あぶらげ買って、待ってます

わずかなまみえのないわたし、けれども、
ひとめおあいしとうございます。






自らを狐と名乗った、ほんの両手に乗ってしまう毛玉はふかふかと息づいています。
毛玉にはちいさく頭がついており、そこへ碁石のよな目鼻がくりくりとしておりました。
「こせいにございます」
「こせいとは何だ」
毛玉の拾い主は影慶という、眼差しと眉の下に翳りのある、ほんのりと愁いを含んだ男です。影慶は尋ねます。
主人である大豪院邪鬼の部屋の戸を、このしろがね色の毛玉がカリカリとあるかなしかの前足の爪で引っかいていたので拾い上げたまででした。
「きつねの年へたものが、別のいのちをえたものにございます」
「化け狐か」
影慶の手のひらの上で、ふふふふと毛玉が震えます。小さな小さな前足が不満げに影慶の手のひらへ爪を立てる。爪が影慶の手のひらの包帯を突き破り、毒にあ たっても面倒だったのでヒョイと首根っこらしきところを摘んで持ち上げてしまいました。
きぃきぃと毛玉が短い後ろ足をばたつかせているのが影慶にもわかります。毛玉が揺れるたびにやわい毛並みが午前のひかりにかがやきました。
「なにをなさるの」
「暴れるからだ」
「わたし、ゆいしょ正しい、いなりなのですよ」
「どちらでもいい。言え狐、邪鬼様の寝所にもぐりこもうとしていたな」

人間の子供ですら震え上がりそうなこわぁい顔で、影慶は睨みました。ギュッと眉間がしぼられてますます目元へ暗がりをこさえます。
ふふふふ、とまた毛玉が震えました。
毛玉は精一杯こわいのを押し隠して声を張り上げます。小さな口の中は赤にほどとおい薄もも色で、舌がちらちらいたしました。
「もぐりこもうとなど、していません」
「していた」
影慶もかたくな。
自分が心から敬愛してやまない邪鬼の寝所に不届きにももぐりこもうとしていたのならば、たとい獣でも許すまじ。
「していません」
「ならば何をしようとした」
「その、」
毛玉がぴったと暴れるのをやめます。
「その、恩返しにまいったのでございます」
ふさ、
毛玉にくっついていた銀色の尾がなみなみと揺れて、影慶の手首をくすぐりました。
ふさ、

恩返しに来たのだと、細い声が繰り返しそうのべました。





狐の住んでいた小さな村では、古くから子狐の力試しに、都会で魔力の宿った品物を持ち帰る儀式がありました。
たとえば捨てられて数十年にもなる鏡や、神社の神木の枝。情念こもった紅。
そうしたものを持ち帰るのは並大抵ではない、何度も挑戦してようやく成功する狐がほとんど。都会で事故にあったり、猫にやられたりして命を落とす者も数多 かったのです。
しかしそうして初めて狐達は一人前のあかしである、まみえを手に入れる事ができるのです。皆必死にまみえを得ようとこころみました。
そんななか、この子狐は数ヶ月前にこの東京に下りて、生来のぼんやりさ加減から危うく事故に遭いかけたのでした。

死ぬ、目をぎゅっとつむった子狐の身体は次の瞬間浮かんでいて、突っ込んできていたトラックは不思議な風に押し流されるようにして道を大向こうへ曲がって いきます。

ぱちぱちと目をまばたかせていると、

「目を瞑るな、見えなくなる」
しごく当たり前の事を、魔法のような力強さで言う大きな大きな人がおりました。

「あの、」
「用が無いのならば人里に下りてくるのは、よせ」

狐は自分のせまい額をザラリとなぜたのが、大きな人の人差し指であることを知りました。
知った時にはブンと大きく投げられて、山へと向かうトラックの荷台へとほおりこまれているのです。それがあんまり衝撃が強くて、目を回してしまったので、 それきりとなりました。
投げ込まれたトラックが向かった先が、自分の住んでいた村のある山とはまるきりちがった山へとついたのでとほうにくれることになりました。
けれども、あの力強い指がじんわりと額をぬくめるので帰りの道はすこしもさみしくなどありませんでした。

数ヶ月村でけんめいに辛い修行をつみ、おまじない程度の力を得て狐はふたたび山を降ります。

カラスに尋ね、山猫に聞き、風を嗅いで。

恩返しにと、山を降りました。






「そういうわけで、あの方へ恩返しにまいりました」
「ならん。貴様のような化け物を、邪鬼様へ近づける事は断じて許さん」

食堂のテーブルの上に狐を下ろし、影慶は恐い恐い顔を作って狐の願いを跳ね除ける。
きぃ、一際高く毛玉が弾んだ、ぽおん、と軽軽四十センチは飛んで、影慶の顔近くまで跳ね上がった。
「どうしてそのようなこと、言うのですか!」
「ならんと言ったら、ならん」
腕組みをむっすりと硬く、影慶は首を横にしか振らない。
「何喋ってんだ。邪鬼様のところ離れてよ」
と、卍丸が食堂へと入ってきた。不機嫌そうに鼻面へ皺を寄せている、自慢のモヒカンはセットの余地がなかったらしくさらりと倒れていた。
「不審な獣を捕らえたから、尋問していた」
「獣?」
影慶が顎をしゃくる。大きな磨き上げられた木製のテーブルの上で、今も着地に失敗した毛玉がトテンと転がっている。
「………毛玉」
「こせいにございます!」
先ほど影慶が尋ねた時よりも、いくぶん強い調子で狐は答えた。卍丸が目を瞠る。房、と視界に垂れてきたモヒカンを顎を突き出すようにして跳ね上げた。
「きつねのせいに、ございます!」
「へぇ、そんで」
驚いた風も無く、それで。
卍丸らしいこだわりの無さに、影慶がため息をついた。狐はぽん、と軽やかに転がって卍丸の前へとやってくると同じように願いを述べた。

「恩返しに、まいりました」
「そりゃ駄目だ」
「なぜです、わたしは」
ストップ、と卍丸は手をかざした。大きな手のひらには傷がいく筋も走っていて、ギョッとして狐は口を噤む。
「正直に言うとよ、あの方ァ今」
「卍丸!!」
影慶が鋭く制止した。しかし卍丸は眉をひとつ動かすだけでまかせよと告げる。影慶は仕方なく一歩退いて再び腕を硬く組む。いつでも狐の命を立てるように、 意識を張って力をみなぎらせていた。

「あの方、邪鬼様は―――御病気だ」
「なんと、ご病気にございまするか。おいたわしいことです」
狐は碁石のような瞳をぱちぱちさせて、いかにも人間臭く胸のあたりを押えてみせる。その態度に嘘の臭いを嗅げず、卍丸はひとつ頷くと言葉を続ける。
「原因はわからねぇ。命を狙う敵なんざ数えるのもあほらしい。薬を飲ませようが、医者を呼ぼうが。ずっと眠ったまま目を覚まさねぇでいる。体温も既に三十 度を切った」
「………」
神妙に狐は頷きもせず三角の耳をひこひこと動かして聞いている。
「体重もはかっちゃいねぇが、おそらく痩せてらっしゃるだろうぜ。まったくアレは――」

「ただ眠るようにしてゆっくり死へと向かっている、そういう事でございますか」
「貴様!!」

狐は冷え冷えとした声でそう言った。影慶の冷たく沈んでいた瞳へ白いまでの怒りが燃え、毒手を振り上げた。
その毒手がどういうものであるか知ってか、知らずか、毛並みをふふふふ、と揺らしつつ狐はその目を受け入れる。

「お聞きください!」
「黙れ!貴様のようなあやかしが、あの方を…!!」
「お聞きください!!」
狐は吠えた、犬歯をごう、とむき出しにして吠えた。影慶も卍丸に羽交い絞めにされながら怒鳴る。
「やかましい!!黙れ!!」
「だまりませぬ!!わたしの話を、お聞きください!必ずあの方をお助けもうしあげまする!!」
「貴様!」


狐はふかふかした身を、すんでのところまで伸びた影慶の毒手の前へと晒す。獣の鼻は影慶の腕に仕込まれた猛毒を察知していた。

「どうか、お願いでございます。まみえのまだ無き、とるにたらぬ身の上でございますが、必ずお役にたってみせまする」

白い星の入った額をふるわせて、銀毛の狐は細く鳴いた。









肌膚を土気色にして眠り続ける邪鬼を見下ろして、そのあまりのいたわしさに狐は涙を零した。あの堂堂たる獅子のごとき覇王がこのまま蝋燭のように細って死 ぬるのかと思うと、涙がとめどない。
「どうするのだ」
まだ信じきっては居ない様子の影慶は苦りきった声で手のひらの上の狐へ尋ねた。狐はヒン、と人間臭く鼻を鳴らすと、
「まずは、この眠りをさそうみなもとを断ちます。探してまいりますので、どうぞお待ちください」
言うなり短い手足をばたつかせ、地面に降りると天動宮を駆け回るのだった。人間の足ですら一回りすればくたくたになる広さ、短い手足の小さな狐は息を切ら して駆け回る。
そして天動宮の四方の隅に、地面に小さな塚があったのを見つける。そこを掘り返すと喉を掻き切られた鶏が一羽と、その側に麻の実が一束埋められていた。

「これがいけないのだわ。朝を告げる鳥を殺して、眠りを深める麻の実がそえられている」

それらを小さな前足ですっかり掘り起こすと、小便をかけてから後足で土をかけてその場を去った。影慶は監視だと言ってその側に居たが、決して手を貸そうと はしなかった。それどころか、狐が少しでもおかしな風を見せればその場で殺そうと思っているフシがあった。それを知っていたが、狐はただ必死に前足を動か す。
東西南北全てにおいて行うと前足はすっかりぼろぼろになり、美しく輝いていた銀毛はくすんで醜くなる。
狐は急ぎ天動宮内部へと戻り、邪鬼の寝所へ飛び込んだ。既に数時間が経過していたが、疲れた体へムチを入れて狐は駆けた。

「お顔のお色、いかがでございますか」
「変わらねぇよ……いや、少し、いいのか?」
付きっ切りになっていた卍丸と羅刹、それからセンクウは赤味が差したようにみえる邪鬼の頬に気づく。
狐はほっと胸を撫で下ろし、前足後ろ足の泥を払ってからひらりと邪鬼の胸の上へと飛び乗った。

「!!」
影慶が短い叫びを発するが、羅刹におし留められて奥歯をゴリゴリと鳴らしながらその場へと留まる。

狐は白い星のある額をふかふかとさせて、邪鬼の胸の上で大きく跳ねた。テニスボールよりも軽やかに跳ねる。


狐は口に稲穂をくわえ、右へ左へ弾みながら何かくぐもった祝詞のようなものを上げて踊った。人間には聞き取りづらい発音の、むにゃむにゃと頭を揺らしなが らふわりとその場へ浮かび上がる。


(まみえすら無きわたしだけれども、必ずこの呪といて、むくいてさしあげたい)
力の無い狐には、過ぎた解呪である。けれども一度は死んだ身と、狐は稲穂を振り立てながらひたすらに祈った。
けれども大豪院邪鬼を殺害せんと張られた呪は強く、力なき子狐の祈りでは中中ほどけてはいかない。

(ああ、どうしよう。私にまみえがあらば、こんな呪などとけるのに)
恩返しだと意気込んで山を降りた自分の愚かさが悔しく思われる。いつしか自らへ注がれる男達の視線には狐と同じ祈りの力が込められていることに気づき、歯 を食いしばって一層祈りの力を深めた。




その時、するりと大きな手のひらが狐の額へと伸びた。ハ、と目を祈りを捧げつつ見開いた目には大きな大きな手のひらが。
(ああ、)
狐を助けた、あのあたたかく大きな手のひら。胸がかあっと熱くなって、それと同時に額が燃えるようだった。力が満ちてゆく。
こおん、稲穂を放り出して一声狐が吠える、張り詰めていた力が解けて、たちこめていた呪が霧散していく。






帝王を覆っていた眠りは浅くやわらかな、朝もやのようにおぼろげなものになったのを見届けて、狐は一人山へ向かうトラックの荷台にあった。
(お役にたてて、本当によかった)
満足感に尾が揺れる、帝王よりもらった眠気が今更のようにくたびれた体を包み込んだ。

(よかった)

すっかり眠ってしまい、気づけば故郷の山はあっという間。ボロボロになって村へと戻った狐の顔を見るなり、友人の狐は目を丸くした。

「あなた、どうなさったの」
「え?」
「そんな立派なまみえ、どうなさったの」
言われて額へ前足をやると、たしかにふさふさと何か茂っている感触がある。急ぎ鏡池へ走って水面を覗き込んだ。
白い星を中心に、あの帝王とまったくそっくりな眉毛がいかめしく額へ伸びている。
「わあ!」
仰天してひっくり返った狐へ、友人狐はうらやましそうにその眉を見た。
「すごいわ、なんて立派なまみえなの」
「…………えへへへ」
毛並みをふかふかと揺らして、狐は銀毛をふるわせる。










「ん、邪鬼様は?まだお体の具合芳しくないのだから、寝ていてくださらないと…」
影慶はヤキモキと水を張ったタライを抱えてあたりを見渡した。寝室はもぬけの殻。ちょうど小鳥と戯れていた独眼鉄を呼ぶ。
「おい、邪鬼様を見なかったか」
独眼鉄の肩から小鳥が飛び立っていく。恐縮し肩を緊張させながら振り向いた。
「あ、今しがた買い物に行くとおっしゃって…」
「買い物?」
「はい、その…油揚げを好むはずだ、とかおっしゃってましたが。やけに嬉しそうで」

「!!しまった!!」
タライが地面へ落下する。中に入っていた水が盛大に独眼鉄の足元を濡らした。
「………は、」
「あの方はああいう可愛いものがお好きであったか…クッ…俺としたことが、柱に縛り付けてでも捕まえておくのだった…」
「へ、」

その瞬間影慶指揮の直属部隊が山へと狐狩りに駆り出されることになった。
秋山は照葉が真っ赤で、ちょうど美しい季節。
モクジ
Copyright (c) 2008 1010 All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-