山と積まれたお前
小町小町と蝶に舞い、
蝶よ蝶よと華に咲き、
咲いて咲いたら散りに塵。
枯れて萎れてそれっきり。
【花の盛りは二十三】
「昨日買い逃した方のッためのォ、特別げんてぇはんばぁああい、おはやめにィ」
そうメガホンに口を突っ込んでがなる男は、つい昨日、偉そうに並んで並んでと言っていた男の筈である。
赤石はフン、と骨の強い鼻を見下げ笑いに鳴らした。背中の兼正を揺すり上げて、横目に通り過ぎようとして立ち止まり、街路樹の木陰へ入って見物することに
する。
その男は赤石に向かって昨日、今なら特別八百円!と押し付けがましい物言いでそう言ったのだ。赤石はその男が積み上げた商品を一瞥して、いらんと冷たく顔
を背ける。言葉でいらぬと言うだけ、昨日の赤石の機嫌は悪くない。
しかし、わざわざいらぬと言葉で言った赤石に対する、男の反応ときたら、それはそれは人非人を見るような目つきだった。それからごくごく微か、風にまぎれ
る程度の音であったが確かな舌打ちの音。それから、
「貧乏人」
そんな唇の動き。全てが一瞬、その一瞬後には男は再び他の誰かへ、安い特別を押し付けていた。
その一部始終を赤石はつまらなげに視界の端に、肩にとまった天道虫を除けるように弾いて、背を向ける。
昨日の話だった。
五月十一日の午前中の話であった。強く晴れて随分と暑かったが、湿気は背中と兼正の隙間にとどまり、後はからりと心地よい日の事である。
そして今日、五月十二日の昼。男は悲痛な叫び声を上げて、何がなんでもそれを売りさばこうとヤケを起こしていた。
赤石が見ている事なぞ、男はとんと気づきもしない。ハタハタと期限の過ぎたノボリをバックにひたすらに売り込みを続けている。
「昨日渡しそびれた方ァ、どうぞォ今からでも!」
男がやけくそのように怒鳴る。男は首筋にだくだくと汗をかいている、喉から搾り出す声は昨日の無茶がたたってかカスカスに掠れて、人を引き止める力をまる
で持たない。昨日九官鳥のように調子よく喋っていたのが嘘のようだ。赤石は木陰からその様子を見ていた。
「ふっだーん、あらわっせなーい、きもちィをーっ、あらわして・みせまっせんかぁあああ」
滑稽だ、赤石の太い唇に性質のよろしくない笑みが点る。昨日とは打って変わって低姿勢、頭を地面にこすり付けそうな勢いで、プライドも何もなく男が頼み込
んでいる。
昨日はその男に群がって、今山積みとなっている商品を並んでまで買っただろう道行く人は誰も振り返りもしないで、すいすいと歩きすぎていく。
真っ赤に縮れた花びらが、強い風に翻る。男が昨日まで宝物のように見せびらかしていた花が、いまや男の憎しみを受けて悲しげに揺れていた。
売れ残りの赤い花は昨日よりも、確実に年老いているのだ。まだ目に見えないだけで。あれだけ昨日女王のように咲き誇っていた花がである。
「たいして価値もないものを、釣り上げるからそうなる」
意地の悪い事を、頬に笑み渡らせながら呟いた。木陰に用は無い、しかし昨日の覇者が今こうして無様を晒している姿を少し眺めたい気持ちになったのであっ
た。伊達臣人ほどではないにせよ、生来人の悪いところがある二号生筆頭である。
「今日までのぉ、限定ッ、はんばぁい!明日になったらぁ、もうないですよぅっ!!」
応援団のように、男が背中を後ろへ反らしながら大声を上げた。切れ切れの声は耳障りで、たまたま男の前を通りかかった、流行ファッションに身を包んだOL
風の女はいかにもうるさげに男を睨んで通り過ぎていく。偏見ではあれども、きっと昨日別の男の呼び声に、赤い花の前に列を作ったに違いないだろうに。
「いっちりぃん、さんびゃくえん!いっちりぃん、さんびゃくえん!!」
もはや男の声は断末魔、絶叫である。目的が摩り替わって、ただ声を上げるのが精一杯の様子。
「特別を取り払ってみれば、つまらん物だと誰もが気づく」
そう呟いておいて、眺めているのも飽いたと赤石は寄りかかっていた街路樹の幹から背中を浮かす。木陰とはいえ暑い日のこと、背中に薄く汗をかいていた。腕
は陽に赤く焼けて、さながら初夏である。銀杏の木は明るい緑の葉を風に揺らして赤石を見送った。
男がとうとう暑さにか、それとも疲れにか膝に両手をついた。背中を丸めて荒い息をついている。
ずい、と赤石が動く。その大柄な影にすっぽりと男が包み込まれた。急に遮られたまぶしい日差しに男が隈の酷い眼差しを億劫そうに持ち上げる。
「一本百円なら、買ってやろうじゃねえか」
フッフフ、どうする?突然現れて、弱みに付け込むような事を言い出した白髪の大男を、呼び込みの男は覚えているだろうか。
つい昨日自分で呼び込んでおいて断られ、舌打ちをした男である。
逡巡した末に男は、のろのろと右手を出して枯れた声でこう言った。
「……毎度」
売れ残った赤い花たちがざわざわと波打って、連れ出された一輪の仲間をうらやましげに囁き交わしながら見送った。
男は赤石に深く頭を下げ、再び呼び込みへと戻る。
その日は特別であると、テレビも雑誌も口を揃えてそう言った。だからその花はあれよあれよと持ち上げられる。
しかし過ぎ去ってみれば何のことは無いただの花である。つまらぬ花、他の花となんら変わらない平凡な花であった。
吊り上げた人間にしてみれば、売れ残った彼らは腹立たしい存在であることだろう。
そんな存在に、赤石は一人の男を重ねた。
男塾二号生寮、廊下。赤石の帰りを見るなり背中を向けて逃げ出そうとする男へ赤石は声をかけた。やんわりと咎める。
貴様、俺の姿を見るなり逃げるとは、どういうことだ?
髪の毛とは違って黒々とした眉がいかにも意地悪げに、逃げ出した男の後姿を咎める。
やんわりと赤石はその男の名前を呼んだ。
「…江戸川」
「お、お、押忍ッ!」
気持ち優しい(つまり、脅かす嚇かす威かすのを目的としていない)声で呼んでやったというのに、江戸川の背中は大きく波打った。
江戸川の手にはベコベコにへこんだ鍋がある。そういえばそろそろ夕食の支度を始める時間だったなと、時計を持たぬ赤石は理解した。
「フッ…何を脅えている。逃げることあるまい。もっと俺にあったんだ、嬉しそうな顔をしろ」
「は、はぁ、そのゥ」
そのゥ、で江戸川は身体をくねらせた。気色の悪い動きである、赤石はじろりと睨んでやった。するとびくびくとこれが面白いように震え上がるので、愉快で仕
方が無い。赤石は今にもクックと喉を鳴らして笑い出しそうなのを押し込めておいて、命じた。
「飯は俺の部屋に運べ」
「は、はい!」
江戸川が鍋を手にしたまま一礼で赤石を見送ろうとしていた。
横をするりと通過する際、江戸川の学ランの襟首にその真っ赤な花を突っ込んでやる。
「わ、わあああ!!」
既に歩き出した赤石の背後で、ガシャーンと大げさな音がした。鍋が廊下に弾けたのだ。水音、中身を引っかぶったらしい江戸川の悲鳴。
味噌の匂いが赤石の鼻へと後ろから追いついた。
トン汁である。豚の影がどこにも見えないトン汁であった。
はははは、珍しく赤石は仰け反るほどに笑う。
「わ、ワシ赤石さんに、カーネーション貰ってしもうた…」
就寝前にその告白を聞いた丸山、ムムウと唸る。
「赤石さん、何を考えてんだろうなァ」
「ごっつぃ事考えておるんだろうが、ワシ…なんぞしたかのう」
「いや、もしかすると…」
「もしか何じゃ!」
丸山は大きく頷いた。布団の上で腕組みをとく。
「は、母の日かもしれませんよ!」
「な、何ーーーーッ!!?」
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