で解け消え、
ぬるまった舌は羅刹の男らしい眉をひそめさせる。
「止せ、」
「イイ顔してた」
「していない」
「してたぜ」
更に伊達は体を羅刹へ密着させた、羅刹が長椅子の上を次第に後退していくのを追いかける。尻があと少しで落ちるという寸前で羅刹は止まった。
猫がじゃれつくような戯れ、伊達の目はきらりと星をはじいて輝く。
「しつこいぞ」
「フッ…アンタを鞭打って、俺が少し興奮したって言ったら」
「貴様な、」
声を荒げ、今度こそ伊達の頭を羅刹は遠慮なくはたいた。甘んじてそれを伊達は受け入れる。
肩を怒らせて羅刹は立ち上がった、伊達は当然のように羅刹のそばへと寄り添う。一度羅刹は振り払ったが、二度目は伊達の好きなようにさせていた。
「……まずは、卍丸をとっちめんと」
怒りに低くくすぶる羅刹の声、顔。
「あながち間違いでも無いんだ、そのぐらいいいだろ」
「あんな誤解をされて黙ってられるか、大体元はと言えばあいつがな…!!」
羅刹の口を、伊達の手のひらがふさぐ。伊達は睫毛が黒くうるわしい目元をゆらがせて、
「誤解じゃない」
「やかましい」
「でも、他に言いふらされても迷惑だな」
俺だけが知っていればいいもの。
ショウがはねて、静まり返った部屋を二人足取りをそろえて、出て行く。
賢い卍丸はその日一度も、影すら表さなかった。
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