陽炎の向こうから

親分は好きな人とか、いねぇんですか。
そう尋ねると、
「これ以上無ぇいい女を一人、知ってるからな」
そう素っ気無い返事が返ってきた。
えーっ、親分が女の人を褒めるの、初めて聞いたかもわからない。
「聞かせてください!ね、親分!」
親分が、ああ面倒な事言っちまったな、って顔をする。いいじゃねぇですか、ね、聞きたい聞きたい!
「人に話すような事じゃねぇ」
「聞ーきーたーい!!」
「ガキみてぇな声出すな、うるせぇぞ」
親分はさっさと新聞なんか畳に広げっちゃって、ジブンを完全に無視!しにかかる。
ちょっと待ったァここは正念場!親分の肩に手をかけて、揺さぶる。わあ、斬られっちまうかも!
でもそれだけの価値はありそうな話だった。死んじゃあ困るけど。
「親分がフラレたんすか、それとも、親分がフッタんすか!それだけ聞かせてくださいよ!」
親分がこちらを見た。ギラリ抜き身の我が心〜なんて目付きで、今ジブンはざっくり刺された気がする。

「おい」
「ヘイッ」
親分が笑った。しょうがねぇなって言うような笑い方で、目尻ンところがきゅっとして、皺もあって、当たり前にオッサンなのに子供みたいで、でもなのに格好 よかった。
「岡ッ引みてぇな声出すんじゃねえ、おい、煙草だ」
「ふぁい」
だからシャッキリ返事をしろい、親分がまた笑う。ヘヘヘ、すいやせんねぇ、田舎モンなんで。
煙草盆を部屋の端からずりずり引きずって、親分へ差し出した。畳のヘリ踏んづけても、今日は親分怒らない。
機嫌がいいんだろか。機嫌がいいといいな、お寿司とか取っちゃって、それかお肉。ジブンはお肉がいいなあ。ワカモノだもの。
「……ヘヘ」
笑うと、親分もまた笑う。暑いのに着物を着てる親分の笑い方は涼しそうで、触ったらひんやりしてそうだった。
煙草を持つ手がしばし待った、あ、火をつけなきゃいけねぇんだった、思った時には親分が自分で火をつけててて申し訳ない。
脛丸出しで片膝を立てて、膝に肘をついて親分は、



「殺した女の話をしてやろう」



不快指数百%の真夏、猛暑を通り越して酷暑の午後二時だっていうのに、背中が凍るように冷たかった。





「相手が何を思い、どうして闘っている、そんな事を考えた事も無かった。俺には目的があって、そいつが敵だった。それだけで十分だ」
だが、
伊達は一言区切りをつけると眼を伏せて煙草を深く吸い込んだ。
伏せた眼の先に、投げた言葉の先に、というよりもはなから意識の先に見習いはほとんど居ない。
ほとんど自分へ向けて話している。あれから大分経って、どうしてだか口に出してみようという気分になったのだ。
「そいつは中国拳法の聖地とも言える、神拳寺という寺で修行を積んでいた。その実力は本物だった、師範代の位を与えられていたぐらいだったからな」
「女なのにですか」
挟まれた質問に、伊達はム、と眉を寄せた。
「女なのに、だ。一見してはわからなかったがな」
胸の膨らみなどわからぬほどに鍛え上げ、他の修行僧と同じく髪の毛を剃った姿は男とさして変わらなかった。さして変わらなかった、というよりも、闘ってい る最中だからこそ気づいたというべきか。
「俺はそいつの名前だけを覚えて、ただ闘った」
「名前、」
「そうだ。名前も知らずに殺していい相手じゃねえと思ったからな」

そうして伊達はいつもと同じように闘った。闘いに気負いを感じた事は無かった、いつも通りやればいい。誰にも負ける気はしなかった。
しかしいつも通りに鋭く正確無比であるはずの槍が相手に当たらない、これには伊達も胆を潰す事になる。
サイコロ状に切り出し、石に均等な穴をうがつ程の精密さを誇る自分の繰り出した槍の穂先はことごとく外れ、相手に翻弄をされた。わざわざ背後を取って、十 分に狙い済ました槍が外れた時の伊達の驚きといったらなかった。
「えへっ、親分が?」
どこか嬉しそうに見習いが尋ねた。笑いたいのをガマンしている、そんな顔だったので伊達は頭をしばく。
「うあいてっ」
「俺の槍が未熟だった訳じゃねえ、そいつはな、耳に鈴の飾りをつけていた。その音色で俺の視覚を歪ませていたのだ」
「うー…ん?」
まるきりわからないと言うように首を傾げた見習いに、煙草の空き箱をちょうど畳のヘリに置く。
「俺から見て、この煙草はこのヘリの上にある。お前から見てもどうだ」
どうだと言われても、見たままである。しかし一応見習いは汗を浮かべた額にシワを作って煙草の箱を睨みつけた。
「ええと、ソノ、ヘリの上にありやす」
「そうだな」
伊達は頷くと煙草の箱を再び取り、見習いへ一度見せるとそれを山なりに放った。
「ふわ、」
見習いが上を見て、両手を上げてそれを取ろうと身構えたと同時に、伊達はライターを見習いの腹へと投げていた。
「あいてっ」
「俺が見ている相手の場所と、実際の場所が違う。槍を当てるどころか、相手の拳を防ぐ事もままならなかった」
「へぇ…」
わかったようなわからないような顔で見習いが煙草の箱とライターとを見比べている。

「その秘密を見破れたのは七割が俺の実力だった」
「三割が運だったっちゅうことですね」

ジロリと睨まれて見習いは恐縮した。言わなければいいのに、これだから若者はというか。
「ともかく俺はその秘密――鈴を破壊した。だがそれには俺も深手を負っていたからな、相手は勝ちを急いだのだろう」
鈴があろうが無かろうが相手は対術には自信があった筈、無防備にまっすぐに伊達へと突っ込んできた。
普段鈴により自分の位置を歪めていたくせが抜けなかったか、伊達が手負いかつ得物を失っていると思い込んだか。
その隙を突いて、伊達は槍を足で跳ね上げ、胸を貫いたのだった。

「親分の勝ち、ですね!」
「馬鹿、胸を突かれたぐらいで勝ち負けが決まるんなら話は早ェ。そいつは勿論立ち上がった」
「む、胸ェ突かれたら普通は死にますよう」
「気迫に勝る武器は無え、そいつが金で雇われたチンピラならおっ死んでただろうがな」
「なんで闘ったんですか」

なんで、そう正面から尋ねられて伊達はふいと眼を反らした。
その闘いの後わかったことだが、神拳寺の首領、拳皇の妻が人質に取られやむなく男塾と戦わされたという。
ならばあの闘いは、何も双方望んでのものではなかった。
しかし、双方望んでではない闘いなど伊達は数え切れぬほど経験している。相手が望まぬ闘い、それは殺戮と言ってもいい、伊達は幾人もそうやって殺してきた 筈だった。
だが、一度ならずとも思ったことがある。
『お前とは、別の場所で会いたかったと』
闘いたくはなかったと、そんな軟弱を言うつもりは毛頭ない。だが、お互いが気をみなぎらせ、百%相手に意識を向け、磨きぬいた自らの技を誇りを持って競い たかったとは思う。それだけの価値のある相手だった。
なんで、その問いを伊達ははぐらかした。

「男塾の敵だったからな。とにかくそいつは胸を突かれながらも立ち上がった」

果たしてその気迫の源はなんだったのだろうか。未だに伊達はわからないでいる。
血を口からも傷口からも吐きながら立ち上がった敵に伊達は敬意を示す。それと同時に伊達は戦いの最中気づいた真実を噛締めていた。
相手が闘いの最中、無意識であろうが顔だけを庇っていたということ。


「そいつが繰り出す拳に最早最初のようなキレはねえ、俺はどうこの闘いにケリをつけようか考えていた」
「どう、って」
「俺を一時的にとはいえ窮地に追い込んだ敵だ、そいつが最後の力を振り絞って繰り出した拳を俺は避けていた」

そうして、気づけば伊達の身体は鋼鉄の糸に絡め取られていたのであった。
「死に際だというのにそいつの頭には、諦めなんてモンは無ェ」
「……凄ェ」
そう、凄い。
「後ろからそいつに羽交い絞めされて、そいつは俺もろとも吹き飛ぶと言った」
「吹き飛ぶ?」
「常日頃から火薬を食し、その点火スイッチを入れたのだと」


「死んでも俺を倒す、そんな気迫に俺は少し、うたれた」
そうして死への秒読みが始まった。

外へ眼をやる。植え込みの紫陽花が乏しい雨を嘆いて葉を萎れさせていた。



「親分、死ぬ気だったんすか」
「さあな」
さあな、その言葉は真実である。
誰かが言ったように、相手は胸を深く突かれた手負い、振りほどこうと思えば振りほどくことも出来た。
だのにどうしてされるがままになっていたのか。伊達は自分自身にすら理由を説明できぬ。
「そうして俺は死への秒読みの最中、そいつの正体を問いただす」

『俺の槍は、女は殺さん』
「そいつは酷く驚いたようだった。俺はそいつに、今度生まれたら女の幸せを掴めとそう言った」
『女には、女の幸せがある』
「拳に女の幸せが無ェ、そう言った訳じゃねえ。だが、女しか掴めねぇ幸せをなにも捨てるこたぁない、そう思っただけだ」


「そしたら、相手は?」
「死んだ、」
「親分は?」
「ここに生きてるじゃねえか」
馬鹿め、そう言ってやると見習いは首を傾げる。
「どうして?」
「そいつが一人で死んだからだ」
一人で。
伊達の声は呟きに近かった。見習いは伊達の顔を見て、普段あれだけうるさいというのにどうしてだか何も言わなかった。



爆発の数秒手前。つまり死の数秒手前。
突然相手は伊達から身を離すとそのまま空に飛び上がって、轟音と共に爆発が肉体の内側から起こる。伊達はその光景を驚きをもって見ていた。
地に落ち、瀕死の相手を、女を見下ろすと驚くべき事に女は笑ったのだった。

『女を捨て、女であることを忘れていた…』
『だが、あなたはわたしを女として認め…』
『そして、女であることを思い出させてくれた…』


「そうして、死んだ」
「………」


わかっている。伊達は後悔を抱いているのだ。
あの時自分が余計な事を言わなければ相手――仁蒋は拳士として誇りを持ったまま逝けたのではないかと。
それを自分が女だと知らしめてしまった、今まで長年に渡り女を捨てて拳の道に生きた漢を死に際になって惑わせてしまった。
誇り高い拳士を、女に貶めてしまったのではなかったかと伊達は今になっても思うのである。

「…親分があんまりえれぇイイ男だから、きっと惚れっちまったんですよ!」
見習いが大声を上げた。伊達は見習いへ低く笑って応じてやる。
「……かもしれねぇな」
「そうですよ!だからありがとうってきっと、思ってますよ!きっと!」
手を叩いてきっと、を繰り返した見習いに伊達は一瞬言葉を失った。
『ありがとう、伊達…あなたのことは忘れない』
確かにあの女はそう言った。覚えていたはずなのに思い出しはしなかった声が蘇る。
ありがとう、
ありがとう、
そうだ、あの女は女として立派に死んでいったじゃねえか。ついでに俺を、伊達臣人を一瞬だが追い詰めた拳士でもありながら。



「ああ、そうかもしれねぇ」
「エヘヘ、親分罪作りィ」
「フン」
「エヘ、親分、ね、実は羽交い絞めされたって時に背中にオッパイ当たったから女だって分かったんじゃねえですか?そんで今も忘れられねぇとか!」
やけに早口にまくしたてる見習いの顔目掛けて煙草の箱が飛んできた。
「調子に乗るんじゃねえ」
声にドスを利かせて凄んでやると、見習いは面白いように脅えた。最初からやらなければいいのに、ワカモノときたら。
「す、すみません!……エヘ、でも…」
額を畳に擦り付けながら、チラと伊達を盗み見た見習いの視線に、伊達は珍しく冗談交じりの含み顔で応じてやる。

「……なにしろ、いい女だったからな」

親分のスケベ!見習いがようやくほっとした顔で大げさに囃し立てた。

よかったぁ、何がよかったのか見習いがへにゃへにゃと笑う。










「組長、」
襖の向こうで仏頂面が呼んだ。
「なんだ」
「お客様です…その、」
「あ?」
「その、……中国人の、女性です」


伊達は見習いと顔を見合わせた。
不快指数百%、湿度百二十%、
陽炎がゆらゆら、風も無いのにゆらめいている。
ちりん、
ちりん、
風鈴だろうか。
……鈴だろうか。
モクジ
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