雨夜帝王学
この王冠をあげよう、まじりけのない金でできた、この王
冠をあげよう。
このマントをあげよう、城の階段を入り口まで降り切ってもたるむこのびろうどのマント。
この紅玉のブロオチをあげよう、星入りだ、さっきのマントを胸でちんと留めるのに必要だろう。
あげよう、すべて。あたえられるすべて。
だから、
【旅人】
雨の夜である。
伊達の憎む、雨の夜である。
雨はばらばらでも、ほそほそでも、とにかく無音ということを一切知らずに降る。そのため音に気配に敏感な伊達の神経を常に撫でたり弾いたりし続ける。
どれだけ微細な音であろうが鳴り続ける。その音のせいで伊達の一番聞きつけたい気配、自分に仇なす気配はうすらぼやりとぼかされてしまうのだ。
そして夜、孤戮闘の伊達にとってもっとも恐れる夜である。男塾に入塾して、二人部屋をあてがわれた伊達も最近ようやく虎丸という同室者の気配だけは警
戒を出来る限り解いて休むこともできるようになったが、それでもまだ夜を歓迎できるほどには至っていない。虎丸は例外中の例外といっていい、その声と同じ
く、虎丸の気配ときたらあけすけでワァワァと馬鹿でかく、とても雨や夜で隠しきれる類のものではないからである。伊達は自分を飼いならすようにしてそう思
い込んで虎丸をゆるした。
夜が雨と手をとって、伊達を包む。
夜になれば、誰かが自分を狙う、闇に乗じて自分の喉元を掻き切ろうと狙うものがいる、そんな考えは今なお条件反射で伊達の額を横切るのだ。
そこへきて雨であった。
細い雨であった。
伊達は眠りを忘れて布団に身を起こす、隣で虎丸が吠えるようないびきをかきつづけていた。その勢いのあるいびきですら伊達の聴覚全てを多い尽くすには足り
ない、伊達の耳にほそほそと入ってくる雨音はどうにも伊達を苛立たせた。伊達はすくと立ち上がった。その気配を感じてかどうか、虎丸がムグウと珍妙なうめ
き声を上げる。妙にさといところのある獣のような同室者を置いて、伊達は静かに部屋を出た。
細い雨の夜である。
暗闇にどことなく黄色の明るみが混じるような夜である。春が近いな、と伊達はその雨の降りようを見てそう思った。
雪でなく雨が降るようになった。頬が痛むような寒さも少しはやわらいでいる。
伊達は傘をさしてぶらりぶらりと男塾の中を歩いてみた。立ち止まると何かが追いかけてきそうな気がしてしまい、自分の軟弱さ臆病さを押し付けられるようで
伊達は歩き続ける。
と、気づけば三号生の領域に踏み込んでしまっていた。しまったと思わないでもなかったが自分のこの頬に走る六つの傷を見て挑みかかるようなものはいるまい
――そう思い直して足を進めていく。むしろ誰かが挑みかかってくればいいとすら願う。伊達の傷が笑う。
伊達の足元を、雑草に湛えられた雨露が濡らしていく。しかし足取りは重たくならなかった、今にも軽快に走り出せそうな軽さを持っている。
樹齢何年か切り倒して年輪を数えてみるまでわからないほど巨大な、杉の巨木に近づいたところで伊達の眼がその根元へ人影を見た。
――あれは。
「……貴様か」
大豪院邪鬼であった。姿を全て雨明かりに見ずともそのシルエットと、雨の隙間を縫って伝わってくる強さの匂いは間違えようもないものである。伊達が相手を
見つけたと同時にその人影が声をかけてきた。つまり伊達が邪鬼を見つけるよりずっと速く、邪鬼は伊達を見つけていたのである。伊達は立ち止まった。
邪鬼のいる杉の木よりも細い、隣の杉の木の下で立ち止まる。杉の細い葉に雨が漉し取られ、傘を叩く雨粒は格段に少なくなった。しかし傘を畳もうと思うほど
ではない。邪鬼は完全に手ぶらである、杉の木は帝王に一滴も零すまいとしていた。
「…先輩」
果たして先輩という言葉で片付けていい存在かどうかはさておき、伊達は答える。杉の幹へと背中を預けた、背中がふさがれるだけでわずかばかりの安堵を得
る。
「どうした」
邪鬼の声は穏やかだった。つい先日剣桃太郎と死闘を繰り広げた時とはまるで別人のようだった。春の海のような、と喩えたのは他でもない桃である。その後別
の大きな戦いに身を投じて華々しく白骨化して死んだ筈だった、が今も邪鬼はこうして生きている。卒業を間近に控えた帝王の足元に動く影、猫が一匹静かに猫
らしくもなく控えていた。
「…別に、それより」
それより、なんだ。伊達は自分はこれほど会話がヘタだったかと少しばかり苦笑を滲ませた。
「………」
邪鬼は続きを待っている。案外に律儀なところがある男であった。
「卒業したら、アンタはどうする」
あえて、「アンタ」と呼んだ。伊達の挑発じみたその物言いを帝王はたっぷりとした間でもって受け流す。
「どうもせん。俺は、俺のまま――」
息吹に含む隠しようのない実力と自信。伊達は不意にもたげた疑問を口にした。
この男になら、聞いてみてもいいと不遜な事を思う。
「アンタに聞いとくことがあったぜ」
「……なんだ」
「なあ、帝王ってのはどんな気持ちだ」
ざ。ざざ。
雨足が強くなった。途端に雨越しの邪鬼のシルエットが細く震動してぼやけていく。
邪鬼の返答は早かった。
「貴様はもう、知っている」
「答えになってねえぜ、なあ」
子供のように伊達は重ねて問う。相手の姿がしっかりと見えないのが伊達を駆り立てた。
「貴様は知っているはずだ。……まあよい、帝王が何故国を統べるか知っているか」
「さあな」
「権力が欲しいわけでもない、」
「ああ」
「巨万の富が欲しいわけでもない、」
「ああ」
「欲しいものがなんだかわかるか」
「……わからん」
「ジョーダ国の王は賢王だった。富を求めず武力を求めずただ王として生きていた。その王の前にある日賢人が現れる」
―貴方はまさに賢人でいらっしゃる。
「彼はその場で王冠をはじめ身につけていた装飾品を賢人に手渡した」
―どうか、私を貴方の国民にしてください。
―ようやく見つけた、私を国民に出来る王を。
雨足が強まった。もう眼をどれだけ細くしても邪鬼の姿は伊達に見えない、耳をすませて肌を尖らせているしかない。
もはや伊達には、この言葉を語っているのが邪鬼かどうかもわかりはしない。
「何が言いてえ」
「貴様も豪学連などという組織を束ねていたのだったな」
「それがどうした」
「帝王は」
帝王は、
「帝王は人を求める。人を求めるから帝王なのだ。ただ祭り上げられるだけでは帝王になれぬ、人を求め立つものが帝王なのだ」
伊達は黙る。代わりに雨音が激しくなって、伊達の耳にわめきたてる。
「ひたすら人を求めるのが帝王――そう言えば貴様はどう思うであろうな」
「馬鹿な」
邪鬼の気配はそれきりふっつりと消えた。
伊達は杉の木の下ながら、ずぶぬれに濡れる。
部屋に戻った時には下着から何から何まで濡れていた。部屋のドアを閉めて布団を見やれば、虎丸が二つ続けて敷いた布団の真ん中を陣取って大の字になってい
る。伊達は服を脱ぎ落としながらそれをただ見ていた。虎丸の胸が大きく膨れて息を吸い込んだのが、電気を点けていない部屋の中でもよくわかる。
脱ぎ捨てたズボンが水を吸い込んでいて伊達が思った以上に重たくなっていたらしく、床にドサリと落ちた。
「ぬー」
虎丸が眼を覚ます。悪い、と言いかけて伊達の意地が邪魔をした。虎丸に詫びるのはまだ伊達の意地が許していない、逆に他の相手であればすんなりと悪いと言
えたのであろうが、どうしても虎丸はそうもいかぬ。
「伊達おめー、どっか行ったんか」
「まあな」
伊達は下着姿になっている。寝巻きの着替えを出そうと思ったが頭がうまく働かぬ。間延びした虎丸の声にそっけなく答えた。
「…降ってる?」
「降ってる」
短く言いながら伊達は布団の上をずかずかと進み、虎丸のわき腹を軽く蹴った。のけ、との意思表示である。
「オッ、悪い…」
悪いと言いながら虎丸は一つ転がった。まだまだ中心に近い、近いのだが虎丸は掛け布団の端を手繰り寄せて持ち上げた。招く。
「あいよ、へっへ、虎丸さまが、あっためておいてやったぜ」
「…………」
普段ならば鼻で笑うところである。
だが伊達は着替えをやめて、誘われるがままに性急に虎丸の側へと滑り込む。虎丸が言ったように布団の中はしっかりとあたたかい、伊達が長い足をすべて伸ば
しつくしても果てまであたたかい。滑り込むなり、らしくないと自分を笑うヒマもなしに腕を伸ばした、どっくどっくと命を鳴らすその身体へ自らを寄せる。虎
丸がどう思っているか伊達にはわからなかった、が虎丸も腕を伸ばして伊達の頭をかき抱く。伊達は暗闇の中で目の前の明るい肌色へ目を伏せる。
「雨の匂いがする」
虎丸がぽつりと呟いた。半ば寝言であったかも知れぬ。
「屁の臭いがすんだよ、テメエは」
布団の中でしたらしい屁の臭いを咎めながら、伊達は眼を閉じた。虎丸が笑った。きつく腕を締める。こたえるように頭を強く抱かれて、虎丸の心臓が伊達の耳
に近づく。
どう、
どう、
どう、
どう、
あんまりうるさい心音で耳はいっぱいで、雨音はもう聞こえなくなった。
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