あの時の子供
「ね、十蔵ちゃん」
お袋はいつもと変わりなくにこにこしながら俺に聞いた。
「弟と妹とお兄さんとお姉さん、どれが一番欲しいのかしら」
ヘタすりゃ生生しい話題だろうに、俺はとりあえず、
「兄貴姉貴は無理に決まってんだろうが」
とりあえずそう答える事にした。というか、俺が今ラーメン食ってんの見てんだろ、伸びるじゃねぇか。たくよぉ。
俺が言ってからようやく、ポンと手を打って、
「それもそうだわ、私少しうっかりしてた」
なるほど、と何か考えながらお袋は去っていく。俺は目の前で刻一刻と伸びていくラーメンのことで頭が一杯で、ついそのままにしておいた。
それがまずかったかと、少し今反省してる。
もう少し話を聞いてやるべきだった。
「おい剣、信長」
あれ、十蔵帰ってたのか?今日は家帰るって言ってなかったか?もう戻ってきたのか。
つーか、どうでもいいけどさ、俺は剣呼びで、信長は信長呼びって差別じゃねーの?
いいけど、いいけど。俺だけなんか違ってさー…いいけど。別に。
にしても十蔵から話しかけてくるのって珍しいな、しかもなんか大事な用ありそげ。何?
「………てめぇら、うちによく来てるな?」
「あ?おう、お母様にはいつもお世話になっております」
信長はマザコンだからなぁ、赤石のおばさんにもよく懐いてるっていうか…。俺も好きだけどな、面白れーから。
「まあな。俺も信長もけっこう行ってるっちゃ、行ってるな。近いしさ」
「俺ン家はたまり場じゃねぇって言ってんだろうが!!……と、まあ、それはいい。今は」
十蔵は難しい顔をした。
俺や信長と比べて、十蔵は難しい顔のつくりをしてると思う。何て言うんだったっけか、険しいって奴か。眉毛とか、眉間とか、あのあたりがとくに気ワア強い
と思う。
ただでさえ難しいのに、何か考え事をしてるみたいでますます恐い顔してらぁ。
「で、何だ?」
「………誰にも言うんじゃねぇぞ。これを見ろ」
十蔵はゴソゴソとボンタンのポケットから手紙を取り出した。どうしようか考えてるようで、また口をギュッとしてる。
う、今風が冷たかった。そろそろ冬なんだなー、
「なあ十蔵、それ袖無いと冬寒くねえか?」
「ちょ、剣!!」
なんだよ、信長。え、空気読め?あ、そうだった?今の駄目だったか?ハハッ。
「ハハッじゃねぇよ、わかるだろ、俺が寒さどころじゃねぇのが!!」
「そうだぜ剣、今赤石の野郎が何かためらってたじゃねぇか!」
「仲いいなーお前ら、」
俺がそう言うと、十蔵も信長も、なんとも言えない顔をした。うーん、また空気読めなかったのか?俺。頑張ろうな。
「……赤石、それで、何があったんだ?」「………ああ、実はな」
うん、何?
十蔵は取り出した手紙を俺達二人へ見せた。開きかけて、視線が気になるらしくて窓を離れる。え、それってそんなに重要なナニか?
廊下へ出て、それでも視線が気になるらしい十蔵。結局階段の踊り場まで連れてこられた。
結構人の目とか、イロイロ気にするんだな、お前って。
「これだ。今日、家に帰ったらあった」
「いいのか?読むぜ」
俺が読むー
「……いい、俺が読むから。な、赤石」
「そうだな。信長読め」
………さっきから俺、何かテキトウに扱われてねえ?え、そんなこと無い?そんならま、いっかあ。
「えーと…赤石剛次さま。あの日からもう二年が経ちました、早いものです。あの日貴方に出会えなければ、今の私はありません。もちろんこの子もです。いく
ら感謝してもし足りません。ろくに御挨拶もできないままに別れてしまい、心苦しく思っておりました。近近お伺いするつもりですので、どうぞよろしくお願い
いたします。写真同封します。あの時の子供です」
信長は封筒から一枚の写真を取り出した。裏には、
「えーと、『十一月一日:赤石剛次さんと』」
写真をおもてにすると、あの赤石のおじさんがいつもの恐い顔を少し崩した、ほんのちょっと優しい雰囲気でアカンボを抱いたのが写ってる。
………うん?
「……赤石、これって…」
信長の声が震えてる。十蔵もおもたーく頷いた。
「………ああ、……」
「これって赤石のおじさんの不倫って奴?」
俺がそう言ったら、
「だから!!!おまえは!!!空気を読めってんだよォォォォ!!!!!」
ハハッ、空気を読むのって難しいなー。悪い悪い。アハ。
「で、この子がその不倫で出来た子かー。十蔵、妹と弟どっちなんだ?」
「剣ィィィィ!!!!!」
信長が俺を殴るよりも先に、十蔵の一閃が大イチョウを切り倒した。あ、お前いけねぇなぁ、それギンナンつける奴なのに。
安東が楽しみにしてたんだぜ?あーあ。
「剣、頼むから黙ってくれ!!!頼むから!!な!!」
なんだよ信長まで、俺なんかいけなかったか?
午後四時半、そろそろ日暮れとなり、空の端が紫に染まっていた。
赤石は時計を睨み、顎を玄関へとしゃくる。出発しなければ遅刻してしまう時間だった。
「十蔵ちゃん、男塾に行くって言ってしまって…残念だわ。もう出かけなければならないのに」
「しかたがねぇ、置いてくぞ」
外での食事を十蔵は好む。家では何が出されるかわからないう上に、やたらと茶色い健康志向の料理が多く出されるからだった。
健全な不良少年である十蔵としては脂っこく、味付けがくどいぐらいの外食がまだまだ欲しい年頃。
普段の白いスーツではなくグレーのスーツに臙脂のタイを締めた赤石は靴べらを振って外出を宣言。二人連れ立って出て行く。
一応薄楓の着物で着飾って入念に化粧を施し、自分のホメ言葉を待っているらしい連れに赤石は、
「化けるのに時間がかかり過ぎる」
と一言。
嬉しそうに顔を輝かせて、
「次はもっと、早くするわ。あら、タイが曲がっている。剛次さん、かがんで」
素直に腰をかがめた赤石は、妻の手がネクタイを直すだろうと自然に考えた。しかしその予想は裏切られ、赤石の首元に伸びたのは妻の袂から出てきた一見オモ
チャのような緑色のマジックハンドである。
マジックハンドを器用に使い、赤石の襟とネクタイを直す。腕のよいフォークリフト職人のような手さばきだった。
袂にマジックハンドをしまいながら出来栄えに満足そうに頷き、
「できたわ」
「…………そんなもの置いて来い」
「あら、これ便利なのよ剛次さん。ネクタイも直せるし、パンツの紐が切れた時にも使えるし、ワインオープナーにもなるし、地下水脈をダウジングできるの
よ」
「………そうか」
不思議なものが、世の中には売っている。
「ええ!それにしても残念だわ。私、十蔵君に十蔵ちゃんを会わせてみたかったのに」
「紛らわしいな」
赤石が顔をしかめた。しかし妻は気にした風も無く、小さなバッグを探った。しかし目当ての手紙がない事に気づき、
「あら困ったこと、手紙を置いてきてしまったわ」
ふっくらとした頬に手を当てて呟いた。
「要らん。すぐにわかる」
「そうね。私も何度か十蔵君が生まれてからお見舞いに行ったもの」
「ああ」
「お話を聞いた時、私感動してしまったわ」
「………」
二年前。東京駅駅前に街宣車を乗り付けて演説をした帰りのこと、赤石剛次は人気の無い道に倒れる女と出会った。
女は臨月で、近くに電話ボックスも無ければ病院も無いということで赤石はその女を背負い、病院までの距離をひたすらに走ったのである。
無事出産できたものの、あと数分処置が遅れていれば危なかったそうで、女は深く赤石に感謝し、生まれた息子に彼の息子と同じ十蔵と名づけた。
女はその後子育てのために田舎へと一度帰っていたが、子育てがひと段落したということで、女の招待で礼を兼ねてホテルで夕食でも、とそういう話になってい
た。
そこで初めて、二人の十蔵が出会うという趣向にもなっていたのだが、生憎赤石家の十蔵は不在のままとなりそうである。
「剛次さん、なんて格好いいのかしら」
本人を目の前に、うっとりと呟いた。いかにも間抜けに口を明けているので、見るからに危なっかしい。
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、前を見ろ。転ぶ」
転んだら剛次さん、私をおぶってくださる?そう言いかけたと同時に電柱に顔面をおもいきりぶつけて赤石を酷く呆れさせた。
息子が苦悩し、その友人も同じように胸を傷めているとは二人気づかない。
最寄り駅までの道のりをゆっくりと連れ立って歩いていた。二人の正面へ夕日が沈みゆき、空にあかくとろけている。
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