1/1スケールの貴方
判断がそのまま行動に結びついてしまった結果よ。
女はそう言って、俺の拳骨をじっと見た。
……殴りはしねぇよ。
「あら、そうなの…私ね鉄拳制裁をされるものと思ったから、口に粘土をつめて」
「止せ」
「止してたわ」
白い歯を見せて、女は笑った。よく考えれば粘土を口に入れる前に、そんなものを持ち歩いているわけもなかった。
と、思っていたら、
「紙粘土だから止したの。固まって口の中がゴワゴワになるでしょう」
着物の袂からレンガほどもある大きさの粘土包みを取り出して見せるのだから呆れる。どうしてそんなものを入れてるんだ。
「剛次さんを作って見ようと思って」
「止せ」
「止さないわ」
ほらこれ、剛次さんの鼻。
女が続いて着物の袂から取り出したのは原寸大の俺の鼻らしい。
俺と比べて小さな手のひらに乗った俺の鼻。穴が二つ開いて、鼻筋が太い。鏡で見るのとは違った俺の鼻がそこにあった。違うとすれば紙粘土の鼻に色がついて
いないという事だけ。
「……そんなもの持ち歩くな」
「最初に作ったのよ」
嬉しそうに笑うんじゃねぇ。それになんだって鼻が一番なんだ。
「なんだって鼻なんだ」
どうせなら顔とか、手を作るんじゃねぇのか。芸術っていうのはそういうもんだろうが。
「一番に目にはいるのだもの」
……確かに俺とこいつとの身長差はたっぷり三十センチ近くある。近寄って見上げたら、確かに、鼻が一番に目に入るかもしれねぇ。
だからといってな。
「へしゃv
女がクシャミをした。痩せ犬がしたような間抜けなクシャミだ。
粘土の俺の鼻につい忘れていたが、元元俺は池に落ちた女を怒鳴ろうと思っていたんだったか。
着物の値段なんかわかりゃしねぇが、こう泥だらけになっちまってはとても元華族の女とは思えねぇ。いいところ類人猿だ。
「ごめんなさい剛次さん、でも、帽子が」
帽子。女の手には同じく泥まみれの帽子があった。
俺の頭が白髪(しらがじゃねぇ、はくはつだ)なのにはいくつか理由があるが、それはどうでもいい事だ。
だが俺が町を歩くたびに命知らずが俺を見てはヒソヒソ言うのは気分のいいものじゃねぇ。
かわいそうねぇ、と小声で言われるたび所詮陰口だ何も恥ずべき事でもねぇと開き直ってはいたが、それでも愉快でないのには違いない。
「剛次さんのあたまをあんなふうに言うの、私我慢がならないわ」
笑うかわけのわからない事を言い出すかしか印象のあまりない女が丸い頬を膨らまして憤慨していた。みやげ物のフグのような顔だ。
「放っておけ、」
「剛次さんの頭、綿毛のようでとても素敵だわ。春に剛次さんの髪の毛が頭から離れてたくさん飛んでいると思うと、素敵」
「止せ」
「止します」
気色の悪い事を言うな。
見切り発車で嫁取りをすることになったが、どうも調子がつかめねぇ。
見合いの場の雰囲気に流されたとは思いたくねぇが、飯も炊けねぇ掃除もできねぇ出来るのは虫の世話ぐらいだと後で聞いた時には渋い気持ちになったもんだ。
すぐに話を取りまとめなかったのは相手が人並みに一通りの事が出来るようになんとか仕込むと言い出したせいだ。
それで破談になるかもしれなくても、さすがに良心が働いたんだろうぜ。
桃の野郎が一枚噛んでたってのも後で聞いた話だしな。あの野郎が絡むとロクな事にならん。
「剛次さん、帽子をかぶったらどうかしら」
「何だと?」
女は着物の袖を掴んで、演歌歌手のように拳を作って俺に訴えた。女はいつも俺の側にいて、しかも小柄なものだから一番見ているのは旋毛だった。それも二つ
もあって髪の毛はおかしなうねりをしている。
「そうだわ、帽子をかぶればいいのよ。私買ってきます」
「いらん」
「どうして」
「隠すようなものは持ってねぇよ」
「たくさん隠しているわ」
俺は思わず自分の身体を見てしまった。
女はたとえば、と前置きをした。前置きをして立ち止まるので後ろから歩いてきた男にドンとぶつかられる。
一度に二つのことのできねぇ、どんくさい女だ。
歩けと言うとフワフワヒョコヒョコ頼りのねぇ、世話の焼ける歩き方をしているので面倒になって腕を掴む。
「剛次さんがあんまり話してくれないんだもの」
「男は自分の事をあまりしゃべるものじゃねぇ」
「あ、あの帽子なんてどうかしら」
まったく俺の話を聞いてねぇ。だが、そう思っていると後で「剛次さんああ言ったけれど、私は…」と始まるのだから厄介だ。
危なっかしく走って行ったまでは良かったが、ちょうどクリスマスとかいう忌ま忌ましい騒ぎのせいでか、買ってきたのが赤に白いボンボン帽子だったのだから
怒鳴るのも仕方がねぇ。
「こんなものを俺にかぶれってのか」
「剛次さんかがんで」
俺はこの日、初めて女へ手を上げた。殴ったわけじゃねぇ、聞き分けがねぇからごく軽く小突いただけだ。女は転がったけれど。
そして買い求めた帽子は、赤石にはとても似合わなかった。いわゆる紳士用のパナマ帽で、仕事の白いスーツに合わせてもおかしいし、休日のセーターにパンツ
などという服装に合わせてもおかしい。なお、ジーンズを赤石は好まない。ああいう膝や太ももの窮屈な服が嫌いなのだ、立ち回りにも差し障りがでる。
その帽子を女がこれが一番すてきよと繰り返し言うので、赤石としてもそんなものかと思いかぶっていた。当初の目的である白髪を隠す効果はあまり期待ができ
なかったが、そんなことは二人とも覚えていなかった。
公園を歩いていた。
帽子が風にさらわれた。
女が後先考えずに跳んだ。
落ちた。
幸い冬であったため池の水は枯れていた。
が、代わりにいい肥料になりそうな泥がたまっていた。
女は何もそこまでというぐらいに全身泥まみれになった。
「ふしゃん」
着物が泥に塗れていたので、とりあえず家に赤石は連れ帰った。電車に乗るわけにもいかず、かといって泥だらけの女を歩かせるわけにもいかない。
仕方が無いので貸し自転車を借り(恐ろしい事に前カゴとチリンチリンのついたママチャリだ)、荷台に女を乗せて家路へと急ぐ。
バランスが悪く、女は三度落ちた。
三度目で赤石はとうとう腹を立てた。
「普通に自転車も乗れねぇのかてめえは」
「ごめんなさい剛次さん」
荷物だってもっと座りがいい、赤石はこわい眉を吊り上げる。
女がいまだに帽子を胸に抱いていたのに気づき、無言でそれを取り上げた。前カゴへと放り込む。
「掴まれ」
「でも」
「やかましい」
赤石の灰色のセーターには、デスマスクのように女の笑顔が泥で転写されて、さながら呪いのようだった。
誰が顔までつけろと言ったと赤石は怒鳴ったが、女はありがとうとただ笑った。
嫁入り前の娘を泥まみれにして、普通ならば君がついていながらなんという事をしてくれるのだねと修羅場が始まるのだが、
「いつもいつも迷惑をかけて…」
とむしろ未来の義理の父親に頭を下げられ、着替えを用意され、食事をご馳走になってしまう。
それだけ女をなんとかして片付けたいのだ、押し付けられ先である赤石は猪口を口へと運びながら渋く眉をひそめる。
「お前、なんだって人の耳なんて袂に入れているの!!」
女の母親の悲鳴が赤石の元まで届いた。それを聞きつけた女の父親は酷くしおれた様子で、
「着着と出来上がっている」
「………」
「この間も、追加で粘土をねだられたんだ」
「…………」
ぬる燗の酒が、急に冷え切った気がする。赤石はしばらく考えた末、
「新年明けたら早々に引っ越す」
そう宣言をした。父親は顔を上げると、
「完成する前に…だな、」
赤石と父親は揃って床の間へと視線を投げた。そこには人の尻を模したらしい粘土の塊があり、横には【腰部二−四(右)】と書いた紙が貼り付けてある。
自分の右尻を肴にうまい酒が飲めるはずも無く、赤石は大きくため息をついた。
「キャーッ!!何これ!!」
「ゲンゴロウよ、池の泥へもぐっていたの」
「だからって俺の部屋に置くんじゃねーよ!!!」
十蔵は怒鳴った。母はふくれた頬へ手を当てて首を傾げる。
「でもね十蔵ちゃん、これ、とてもいい出来なのよ」
「親父の裸の像なんか、部屋に置いときたいわけねぇだろ!!」
たまに家に帰ってきたら、自分の部屋に父親の裸身像がある。悪夢のような光景だった。
布一枚きりしか身にまとっていない父親のたくましい肉体は十蔵の、年頃の男子の部屋へ異様な雰囲気を与えている。
男塾へ入塾し、寮暮らしをしているのだから十蔵としては、自分の部屋が物置代わりにされても文句はないと思っていた。
が、部屋にこんな禍禍しいものを置かれるとは当然思っておらず、等身大の裸の父親像には大声を張り上げる。
「大丈夫よ、紙粘土で出来ているからお掃除の時にも簡単に動かせるわ」
「そうじゃねぇ!!」
「それに、腕を開いているから、タオルかけに」
「馬鹿野郎!!!」
あと十分もあれば、剣獅子丸一味が到着してしまうのだ。自分の父親の裸身像を部屋に飾っている事がわかったら、どんな事になるのか。
幾多の敵を恐れない、間違いなく赤石剛次の血を引く十蔵は青ざめた。
「いいから!人が来るんだよ邪魔だから片付けるぞ!」
「あら、お友達?」
「そうだよ友達だよほらそこ退けよ運ぶから!!」
十蔵は抱きつくようにして力任せに持ち上げ、それがあまりに軽いものだから拍子抜けして驚く。
何かチャラチャラと金属が触れ合う音が中で響く。
「!!?」
「あ、いけないわ」
母は上目に十蔵の顔を見つめながら、シ、と唇に指を当てる。
「………中を繰り抜いて、貯金箱にしてあるの。私のへそくり、内緒にしてね」
………勝手にしろ。十蔵はこめかみを痙攣させながら吐き捨てた。
インターフォンが来客を告げる。
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