[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
貴方に食わせるタンメンはある
国防省だって近づけやしない、この無敵空間。
窓際へ腰を下ろそうとした邪鬼先輩を引き止めて、一応自分が使っていた座布団を差し出す。
先輩は立てなきゃいけねぇ、そういうきまりだからじゃなくて本当に慕わしい先輩だから。
「桃よ、それは貴様の座布団だ」
「押忍、俺は先輩を畳に直座させるような躾は男塾で受けちゃいないっすよ」
あえて少し砕けた口調でそう言うと、邪鬼先輩は頷いて俺の手から座布団を受け取る。
男塾を卒業したのだからといって礼を失するつもりもないが、必要以上にかたくなることはないと思った。そして俺の思惑を邪鬼先輩も受け取ってくれたらし い、座布団と一緒に。
邪鬼先輩は腰を下ろしてから、
「突然押しかけたな。苦労をかける」
正面に正座した俺へ短く詫びた。帝王などと呼ばれているわりにこうしたまっすぐなところが邪鬼先輩にはある。
だから慕われていると考えるのは短絡が、それでもそのうちの大きな要因だと思う。
「いえ、試験勉強ぐらいしかやっていないのでたいした事ないすよ。」
「そうか……」
そこで言葉を一旦切っておいて、邪鬼先輩は、
「はかどっているのか」
「ええ、メリハリをつけてやっています」
「……そうか」
まずお茶を出すにしろ、この家に急須はない。ついでに言えば客用の湯のみもない。
人が来ないわけじゃないが、富樫や虎丸が上品に急須で淹れた茶じゃないと飲めないなんて事はないからついついほったらかしにしちまった。
邪鬼先輩に缶コーヒーって訳にもいかねぇ、どうするか。
「俺の事は構うな。貴様は勉強があるだろう」
構うなというくせに、俺は気遣ってくださる。やっぱり立派な先輩だぜ。
「いえ、丁度一区切りついたところです。コーラでいいすかね」
嘘じゃねぇ、勉強なんてダラダラやったってしようもねぇ。邪鬼先輩は俺の顔をじっと見て、どうやら俺が気づかって嘘をついたのかどうか見極めようとしてい るようだった。
結果、
「すまん」
どこかほっとしたように邪鬼先輩の気配が緩んだ、俺もほっとする。なんていっても邪鬼先輩だ、どうにかすると気詰まりになっちまいそうだ。
邪鬼先輩とコーラという取り合わせは奇妙で、ちぐはぐさが面白い。
ふと影慶先輩の書付に炭酸飲料はシャンパン以外どうのとあったと思ったが、他に無ぇんだ仕方がないさ。
「ところでどうして俺の家へ?三号生のお兄様方は」
「嫌われているのだ」
邪鬼先輩は影慶先輩が持ってきた鞄から本を数冊出しながら答える。コーラが好きなのか珍しいのか、缶のまわりへ水滴は半分ぐらいにしかついていない。
にしても嫌われて、なんて邪鬼先輩には似合わない言葉だ。それが三号生からならなおさら。
「嫌われて?」
「ああ、新しく暮らす家が決まったまではよかったのだがな、そこが随分と荒れていて、リフォームが必要だったらしい」
「はい」
「その間男塾に戻ろうかと思ったのだが、それは甘えが過ぎるというもの。誰ぞに泊めて貰おうかと思ったのだ」
「が、」
「……が?」
「誰もが嫌がる故、貴様の所へきたのだ」
嘘だ。
俺は瞬時にわかる。おおかた、俺も俺もになって影慶先輩が許さなかったんだろう。変わらねぇ、まったくあの時と同じだ。
「リフォームは後何日ですか」
「三日ほどで俺の部屋は完成させると言っていた。それ以上かかるようであればどこかホテルでも取るつもりだ」
「そうですか」
邪鬼先輩のために今、三号生のお兄様方が汗だくで頑張っているんだろう。大事な邪鬼先輩の家を業者になんか任せておけねぇって人達ばかりだから。
だから影慶先輩の家には泊まらないんだな、現場の指揮をとる人がいなくなっちまうから。本当はあの人が一番邪鬼先輩を家に招きたいだろうに。
それとも、家の事を知らないけれどあまり呼びたくないのかも知れねぇ。
どちらにせよ、影慶先輩は心の置き場に困りそうだ。
「俺は本を持ってきた。貴様も勉強に励むがいい。……と、邪魔をしている俺が言っても困るだろうが」
毛先隅隅まで行き渡る覇気っていうのか、ともかく力強い邪鬼先輩の眉の強気が少し和らいだ。
俺もありがたく勉強に戻らせてもらう。邪鬼先輩は窓枠へ背中を預け、本を読んでいた。
読んだ本が徳川埋蔵金の本だったのには驚いたな、どうするんだ、あれ。そして塾長が以前にロマンだと言って埋蔵金の話をしていたことを思い出す。
……恩返しのつもり、だろうな。
休憩もそこまで、勉強に戻る。
意外なほど集中できたのは、俺が勉強にのめりこみたいという気持ちよりも、邪鬼先輩がその気迫の矛先を和らげてくれていたからだろう。
まったく先輩ときたら大きな人だぜ。
と、だいぶ昼を過ぎている事に気づいた。
「邪鬼先輩、お昼は」
「まだだ」
そんなら言ってくれればよかったのに。俺は朝を少し遅くとったから、つい空腹を忘れちまっていた。
「ラーメンでいいですか」
心のどこかで影慶先輩が目を釣り上げて俺に怒った。そんな栄養の偏ったものを食べさせるなと怒っている。
「貴様が作るのか、桃よ」
「いや、近所にラーメン屋があって、そこから出前を」
「……ふうむ、」
邪鬼先輩の鋭い目が俺をジロりと睨んだ、参ったな、何がいけなかったんだろう。
「いけませんでしたか」
「いや、一人暮らしの自炊というのはかくも難しいのかと思っただけだ」
「ああ…」
俺は頭を掻いた、掻いて初めて左頭部にクセがついていたのに気づく。ああ、寝癖もまだついたままだったのか。
「一人分だけ作るのは、中中面倒なんですよ。冷蔵庫にたいした物も入ってねぇもんですから」
いけねぇ、だんだんと口調が硬くなる。まったく邪鬼先輩の大きさには参るな。
「そうか…ラーメン、食いに行くか」
「押忍、出前といっても岡持ちを取りに行って、ドンブリを洗って返すと百円引きなんすよ。俺が取ってきます」
よいしょ、立ち上がると窓の外はまったくいい天気だった。もう少ししたら布団も取り込もう、シーツも乾いただろうし。
久しぶりに洗ったシーツは気持ちがいいんだろうけど邪鬼先輩には小さいんじゃねぇか。足がはみ出るだろう。
「フッフフ晩飯は期待して下さい」
「む?」
財布を掴んで玄関に出る寸前、振り返る。
邪鬼先輩はまるで俺が背を向けるのを待っていたようにコーラを口へ運んでいた。
手には新たな本、その背表紙には『豪快!激烈!男の手料理』とある。
……誰が食べるんだろうな。その幸せな第一号は。
「晩飯には富樫を呼びますよ、あいつ、塾長の秘書見習いをしてますから、料理は確実に俺よりも上手なはずですから」
邪鬼先輩は一瞬目を大きく見開いて、そして肩を揺らして大いに笑った。
「貴様は酷い男よ、あれが……富樫が俺を嫌っているのを貴様が一番知っていように」
「あれは嫌ってるなんて立派なもんじゃねぇ、あいつだって全てわかっている。だけどちょっと照れくさくてどうしていいかわからないってだけの話ですよ」
つい、前半言葉遣いが乱れた。
富樫のせいだ、あいつの名前は俺をただの塾生へ引き戻しちまうから。
「ともかく、何か食べたいものを考えておいてください、邪鬼先輩」
「………ああ」
晴れやかだ、邪鬼先輩の笑顔。邪鬼先輩が富樫を気にかけていたということを俺は知っている、いや、あれは富樫の兄貴を気にかけているのか?
とにかく邪鬼先輩はさっさと視線を本へと戻している。
ジーンズの裾から覗く素足はやはり大きいけれど扁平じゃなくて、締め付けを知らないように伸びやかだった。
「行ってきます」
「うむ、行ってこい」
もしかしたら邪鬼先輩は、行ってきますという俺の言葉に何か答えなくちゃいけねぇと思ったんだろうか。
ちぐはぐながらも嬉しい言葉を背に浴びて、俺はアパートを後にする。
苦肉の策で野菜の多いタンメンにしたんだけど、邪鬼先輩は注意深く見れば分かる程度に顔をしかめていた。
影慶先輩の苦労が偲ばれるぜ。
さ、富樫を呼ぼう。フッフフ嫌だなんて言わせるもんか。もし嫌だなんて言ったら塾長からでも手を回してやるからな。
モクジ
Copyright (c) 2008 1010 All rights reserved.