たかが強風ごとき
冬だというのにだらしがなく生温い日の夜のこと。夜の二
時に程近い深夜のこと。
強く風がまるで春先のように窓の外でうんうんと唸り転がっていくのを、伊達はさしたる関心もなく聞いていた。
がたんがたん、どこかでトタンがやかましい。
伊達は一人静かに本を読んでいる。珍しく面白いと伊達が思う本だった。
強い風がまた、吹いた。眉一つ動かさず、伊達はページを進めていく。小さな文庫本は伊達の手へすっぽりと収まって、すべてを伊達のしたいようにさせてい
る。
びいいい、
電池が切れて丸一日経ってから気づくような、ぞんざいな扱いを受けていた携帯電話が鈍く床の上でのたうった。今となっては懐かしい、アンテナを自分で伸ば
す型落ちの携帯電話。
びいい、
びいい、
びいい、
数えて三度携帯電話がうねったのを見て、伊達はようやく自分へ電話がかかってきたのだと理解するに至った。この深夜に、一体誰が伊達へ連絡を取ろうという
のか。ヤクザ街道の入り口へ脚を踏み入れた、やくざな伊達へ、誰が。
本を開いたまま逆さへ伏せて伊達は手を伸ばす。通話ボタンを探す指にもたつきは無い。使用しないものに慣れていないというような事は、およそ伊達臣人へは
無縁のもの。そのうちヤクザ稼業が軌道に乗れば、もっと出番も増えるだろう携帯電話。仕事道具にもたつくようでどうする、と伊達はせせら笑う。
携帯電話を耳と肩へとの間へはさみながら、伊達はなるべく不機嫌に応じた。一人静かに楽しんでいた読書という贅沢な時間を邪魔したのだと相手にしらしめて
やろうという可愛げのある主張だった。
「………俺だ」
『よう、伊達』
弾んだ声は桃のものだった。熱を出した幼児のようにどこかはしゃいだ桃の声。
しかしその声は何か爆撃でも受けているような大きな音へかき乱されて非常に聞き取りづらい。今も桃の声の裏でがらがらばきんと激しい音がした。
「……どこにいるんだ?」
『外さ』
事も無げに桃は答えた。伊達の眉が寄る。深夜の二時も近いというのに、何をやっているのだこの男は。
「なんだっててめぇこんな風の夜に」
『いや、すごくいい風が吹いてるからな』
一拍、間があった。
伊達はため息を、風の真っ只中で前髪から何からを風に翩翻とさせているだろう桃に聞かせるべく大きくつく。
『なんだ、呆れたみたいに』
「呆れてんだよ。台風の日に外駆けずり回るガキじゃねぇんだぞ」
『ふふっ』
桃が笑うと、伊達は携帯電話から耳を離そうとするが間に合わない。あのこそばゆい笑い声に耳がやられてしまう。伊達は思わず顔をしかめた。
「用件が無ぇなら切るぜ。俺は忙しい」
『忙しい?』
「そうだ」
一本きりあけたビールの空き缶へ置いた、一本きりの煙草の吸いさし。吸い尽くされて根元まで灰になっている。
『一人か』
「ああ。本を読んでいた、だから忙しい」
『俺と話すよりもか』
桃のあけすけな言い様はおおむね伊達の好むところだったが、時折妙に正直すぎて伊達を戸惑わせる。
「……そういう事を言うんじゃねぇ」
『すごくいい気分で、お前の声を聞きたかった』
「あ?」
ごう、
桃の声と共に伊達の耳へと風の音が入り込んでくる。台風でも来たよな、激しい渦巻き逆巻く風の中、桃の息遣いが乱れた。
『こんなに風が吹いて、根こそぎ全部持っていかれそうだ。お前を持っていかれちゃかなわないから、会いに行く』
「桃てめぇ酔ってやがるのか」
ここまできて伊達はようやく、桃が酩酊していることを理解した。酔っ払ってもまったく普段と変わりないように見える男であることを、ただ言動や行動がいく
ぶん突飛に跳ね上がることを思い出す。
『酔ってるさ、お前部屋にいるんだろう。部屋の外はもう全部持っていかれたかもしれないぜ』
「馬鹿、切るぞ」
『もう遅い、今アパートの下へ居る』
言われて伊達は携帯電話を持っていない右手で、カーテンなどない冷たい窓をガラリと開けた。とたん吹き込んでくる剛風に空き缶が倒され、煙草の灰が落ち
る。風の塊が伊達の顔へ遠慮なくぶっつかって、砕ける。目を見開いてなどいられない強さ。
「チッ」
「『伊達!』」
携帯電話と、窓の下。両方から大きなハツとした声が響く。深夜の住宅街を支配して我が物顔だった風が驚いて、一瞬なりを潜める。
どれほどに飲んだのかまるで見当もつかぬ、白い顔。
桃が朗らかに携帯電話を手にしたまま伊達を見上げて、大きく手を振っていた。
ふたたび勢いを増した風に阻まれ、二人の間は洪水のような勢いで音が飛び交う。犬も吼える事すらできずに小屋で耳を伏せている。
伊達は通話終了ボタンを押して、電波の会話を打ち切った。一方的に打ち切れる、どちらかだけに都合のよい会話。
それがしまいになったらお次は雁首をそろえての会話。しぶとく、そのわりにあっけなくほどける、ややこしいやりとり。
「さらわれる前に、さらいに来た」
「近所迷惑だ」
「お前の部屋へ入れてくれ」
許可を取るタマでもない。伊達はフンと鼻を鳴らす。
風だってとっくのとうに入り込んで好き勝手をしているのだ。顎をしゃくって、伊達はそれきり窓を閉ざした。
部屋へと視線を戻して見れば、読みかけの本はひっくり返って閉ざされ、しおりなど挟んでいないためどこまで読んだのかわからなくなってしまっている。
風がバケツでも転がしただろうか、金属が反響をいくつもくっつけて飛んでいく。剛風のさなか、カンカンという音が混じった。
金属の階段を上ってくる音。吹き消そうと風は躍起になっている。
「無駄だ」
小さく伊達は呟いた。
桃が、剣桃太郎があらわれて、伊達の世界が平穏で終わる事などない。
桃が風などに負けるはずもないのだ。桃が現れた後、伊達はこんな風よりもっともっと幾倍幾十倍強い嵐に巻き込まれて錐揉みされ、摩擦熱に焼かれているうち
に夜が明けて、
風が精を出して雲を払ったすっきり晴れ晴れの空に、いい天気じゃねぇかと暢気を呟くのだ。
どん、ドアを打ったのは間違いなく風ではなかった。
Copyright (c) 2008 1010 All
rights reserved.