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さらば、

そのうち袖口へ、きらきらと白く光るだろう。





富樫が桃のアパートを訪ねたのは、十月の手前というところ。
まだ暑い日が思い出したように続く頃で、その日もおそらくその日だった。
おそらく、というのは富樫が訪ねたのがまだ夜も明けぬ早朝だったからで、さすがに風も半袖では肌寒い。
ドンドンからドカンドカン。
借金取りのようなノックに桃がようやく応じると、早朝過ぎてアパートの廊下の蛍光灯はまだ緑がかった白い光を放っており、富樫を不審に照らしていた。
「おう」
挨拶にしてはぶっきらぼうな富樫に、桃は寝癖だらけの髪の毛をくるくる弾ませながらうんと応じる。
寝巻き姿の桃へ富樫は呆れたように肩をすくめて見せた。洒落た動作だが、まるで似合わぬ仕草だった。
「朝イチで行くって言ったろが、なんじゃ、まだなーんも用意してねぇのか」
「荷物はいらんって言ったの、お前だろう?」
「言ったァ言ったがよ、……いいからさっさと着替えろや」
「ああ、じゃ、入ってくれ。そうだ、朝飯はどうする」
「駅で何か買えばいい」
駅、
桃は実はこの時初めて電車を使うような遠出だと知った。
今日にしても、日付が今日になるかならないかのあたりで明日暇か付き合えとの誘いに頷いたに過ぎない。
そんな遠くまで行くのか、桃は髭をチョリチョリと適当にあたりながら、ぼんやりと洗面所からまだ藍色と寒白の入り混じる窓の外へ視線を投げた。
普段と違う会い方をした相方は、普段どおりの黒スーツで床に腰を下ろし、桃と同じ空を見ている。
テレビを音代わりにつけても、早朝過ぎてジャミジャミと砂嵐が舞っているのに二人は顔を見合わせて、それから揃ってあくびした。
雀一匹鳴かぬ明け方に二人はアパートを後にする。
駅への道道もまだ夜か朝か判断付きかねるようで、街灯は白光していた。
行き帰りする慣れ親しんだ道が全く別の顔を晒している。白くなりはじめた空の真逆にはまだ濃厚な夜空があり、星も輝いている。
夜が空けきる前に二人は最寄の駅へとついた。
こんなに早いのに駅員はすっかり仕事の顔をして、きびきびと券売機のチェックをしている。富樫は二人分のキップを買うと一枚を桃に渡し、改札を通り抜け た。
ホームはまだ静まり返っており、がらんとしていた。が、桃と富樫の他にも数名ちらほらと上下ホームに人影はあった。
二人連れは桃と富樫だけのようで、誰もが沈黙して影へと沈んでいる。
自然と二人の声も小さくなる、富樫が小さく桃を手招いた。桃が顔を近づけると富樫は、
「始発まで後ちっとあるな、俺ァタバコ買って来る。桃おめえは」
「お前と同じの」
「馬鹿、おめえはそこに居ろよってんだよ。政治家見習いがタバコなんてふかすんじゃねぇ」
秘書見習いはいいのか、そんな桃の疑問を残して富樫は自動販売機へと走っていく。
静謐な朝のホームにドヤドヤというやかましい足音が遠ざかっていく、一人残された桃は始発前の駅という空間にわずかに高揚していた。
どこか知らないところへ行く、遠足前の気持ちにも似ている。
やがて戻ってきた富樫は、文句を言いながらも箱から二本タバコを桃へと渡してやり、二人ホーム端の喫煙スペースで朱色に鼻先を染めた。

昔からの取り決めのように、二人は何も言わなかった。
名残惜しく最後にキュウキュウ吸い尽くしてにじり消す事の多いタバコをたっぷりと胸に煙を入れて味わい、白み始めた空へ吐き出す。
桃が一本、富樫が二本吸い終ろうかという頃、ホームへ電車の入線を告げる女の声が響いた。
入線してくる電車もどこか厳かである。
だが巨大な機械が立てる音は今までかたくなにこの場にある全員が守り続けていた沈黙を打ち砕く。
この時本当に夜が明けたのだと桃は思った。
夢から醒めたようにして業者がせわしなく自動販売機へガラガラガシャンと缶ジュースを追加していく。人形のように立っていただけの駅員が白い手袋の両手を 振ってサインをしている。

二人は先頭車両の席に陣取り、腰を下ろした。
ゆったりとしたGがかかって、桃は眠りに落ちる。行き先はどうせ富樫しか知らない、今まで富樫が行き先を告げなかったのなら、言う気がないと言うことだ。
富樫の肩へ桃は当たり前のように自分の頭を預け、こっくりと眠りに落ちていった。




ターミナル駅で富樫は桃を揺さぶった。さほど眠りは深くない。揺さぶられて顔を上げるともうすっかり見知った朝で、休みの日だというのに働く顔の人間が左 右へ飛ぶように行き交っている。
「次の電車がちっと長ェから、朝飯どっかで食って、駅弁を昼飯用にしようぜ」
富樫の言うままに桃は頷き、利用し慣れている立ち食いの蕎麦屋へと向かう。
東京のターミナル駅の地下らしく天井が低い上、絶えず頭上からグラングランと轟音が響く。
そんな駅構内を二人は進む。ふいに富樫はいつも使っている駅なのに進みが遅い事に気づいた。
「そこ左だったな」
「ああ」
(桃がいるからだ)
富樫は理解した。足手まといだとかそういったことではなく、人と歩くと言う事はこういう事である。
蕎麦を食べ終え、これから行楽列車に乗る前。
駅弁を選ぶ段になって二人は大いにはしゃいだ。
「おい、このかに飯にしようぜ桃」
「それよりこっちの…ほら、松坂牛ドッサリ弁当はどうだ」
「オ、これなんてどうじゃ、シャケいくら飯」
「うまそうだな」
「これもうまそうだし…こっちも捨てがたいのォ」

そうこうしているうちに、
「十六番線、十六番線、○○行きの列車、間も無く発車いたします…」
などというアナウンスが聞こえてきて大慌て。結局駅弁を六つも買い込んでから十六番線ホームへとわき目も振らぬ猛ダッシュというハメになった。






向かい合った昔ながらのシートタイプの座席へ腰を下ろし、傍らに弁当を置き、飲み物立てへ買って来た茶のボトルを立てた。
時間が早いせいか車両の上客はまばらで、ようやく富樫は大きな声を出す。
「ああ、間に合わねぇかと思ったぜ」
「フッフフ危ねぇところだったな。ところで富樫」
「ン」
「そろそろどこへ行くのか教えてくれてもいいんじゃねぇか?」
座席の肘掛に頬杖をつき、桃が悪戯っぽく笑った。ここまで何も聞かずに付いてきた桃だったが、とうとう好奇心に負けたというところだろうか。
「……ん、そうだな」
何かサプライズが用意されているわけでも無さそうだ、桃は富樫の反応にそうアタリをつける。
もし行った先に何かステキなことが用意されているのなら、尋ねられた今の時点でもうニヤケているような男である。得意げに鼻をこすりながら、バレバレの顔 でナイショだと言う男である。
何か言いにくい事があるのだ。
富樫が遠い目をしてみせたので、桃はつとめて明るく、
「それじゃあその弁当、六つも買ったんだ一つ食べないか」
桃らしからぬ提案をして富樫を助けた。本当に富樫という男には甘く出来ている、桃は内心苦笑していた。
そんな桃の気づかいを恩知らずにも、
「食い意地が張った野郎だぜ」
助けられた事に気づかぬ間抜けは大きく笑って、その上自分も包みを解き出した。
食べ比べた結果、宮崎県名産対北海道名産は、やはり古豪北海道の勝利だと二人揃って判定を下す。

冷房の効いた車内からは、予想通り夏日となった外が次から次へと移り変わっていく。
いくら飯を頬張りながら桃は、窓の外へ似合わぬセンチメンタル面の富樫をじっと眺めていた。





「まさかのフェリーだ」
呆れたような桃の声に、富樫はウッと詰まった。
だがすぐに、
「フェリー代なら出したろが」
と噛み付く。桃は笑って肩をすくめて見せた、純日本人のはずなのに富樫のした仕草と違って洗練されて見える。
「悪いとは言ってねぇさ。だがやっぱりこんな遠出するんなら、先に言って欲しかったぜ」
「う…」
「もしこれで山に登るとか言うんなら、もう少し考えた服だって着たのに」
「いや、そういう事ァねえよ」
だろうな、桃は頷く。富樫が着ていたのがいつものスーツだったのに少少油断した。そうたいしたところへ行くとは思わなかったのである。
桃はジャケットこそ着ていなかったがワイシャツにスラックスの革靴だし、富樫ときたらネクタイを外しただけだ。よく見れば左ポケットへネクタイは入ってい る。
遠距離で、早朝に出発して、駅弁も買って、船にすら乗って。
明らかに行楽旅行らしいのに、姿はスーツ。
付き合いの長い富樫に、桃は段段とこの旅行の目的地にありそうなものが見えてきた気がした。

見知らぬ港町からフェリーに乗ったのはほんの二十分ぐらいで、船酔いするヒマもない。降りた島の名前は桃も知らぬ島で、どうやら漁業が主な産業らしいとい うことしかわからない。
港を抜け、立ち並ぶ民家を抜け、細い路地へと入る。
桃はいままでほとんどを富樫の横を歩いていたが、この島に来てからは富樫の後ろを歩く事になった。
慣れているのか富樫の足取りに迷いはない、だが時折ぽつりと歩みを止める。桃は何も言わずに待った。
何度か富樫が立ち止まるのに付き合ううち、桃は分かった事があった。
それは、富樫が立ち止まるのはこの島の建造物からしてみれば新しいものの前に出くわした時であるということ。
いよいよ桃は富樫が自分をどこへ連れてきたのかを理解しながら、それでも富樫が何も言わないので黙ってついていくのだった。
左右に十程度の店を並べただけに○○ロードと名づけた商店街を過ぎ、富樫は初めて足を止めると顎をしゃくって桃へ視線を向けるよう促した。
見れば、大きな銭湯のものらしい煙突が昼過ぎの空へヌッと黒く突き刺さっている。
「東京のオバケ煙突程じゃねぇがよ、アレ、夕方見ると二本に増えるんじゃ」
「へえ」
「俺ァまだ、見たことがねぇがな」
「ふうん」
会話はそこで途切れ、富樫はまた沈黙しながらゆっくりと歩き始めた。

富樫の足が再度止まったのは、大分解体されつつある古い民家の前であった。民家は長い間誰も住んでいなかったらしく、雑草や雑木に埋もれそうになってお り、薄っぺらな窓ガラスはことごとく割れて、壁には不良がしたらしい落書きに塗れている。
民家は高台に立っており、落下防止の柵の側にはサビだらけのバス停があった。今は稼動しているのかわからないバス停の側にはこれまたボロいベンチがあり、 富樫はそこをサッと払うと腰を下ろした。桃も静かにそれに倣う。

海から吹きつける潮風がうんと吹いて、舗装されていない道の砂利を跳ね上げる。桃は軽く目を瞑ったが、富樫はまっすぐに軽トラに囲まれた民家を睨んでい た。
富樫が何も言わないので、桃は再び富樫に肩を預けて目を閉じる。
頭上に日差しをちょうどうまく遮るように葉を生い茂らせているのは桜だ、桃はなにか懐かしい気持ちを感じて眠りに落ちる。








富樫がもぞりと動いたので桃は目を覚ます。二三の瞬きと同時に、既に午後を半分回ったころだと理解した。
「付き合わせて悪かったな」
悪かったという意識はあるのか、幾分優しい手付きで桃の頭を撫ぜた。桃は微笑みながら、
「で、久しぶりの里帰りはどうだったんだ」
そう尋ねた。いきなりの質問に富樫はうろたえたように撫でていた手を強張らせると、
「……あんなもんじゃ」
顎をしゃくった。
視線の先にはだいぶ解体の進んだ民家、いや、
「家潰すのなんざ、すぐなんだな」
富樫の生家。
再び強い風が吹いた、二人の頭上の桜は男塾の桜と違って今は葉桜。春になれば立派に咲くだろう。
二人立ち上がると、ほとんど柱と土台ぐらいしか残されて居ない家をぼんやりと見ていた。
「富樫、どうしてだ?」
「あ?」
「どうして俺を連れてきた?」
グム、富樫が詰まったように喉を鳴らした。そしていかにも忌忌しいというように目を細めて睨み、
「野暮抜かすんじゃねぇや、聞くな」
そう斬って捨てた。桃は目を伏せて、そうかと微笑む。
「……こないだ、塾長の所にダンボール届いたんじゃ。三つもな。開けてみたらガラクタだらけ、付いてた手紙見てみりゃ、俺の家を解体するってんで。ここら 一体きれいにして、風力発電の施設を作るんだと」
「………」
「送られたガラクタはそれでもまだ使えそうなものを手当たり次第詰め込んだらしいんだが、よ―――」


富樫はその木組みだけとなりつつある家へと足を踏み入れた。むき出しの畳には既に雑草が芽生えている。桃もその後を追う、富樫は残った柱を一つ一つ調べる と、
「お、有った有った。桃悪ィがちっとコレ見てくれや」
そのうちの一本の柱へ自分の背中をくっつけ、桃を呼ぶ。呼ばれて桃が富樫の指し示すところを見ると、富樫の頭上少しのところに刻みがあった。
見れば下から順繰りに刻みがつけられ、あるところからふっつりと無くなり、そして今の刻み。富樫の頭上の刻みが一番高いところへ刻まれていた。

「俺と、印、どっちが高ェ」
「この柱のが高いな」
「そうか」

満足したのか富樫は、さっさと生家を後にした。残された桃は慌てて畳を踏み抜きながら後を追う。
端からとけゆく太陽が、真っ赤に燃えている。
海はそれを吸い取って同じような紅に染まった。







再びのフェリー、たった二十分だけの航海で交わした言葉は、
「ま、俺ァまだまだ兄貴にゃ追いつけてねぇってこった」
「……そうか」
それだけ。
桃は頷くと静かに富樫に身を添わせ、暑苦しいと言いたげに舌打ちされた。夕暮れの海上はかなり風が強く、やはり秋らしく冷え込みがきている。
だからだと、富樫は舌打ちを一度してからは黙っていた。



港へ降りた時、先行く富樫が小さく、
「すまねぇな」
と詫びた。後ろでそれを聞いた桃は、
「たいした事じゃないさ、」
さあ、飯だ――
いつもの何倍にも食いしん坊になった桃は本当に優しい。富樫は行きと同じように、
「食い意地が張った野郎だぜ」
幾度助けられてもその事にまるで気づかぬ大間抜けは大きく笑って、
「奮発して焼肉といこうぜ」
夜の見知らぬ街に進軍する。傍らの桃もネオンで頬を毒毒しいピンクに染めながら足を速める。
六つの駅弁、そのうち二つは電車の中で食べた。最後の一つは行きのフェリーの中で食べた。
つまりほとんどを行きだけで食べたのだ。腹が減るのも仕方が無いような気がする。

見知らぬ町に浮き立つのは二人同じ、早速タクシーの運ちゃんにうまい焼肉屋を教えてもらう。
言われた通りの道を行きながら、桃が少し眉を持ち上げた意地悪そうな笑みで、ソレ、と指をさす。
「どれだ?」
「それさ、富樫。右手の袖口」
「それがどうしたよ」


二三歩先へチョイと駆けながら、桃が振り返った。飲み屋街で酔っ払いがごった返す中だが、桃は不思議と誰ともぶつからない。
富樫が危ねぇぞと声をかける前に、
「乾くと塩が白くなるぜ、富樫!」
満面の笑みで言われて、富樫は自分の右袖口へ目を凝らす。
じっとりと濡れたそこ。濡れた、いや濡らしたそこ。ハンカチを持ってこなかったために濡らしたそこ。

ワッと富樫の背中の毛が逆立った。見られていた、いつ、寝ていたんじゃなかったのか、目が赤かったか、
グルグルと慌てて温度を上げていく富樫はガーッとなって、笑いながら走る桃を追い掛け回す。
二人はその時政治家見習いと塾長秘書見習いとではなく、剣桃太郎と富樫源次であった。



この後更に、散散歩き回って見つけた宿が連れ込み宿だったという今時ドラマでも中中ない不運が富樫を襲う。


そのうち袖口へ、きらきらと白く光るだろう。
モクジ
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