きみはウのつく…
この間終わったんじゃなかったのか、そう尋ねると昼時の
ために路上で弁当を売っていた店主は平然と、
「今日は二の丑」
と答えた。つい先日も見た覚えのあるノボリはハタハタと風に泳いだ。
太陽が燃えている、というよりは発光に伴う発熱をしすぎてもはや沸騰である。沸騰してぐらぐらと煮え立ち、液体となって天上に揺らいでいるのが太陽であ
る。
「ケッ、商売熱心でいやぁがるぜ」
財布と相談した結果、富樫は捨て台詞を吐いて店主へ背を向ける。慣れっこの店主はまいどォとのんびりとした声をその背にかけた。
ネクタイをゆるめても首筋に入り込む風は熱風、ちょうど中華料理屋の前にさしかかっていた富樫はモロにエアコン室外機の熱風を浴び、さらに体力を減らし
た。
今日の飛燕先生はご機嫌である。
「なんだい、今日はやけにきれいじゃないか」
親しい同僚に声をかけられて、
「ふ、いつもこんなものですよ」
とびきりの笑顔でサラリとかわす。同期の小児科医はハハァと何か察したように眉を持ち上げた。
「なるほど、デートだ」
「ふふふ、嫌ですね何を言ってるんですか、もう」
ふふふ、そう微笑みながら背中を叩く。もう、と同時に振り下ろされた手のひらの力は案外強くって、神業を次から次へと披露する指先は骨っぽい。小児科医は
メガネをずり上げながらコーヒーを手に窓の外を見下ろす。まったく白い巨塔とはよく言ったもので、清潔で排他的なその建物の中は冷房がしっかりと効いてい
て、さぞや外は熱く生生しいことだろう。
「行ってらっしゃい。ああ、お帰りは明日だったかな、オアツーイ!」
「馬鹿を言うんじゃありませんよ」
めっ、
小児科医を睨んでおいて、飛燕は白亜の城から出て行く。
窓から見下ろして、飛燕がその名の通りにひらめくような素早さで駆けて行く、見下ろして小児科医ははははと快活に笑った。
外はさぞや、暑かろう。
小児科医の想像を通り越して、この日東京は三十六度を記録した。
待ち合わせの場所が日陰かどうか、飛燕は考えもしなかった。
そのため運良く仕事が予定よりも早く終わって三十分前にたどり着いた富樫が喫茶店にて時間を潰し、生来の気短さから潰しきれなかった十分を、真夏の太陽に
じらりじらりと照り付けられていただなんて考えもしなかった。
待ち合わせの噴水に水が入っていれば少しは違っただろうが、生憎メンテナンスか故障かは知らないがカラカラの水一滴も無しに渇いていて、よけいに暑さを引
き立てていた。
目印の時計の前に立った富樫は仁王立ち、だがその仁王もふらりよろりと体重計の針のように左右にブレている。しかしそれも飛燕にはたいした事だとは考えも
しなかった。
前前から一度やってみたかったということもあり、飛燕は背後から音も無く近づいて、
「私だ!」
だーれだ、はもし富樫が分からなかった場合に腹が立つからと、自己紹介と到着報告を兼ねて後ろから抱きつくように腕を回し、富樫の目を手のひらで塞いだの
だった。
「わッ!!…おう、なんじゃい。相変わらず手が冷てェな」
富樫はそんな事を飛燕の好きな、あの目じりに皺の入る苦笑と共に向けながら振り向いた。
筈だった。
「…富樫、お前、何か異常に熱くないか?」
飛燕の顔が曇る。富樫の額へと白い手のひらをすい、と向かわせるとそれが到達する前に、富樫の腕が伸びてきて飛燕の身体を強く抱いた。
「!!と、富樫!なんてハレンチな!!まだ、こんなに明るいああッでも、積極的なお前も悪くな……」
い、
富樫の膝が崩れ、飛燕の腰にしがみつくようにしてずるずるとずり落ちていく。
異常な程の熱、
砂が零れるようにさらり、飛燕の目の前で富樫が崩れていくのがスローモーションでその目に映った。
飛燕は医師である、彼の症状がわかる。
だがそれ以前に、飛燕は恋人である。
彼の危機がわかる。
飛燕はその場に崩れかけた富樫の肩に手をかけると、その細腕からは信じられないほどの力でその身体を抱き上げた。
抱き上げただけではなく、担ぎ上げる。百姓が米俵を担ぐような、といえばわかりやすい。
力なく富樫がもぐもぐと呻いた。尋常ではない汗をかいているわりに、顔は真っ白に血の気が引いている。
「お、下ろせや…なに、ちっとフラついただけじゃ」
「馬鹿、頑丈だけがとりえの癖に」
飛燕の舌鋒は鋭い、言葉を突き刺しながらも細い足はまるでふらつくことなく驚きに割れる群集の隙間を縫って車を目指し歩いていく。
「ウ…ウナギ…」
「はい?」
「丑の日、じゃろ…今年二回目の…」
「こんな具合にウナギ?馬鹿も休み休み言え!」
こんなになって!ああ、だからあれほど同棲…いいえ同居しようと言ったのに!
私ならば栄養満点愛情たっぷりの食事を作ってやるというのに!
馬鹿馬鹿、馬鹿、私の誘いを断ったお前なんか、本当にどうしようもないんだから!
「丑の日?それなら『ウ』のつく食べ物ならなんでもいいんだろう」
「そう…かよ…」
力の無い声、ああ、ああ、飛燕が脚を速める。早くこの熱気から逃げて、私の部屋に連れて行ってやらないと。
看病?するとも、しないでか。私が付きっ切りで看病してやろう、ついでに恩も愛情も売りつけて。
「『うつくしいわたし』を十分食べさせてやる」
お前の冗談、笑えねぇぜ。
富樫の力ない呟きが終わるかいなやで、飛燕は車の後部座席へ富樫を放り込んだ。
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