夜鬼弐苦

いくら根っこが太く絡み繋がっていても、さすがに心同士 を常時接続にするわけにもいかぬ。
そういう訳で、虎丸の手には携帯電話がある。
最新機種で、その上かわいいお姉ちゃん達がてんでにラインストーンやらストラップをくっつけた女子高生もびっくりなカラフルふぁんしー携帯電話である。
その携帯電話にわんさとぶら下がったストラップに埋もれるようにして一つ地味なストラップが下がっている。それは男塾の徽章をかたどったもので、キラキラ 輝くストラップの中でもじっと騒ぎもせずに存在しつづけている。そして貼り付けたプリクラ。お姉ちゃん達と撮ったものもあるが、悪友旧友達と撮った物が一 番いい位置に大事に貼り付けられていた。
伊達などは、
「胸ン中にありゃあいいじゃねえか、形なんか無くたってそれがどうした」
などと毅然として言ってのける。確かにそうだと虎丸も思っている、胸に一本筋通してドス飲んで磨いて、ズシと地面に足をくっつけていたらそれで他に何が必 要であろうか。しかし虎丸はまたこうも思うのである、
「そんでもよ、俺ゃおまえや富樫らと何かやった思い出が残るのもいいもんだと思うんじゃ」
形なんか無くても胸にあればいい。けれど手に触れることもしたい、
俺もまだまだ俗っぽいのう、虎丸はニタタと笑って携帯電話へ向けて声を張り上げ約束を取り付ける。
銀座を行きかう上流階級の隙間を泳ぎながら空を見上げる、見飽きた東京の空だがそれでも冬なので清清しい。
自然虎丸の足取りが速くなった。



飛燕の頬にさしたのは確かに赤ではあった、しかしその赤は決して含羞のものでもなく喜びの紅潮でもなかった。
怒りである。といっても分かりやすく熱された鉄鍋の如き赤ではない、
「おう飛燕、今のァ虎丸からだがよ、今日焼肉でもどうかって。桃も伊達も皆来るって言うし合流じゃ」
「ふうん、へええ」
あらわれたのは冷やひやとした怒りである。赤がのぼったのもほんの一瞬のみでたちまち凍り付いた。それを見た富樫は何がなにやらわからずにおたおたとうろ たえた。
久しぶりに会って、ひたすらにひたすらに説教をされて、説教をされて、説教をされたのだ。もはや説教のタネは無さそうなものである。何がこの上この美人を 怒らせたのか皆目見当もつかぬ。説教をされすぎてもう夕暮れだ、さっき区のチャイムが物悲しげに割れ鳴った。
富樫は虎丸からの電話を切った直後に落っこちた飛燕の機嫌の原因を探る。飛燕などは先日買ったばかりだと嬉しげに先ほど言ったばかりの真っ白いコートの裾 も構わずベンチに腰を下ろした。ホームレスうろつく公園のベンチは汚れている、普段ならハンカチを敷くなりもとより座らない男がどうしたことだろう。富樫 は更に考えた、
「飛燕よう、アー……ン、悪かったな話の途中で」
「………」
取り付く島も無いと言ったところ。飛燕の白い頬がついとあさっての方向へ向けられる、華奢な膝の上に肘をついて、いかにも頼りなげな肩に桃色の髪の毛がじ はらりと流れた。富樫は飛燕の隣に腰掛ける、顔を向けられた方へではなくあくまで飛燕がこちらを向くようにしたかった。
「なあ、飛燕」
「……」
自分でも気が利かない男だとは富樫も重々わかっているつもりだが、一体何がいけなかったのだろう。
「もしかしてアレか、二人じゃあねえのが嫌だとかか」
「バッ…!!」
勢い良く富樫の方を振り見て言いかけてからつぐんだのは、おそらくいや間違いなく馬鹿、だ。富樫は最近飛燕のちらりとした可愛げというものを少しずつでは あるが理解しだしたと思っている。自分よりよほどに頭もよく、落ち着いていて大人だろうに時折見せる顔は驚くほど子供なところがあった。
当たりか、と富樫が続けて言うと、首を振った方向は左右。
「馬鹿、おまえのくせにやけに気の利いたことを言うものだから…どこでそんな言い回しを吹き込まれたかと思って、おかしかっただけだ」
まるで可愛くないことを言う。富樫の口元がムッとひん曲がった。
なンじゃい、俺がせっかくよう。もごもごと動く口元が言いたい事を飛燕は全て察した上で、
「……富樫のくせに」
すっかり機嫌を直して富樫に体ごと向き直った。おあつらえ向きに暮れ渡っている、飛燕は富樫の頬に冷たい指を伸ばした。ピアノでも弾かせたら似合いそうな 指を富樫はいささか憮然としたまま掴む、冷え切っていたのでそのまま富樫の手のひらに包まれた。飛燕の目が細くなったのがわかる。
「冷てェじゃねえか、手袋ァどうした手袋ァ、指は商売道具じゃあねえのかよ」
、が多い。目も少し泳いでいる。いくら見飽きるほど見慣れたとは言え、平気の平左に至近距離で見続けられるほど飛燕の顔は安くない。富樫の顔が赤らんでい るかはうまい具合に夕闇に沈んで隠されていた。
「馬鹿、手袋をしないのは口実を与えてやってたのに……気づかないのか」
「何をだよ」
「お前が私の手を掴む口実さ」

バァロォ、と富樫は飛燕の手をパッと手放した。ベンチから立ち上がると尻を叩きもせず一言行くぞとがなって、顎を突き出すようにして歩き出した。がに股で のっしのっしと歩く背を飛燕は名前の通りのすばやさで追いかける、腕を取って身を寄せた。しゃくれ顔の富樫を見上げるとふふふと笑って歩調をあわせる。
「……で、何で機嫌悪くなったんじゃい」
声にありありと面白くないと主張されて、飛燕の笑みが更に深まった。頭をこつんと富樫の頬にぶつけて愛しい野暮天に正解を教えてやる。
「さっきこのコート、買ったばかりだと言ったろう」
「ああ言ったな」
「お前も似合うと言ってくれた」
「……まあな」
正確には、『何か言うことはないのか』と言われたので、と言ったところだがそれを口にしないだけ富樫は成長している。
「だのに焼肉だとか言うから」
「ハ?」

飛燕は当然だといわんばかりに唇を尖らせて言った。
「焼肉なんかしたら匂いがつくだろう。なんだ似合う似合うと褒めてくれても、食欲に負ける程度かと思ったのさ」

あっけに富樫の顔があんまりおかしかったので、飛燕はふふふではなく、はははと快活な笑い声を立てて道行く人の視線を集めた。
富樫が大声上げる前にと腕をすり抜け、笑いながらコートの裾をひらめかせて駆ける飛燕はどうにもきれいだと、追いかけながら富樫は頭の端で思う。



とっくりと暮れ終えれば後は深まるだけである。冬を八時といえば、そろそろ布団に湯たんぽを入れたりする時刻である。
東京なのだから全く光の当たらぬところというのは無い。何がしか、ネオンだったり街灯だったり、はたまた誰かの携帯電話のディスプレイだったり。
富樫達をはじめ、男塾卒業生達はとある焼肉店に集っていた。
東京の中でもとりわけ東京らしくないと言われることが多い板橋区の片隅にある焼肉店である。今流行の焼肉ダイニングだとかプルコギだとかそういうものでは ない。ただの炭火焼肉店である。飲み物も小洒落たカルーアだのモスコミュールだのはない。ビール、ウーロンハイ、レモンサワー、コーラ、そんな程度であ る。店も小さく、ただでさえ体格の大きな元塾生達がぎゅうぎゅうに詰まると二十七坪しかない店は一杯。満員御礼の札が相撲のようでおかしい。
「じゃあ乾杯すっか、オウ、酒全員行き渡ってっかよ!」
虎丸が大声で店内に呼びかけると皆手にしたジョッキやグラスを掲げる。塾生の間を縫って動き回っていた富樫がまだ酒の無い人間を見つけては渡していく。巧 みなコンビネーションで箸や小皿に灰皿を配り終えると富樫が顎をしゃくった。準備完了のサインである。
「そんじゃ、桃」
急に話を振られた桃が首を傾げた。隣の伊達がわき腹を突付く、
「元筆頭だろ、てめえが音頭取れや」
「いや、これは虎丸が計画して…」
「いーから桃早ゥしてくれ!わしゃもう酒を目の前にして飲めんのが辛うて辛うて!!」
乾杯の音頭取りを渋る桃に松尾が芝居がかった声を上げて急かした。どっと笑い声が沸いた。
「…それじゃ、かんぱーい!!」
「オッス、ごっつぁんです!!」
ガチーンガチーンと、ジョッキを砕きそうな音を立てての乾杯。ごっくごっくと飲み干す酒。プハーッのため息。しょっちゅう会っているくせにこうした時にこ みあげてくる懐かしさは胸を浸す、感傷は中中追い払えるものではない。いつもこの乾杯の直後一瞬なんともいえない空気が流れそうになる、
が、
「あいよッ!上タン塩お待ち!ネギそこの器ね!ウチのは片面焼いただけで食えるからね!」
店のおばさんの騒々しさと、運ばれてきた肉の色艶、そして食欲にたちまち吹っ飛んでいく。割り箸を割るパチパチという音がいくつも重なった。

七輪の中で豆炭が真っ赤になって熾っている、怒っていると言ってもいいような火力である。そこに油を塗った、歪みのある網を載せる。
各テーブルごと肉を焼き始め、途端に虎丸の不満そうな声が上がった。
「ああっ、伊達おまえ何すんじゃい!!」
「……何だ」
伊達は箸でカルビを網へと一枚一枚広げていたところだった。突然の叱責の声に形いい眉が不機嫌そうに寄る。
「まずはタン塩じゃろが」
「どうだっていいじゃねえか」
「違え、」
虎丸はタン塩の皿を引き寄せると伊達のカルビが乗っていないところへ広げ始める。分厚く豪勢に切ってあるタンがキュウと火にのせられて縮んだ。
「あ?」
「最初にタレん物焼いちまったら網がコゲら」
「換えて貰え」
「…とにかく、最初はタン塩じゃ、ほら焼けた」
虎丸が示した網の上ではタン塩の表面にうっすら肉汁が浮いて、端が反り返ってきた。手早く肉汁の上にごま油を混ぜたネギみじんをスプーンでよそっていく。 くるりとタン塩でネギみじんを包むようにして巻き、レモン汁にちょいとつけてぱくり。
「ウーッ!うめぇえ〜」
目が糸、口が猫。コブシを聞かせてうまさを唸る。
伊達は虎丸のやっていたように自分もタン塩を箸で掴む。ぱらりほどけてネギが豆炭の上へと零れ落ちた。さして気にせず、タレへと肉を浸した。
「ああっ、伊達おまえ何すんじゃい!!」
「今度は何だ!」
虎丸は酷く切なそうに胸をぎゅうと押さえながら、ワナワナ割り箸掴んだ拳を震わせて怒鳴る。
「タン塩をタレにつけるんじゃあねえ!!」
「そんぐらいの事で大騒ぎすんじゃねえ!」
テーブルの幅以上に伊達の足はたっぷりと長い、胡坐を組んでいた足をほどいてドンと向き合って据わっていた虎丸の脛を蹴飛ばした。ギャンと悲鳴。
「ばっかおめえ本当にばっかじゃのう!よっく見てろ!!」
痛みに恨みがましい目つきをしながら、虎丸は食べごろの大ぶりなタンへネギをのせた。さきほどやって見せたようにくるりと包む、箸に持ち上げて、
「おら、食ってみんかい!」
挑むように伊達の顔の目の前に突き出した。普段の間抜けさは霧と晴れ、精悍さすら漂わせている。こと食べ物に関して虎丸が妥協をすることはなかった。
「ば、」
馬鹿じゃあねえのか、ガキじゃああるまいし。伊達はそう言うつもりであった。
伊達の名誉のためにそう述べておく。
決して、アーンにアーンで応じたわけではない。

だが結果として口は開いた。そしてその隙を逃さずにタン塩は伊達の口へと押し込まれる。
箸が伊達の口内より引き抜かれた。虎丸がその箸を舐める。無意識の貧乏癖からくるねぶり箸だ。普段なら汚いだのなんだのと咎めるはずだったが、伊達の口内 にはタン塩。分厚いのをグイと噛み締めるとしっかりとした噛み応え、じゅうと溢れた肉汁に、それを全てこぼさずたっぷりと染み込ませたネギ。あぶらと肉汁 にシビれた舌へビールが爆ぜてトドメをさしていく。

「うめえじゃろが」
目と口でもって尋ねられた伊達は渋々うまいと言って、それから大人しく虎丸に肉を全て任せることにした。

「ガッハハハハーッ!どうじゃ、虎丸様の焼肉奉行はよ!!ガッハハハ!」
「てめえ焦げてんじゃねえか!さっさと俺に肉を寄越せ」
「アッこら伊達、そりゃあ俺が育ててたとっときのロースじゃあねえか!」
「うるせえぞ、さっさと次を焼け」
「ク、ク、くぅううッ!!」



「……」
Jにとって焼肉というのはしばらくなじみが薄かった。バーベキューとは違うのだというのは店の雰囲気でわかる。もうもうと上がる煙を掃除機のような機械が ぐんぐんと吸い込んでいく。その様を見てJはふと、煙突はあったろうかと考え込む。考え込んでいるうちにも肉は焼けていくので、とりあえず箸を一つの肉に 伸ばした。摘む、
「まだでござる」
「ム、そうか…もういいんじゃないのか」
正面に座っていた雷電が止めた。Jは見た目の状態から聞き返す。これが桃や富樫であれば一も二も無く箸を引っ込めているところである、それは彼らのほうが 先達だとわかっているからだ。それは雷電を信用していないというのではない、実はその逆である。疑問を口にすることをあまりしないJが素直に質問できる相 手であるからであった。雷電の知識や誠実さをJは本当に信頼している。
「これはホルモンと言って内臓肉で、普通の肉よりもいささか火を長めに通す必要があるのでござるよ」
「hum.だがもう火は通ってるようだぜ」
雷電はJが摘みかけたホルモンを箸でひっくり返した。裏側には白いあぶらが綿毛のようにかたまっていて、熱に解けたそれがじゅわじゅわと沸いて炭へとこぼ れていく。
「このように、片面にあぶらが多くついているので普通のステーキなどとは違い数度ひっくり返してあぶらを落とすのがいい」
「なるほど、thanx.さすがだ」
雷電は頃合に焼けたホルモンを一つJの取り皿へと渡した。どのタレをつけるべきかでJの目が迷う。
「味噌ダレが絡めてあるので味付けは不要でござる」
初めてJが口にしたホルモンはとにかく熱く、上顎を火傷した。じいんと痺れる舌の上をつるつるころころ転がってとらえどころがない、歯で噛み伏せるとなに やら不思議な弾力が歯を跳ね返してきた。もういちど噛むとグイグイシコシコと噛み切れない、噛んでいるうちに染み出してきたあぶらのうま味に味噌のタレ、 どうにも癖になりそうな味であった。向かいの雷電は不思議な、血の色をした刺身を目を細めてつるつると食っている。
ウーロン茶であぶらごと喉へ押し流したJはそれは何かと聞いてみた。
「これはレバ刺し、生で食べるもの」
サシミか、と聞けばまあそんなものだとの返答。思わず箸を伸ばして一切れいただく、ゴマ油と塩のタレを絡めてあるそれを口にすると口の中が一気にひんやり と冷えた。しゃきしゃきと歯に砕かれるたびにさわやかに甘い味が広がる。ゴマ油のおかげで臭いも気にならない。見た目のグロテスクさに反してうまいものだ とJはあらためて中国韓国料理の奥深さに感心した。たちまち食べ終えてウーロンハイをすする雷電。雷電が飲むと茶のようだとJは思う。雷電が右手を挙げ た。
「店主、センマイにコリコリに豚足に、それからハラミにツラミを頼み申す」
「はァい」
―――いったそれは何だろう。
物言いたげなJの視線に、雷電は、
「安心召されよ、全て拙者が説明し申す」
とJや近しいものだけが分かる微笑を浮かべてそう言った。Jはホッとして、やはり雷電はすごいと彼なりに視線の笑みで持って返す。







「――――!!!!」
Jの絶叫が店じゅうに響き渡った。滅多にあることではないので誰もが驚いて振り向く。振り向いて見れば、Jが真っ青になって硬直している。
雷電が皆の視線を浴びて静かに口を開いた。
「たいした事ではござらん」
「しかし雷電」
伊達がさすがに声を大きくした。雷電は制するように右手をかざす。
「少々刺激の強いものを目にしただけのこと」

見ればJの目の前の皿にはたった今運ばれてきたばかりの豚足が、まさに豚の足と言わんばかりの姿でゴロンゴロンと横たわっていたのであった。
ありゃあ流石に西洋人には酷だぜ、と桃も苦笑する。伊達は密かに、
「雷電なりの、冗談だったのかもしれねえ」
と呟いたが、煙と騒ぎにまぎれてしまった。



こうして飲み食い歌い踊り脱ぎ刃傷お涙、混沌のうちに楽しい同窓会は過ぎていく。
「毎週同窓会してもらっちゃって、ウチ儲かっちゃうワ」
店主のオバサンは感謝の気持ちも込めて、目を見張るほど肉を厚く切ってやるのだった。
モクジ
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