伊達臣人は肩で息をしながら、静かに混乱していた。
『ちくしょう』
視界いっぱいに広がる胸板がしっとりと汗ばんでいて、触らずとも湿り気を帯びているのが解る。
『ちくしょう』
伊達臣人は混乱していたが、また同時に混乱した自分が許せないでいた。腹の奥で悪態をつく。
『ちくしょう』
伊達臣人は、桃のこころがわからない。
「伊達」
目の前の胸から伝わる落ち着いた振動が空気を揺らして、伊達をやんわりとつつんだ。それが声だと気付いたのは、その音に安心している自分に気づいた後だっ
た。
「…」
なんとなく悔しいような気がして、伊達はむっつりと押し黙ったが、伊達の意に反して目の前の胸は楽しそうに揺れた。ぐぐ、と顔が降りてくる。この場にそぐ
わないくらい、爽やかなおとこ。
「桃…「考えをあててやるよ」
何か言い掛けた伊達の言葉を桃はやんわりと遮った。
「たのしい、だろ?」
桃は、いつもより少し昂揚した顔で、薄く笑う。くらりとするほどいい男だと、ぼんやり思う。
「バカか」
伊達は精一杯鼻で笑った。その、顔。伊達の頬を桃の硬い指がいとしそうに撫でる。伊達の頬を走る傷の微かな溝に指を這わせると、小さな突起に引っかかり、
感電したように、チリ、とした。
「きれいだな、伊達。おまえは…」
胸の奥がチリ、としたのは、多分気のせいかなにかだろう。
伊達臣人は、桃のこころがわからない。
桃のこころが何処にあるのか、もうずっと掴み倦ねている。だのに桃は伊達を知っている風で、なにもかも見透かした風で、それが心地よくて、こんな時は逆に
嫌になる。
「わかんねぇヤローだ」
こんな面見てよくそんな歯の浮く台詞が抜かせるもんだ。伊達があきれたようにそう続けると、桃は笑った。
「フ、フフ…。惚れた弱みってやつさ」
伊達が何かを言う前に、くちびるは優しくたべられた。
「…テメーのそういうところが、嫌いだ」
伊達臣人は、桃のこころがわからない。
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