タイヤキ
どしゃ降りにどしゃ降っている午後である。外に出たら最
後、ボンタンのスネ裏はドロ跳ねで酷い有様になりそうであった。
教室の窓から外を見ても、校庭に見える人影はほぼ無い。ほぼ、と言うのは今まさに教室に窓から入ろうと校庭を突っ切ってくる人影があったからである。
雨は春の雨で、ツンツンしたものではなくビショビショとだらしが無く降り続いて、湿気にかその人影は輪郭がぼけていた。曇り空のその灰色がどことなくうす
桃色にかげっている。
「ヒャー、濡れた濡れた、グッショリじゃ」
全身ズブズブに濡れた虎丸が窓枠からよっこらせ、と教室に入り込む。手にした靴から雨水がたちまち床へと滴った、掃除を言いつけられてはかなわんと誰かが
新聞紙を出してやった。
「悪いの」
「んで、虎丸よ。おめえはどこに行っておったんじゃ」
問いかけにいんやと答えた虎丸は早速そそくさとどこかへ向かおうとしている。昼食、食堂に姿を見せなかった虎丸にその質問は当然飛んだ。
「ちっとな、俺ハライタじゃから六時間目休むから頼むぜ」
短い返答を投げた虎丸は何か学ランの腹へと隠していた。普段前はおおきく開いたままの学ランを富樫がするようにピッチリとカラーまで閉じて、前かがみであ
る。
重ねてその腹は妊婦のようにぽっこりと膨れているので見たからに何か虎丸が隠しているのがわかる。
虎丸は小走りにしたしたと足音を忍ばせて、どこかへ向かおうかというところ。教室に居た塾生達は皆一様に顔を見合わせた。
「よう虎ァ、てめえなーに隠しとんじゃ」
さっそく親友の富樫が虎丸の後ろ髪をふんづかまえた、ギャッと身体と反対側へ頭が持っていかれて首がゴッキと音を立てる。虎丸はのけぞったまま逆さの富樫
の顔へあいまいな笑い顔を向けた。
「な、なんも隠しとりゃあせんワイ、へ、ヘッヘヘ、へ」
あいにく虎丸は嘘だとかごまかしという能力が極めて低く(これはほとんどの男塾塾生に言えることであるが、虎丸は中でも)その嘘ごまかしはたやすく破られ
た。拳骨でもって破られた、富樫の拳骨はきちんと手加減はされていたが根ががさつだ、ゴツンとやられて虎丸は傾ぐ。
「馬ー鹿、おらその腹ン中のモン出せ」
出ーせ、抜群の団結を見せた一号生たちが声を揃えて両手を差し出して虎丸に要求する。既に虎丸が隠そうとし、食事まで諦めたものとなれば食料品であること
は間違いない。唱和はしなかったものの、Jまでもがつられて右手を出していた。
「出せ」
「な、なんにもねえよ!」
富樫が一歩踏み出した。虎丸が一歩退いた。
「出ーせ」
「しつこい奴じゃ、ないもんはねえ!」
「…往生際の悪ィ野郎だぜ、おいやっちまえ!」
時代劇の悪人よろしく、富樫は右手を振り上げた。オオッ、と応えてたちまち塾生達は虎丸の学ランをひん剥こうと手を伸ばす。
「イヤァ、いや、いや、何なさるの!」
あくまでガッチリと学ランのボタンは死守しつつ、虎丸はナヨナヨとした声で悲鳴を上げた。伸ばしかけた手が気色悪さと後ろめたさに止まりかける、
「何が、イヤ、だ。きっしょく悪ィ声上げてんじゃねえ!」
しかし流石に富樫はひるまない、虎丸の襟首に手をかけて思い切り左右に開いた。ブチブチと弾け跳ぶボタン、ドサリと虎丸の腹から何か包みが床へと落ちた。
虎丸が腰を屈めるよりも早く誰かがサッとそれを拾った、桃であった。
「うん?何だこれは…ははあ、」
「か、返しやがれ!!」
「返すさ、ほら」
桃は虎丸が拍子抜けするほどアッサリその紙袋を虎丸の手へ向かって返した、しかし虎丸の手に渡る隙を狙ってトンビはその紙袋をかっさらう。
「ゲットじゃ!!」
富樫は取り上げた紙袋を勝誇って掲げ、友人達へ勝ち鬨の声を上げる。開けてみろいと誰かが言うのに従って、その紙袋を開いた。
「や、やめんかい!!」
虎丸の制止は誰も耳に入れない、袋を机の上に置いてその周りへ鈴なりになってたかる。
「…な、なんじゃこりゃ…」
「ううん、こりゃ…アンコ、か…?」
「うん…」
「……おう……」
大きな紙袋には、ぐちゃぐちゃの黄色に黒に茶色が節操無く詰め込まれていた。鼻にくる香りはたしかに小麦粉がこげたものと、アンコの日向に似た匂い。
虎丸はアーアと切ない声を上げて、とうとう白状した。
「タイヤキじゃ…はじめて屋台でアルバイトしたっちゅう子がおって、練習の失敗作まとめて百円で買ってきた」
「あー、あの角ンところのタイヤキ屋か…あそこババアが一人でやってなかったか?」
「知ってるぜ、孫だろ?カワイイ孫…あ、虎丸まさか!」
「うううううるさいわい!!なんじゃい!!形してなくたって食えるからって買ってきたんじゃ!」
ヤケになってか照れ隠しか、虎丸がそのタイヤキだかなんだか分からないもので一杯の袋に手を突っ込んだ。ズルリと引き出されたそれをそのまま口へ突っ込ん
でもぐもぐ。眼を瞑れば確かにタイヤキの味である、しかしタイの形をしていないので、今川焼きでも同じ味のはずであった。
形は悪いがそれでも甘いものに飢えた塾生達はそれへとワーッと群がった。
甘いなつかしいような匂いが広がる。
こそこそと部屋に戻ってきた虎丸は、大事に大事に懐から先ほどの紙袋とは違った紙包みを取り出した。まだあたたかい、虎丸はクゥンと鼻を鳴らす。
「潰れっちまわなかったかな…ヘッヘ、」
そうっと、そうっと開いた紙包みの中には、先ほどのタイヤキになりそこなったものと違ってきちんと尻尾と頭とウロコで出来たタイヤキがあった。
ちょいとばかしコゲが目立つけれども、これを百五十円で売って文句を言い出す奴はいないだろうと思われるできばえである。
目尻が下がった。虎丸、目尻が下がると途端にへにゃりと親しみが湧く。
別に虎丸、その看板娘が目当てというわけでもなかった。ただ目の前でひたすら不器用にタイヤキを作り続けるのを見ているうちに、生来のおせっかいが顔を出
して、違う違うそうじゃねえ、そこでクルンとひっくり返すんだアンコ多いぜ多いほうが嬉しいがハミでちゃあ意味がねえおいクルンとだよもっぺんやってみな
――最後には手まで出しながら出来たのがこれである。
不器用な看板娘はお礼にはいこれ、と言って虎丸に出来たばかりのタイヤキをくれたのだった。
少少もったいないような気はしたが、冷めてうまいものでなしと虎丸大口を開けてかぶりつきにかかる。
「…あ、」
ちょうど部屋へと戻ってきた伊達と目が合った。かぶりつこうとした口がそのまま動いて、
「や、やらんからな!」
と言ってしまう。伊達は一瞬何を言われたのかわからなかったらしく怪訝そうな顔をしたが、虎丸がかぶりつこうとしていたものに気づくと不機嫌そうに、
「…いらん」
短く答えた。不機嫌そうである。実際伊達は不機嫌でもあった、人を物乞いみてえにと口を結ぶ。
伊達は戻ってきた用も果たさずに再びドアを閉めて出て行ってしまった。
どうする。
どうする。
どうする。
虎丸はタイヤキ片手にすっくと立ち上がってドアを開けた。
廊下をベッタベッタと走り出す。
「伊達ェ!」
呼び止める。振り向かない、振り向かないのは予想済みだ。更に呼ぶ。
「伊達ー!」
呼び止める。振り向かない、振り向かないのは予想済みだ。追いついて伊達の周りをまとわりつく。
「…なんだ」
ハエでも周りを飛んでいるかのような、不快そうな顔の伊達が立ち止まる。虎丸は慌ててメチャメチャとしゃべりだす、身振り手振りと忙しい。
「しょ、しょうがねえなあ!やっさしー虎丸さまがタイヤキ分けちゃろうと思ってのう」
「いらんと言ってるだろうが」
伊達の眉がギュッと寄った。不機嫌そうな顔がなんともよく似合う男前に、虎丸は尚も言う。
「え、遠慮すんなって、ヘッヘ、アンコたっぷりじゃ、な、な、うまそうじゃろ」
虎丸はタイヤキをかざして上目に誘う。伊達はつれない。
「別に」
「……伊達ェ…」
虎丸の太い眉がしゅんとした。伊達の視線が横目にちらりとその申し訳無さそうな表情に注がれる。ため息を深くついて、伊達は虎丸の手からタイヤキを取り上
げた。あ、と虎丸が言うまもなく伊達はそれを半分に割る。いっそすがすがしいほどにアタマが大きく尾が小さい。伊達は当然アタマを取った。
「…貰ってやるよ」
ぶっきらぼうな物言いである。だがそれは何より伊達の照れ隠しなのだと虎丸は最近わかりはじめた。
「……へへ」
虎丸は丸い鼻を指で擦って、ヘヘヘと抜けた笑い。
虎丸はわしの小さい!と文句を言いながらそのシッポを貰って嬉しそうに齧る。伊達もずっしりと、多少アンコのはみでたアタマを頬張った。
直後屁をこいた虎丸の尻を伊達は思い切り、蹴る。
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