ウキエさんは微笑んでいた

富樫の携帯電話に電話をしても繋がらない。
割りに真面目に折り返してくる富樫にしては珍しく、桃が時間を変えて幾度かけても繋がらないのだ。
塾長の所に下宿しているのは桃も知っているのだがなんとなく職場に電話をかけるのははばかられて既に五日となる。
五日間富樫の声を聞かなかったことぐらい今までに無かったわけでもないし、特段急ぎの用件もない。
しかし繋がらないとなると無性に声を聞きたくなるのは人情。桃は痺れを切らして塾長の家を訪ねた。
呼び鈴を鳴らすと、インタフォンがブツリと音を立てて内部と繋がった。
『はい』
富樫の声ではない、中年の女性の声であった。時折家の周りの仕事を手伝いに来る人であることは桃も知っている。
「剣です、富樫…居ますか」
さわやかな、薄荷の香りがするような声で名乗るとインタフォンの向こうが華やいだ。
『まあどうもこんにちわ、富樫君ね、お見舞い?』
「…見舞い?」
『ええそうですよう、旦那さんもさっきがた病院行きましたけんどもね』
「……病院?」





富樫が収容されたのは一般病室ではなかった。担当医をつかまえることができなかったが、代わりにナースセンターで話を聞くことになる。
「すまない、富樫源次の友人なんだが…」
「富樫さんの?」
たまたま手が空いていたということと、それ以上に桃が目元に力のある好男子であったことが幸いして詳しい話を聞くことが出来た。
ニ三人以上の複数の何者かによって富樫は殴る蹴るの暴行を長時間に受け続けたらしく、右足と両腕、それから肋骨に鎖骨、とにかく身体のありとあらゆるとこ ろを骨折しているそうである。内臓にさしたる損傷がなかったところが富樫らしいが、それでもかなりの深手を負ってこの病院に担ぎ込まれたのがつい一週間前 とのことだ。
「それで、見舞いは出来るのかな?」
「ああ大丈夫ですよ、先日集中治療室から一般病棟へ移されましたから」
桃は礼を言って、手に果物籠を提げて教えられた病室へと向かう。スリッパがペタペタとせわしなく廊下を叩き、桃の心臓も心なしか早めに鼓動を叩く。
富樫の部屋は一番奥の部屋で、個室である。野良犬のような荒んだ顔の割りに寂しがりで甘えたなところのあるあの男が個室にとは、傷の深さを示しているよう に桃には思えてノブへと伸ばす手がかすかに震えた。死んでいないことはさっき確認した、けれど震えた。
「富樫」
桃は真っ白なドア越しに富樫の名前を呼んだ、返事は無い。ノックはせずに桃は病室へと踏み込んだ。
病室はどうしてこうも真っ白いのだろうか、桃は病院というところに来るたびに不思議に思う。もっと清清しいグリーンだとかそういう色にすればいい、でなけ りゃ寂しすぎる、桃は土気色をした富樫を見下ろしながら拳を握り締めた。ガーゼと包帯まみれ、脱脂綿か何か詰め込んでいるのかやけに頬が膨らんであらわな 額ばかりがさあさあと血の気を失っている。富樫の顔を見て爪が食い込まんばかりに固められた拳に桃の記憶がゆり起こされる。
以前、ずっと昔富樫が一人三号生の部屋へ特攻をかけ、命のともし火をけしかけた時に同じ拳は遠慮なく富樫の顔面へふるわれた。勝手なことをするんじゃねえ と、そう咎めたのだ。
しかし桃の拳はほどかれた、包帯とガーゼで半分隠れかけた顔があんまり安らいでいたのを見たせいである。ぶっくりと紫に腫れ上がった瞼にも、赤黒い血を ガーゼにしみこませている唇にもほほえみすら見えた。桃のかすかに震える指先がそっと富樫の額に触れて、ほつれた前髪を払う。手のひらにやけに熱い富樫の 鼻息を感じた、
「………」
桃は付き添いのための椅子に果物籠を下ろすと富樫の首の両側へと手をついて背中を丸め、腰を屈めた。そっと富樫の顔に自分の顔を近づけて、唯一無事な額へ 自分の額を近づけた。やましい気持ちはなかった、桃はただもっと息遣いを確かめたかっただけである。散々心配をかけられたのである、それぐらい誰も咎めた りしようはずもない。
しかしそんな桃のささやかな思いは、心配を散々かけた富樫の心無い額によって妨げられた。突然枕に沈んでいた富樫の顔がいきなりせり上がってくると、ごつ んと桃の白い額にぶち当たった。目を閉じていた桃はその攻撃を受け入れ、ウッと小さく呻く。
「病人の寝込み襲うたァ、ふてェ野郎だぜ」
ガーゼと口の中の詰め物のせいでくぐもってはいたが、紛れも無く富樫の声富樫の言葉富樫の呼吸である。
桃はぶつけられた額に眉を持ち上げた皺をこさえるとすぐに微笑みへと切り替え、押し付けるようにして額を擦り合わせた。身体全体どこを触れても痛いのだ、 富樫はギャアとか細い悲鳴を上げた。桃は止めない、ぐりぐりと額で押し切り相撲をするように体重をかける。
「や、やめんかい!」
声に桃はようやく身体を引いた。富樫はヒィヒィと痛みに情けない声を上げながらだみ声で怒る。
「いきなり何すんじゃ、ボケ」
「…お前が悪い、殴ってやろうかと思ったんだぜ?」
桃の眼差しは貫くほど熱い、声にも怒りがこもっている。ベッドについた手の指は力を込めすぎて爪が真っ白くなっていた。
「俺が?」
「どうして、お前の怪我を人から聞かなきゃならねえ」
「あ?」
「連絡が取れねえから心配して塾長のところにいってみたら入院だ?馬鹿を言いやがって、お前は、お前って奴は…」
「だけどよ桃、死んでやしねえんだから」
「馬鹿野郎、お前は…」
何か傷みに堪えるような顔で桃は、掠れた声で言った。
「どれだけお前を、誰かが心配してるか思い知れ」
その声があんまり切実で、桃が痛そうにしているから富樫はたちまちしゅんとして、痛む首を動かして頷いた。急激に申し訳なさが膨れ上がってきたのと久しぶ りに会った桃の存在に目じりにみっともない涙を浮かべかける。
「も、」
「今日は休みになったんだ、今日はとりあえずここにいるぜ」
「………ありがとうな」
そうだ、と富樫は横たわったまま桃を呼んだ。桃はしっかりと富樫の骨折だらけの手を両手で力を込めて握り締めながら答える。
痛ェから止めてくれと言いたかったが、富樫は負い目があるために何も言わないでおいた。
「その、桃…。そこの包み取ってくれ」
「包み?……ああ、これか」
病室に入ったときから桃が気にしてはいたが、サイドテーブルになにか赤ん坊の頭ほどの大きな包みが乗っている。竹の子の皮でもって包まれているらしいずっ しりと重たいそれを取り上げて富樫の胸の上へと下ろしてやった。富樫が両手を使えないためにほどいてやる、
「……握り飯?」
中から現れたのはそれはそれは大きな握り飯であった。鈍器として使えそうなほどの大きさと重さ、一枚きり貼り付けられた海苔は必死に岩肌にしがみついてい るように見える。富樫はその握り飯を涙を薄く浮かべながら見つめていた。
「ち、力飯じゃ」
「………塾長か」

力飯。その昔戦国時代、主人のために負傷した部下へ、主人が手ずから作った握り飯のこと。その際念を込めて、手からこぼれないかぎりに強く大きく握るのが 慣わしとされている。その握り飯を全て食べ終えると、その傷全快間違いなしとの言い伝えがある。【民明書房・戦国看病全図】


「桃、」
「……ああ」

富樫の背中に桃は手を差し入れると、なるべく痛みを与えないようにしてその上半身を起こさせた。身体に走ったであろう痛みは激しかったに違いなかったが、 今度こそ富樫はうめき声一つもらしはしなかった。口の中から脱脂綿を取り出すと両手でもって包帯の指をかまわず握り飯を掴む。桃は水さしから水をコップに 入れると、富樫が必死にその巨大な握り飯を食べ終えるまで見守り続けた。富樫は食べながら、事の次第を語る。
塾長の襲撃を計画していた過激な人権団体の噂を聞きつけ、その計画実行の直前その人員が集まる場所へ単身殴り込みをかけたのだそうだ。襲撃は直前、警察や 誰かの助けを借りること間に合わなかった。結果計画の阻止はできたものの、代わりに受けた傷は深い。

「…ごっそさん、」
全てを食べ終えて、富樫は桃から水を受け取って飲み干した。
顔に血の気が戻ってきた。桃はあたりを見渡して、
「……あったあった」
それを掴んで朗らかに笑った。代わりに富樫の笑顔が引きつった。
まがまがしい形をしたそれは空っぽだ。
「…………」
「さて、食うもの食ったら出そうか」
「バ、馬鹿言ってんじゃねえ!!」
「出してないんだろう」
「だ、出しとるワイ!!」
「………嘘だな」
桃はきっぱりと断じた、尿瓶片手に。
「どどどどうしてじゃい!!」
そっと桃はドアのあたりへ目線を投げた、にんまりと人の悪い笑みが口元に湧き上がる。
「……担当の、境さんか?…美人だったな」
「!そそそそれがどうしたェ」
「美人に小便取ってもらいたか、ねえんだろう」
「…………」
富樫は顔を背けた。桃は尿瓶をくるくると手の上で回転させながら、
「髪の毛を結わいた、清楚な美人だな」
「…………」
「お前が好きになるのはいつもああした、ウキエさんタイプだ」
「………うるせぇ」



「武士の情けだ、見ないでやるからさっさと出しちまえ」
「い、嫌じゃ!」
「漏らしたほうがいいか?」
「ウ、ウウウウウ!!」




恥を忍んで頼んだというのに、桃曰く、
「手元が狂ったんだ」
ということで結局ウキエさんを呼ぶハメになる、物凄く恥ずかしい目にあう富樫であった。
モクジ
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