同棲、はじめました

せまい部屋だわ。
うん、けれどもね、君がいつも目の届くところにいるから、僕はしあわせだな。
そうね、あなたがいついかなるときも側にいてくれて、すてきね。









試験勉強にも手ごたえを感じて、さて昼寝でもするかと思った矢先。
桃のアパートのドアを誰かがトストスと叩いている。
「……誰だろう」
机のノートを閉じ、一度大きくアクビ交じりの伸びをしてから玄関へと向かう。向かうと行ってもさしたる距離は無い。
その間に訪問者が誰なのかアタリをつけるべく、桃は心当たりの数名の名前を脳内に並べた。
イの一番に富樫と虎丸の二人を候補から外す、彼らならばドアを叩く前にノブをガチャガチャやる、そうしてカギがかかっていれば名前を呼ぶだろう。
田沢と松尾、それから椿山に秀麻呂も外そう、桃は小さく頷いた。彼らは一人一人ばらばらに来ない、お祭り道中のような賑やかさであの錆びた階段を上がって くるだろうから。
伊達、
「無いな」
思わず声に出してしまった。
猫のようなあの強く傷の多い男はパーソナルスペースへ入られるのも、入るのも好きではないようで、誰か(それは大概虎丸の役目だった)に引き立てられるよ うにしてしか桃の部屋を訪ねたことは無い。
Jは本国で厳しい訓練を楽しんでいるだろう、厳しければ厳しいほどよろこびを感じる男だから。
三面拳が桃の家を訪ねるならばきっと伊達絡みで、それならば事前に何か一報があるはず。彼等は塾生だが、それ以上にきちんとわきまえた大人だ。

つらつらと、しかし一瞬にしていくつもの可能性を浮かべては斬り捨ててドアを迷い無く開け放つ。
チェーンなどという立派なものは無い、一瞬にして牛をバラバラにしてしまうような大男や、怒号だけで家を吹き飛ばす事の出来る丈夫が来たのならば無力だか らだ。桃は自分自身の力を過信することは無い、しかし卑屈になる事も無い。
カギは一つで十分、
新聞か、ガスか、宗教か――
最後に残った可能性はあまり面白くない、歓迎できない可能性ばかり。
「桃太郎、居たか」
他の誰とも違う呼び名で、呼ばれた。



秋風の爽やかな、勉強にスポーツに読書に恋に持って来いの金曜日の午前中。
つくしアパート202号室のドアの向こうには季節と世界を間違えたかのような、
タンクトップと覆面をひたひたと黒で染め抜いてコーディネートした男が立っていた。ヒラリと覆面より伸びた包帯が秋風に踊る。むき出しの二の腕や肩は寒さ とは違った青、覆面から覗く鼻筋や頬は肉が削げていた。
一瞬桃の目が大きく見開かれる、が、
「お、押忍、影慶先輩」
覆面が不審人物どころか、尊敬する先輩である事を確認した桃は背筋を正した。正しようも無いほどシャンとしていたが、頬へさっと魂が火入れしたようにな る。
覆面――影慶、男塾死天王を束ねる男。
彼が動いたとなれば何か一大事だろうと桃はたちまち塾生としての顔へと変じていく。今すぐにでもダンビラを引っさげて先陣を駆ける事が出来る男の顔をして いた。
「元気そうだな」
「押忍、影慶先輩。お久しぶりです」
「ああ。他の――」
「息災です」
影慶が小さく頷いた。影慶は覆面の端を、桃は跳ね散らかった髪の毛を風に揺らしている。

「桃太郎貴様に頼みたいことがある」
この単刀直入なところが影慶という先輩の素敵なところだと桃は思っている、アリャ単なる面倒がりだぜと富樫はまぜっかえした。
「押忍、自分にできる事でしたら何なりと」
滑舌のいい、胸のすっきりするような物言いで桃は快く応じた。その言葉が表面上や先輩と後輩の力関係だけとは到底片付けられない、気持ちのよい返答だっ た。



「―――感謝する」

桃の前髪と影慶の覆面の端がふわりと浮き上がった、そして轟と横様へ吹き付けられる。くせの強い桃の髪の毛が逆らえないで寝てしまうほどの強い風が吹い た。
(――いや、)
風ではない、
風では有る、しかし、
(風圧だ)
何かとてつもなく大きな力が現れたことで生じた、力が引き起こす風。
覇圧の風だ、と桃が察するよりも早く影慶がその場に膝をついた。桃に屈したのではない、

つくしアパートの二階廊下は、覇者激衝の烈烈たる風が吹いた。一瞬にして戦場と化してもおかしくない世界の変貌。

跪く覆面、影慶の肩へ巨いなる手のひらがドアの影よりも出でて触れる。太い腕、鋭利な日本刀ですら断ち落とす事が難しそうな、筋肉にみっちりと覆われた太 い腕が現れた。


風になびく獅子のたてがみのような強い髪、
太く力強い迫力のある眉、
引き締まった頬は浅く日に焼け、
仏師が巨木より彫り起こした荒神のごとくの深い高低で刻まれた目鼻、
全身を精気が満ち満ちてめぐり、シャツの中で肉体は息づいている、

瞳は凪いでいた。


「邪鬼、先輩…」

覇王、大豪院邪鬼。
影慶をはじめとする死天王、そして男塾三号生が唯一膝をついて忠誠を誓う元男塾三号生筆頭。
伝説は卒業しても今尚男塾塾生に語り継がれている。今も、そしてこれからも。
自他共に許す帝王だ。

「桃よ」
邪鬼の声に桃は丹田に力を込めた。神神の世界で人があっという間に死んでしまうように、この大豪院邪鬼という男に接するためには気を込めなくてはいけな い。
虎丸や富樫のように自然体できゃいきゃいできるのは彼らが少し変わっている、鈍いからで、普通は深海に放り込まれたように押しつぶされてしまう。

「押忍」

邪鬼は桃の足元に何か投げ出した、それが男塾の指定の肩提げ鞄だということを桃の脳が把握するよりも早く、桃の横をすり抜けた邪鬼は玄関その場に靴を脱ぎ 捨てて上がりこむ。

「えっ?」

「しばらく世話になる」
「むさ苦しいところですが、邪鬼様、どうぞおくつろぎください」
うやうやしく言ったのは桃ではなく影慶だった。彼は邪鬼以外の誰にも配慮しない、彼には邪鬼だけが主君だからだ。


邪鬼は桃の部屋の申し訳程度についた廊下を進む、桃はその時初めて邪鬼がリラックスした白いシャツにジーンズであることに気づく。
ジーンズの尻と太腿がやけにきつそうだ、そんな事を考えながら桃は短く、

「押忍」

と答えていた。反射といってもいい。
影慶は桃の背後より恐ろしく尖った、ひややかな声を浴びせかけた。

「一日三十品目を厳守せよ、桃太郎。当座の着替えは入っている、が、足りないようならば新たに買え」




くれぐれも柔軟材を使ってはならぬ、厳しく言い置いて影慶は風のように去りかけた、
「影慶先輩、」
桃が急ぎ引き止めると、いかにも面倒くさそうに覆面の眉をしかめて、
「ああ、あのな、邪鬼様が暮らす家のリフォームが済むまでよろしく、そういう事だ、じゃあな」

決して発泡酒など出してはならぬ、怖い顔をして釘どころではなく杭を刺して影慶は去った。



残された邪鬼様覚書を手に、桃は一人戸惑っている。
「汗をかいた」
さっそく覇王が風呂を立てよと言っている。畳に投げ出された裸足の足は締め付けられた事の無いような美しい指をしていた。
カレンダーに桃はまず、リフォーム完了日を大きく記すと、

「押忍、元一号生筆頭、剣桃太郎、精一杯邪鬼先輩のお世話を致します!」
半ばヤケクソにそう言うと、
「世話をかける。あまり硬くなるな、…そうだ、兄のように思っても良いのだ」
「………」




邪鬼様それはムチャです、影慶は頬を引きつらせた。屋根を走りながらため息をつく。プロの助っ人やニンジャといえば屋根を走るもの。
どうして頬を引きつらせたか、それは邪鬼の鞄にマイクを取り付けてあるからで、それぐらいに心配している。
桃は一人戸惑いながら、さて誰を巻き込んでやろうかとそれでもしたたかに企んでいた。まずまちがいなく富樫は呼ばれることになるだろう。
(どんな顔するかな、あいつ)
そう考えると俄然楽しくなってきた。いついかなるときも楽しんでこそ。
それぐらいでなければ男塾の筆頭は務まらない。





今、たった六畳の部屋に二人の筆頭が揃い踏みをしている。
そのうち一人はアパートらしく狭い風呂で足が伸ばせない事に少しばかり不満を抱いたが、口に出さないつつしみがあった。
もう一人は、残り湯がないせいでまっさらな水で洗濯をする事になってため息をついている。
モクジ
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