おつとめごくろうさんでした
出棺の日は日本晴れだった。空ばかり見ていたのでよく覚
えている。
あいつの家の縁側によく並んで座って、スイカを食べたりヤキトリを食べたり、…なんだ食べてばっかりだったな。
花火もあいつの家からだとよく見えるってんで、皆で集まったら電柱がちょうどど真ん中だったから先輩が酔いに任せて切り倒して事件になったりもした。
ああよく晴れている、日本晴れだ。あいつのように突き抜けて晴れている。
空ばかり見ていた、うつむくときっと泣く。
泣いたら怒られちまうだろう、あいつは何の後悔も無しに達成感に死んだのに。
それに俺ももうすぐ行くんだ、別れを大仰に惜しむのもなんだか照れくさいというものさ。
あいつの孫は一人泣きもせず、堂堂たる喪主の顔で俺達弔問客を睥睨していた。
俺と目が合うと一つぱちりと瞬きをして、少し笑った。あいつの孫らしくスッパリと泣き果てたらしい、目は赤かったが未練はなかった。
頭にのせた学帽、あれは棺に入れないんだろうか。あいつが何より大事にしていたものなんだが、…だけどあの子供から形見とも言える学帽を取り上げるような
ことは出来ない。それでも、あいつに、富樫に学帽を寄り添わせてやりてぇと思った俺はきっと果てしなく富樫に甘い。
俺もいい爺さんだっていうのに何も変わりゃしねぇ、あいつと同じくガキのまんまだ。
俺が棺に釘を打って、あいつは学帽無しで骨になった。
灰白の骨はどれもこれも頑丈に太くて、どこまでもあいつらしい。箸で渡しながら俺はもう一度空を仰ぐ。空ではなく天井が俺を笑っていた。
空がどこまでも晴れていた。
残った元塾生と言えば俺と伊達と…ああ、それだけ。
俺はどこかで、あいつのが俺より後に逝くんじゃねぇかって思っていたんだろう。
最後に一度ぐらいはあいつに、俺が死んだ悲しみだとか喪失感だとか、そういう女女しい感情を抱かせたかったんだろう。
何より誰より俺が女女しい、ああ下らねぇ。
空が突き抜けて晴れている。
一日に眠っている時間が十五時間を超えた。誰の目に見ても死が近いのも明らかだ。病院に入れば延命も出来るだろうが、それは本人が許さないだろう。
いや、俺も許さない。だって親父がそんな男らしくない事をするのなんて、絶対に嫌だ。
ガキだなって言うだろか、誰か。
そんなことを考えていた獅子丸は玄関先でぼんやりとしていた。家の中は暑苦しい、冷房をつけるわけにはいけないからだ。
この歳、いい歳になっても覚える事がなかった煙草の代わりにガムを噛んでぼうっとしていた。いつまでもティーンのつもりかと彼の父が笑ったのはつい先日の
事、まだ上体を布団に起こして煙草をくれとか言う父親を獅子丸はどやしつける。バカヤロウ、バカヤロウ。二度もどやしつけた。
噛んでいたガムはブルーベリー、父親はこれが好きではないらしい、というのも香料がきついからだと言っていたが獅子丸にはわからない。
ガムをごくんと飲み込んでおいて、ああ盲腸になるかもと獅子丸は子供のような事を考えながら空を見上げていた。
空は澱み無く晴れていた。風が静かに通り過ぎていた。
「そろそろ死ぬぞ、何か言いたい事はあるか」
今朝方あっさりと言い放った自分の父親の無神経さときたら、獅子丸は空を睨んだ。
何か言いたい事、言ってやりたい事、色色準備してあったのだ。だがああも無神経にすっぱりと尋ねられてすらすらと答えられるわけがあるだろうか。
獅子丸は空を睨んだ。
最後になってしまいそうだから何も言えなかった、とは到底吐けぬ弱音である。まがりなりにも、父親から言えばまだまだであるにしても日本男児としてやって
きた獅子丸が泣き言など許されまい。獅子丸は唇を噛締めて空を見上げた。
(親父のバカ)
考えてみてあまりにも幼稚すぎて、羞じるよりも先に笑いが零れてしまう。
見上げた空は夏の午後、青さは秋には敵わないものの広さでは勝る夏の空であった。
そして獅子丸はこの間の葬式を思い出した。彼の立場上父について、男塾OB達の葬式に出席する事が最近増えてきていて、中には彼の知ったOBの葬式もあっ
た。この間の葬式というのもそれである。
富樫源次、父の話にもっとも良く出てくるOB達の中の一人。獅子丸自身も良く知った男で、男塾を体現しているような男だった。
立派な男かと言われるとそれも難しいが、男であるかと聞かれれば答えは間違いなくYESで、好きかと言われればそれもまたYESだ。
最初はいい歳して大人気ないし、いい歳して馬鹿だしで、父がかの伊達臣人と並べる人物には獅子丸としてはとても思えなかったのだが、付き合いが長くなると
どこか染み入るような忘れがたいような、そういう男に思えてきたのだった。
その富樫源次の葬式で、父は隙あらば空を見上げていたのをぼんやりと獅子丸は思い出す。
今の自分と同じようなものだったのだろう、見栄を張ったのだと今わかった。うつむいていたらあやうく涙でも零しそうになったのだろう、獅子丸は笑った。
いい歳をして、ガキのような。獅子丸は笑った。
いよいよ死に行く父を笑った。
(そろそろ死ぬぞ、か。いいさ、行っちまえよ)
泣いたって誰も咎めない。自分と同い年の人間の葬式で泣きそうになった奴が、どうして実父の葬式で泣く息子を責められようか。
生来の朗らかな笑みを浮かべたまま、獅子丸は空を見上げていた。表面張力の均衡が崩れかかるのを乱暴な瞬きで全て壊して、そして視線を戻す。
獅子丸はひまわり畑の前へと一人立っていた。一瞬にして真夏の全てが膨れ上がってそして黄金の花と開く。
全てが黄金のひまわり畑が、空に吠え掛かるようにして風に揺れている。
ひまわりは真夏を背負って咲き、風に揺らぎながら太陽から顔を背けずに居た。
背丈の高いひまわり達は一本の茎に依って立ち、内から輝いている。
ひまわり畑のおかげで空はいよいよ青く、切ないまでに広い。
ひまわり畑の向こうから隙間を縫って、一人こちらへと歩いてくる。獅子丸は急いで目を擦った。
学帽が見えた、男塾の徽章がついた筋金入りの学帽。
人物はひまわりにうずもれて、学帽だけが一人歩きしているようである。
次第に近づいてくる学帽に、きんきんと耳鳴りがうるさいほど。飛行機がわんわん鳴きながら雲引きずって一機滑り、空を両断していく。
「こんにちは」
学帽が獅子丸の目の前へ立った。
富樫源次の学帽――見覚えのある学帽、しかし被っていたのは彼の孫であった。
白いシャツに黒いズボン、その格好に見覚えがあると思ったのも当然、富樫源次の葬式に着ていたのと同じもの。
一瞬獅子丸はカッとなった。弔いと見舞いと同じ服装でとは!
「……富樫源次の孫です。本日はそふのつかいでまいりました」
知っている、会った事だって数回ではきかない。だのに孫は獅子丸に対して丁重に名乗って頭を深く下げた。まぶしく白い半そでのシャツから覗く腕は細く、皮
が剥けるほど日焼けをしている。獅子丸は我に返ると頷いた。
「ああ、親父?寝てるかも…しれねぇけど」
「ありがとうございます」
今晩を越せるかどうかわからない老人の枕元へ血縁でもないのに案内するなど、普通ならば無いのだろう。
だが獅子丸は孫の目に何かを読んで細いその腕を引いて家へと上げた。
黄金色のひまわりは役目を終えて、だから素っ気無い一本道となる。
「ももさん」
呼ばれて俺は目を開く。ああ、暑い。思っただけなのに獅子丸が庭に面した障子を開けて風を入れてくれた。すまんな。
「よう」
「……よう」
俺の挨拶がおかしかったか?遠慮がちにようと返した富樫。何が桃さんだ、猫なで声で。フフッ、何か企んでるのか?よせよせ、いつも通りに返り討ちに逢うだ
けだぜ?
「あのね、桃さん。じいちゃんから伝言なの」
―――ああ、そうか。俺ときたら馬鹿だな、あいつは死んだじゃねぇか、俺は葬式にも出たじゃねぇか。
ちぇっ、俺ときたら。
「わざわざ悪いな。何だって?」
「シンガリゴクロウ トウジツジュクセイソウデデムカエニユク ココロシテマテ」
教えられた通りに、覚えた通りに懸命に言う言葉。
『しんがりご苦労、 当日は塾生総出で迎えに行く、心して待て』
「それでね桃さん、今日爺ちゃんがね、行ってこいって」
「爺ちゃんって…だってお前」
「でも、そうなの。だからこの帽子を預けておくから、目印だからって」
開け放った障子、庭から吹き込む風に乗って一枚ひらひらと俺の布団へ舞い落ちる。
薄紅の、俺がもっとも好きでもっとも良く見た――桜。
外は満開の桜、狂い咲きの桜、はしたないまでに咲き誇って潔く散る桜。桜が海で、桜が空だ。
見渡す限りの、というより俺が見ようとすると桜が割り込んできてうるさいほどに桜だらけだ。
桜の向こうから歌が次第に近づいてくる、俺の知るものと違って賑やかで明るい曲調の歌が近づいてくる。
「獅子丸、学ランとダンビラ――ハチマキを寄越せ」
「あ?」
「いいから、親の言う事は聞くもんだ。それから言いたい事色色あるだろうが――お前が死んだら聞いてやる」
「はぁ!!?」
俺が立ち上がると獅子丸がギャアとびっくりするような声を上げた。おいおい、そんな声を上げるようなことをしたか?それにそんな些細な事で驚くような男に
育てた覚えは――ああ、ありがとう。悪いがサラシを巻いてくれ。
「桃さん」
「ああわざわざご苦労だったな。富樫、爺さんにはよろしく言っておく」
「うん、またね」
細い腕が俺に学帽を差し出した。あらわれた頭を俺は心をこめて撫でてやる。ありがとう。ご苦労さん。
「ああ、またな」
俺は笑った。胸がすっきりとしていて、とてもいい気分だ。
……日本男児の生き様は……
…色無し 恋無し 情け有り…
…きーみーは、don't cry don't cry …
オイ、誰じゃふざけとんのは、オイ。
やぁっぱり松尾じゃ、おい誰か止めさせろや。
しょうがねぇなあ松尾はよう、酒癖が悪いッたらねえ。
………男の道をひたすらに……
…………歩みて明日を魁る……
(ブフォッ)
く、くせぇ――ッ!!誰だァ屁ェコキやがったのはァ!!
虎丸――ッ!!てめぇって野郎は、こんな時ぐれぇ屁をこかんようにできんのか!
悪ィ悪ィ、今朝から腹の具合がよう。
馬鹿野郎、ホトケに腹の具合があるかってんだ。
マイケルジャクソンでスリラー!松尾、うたいまーす!!
ああもう、これだから俺だけで行くっちゅうたんじゃ!!
しょうがねぇよ富樫ィ、みんな行きたいんじゃもの。
桃一人迎えに行くのにこんな行列作っちまって、作っちまったまではいいがよ、こんな…
あ、見えた見えたあの家じゃ。オーイ、誰か後ろでヘバってる奴等のケツ蹴っ飛ばして来ーい。
フフッ、何やってんだあいつら。
ああ、馬鹿ばっかりだ。まあいい、俺の準備も整った。
「じゃあまたな、獅子丸」
「おうまたな、親父」
泣くなよ、男が。男が泣いていいのは財布を落としていい時と、それから親の……ああそうか、いいのか。
じゃあな。
「押忍!しんがりご苦労さんです!」
富樫が腕を後ろに組んで、地面に足をしっかりとつけて仰け反りながら吠えた。富樫の声にあてられるまでもなく、一号生達全員が乱れなく揃って、
「押忍!しんがりご苦労さんです!!」
と続く。桃は一つ頷くとにやりと、若かりし刃のきらめきで笑った。
「出迎えご苦労、これより俺も直進行軍へ加わろう」
途端に誰かのヤジが飛ぶ。
「地獄への直進行軍かも知れんぜ、桃ォ!」
笑っただけで桃は何も言わない。桜を振るい落とす風にハチマキをなびかせたままで満ち足りたように静かに笑っている。
「富樫、これ」
桃が学帽を富樫へ向けて差し出すと、口に入ったらしい花びらをツバと一緒に吐き出していた富樫はおおと大声を上げて受け取った。
「やぁっぱ俺ァコレがねぇとな、ヘッヘヘ」
学帽を頭に載せてきらりと星を飛ばすと、それが本体なんじゃねぇのかと誰かが混ぜっ返した。うるせぃと富樫ががなる。
いつも通りだと、桃はあくび混じりに大きく伸びをして歩き出す。
行き先は桜が教えてくれる、桜が作った道を桃が歩みかけると秀麻呂が呼び止めた。
「待ってくれよ桃、まだ行くところがあるんだ」
「うん?」
田沢がメガネをずり上げながら手帳をまくる。
「ああ、次ァ渋谷区の――」
田沢が述べた住所は桃に聞き覚えのある、というより馴染みのある住所であった。
「……伊達?」
「そうじゃあの野郎、桃が死ぬまで俺は死なんとか言いやがって、予定を大幅に伸ばしやがったのよ」
「まぁったくあいつって、どうしてああも意地っ張りなんじゃろ」
「そう言うなよ、あいつあれがいいところなんだから」
「しょうがねぇなぁ」
「桃、とりあえず伊達ン家行こうぜ。もうおめえしか残ってねぇぞって、さ」
「ああ、行こうか」
桃は歩き出す。桜の間を歩き出す。伊達になんと言おうか、その話題で行列は持ちきりとなった。
「せーの、御臨終!ちゅうのはどうじゃ」
「そうじゃなぁ、せーの、成仏しろよっ、でどうかのう」
ああでもない、こうでもない。
空は満遍なく晴れて、恥ずかしいぐらいにいい天気だった。
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