ネ号作戦発動
そ、…それなら、戦争です。
どこかの漫画を真似たらしく、言って見て照れがベルリンの頬の辺りに浮かぶ。コンタクトだというのに眼鏡をずり上げるような仕草をしている。
言わなければ良かったのだ、羅刹は思ったが、
雰囲気に流されやすいのだ、とも思う。
いかにも卍丸がからかいそうな者であった。
今日はやけに皆スカートが短いような。
とりあえずの感想はそれ。庁舎に戻ってきて受け付けの木更津嬢は気さくに、
「おかえりなさい!」
と可愛らしい笑顔。隣の大津嬢も泣き黒子がセクシー。
受け付け横の第一事務室をなんとなく雰囲気に誘われるがままに覗くと皆がにこやかに卍丸を迎えてくれた。
「お仕事もう片付いたんですか?」「今日はどこへ行ったの?」「今度合コンしましょうね」
そして皆、やけにスカートが短いのだ。
卍丸は遠慮なく端から事務員達の足を眺めた。
若い子の膝丈の黒い着圧ソックスも初初しくていいし、三十路手前の肌色ストッキングもまたいい。
細ければ危うい魅力だし、太ければむしゃぶりつきたい。
脚を出すのは良い事だ、
うん、
卍丸は大きく頷いた。島崎嬢が応接スペースで手招いた。そちらへ誘われると、
「羅刹さんが外出先で美味しいケーキ屋さんを見つけたんですって。よかったらいかがですか、紅茶を淹れますから」
甘いものに対して魅力を感じない卍丸であるが、紅茶を淹れるという島崎嬢は普段ガードが滅法硬いものだからウハウハと頷く。
「おう、それじゃ一つ貰うぜ」
「はい、…どれがいいですか?」
薄緑色の紙箱に蔦を模した取っ手がついており、箱だけを見ても洒落た店のものであることが分かる。漂う洋酒の香り、
(もったいねぇなぁ)
そのまま飲みたい気持ちを押し殺して卍丸はジットリと酒を含まされたスポンジケーキを指差した。
淹れてくれた紅茶は煙草呑みである卍丸にも香りが素晴らしいという事が分かり、ぐいぐいと情緒なく飲む。
「あいつ、結構ケーキとか食うのか」
「いいえ、ご自分では召し上がらないそうなんですけれど、結構持って来てくださるんですよ」
「ね、どれもおいしいの!」「ねー!」「ステキだよね!」「ラテンよね!」「ねー!」
まっこと女が集まるとかしましい。三人女で姦しいのに、ここには十人近い女がいる。事務室内は華やいだ声が上がった。
「フーン、…マメだな」
(女が菓子やディズニー好きだろうって言う無難さが、あいつらしいぜ)
そこらの女よりも美しいと評判の麗人やら、あわよくば奥様の座を勝ち取ろうとしている少女やら、女難の相がどうやらあるらしい古くからの友を卍丸はかすか
に笑った。
「にしてもこんな甘いモン食べたら太るんじゃねぇか」
「やだ!」「食べてる時にゆわないでください!」「もー」「もおー!!」
「でも食べますけどね」
一際大きな一切れをムシムシと頬張った川平嬢は天晴な男気、他の事務達もヤダヤダと言いながら残す気配は無さそうだ。
「いいじゃねぇか、太ったって。俺はメジャー級だぜ」
「守備範囲が」
「おう」
どっ、と事務室が沸いた。
一番端にあった柴村事務員はケーキの皿へプラスチックのフォークを置くと右手に持ち替え、左手を後ろ手に。
親指と人差し指とで、マル。
途端に事務室へ極彩色の女達が雪崩れ込んできた。
「マンジ!オナーヲシンニョーニチョーダイしなさい!」
お縄を神妙に頂戴しろ、
遠目にも目立つ赤毛のジャスミン(仮名)の絶叫が開戦を告げた。総勢五名の女達がクズカゴを倒し、コピー用紙を撒き散らしながら進軍してくる。
さすがに卍丸もうろたえる、
「ジャ、おま、お前らなんで!」
「動くな!」
まるでテロリストのようなセリフを流暢にジャスミンは叫んだ。
次の瞬間部屋の中ジャスミン達の背中越しに白煙筒が投げ込まれ、部屋は真っ白な煙に包まれる。
応接室で卍丸のちょうど横に座っていた霧島嬢と小平嬢は両側から卍丸の腕へ素敵な胸の感触と共にとしがみついた、
いきなりの乱入に脅えての事、
ではない。卍丸は一瞬左右へ驚きの視線を投げた、二人の腕は明確に卍丸の動きを封じようとしている。
「な、」
美女部隊の隊長格、ジャスミンがとうとう応接スペースまで到達する。事務員達はスルリスルリと十戒のごとく割れてまるで障害にならない。
「マンジ!つかまえっ…」
た、を発する筈だった唇は即座に塞がれた。無論卍丸の唇でである、両腕に霧島嬢と小平嬢を腰ごと抱えたままソファから飛ぶようにして立ち上がったのだ。恐
るべき筋力と瞬発力である。
「ン」
ジャスミンが目を細めた次の瞬間には次鋒のリィズがキスを浴びている、あっという間に事務室へなだれ込んで来ていた美女達はなすすべもなく卍丸に攻略され
尽くした。
白煙が薄まってきた頃には彼の姿はどこにもない。いるのはケーキのくずを唇につけた美女達と、淡淡と後片付けに取り掛かる事務員達。
島崎嬢は机の上の内線電話を取り上げると繋ぎ、一言こう述べた。
「奇襲イ号作戦は失敗、オーヴァー」
島崎嬢からの内線を受けてベルリン、ガックリと机に持たれかかる。
「だ、だから十分油断させてくださいって、言ったのに…」
仕掛けたスピーカーから内容はほとんど聞いていた。白煙筒を投げ込めば卍丸はまず中に居た事務員達の無事を確保しようとするだろう、そこを事務員達に我も
我もと抱きついてもらい、簡単に捕縛しようという試みであった。
だが、赤毛を初めとする美女達はどうやら卍丸が事務の女の子達とキャイキャイはしゃいでいるのに頭に血が上ってしまったようで、あのようなテロじみた登場
になってしまったといったところであろう。
「うう…普通にこの部屋へ呼び出して、そこを取り囲んだらいいと思うんですけど…」
「ムリね」
国境なき美女軍団頭目のアンナはにべもなく斬り捨てた。
「このタイミングで呼び出しなんかして、警戒しろって言ってるようなモンでしょ」
「だ、だから最初っから…」
「ヌルい!」
どうやら国境無き美女軍団は卍丸に大層腹を立てているようで、ベルリンの言葉は聞き入れてはもらえない。
一応卍丸捕縛作戦の責任者となっているベルリンは困ったように中腰でうろたえている、上背があるために大変みっともない。
「とにかくふん捕まえて一発殴ってやらないと気がすまないワ」
「お、穏便に…」
「次!」
対策本部室である卍丸の執務室の壁に持たれかかっていた美貌の長身が進み出た。頬には愉快そうな笑みを湛えているが、日本人にはありえぬアイスブルーの瞳
は好戦的に輝いている。プラチナに透ける睫毛をしばたたいて、
「次は俺…センクウの番だな」
言うなりトランシーバでどこぞへ、
「俺だ。ネ号作戦発動」
短く命じた。トランシーバの雑音混じりに、少女の声が返ってくる。
ベルリンは、
「はぁ、その、お願いします」
と間抜けに答えて、気乗りしなさそうに窓の外を眺めた。
卍丸はたちまち異変に気づいた。
あれからごく短い周期で数人の新手に襲われている、国境無き美女軍団だけではなく防衛庁職員も混ざっている事から敵が強大で兄弟であることはわかった。
だが、いくら自分の庭といっても卍丸の場所を把握するのが早すぎる。監視カメラは入り口と数箇所に設置されてはいるが、それは意識して避けている。
なのにこうも次次追っ手が現れるという事は…
「発信機か」
意識を集中させて自らの身体を検分する、しかしどんな微細な発信機だろうがかすかに発する電子音を聞き取る事の出来る卍丸にも見つけられなかった。
では、発信機ではないのか。
考えを巡らせながら卍丸は新たに現れた総務部職員加藤へ手刀を叩き込んだ。
『あに様、卍さまは一階を離れ二階へ向かいました。今二階に着きましたが、食堂の方向へ向かっています』
「わかった。無理はするな」
『いいえ。お役に立てて嬉しく思います』
「ベルリン、二階へ人を移せ」
「了解しました」
センクウの元へひっきりなしに入ってくる卍丸の位置情報に従ってベルリンは人を動かしていた。どういう訳だろうと不思議に思っていると、
「警察犬よりも優秀なのだ」
と、先ほど呼びつけた中華料理屋の手伝い娘を短く評した。
「……はあ…」
ベルリンにはその手伝い娘とセンクウとの関係は知らない。
「お前は『鼻(ネ)』を知っているか」
「ネ」
軽く頷くとセンクウは笑った。笑うと血色の薄い頬へかすかに皺が出来る、酷薄そうな雰囲気が柔らかく砕けた。
「数千以上の香りを嗅ぎ分け、調香師やウイスキー生産会社などでは宝とされる才能の、特に秀でたものに与えられる称号だ」
「……匂いで、上官を追っていると?」
「ああ」
たしかにその情報は正確で、次第に卍丸をじわじわと包囲しているようにも思えた。
このまま数で包囲すればいけるか、とベルリンがチラと思ったが、相手はあの卍丸である。まだ何かあるだろうとは思っていた。
『あに様、あの…』
「どうしたのだ」
『ここで香りが途切れて…あら?』
「何?それは…どういう…ムッ、今どこにいるのだ!」
『え、三階の一番奥…の、ここは、』
ベルリンが飛び上がった、センクウが気づく、
「そ、そこはッ!」「しまった!」
「シャワー室だ!卍丸は匂いを落とす気だ、そこにある匂いは服だ、すぐにそこを…」
出ろ、言う暇も無かった。
トランシーバの向こうで、シャワー室独特のあの反響した空気が伝わってくる。
『………わあああああ!!』
少女の悲鳴、何を見たのか想像に難くない。センクウがトランシーバを握り締める手に力を込めた、白い頬に血色が透けている。
『アー…アー…聞こえるか、オイ?』
向こうからは機嫌の悪そうな、いや、むしろ良さそうな声が響いてくる。センクウが震える声を隠して応じた。
「ああ、聞こえている」
『なんだセンクウ、やっぱりテメェのヤリクチか。さっきからやけに俺を正確に追ってくると思ったぜ。警察犬以上だ』
「……美女がお待ちかねだ。とっとと執務室へ戻れ」
『……アー…やっぱり、か……悪ィが今回はパスだ』
「そうも行かない。邪鬼様命令だ」
『そう言われても、駄目だ。もう俺は窓破ってでも出るぜ』
「修理費はお前持ちだぞ」
『…………』
「いいから来い」
『…行っても俺に危害を加えないか』
「それは……どうだろうな」「そ、そこはウソでも加えないって言って下さいよ!」
『オ、テメェベルリン、俺の部下の癖に敵になったのかよチェッ』
「そういう問題じゃない。いいから早く来い、でないとベルリンがどうなっても知らんぞ」「エッ、私ですか!」
『オウオウ、煮ても焼いても食えねぇぞ、好きにしろ』
「その強がりがいつまで続くか試してやろう(叫べ)」「(エッそんないきなり)ヒ、ヒィーャアアーアーー!!」
『大根』「大根だな」「そ、そんな事言われたって!」
センクウはトランシーバへそれはそれは恐ろしく低い、そして鋭い声でもって囁いた。
「後五分は待ってやる。だがな卍丸、それ以上になるとベルリンの身長が刻一刻と小さくなって行くぞ」
ヒッ、ベルリンは真剣に息を飲んだ。
残り四分三十秒。
なお、中華料理屋の手伝い娘は脱衣室で発見された。ものすごいジャングルを見たと真剣に話す姿に、誰もが同情したと言う。
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