手紙

正月の近い寒い日であったことを邪鬼は覚えている。暦 はとっくにもうすぐ春だと急かしているのに冬は図図しく雪雲を垂れ込めた日で、ちらちら雪が降り出した時だった。
校庭をまっすぐに横切り、天動宮へと戻る最中のことであった。気を張り詰めていれば寒さも暑さも敵ではないと邪鬼は日ごろから真剣に考えているので小走り にも猫背にもならない何時も通りの足取りである。護衛はつけていない、影慶などは邪鬼に外を歩くときは自分か誰かを呼ぶように頼んでいたのだが、面倒だっ たので一人であった。
校舎の横を通過し、半壊したベンチ一つと公園にあるような屑篭が置かれたスペースに差し掛かった。無人である。もし人がいればそれが誰であれ、教官であれ 飛ぶようにして逃げていくはずであった。この男塾において、大豪院邪鬼を恐れぬ人間は塾長の江田島平八をおいて他にただの一人もいない。無人のそこを通り 過ぎようとした。が、
「ム」
横目に何かちらりと白いものが目に入った。雪であろうかとその険しい眉を動かしもしないで考え、首をそちらへと向ける。薄水色のベンチの上にその白源は あった。紙の束のようなものだった。大豪院邪鬼が気に留めるようなものには到底見えないものである。だがその時邪鬼は何故だか気を惹かれた、惹かれベンチ まで歩み寄りその紙の束を取り上げたのだ。気まぐれとしかいいようがないと邪鬼は今でもその偶然を興味深いと思っている。
手にした紙の束はちょうど降り出した雪のかすかな粒を三つか四つその身に受けて水染みを作っていた、
「…手紙か」
手紙である。二つの封筒が重なっていた。と、雪を巻き込んだ白風が強く吹き付けてきた。邪鬼のマントが警告するようにしてはためく。邪鬼はその二つの封筒 を手に身を返して天動宮へと再び歩き出した。
ちらりと目に留まった封筒の宛名には、『富樫 源吉 さま』とあった。また一つ雪染みが封筒に開いた。空を見上げればくすんだ灰白の空からしらしらと雪が 降ってくるのが見えたはずである。
しかし邪鬼が空を見上げることは無い。見下ろされることが好きではない男である、生まれた時から覇王なのであった。
後々、あの頃は俺も若かったのだと邪鬼は少し笑った。


天動宮に戻れば影慶はじめ死天王から一人歩きについてやんわりとだが粘り強く咎められる。邪鬼は実力より生まれた自信をありありと顔に浮かべて、
「貴様等が居なかったからとて、俺が討たれるとでも言うのか」
と突っぱねた。確かに、邪鬼がやすやすと一撃で殺されるような相手ならば誰を供に連れても変わらないのかもしれなかった。が、影慶の主張とすれば、
「ともかく俺を付けてください、盾程度にはなれます」
忠義に光る目でもってそう言い募った。媚びもへつらいもないその目に、さすがの邪鬼も考えておくとしか言いようが無い。追求を振り切って自室に戻り、体の サイズに合わせてあるために巨大となったベッドへと体を仰向けに投げ出した。ブーツをベッドからはみ出させている。脱ぎ忘れたブーツのせいで邪鬼の気分は あまりよいものではない、せっかく寝転がったというのにまた起き上がって脱がねばならぬことを思い出したせいである。腹筋を使って起き上がり、寒さのため にむくみきつくなったブーツを脱ぐと床へと転がした。再び寝転がる。マントは天動宮に戻った時に影慶が手を出したので邪鬼は預けていた。
封筒を取り出すと、ベッドヘッドにもたれかかりながらそれを眺める。一通の封筒の宛名は先ほども確認した通り、『富樫 源吉 さま』だった。頭にすぐにそ の人物像は浮かんでこなかったので三号生ではないと邪鬼はあたりをつける。封筒を開いた。市販の便箋ではない。ただの白い、それもあまり上質ではないと見 てわかる紙が二枚折りたたんで入っていた。と、もう一枚質の違う紙が封筒に収まっている。引き出してみるとそれは、『65点』とでかでか書かれた数学のテ ストである。妙なものが出てきたと邪鬼の眉もさすがに寄った。好奇心は強いほうだと邪鬼は自覚している、テストは一旦傍らへと置いておいて便箋を開いた。
『あんちゃんへ』
書き出しはこうだ。汚いなりに丁寧に書こうとしたらしい、鉛筆書きの文字。筆圧が強いようで右から左へと字がかすけている。右利きだな、と邪鬼は寝転がっ たままこの手紙についての推理を巡らせ楽しんだ。

『あんちゃんへ 
 寒くは無いですか。俺は平気だけど、あんちゃんはどうですか。
 テストがんばったので送ります。裏の中華料理屋で今日は醤油ラーメン食いました。
 おいしかったです。あんちゃんが言った通り、コショウかけて食べたらうまかったぜ。
 正月は帰ってくるんだろ?楽しみにしてます。
                                      源次 』
相手は一号生だろうとおおよそ邪鬼はあたりをつけた。二号生三号生にもなると、家族からこのように手紙が届くことは少なくなってくる。年の離れた弟なの か、何度かやり取りをしているだろうに書き方がどこかぎこちない。一枚の便箋に大きな文字が生き生きと躍っていて、二枚目にも続いていた。一枚目の文章か らしてみればもう他に書くことが無さそうだったがまだ続いているので、邪鬼はぺらりと便箋をめくった。
「フッ…なんだこれは」
さすがの邪鬼の口元にもあるかなしかの笑みがともった。二枚目はその手紙の送り主がどんな飯を食ったかがずらずらと書き綴られている。ということは受取人 の男塾塾生は兄弟一人を家に置いているのだということが知れた。邪鬼の笑みはさらに濃くなる。
「健気ではないか」
弟から告げられたであろう、兄への気遣い。そして本当に帰ってこられるかどうかもわからないというのに正月の帰還を待ちわびる旨。邪鬼の記憶に家族とのこ ういったやり取りは無い。軟弱と呼んでもいいものかどうか、邪鬼はその手紙を眺めながら考え込んだ。
「影慶」
しばらくして影慶を呼ぶと、まるでドアのすぐ外に控えていたような素早さで答えがあり入ってきた。影慶の窪んだ目が脱ぎ捨てられたブーツに落ちる、小言を 言い出す前に寝転がったまま邪鬼は切り出した。
「一号生に富樫源吉という者がいるだろう、呼べ」
「今ですか」
既に夕暮れである。この富樫源吉が一号生であれば今頃まずい寮の夕飯を食っている時刻であった。邪鬼は構わず頷いた。
「構わん、呼べ」
影慶は一つ頷くと、名前どおり影と消えた。邪鬼はベッドの上から起き上がり腰掛ける。さすがに冷えていた。肩へとシャツを羽織る。袖へ腕は通さずにドアを 眺めて待つ。待つこと五分。

「一号生、富樫源吉、失礼いたします!」
太く緊張のためか硬い声がドア越しにかけられた。邪鬼が入れと命じると、立派な体格の男が入ってきた。室内だというのに学帽を生真面目にかぶったまmであ る。
これが富樫源吉か、と邪鬼はしげしげと見やった。女にもてるかどうかはともかくとして、いかつい顔に立派な体格だが誠実そうに邪鬼の目には映る。
「貴様の物か」
指に摘んだ二通の手紙。それを源吉へと見せ付けるようにしてやると、アッと驚きの声を上げる。目を見開くといかつさが可愛げにも見える。大きな体を揺らし ておろおろと動揺する様を邪鬼はひとしきり楽しんだ。
右手を差し出して、手紙を突き出すと一礼し、源吉は受け取った。
「はっ、その、ありがとうございました、筆頭殿!」
ピンと背中を伸ばした直立不動、源吉はかしこまって大声を張った。背筋を正した源吉とは逆に邪鬼は再びベッドヘッドに背中を預けた。ゆったりとくつろぎつ つも厳しい目は源吉に注ぎ続けている。仮に源吉が突然ドスを構えて飛び掛ってきたとしても、邪鬼は毛ほどの傷も負わずに殺せるだろうと確信していた。実力 差から生まれた余裕である。
手紙を受け取った源吉は退室したそうだったが、まだ邪鬼は許していない。かといって声をかけるのもはばかられるようで源吉は太い眉に困惑を隠しきれずにま たオロオロした。
「あの、筆頭殿」
「読め」
「……は」
「貴様が書いた返事だ、読め」
一通は弟より兄への手紙。
もう一通は兄から弟への手紙。兄から弟への手紙は後は封を閉じて切手を貼るだけのものだった。
純粋な興味かどうかは邪鬼自身もよくわからないまま命じた。筆頭の、それも三号生筆頭で男塾の帝王である大豪院邪鬼の命令に一号生が逆らえるわけもなかっ た。源吉は顔だけでなく動作も固くして封筒から便箋を取り出す。弟からのものと違って兄の使った便箋は簡素で安物だろうがまぎれも無い便箋である。
「お、オッス、筆頭殿!富樫源吉、読ませていただきます!」
「ウム」

腹を決めたらしい源吉は大きく息を吸い込んだ。胸がぐっと膨れ、変わりに口からは太い歌でも歌わせたいようないい声が飛び出す。十二畳ほどの一人で寝起き するには広すぎる邪鬼の私室に声が割れも揺らぎもせずに満ちた。

『源次へ
 テスト頑張ったじゃねえか。お前はやれば絶対にできる奴だって俺は信じてたぞ。よくやったな。
 だがここでいい気になるのがお前の悪いところだ。油断はするな。
 ケンカばっかりしてないで勉強もしてるようで安心した。このまま頭もよくなればおめえも男塾に来られるだろう
 正月は忙しいからまだ予定はわからない。だがなるべく帰れるようにする
                                              がんばれや 源吉』

読み上げ終わると源吉は額に汗を浮かべて恐縮していた。便箋を持つ手もかすかに震えている。
「兄弟揃って、兄思い弟思いであることだな。親はどうした」
「親ァ、ずいぶん前に死にました。罰はなんでありますか」
親の死を口にしても源吉は動じない。肝が太いのかそれとも自分を頼りに思う弟の存在あってか語気は強いものである、眉にも目にも力があった。罰はと尋ねら れはしたものの邪鬼はハナから咎める気持ちを持っていない。
「特にない、下がっていい」
「…は」
唖然とした様子の源吉の顔はなんともいえないおかしみがあって、邪鬼の額から険が解け消えた。熊のようなむさくるしい男だがどこか人を和ませるところがあ る。邪鬼はベッドに体を投げ出したまま珍しくからかいの言葉を口にした。
「どうした、罰が欲しいか」
「いや!いや、その、失礼いたします!!」
「フッフフ、また来るがいい」

邪鬼の、『また』を聞いたかどうかはわからない。源吉はでかい図体をウサギのように素早く動かして退出していた。
その日珍しく邪鬼は上機嫌になったのを、後に影慶はあああれがあの日であったのかと思い出した。








あの一号生は正月帰れただろうか、邪鬼はその日から数日経って正月気分に浮かれかえる塾生達を私室の窓から見下ろしながら不意に思い出した。
影慶に尋ねて見るか、と思って影慶を呼ぼうとした途端に私室のドアを叩かれた。さすがに影慶とて、意識を読むことはできはしないだろうと驚きつつも邪鬼は 応じた。入ってきたのは件の影慶である。右手にはノートを手にしていた。
「邪鬼様失礼いたします、大威震八連制覇の件ですが…」
「…そうか、」
邪鬼も忘れていたわけではない。いよいよか、来たか、という気持ちで胸が満ちた。辛いわけではないが手放しで楽しみだと言えるだけの余裕はまだこのころの 邪鬼にはなかったと後に邪鬼は語る。
「一号生のメンバーを読み上げます。大将、」
ノートを開いて、名前を読み上げた。上がった名前に聞き覚えは無い。勢いのあるもみ上げを手で撫で付けながら聞き返す。
「あの逸材はどうしたのだ」
「逸材…ああ、伊達臣人ですか」
「ウム」
塾長があやつはすごいのうと呟いたのを一度ならず邪鬼は耳にしている。一度手合わせをしたいと思っていた相手が大将でないことはあなどられたようで不満で あった。
「あれは、教官殺しにより追放されました」
「愚かよ」
「はい、副将…」

読み上げられていく名前を聞き流す。自分の相手になりそうな男がいれば今まで噂にならぬわけもない、噂になっていなくとも影慶辺りが調べて報告をするはず である。先ほどまで邪鬼の胸におこった熱は冷めていきそうだった。

「富樫 源吉」
「………む、」
「はい、先日こちらに呼び出した一号生です」

「………そうか」

そうか。そうか、とだけ。
邪鬼は影慶に下がるように言って、ベッドへ体を投げ出した。
晴れているはずの空なのに、どこか曇りだと邪鬼は思う。






その翌朝邪鬼は再び源吉を呼び出した。早朝のことである。早朝だというのに顔をしっかり洗ったようで目は冴えていて、こざっぱりとしていた。この男塾に あって身奇麗にしているというのはそれだけで中中普通ではない。それも女のようになよなよと身なりを気にするのではなく当然のようにそうしているのが邪鬼 の目には好もしく思える。二度目も邪鬼の私室である。前回と違うのは、邪鬼と源吉が敵同士になった点と、邪鬼が立って源吉を迎え入れたこと。
「よもや貴様が大威震八連制覇に出てくるとはな」
「自分でも、驚いてます」
驚いているといいながらも源吉の目は決然としている。目は凪いでいて、立派に両足は部屋の床を踏みしめている。後ろ手に組んだ両手も震えていないのがわ かった。
「そうか、…弟に連絡はしたのか」
「いいえ」
この帝王が弟のことを覚えていたのに源吉は少なからず驚いて、口ひげがもの言いたげに震える。邪鬼は一息に言い切った。
「知らせておいてやるがいい。貴様は死ぬのだ」
「……いいえ」
大豪院邪鬼、怖がらせようだとか、脅しつけようというチンケな了見でこんな言葉を口にする男ではない。確実な未来なのである、それを報せるのは予言ではな く通告なのだ。邪鬼が口を閉ざすと、代わりに源吉は口を開いた。
「男の命がけの勝負です。ケツまくって逃げたとあらば、源次はワシをゆるさんでしょう」
「しかし」
「筆頭殿は、ワシに逃げろとおっしゃるんですか」
「そんなことは言っていない」
「筆頭殿のおっしゃる通り、ワシが生きて帰れる可能性は低いでしょう」
無いのだ、と言っても良かった。しかし邪鬼は続く言葉を待った。
「ワシが命がけで闘ったってことを源次にわかってもらえりゃ、それでいいんです」
死に目にァ会わせてやれませんけど、と言っていかつい男は笑った。諦めの笑いではない、まだ勝負はついちゃいねえと気を吐くしぶとい笑いであった。

「死に目には会わせてやろう、貴様の弟思いの健気な心に免じて」
驚きに目を見開いて、源吉は邪鬼の顔をまじまじと見つめる。鋭い線で囲まれた顔はどこもかしこも厳しい、しかし瞳に宿る光に源吉は一瞬温かみを見出した。

「ワシの源次は、きっと何年かしてここに来るでしょう」
「貴様の弟がか、フッフフ」
学帽のひさしに手をかけ自慢げに弟の名前を口にした源吉に、邪鬼はほんの一瞬戸惑ったように瞬きをしたが笑いで答える。





貴様の弟はきっとこの俺を恨むであろうな、邪鬼は胸のうちでそう呟いた。
そして、退出していく源吉の大きな背中を何も言わずに見送った。





そして今。
男塾塾長、江田島平八の家に招かれた邪鬼はあの男の面差しを浮かべた男を見る。胸にあの学帽を隠しながら生きる男を見る。
貴様の弟、中中立派な男であったぞ。
邪鬼は現在塾長の側で立派に秘書を勤め上げている富樫を見て、そう誰とも知れずに呟いてやった。
草葉の陰より見守ってやるがいい、あれでまだまだ子供のようなものよ。
かさりと何か動く音がした。
フッフフ言うまでもないことか、邪鬼は手にした酒を半分口にして薄く笑った。
モクジ
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