暗躍!カレー記念日
幸せ家族の秘訣はね、
ママはコッソリ教えてくれた。
コーヒー、マーマレード、それからリンゴにハチミツヨーグルト。
一つ一つがとろけて混じり、それらがきらきら幸せに。
俺は将来、男塾を卒業したら防衛庁に行こうと思う――
卒業を控えた寒いあくる日、邪鬼様は俺達へそう切り出した。
自らの進路を静かに我ら死天王へ語った邪鬼様の御姿は、今も俺の瞼に焼き付いている。
背筋を正して、きっぱりと、微笑みすら浮かべたあの姿。凍波璃が張り付いた窓辺に悠然と立つ邪鬼様。たてがみのような髪の毛。
俺は何度目か忘れたぐらいに邪鬼様に惚れた。
やましい惚れ方ではない、そんなものはとっくのとうに済ませている。
男が男に惚れるというものだ。
しかし邪鬼様のあの眼差しに声、あれは魔性だ。欲目色目のあるこの俺だけではなく、誰しもが従いたいと願い出るような魔性だ。
組織の上に立つ、覇王とはああいう抗いがたい魅力を持つ人間にこそふさわしいのだろう。
俺はとっくにその魔性に骨の髄まで見込まれて、時折禁断症状すら出る始末。
けれどその魔性は胸にどうにも心地よく、始末に終えない。
うっとりとその時俺は邪鬼様の声に聞きほれていた。
欲を言えば、俺に一番に進路について言って欲しかったというのはあるけれどそれもどうでもいい。
邪鬼様の行き先が分かったのだ、つまりは俺の次の行き先もわかったということ。
行き先がわかれば道も明るい、俺はその時は押忍、邪鬼様。そう深く頷いて彼の将来に思いを馳せた。
もちろん、傍らにあるだろう俺の姿も。
卒業まで秒読みの、春間近のまだ寒い日であった。
死亡者の人数確認を行っていた影慶は不意に窓の外へ視線をやる。午後三時、いつも通り桜が咲いていた。
いつもとなんら変わらない風景だが、毎年この時期には、死者の家族へ便りを出す事になっている。
その発案者は他でもない大豪院邪鬼で、影慶は死者のリストを作成して邪鬼へと提出するのだ。だが邪鬼はさすがの大豪院邪鬼で、脳内に既にほぼ完成した死者
のリストが出来上がっているようで、影慶のリストと確認のために照らし合わせるに過ぎなかった。ヘタをすればあれが足りぬと指摘されることすらある。
十余年に渡る大豪院邪鬼の男塾の実質支配、その裏にはこうした邪鬼の情け深いところが大きく働いていた。
支配を始めたばかりのあの殺伐とした、しかしどこか満ち足りた日日に影慶は目を細める。
作成したリストをチェックしながら影慶の脚が厨房の前へと差し掛かる、と、
(―――!!?)
思わず短い叫び声を上げそうになった。手からハラリとリストの一枚が落ちそうになるのをすんでのところでキャッチする。
息を詰めて厨房のドア枠へ指をかけ、恐る恐る覗き込む。
影慶が、死天王が、いや、男塾三号生が間違えようのないあの立派な背中が厨房に威圧感を放っていた。
(じゃ、)
邪鬼様、呼びかけようとして影慶は自らの唇を手のひらで塞ぐ。邪鬼は楽な白いシャツを身につけている、うっすらと肩甲骨の隆起が透けてたくましい。
あの背中に頬をすり寄せたい男は数え切れないだろう。影慶ももちろんその一人で、彼の眼差しは既に邪鬼の無造作に結い上げられた髪の毛に向けられている。
ボリュウムのある強い頭髪をくくったゴムからは噴出すように髪の毛が膨れ、背中にバサリと流れている。
視線をさらに下へと下ろすと、ちょうど腰の辺りへピンクの水玉――
(え、エプロン!)
エプロンの腰紐がおったて結びでしがみついていた。食い入るようにそこへ視線を注いでいると、邪鬼が小さく声を漏らした。
「ム、」
いかがしましたか邪鬼様!!そう叫びたいのを堪えて影慶はドア枠の影から邪鬼へと視線を送り続ける。心臓がドクドクと脈を速めていく。
「くし切りとは、どういったものを言うのだ」
邪鬼が立ち向かう調理台にはどうやらなにかの本が広げられているようで、邪鬼はそれに不満を漏らしている様子。
どうしたものか、影慶が迷っていると邪鬼は薄手のシャツの袖をグイと歯で男らしく捲り上げた。
(ああ!)
側にいさえすれば、きっとクルクルと袖を捲り上げて差し上げられたのに、影慶は唇を軽く噛む。しかし邪鬼の男らしい仕草と、むき出しになった肘から下にも
グッと来ているのもまた本心。
独眼鉄愛用のあのピンクのエプロンを身につけて、邪鬼は何をやろうとしているのか。
影慶は息を殺しながらはらはらと、ああ指でも切りはすまいか、はらはらと見守り続けている。
時計の針はチクタクチクタクと夕暮れに向けて走り出した。
天動宮に火の手有り――
その一報を聞きつけてまず腰を上げたのは赤石であった。義侠心からではない、来年自分が過ごすであろうところが全焼されでもしたら事だと、きわめて冷静に
考えて駆けつけたのである。
火の手が上がったのは厨房だとのこと、一番火の手の上がりやすいところである。いよいよ赤石は前傾姿勢で疾走、急ぎ校庭を回り、外から調理場の煙突を目印
にはせ参じる。
いざとなればこいつで、と兼正を構えていたところ、窓が大きく開いた。バフ、とケムリが上がる。
「燃えたか」
大きく観音開きに開いた窓から煙と共に顔を出したのは、
男塾帝王、大豪院邪鬼(装備:ピンクのエプロン)であった。
「――――!?」
さすがの赤石も声も出ないでいる、と、赤石に気づいたらしい邪鬼が顔をそちらへと向けた。
ススが邪鬼の頬を汚していた、が、それもまた戦火を潜り抜けた男の特別な印のようにすら見える。まことに邪鬼は帝王であった。
「赤石剛次か」
「押忍」
赤石は刀を左腰へと納め、軽い一礼を取った。駆けつけたせいで薄く汗をかいている。
「―――貴様」
「押忍」
ゆったりと、なにか思案しているような邪鬼の声にサッサと言えと赤石は気短に眉をひそめた。元来気の長い方ではない、相手が邪鬼でなくば既に戻っていると
ころ。
「貴様、飯の炊き方を知っておるか――」
「は、」
厨房の窓と、校庭と。二人の間に冷たい風が行き交った。煙がその風にすっきりとさらわれて、後に残ったもの。
赤石は目を軽く細めてそれを見た。それ、即ち、
真っ黒に吹き零れた飯盒達の、無残な姿を。
この一分後、二号生筆頭と三号生筆頭との、近来まれに見る重要性を帯びた勅命が江戸川へと下った。
急ぎ天動宮へはせ参じるべし――
ただし、エプロン着用で。
江戸川は何がなんだかわからぬまま、割烹着へ袖を通して走るのであった。
「ハチミツを入れると良いと聞いた」
「甘いです」
間髪入れずに卍丸が断じた。ム、邪鬼の太く凛凛しい眉が寄る、卍丸はそれでもスプーン一杯それを頬張りながら、
「やっぱり甘いです、邪鬼様」
きわめて誠実に、そう繰り返した。
天動宮の食堂は果てしないほど広い、一般三号生達が使用するだけのその部屋には今並並ならぬ緊張が張り詰めている。
というのも、普段は自室か幹部室で食事をとる死天王や鎮守直廊の三人や、何より筆頭大豪院邪鬼が雁首を揃えているのだ。
普段はあぐらをかいたり学ランの上を脱いでいたりとだらしがなく過ごしていたもの達も皆襟を正し、配られた食事に集中している。
「卍丸よ…俺のカレーは、甘いのか」
「押忍、甘いです」
カレー。
いまや日本の国民食とも言うべき黄色い食べ物。三号生達の目の前になみなみと大皿で配膳されたそれ。
そしてエプロン姿の大豪院邪鬼。
三号生達はどう反応をしていいものかいまだ決めかねている。
筆頭大豪院邪鬼に従って十余年、今までこのように手料理を振舞われたことはなかった。考えてみれば痺れるほどに光栄な事である、報われた、そう思っても自
然である。
が、甘い。
どうしようもなく、甘い。
そのうえ、
「味はどうだ」
邪鬼が感想を聞いてきている。ただ聞かれただけであれば、
「ケッコウなオテマエで」
と答えればよい。だが、
「防衛庁の、海上自衛隊では毎週金曜日隊員自らがカレーを作るという。この邪鬼料理の心得は無い、遠慮なく意見を聞かせよ」
そうおっしゃられてはアイマイに頷くわけにもいかぬ。三号生達は喉に甘いカレーを詰まらせて唸っていた。
均衡を崩したのはやはり三号生切り込み隊長である卍丸で、先のように甘いのだとバッサリ切って捨てたのである。
邪鬼が午後の時間を潰してジックリコトコトと手間隙をかけたカレーに向けるには、あんまりにも素っ気無い感想である。
三号生達は固唾を呑んだ。
「ふむ……そうか」
「はい、でもニンジンもタマネギもきちんと等分に切れてて、味はしっかりしみてます」
「……そうか、」
邪鬼が頬をかすかにほころばせた。とたんに食堂には春が訪れる、ああ、よかった、
「この飯も、よく炊けています」
独眼鉄が精一杯の気持ちを込めてそう述べた。
「それは二号生の江戸川が炊いたのだ」
途端に訪れる冬将軍。ザッと血の気を引かせた独眼鉄に、
「良い、俺は一度焦がしたのだ」
苦笑をもって邪鬼は返した。皆その懐の広さにグッと胸へ染み入り、掻き込むようにしてそのカレーを頬張った。
甘い、
甘い、
甘い、
だが、邪鬼様が作ったのだ、
美味い、
美味い、
次第に邪鬼様コールが巻き起こる。さざなみのように寄せては返し、返すたびに大きく膨らんでいく。
「邪鬼様!邪鬼様!」
「美味しかったです!」「邪鬼様!」
「邪鬼様の手料理が食えるなんて、幸せじゃ!」「おうじゃおうじゃ」「ウウッ」
「じゃきさまー」
そのコールの中で、
「フッ、しようのない奴らよ…厳しい意見を受けねば、俺が成長できぬではないか」
まんざらでも無さそうに大豪院邪鬼が腕組みをして微笑んでいた。
ピンクのエプロンの結びは、さきほど羅刹が直したのできちんと蝶蝶のように羽ばたいている。
「今後金曜日には、カレーを作ろうと思うのだ」
ワーッ、パチパチ。
ここにカレー記念日が設立となった。
「邪鬼様、伝言で恐縮ですが、センクウがどうしても見ていただきたいものがあるそうです」
「羅刹か…急ぎなのか」
くらくらと金色に煮える鍋へ惜しみない視線を注いでいた邪鬼は眉を寄せた、吹き零れるようなことになっては事だ。
「申し訳ありません、鍋は俺が責任を持って見ておきますので」
「わかった」
マント代わりにエプロンを翻した邪鬼が厨房を出ていく、それを深い礼と共に見送る。邪鬼の後姿が小さくなると同時に、右手をサッと振る。
合図と同時に割烹着姿の、恐縮しきりの江戸川が現れた。
「あ、あの…ワシ、ワシそんな…大豪院先輩の鍋に手を加えバフッ」
江戸川の口を乱暴に羅刹はふさぐとその身体を抱え、鍋の手前まで引きずっていく。
「人聞きが悪い事を言うな、いいか、これはだな…そう、味を調える作業だ」
「ふぁ、はあ…」
三角巾の下からおっかなびっくり羅刹を見上げ、江戸川は鍋へと視線をやった。
ふつ、
ふつ、
ふつ、
「ここで問答している時間は無い、さ、任せたぞ」
「ご、ごっつぃのぉ…」
こうして三号生の金曜日は江戸川の献身的な暗躍によってつつがなく過ぎていく。
が、代わって二号生の夕食がかなりわびしいものになった事をあわせて記す。
しかしそれも仕方の無い事、
大豪院邪鬼、彼がまだ男塾の帝王だからである。
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