聖夜2

明日からもっともっと働いて、必ずお前を楽にしてみせる さ、
ハハハ、当座の目標としては、まずは時計というところかな。



富樫が寮に戻ったのは十一時を回っていた。桃は最初部屋で富樫を待っていたのだったが、あまりに遅いので心配になり、下駄箱のあたりで待っていた。
人影が白熱球の明かりのとどく範囲の外にぼうっと浮かび上がり、目を眇めるとたしかにそれは富樫だった。
桃が下駄箱に預けていた背中を離し、白熱球の光の中で足を踏み出す。輪郭だけだった富樫の姿が次第にあきらかになりゆく。
「……富樫!」
珍しく桃が慌てふためき、声が夜闇へ割れた。駆け出す。
「よう、桃…」
「馬鹿、お前、どうかしちまったのか!?」
普段富樫が驚いてばかりだというのに、今日は桃が驚いている。
それというのも、
「どうしたってお前、裸なんだ!いくら馬鹿でも風邪を引くぜ」
富樫は裸だった。
辛うじて下半身、ボンタンは身につけているものの、上半身は雪のちらつくこの聖夜にサラシを巻いたのみ。
桃が呆れるのも無理は無かった。
「山賊にでも襲われたのか、まったく、お前ときたら」
「バァロ、俺が山賊なんぞにやられるわきゃあねぇだろうが」
塩のように真っ白く輝く富樫の肌は、桃が触れると湯気が立ちそうなほど熱かった。桃は困ったように爽やかにきりりとした眉根を寄せて、
「もう風呂の湯を抜いちまったんだ。飯だって残ってやしねぇ。z団にこのまま包まろう」
「そりゃねえぜ、桃。俺ァハラペコなんじゃ、そうでなくてもクリスマスだ何だってさんざん美味そうな匂いかがされっぱなしよ。何か腹にいれねぇと眠れやし ねぇ」
「とにかく富樫、何か着ろ」
「つっても俺ァ着たきりスズメだからよう…」
「いいから来い」
とにかく桃は富樫を引きずって部屋へと戻り、まるで何も無い事に愕然とするのだった。
冬でも一枚きり。洗っている間は裸。
改めてどうにもならない貧乏な暮らしをしているのだと桃は思った。


仕方なく薄っぺらでもないよりはましだと富樫へ布団をかぶらせて、茶でも沸かそうかと桃が考えあぐねていると、
「ラーメン、食いてぇなぁ…」
富樫が言い出した。
「こんな夜更に?」
「ああ、アツーいのを一杯食えば、腹も膨れて眠れるだろうぜ」

桃が視線を薄い窓の外へやると、しんしんと大粒の雪がふるいにかけられたように落ちてきている。本格的に雪だ、と理解すると同時に急に部屋の中が冷え込ん だ気がした。
そして塾生の多くは教官の目が無いのをいいことに、欧米の祭りだとしかめっ面をしながらもウキウキと街へと出かけてしまった。そのため寮がいつもより大分 しんみりと静まり返っている。
まさか桃と富樫以外誰もいないわけではないだろうが、ともかくひっそりと音を雪に吸い取られた部屋で、桃は富樫の手をさすってやっていた。
ラーメン、
富樫の口から出たその願いを桃はかなえてやりたかった。が、料理は苦手だし、なにより食材がそう気軽に調理場へあるとは思えない。

ちゃらり〜らら、ちゃらりららら〜

「!」
桃が顔を上げた。富樫も顔を上げている。
二人の視線が寒い部屋の中でまっすぐにぶつかった。

「行くか?」「おう」

布団をかぶった富樫の手を引いて、桃は走り出した。
何か爆撃でも受けているかのようだ、こんなに静まり返っているのに。足元には積もったみぞれが既に白い頭を出している。この土台が出来てから雪が積もるの は酷く早い。穴の開いた富樫の靴底からは雪みぞれがびちょびちょと入り込んできて、隠れたつま先を真っ赤にしている。
富樫は布団をかぶっているので、周りからは顔が見えない。何かやましいことでもあって、逃げ隠れをしているようにも見えた。
そんな富樫に、桃は、
(何か駆け落ちみたいだな)
と、富樫が桃に引かれた手を引き返す。富樫の歩みがのろくなった。
富樫が示した方には銀杏。銀杏の幹に取り付いた水が凍ってツララとなり、それが何かの光源がもたらした光を散らして、埋火のようにちらちらと輝いている。
「なあ桃、ありゃ、なんだろう」
桃はどきりとした。喉が一瞬ひりついて、答えた声も小さくなった。
「あれはつららさ、露が凍ったんだ。……答えたんだ、消えたりしないでくれよ」
「あ?」
(在原業平はごめんだ)
露と答えてやったのだから、消える道理がない。

つゆと答えた、離すまじとぞ。

モクジ
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