住み替えの季節

こんな時期に不動産屋へ駆け込んでくる客ときたら、急な 転勤にヒィヒィ言ってるサラリーマンか急な合格にキャアキャア言ってる学生かどっちかだ。
それだってそうそういやしない、四月の不動産屋は少し暇なのだ。三月が忙しすぎたとも言う。
地元不動産屋がどうしてつぶれないか、そりゃあ地元の地主と仲が良かったりするからだ、現にウチはひい爺さんの代から不動産屋をやっている。爺さんは地元 の爺さん達といいきなもんで昼間っから銭湯、店番は自分ひとり。
誰がつけたかドアベルが、クマ避けのようにガラゴロ鳴ったので図面から顔を上げる。
さてさて学生かそれともリーマンか…

「部屋を探している」

…どっちだ。
ドアから入ってきた。
用件は部屋探し。

この二点からすればこの人は客なんだろうけど、学生ではなさそうで、リーマンではなさそうだ。ならなんだ、と言われても困る。
上半身は黒のタンクトップにズボン、ああまだあったかいって言っても四月だろうに、ちっとどっか弛んでんのかね。
タンクトップからの二の腕は剥き出しで、どうしてか包帯をグルングルンと巻いている。防寒だってんならちゃんと上着を着ればいいのに。
そして顔――半分っきゃ見えないけど顔色は死体みたいに真っ青で、やっぱ寒いんだよやっぱね、上着着ないからか。
半分っきゃ見えないってのは包帯をね、ちょうど腕に巻いたのとおんなじような、色は真っ黒な包帯を鼻より上半分に巻きつけているせい。
顔に包帯、病気でもケガでもなさそう、いわゆるその覆面という奴だ。
たとえドアから入ってきて、用件が部屋探しだろうと、警察を呼ばれたって文句は言えないと思うカッコウのえらい背高な男が入ってきた。
しかしまあ今のところ用件が部屋探しだって言うし、ドアから入ってきたのだし。
立ち上がって頭を下げた、いらっしゃいませ。

「いらっしゃいませ、さあさこちらへどうぞ」
「ああ」

覆面男へカウンターに備え付けてある椅子をすすめておいて、自分はデスクにちょうど広げていた図面を端をトントン揃える。
デスク横に備え付けておいたポットから茶碗へ湯を注ぎ、寿司屋から貰っている粉茶を匙で山盛り一杯。かき混ぜながら覆面男を横目に見た、覆面は大人しくカ ウンターに並べてある図面を見下ろしている。律儀にメモを持ってきていて、そこに条件か何か書き付けているようだ。
午後の不動産屋、カウンターには覆面男。シュールだ。

「一人暮らしですか」
お茶を出しながら正面の椅子に座る。覆面は茶をじろりと睨んでおいて、
「頂戴する」
えらく時代がかった返事をして茶碗を手に取った。と、その包帯でぐるぐる巻きにされた指先の、隙間っから素肌の色がチラと見えた。
紫だ。見間違えでなきゃあ間違いなく紫、それも山ぶどうの汁みたいなどえらく暗い紫。
なにか病気なのかも知れないな、そう思ったけれど客なら部屋を紹介するだけだと気を取り直して覆面の答えを待った。

「…できれば二人がいい」
ただそれだけを答えるにしては時間がかかったほうだけれど、なんといっても覆面男なのだからそれぐらいじゃあ不思議とも思えないような気がした。
「同棲で」
男がどもるくらいだから、ちょっとカマをかけてみる。普段であれば同棲ではなくて同居という言葉を使うんだけれど。
「………同居だ」
さっきよりたっぷり時間をかけてそう覆面は言った。はいはい同棲ね、幸せですこと。
頭の中で一人暮らし物件をサッとはぶく。見てくれは妙ちきりんだけど中は普通かもしれんね。
「はいはい、お二人暮し。ええと、アナタと、」
「俺、いや…私が仕える方だ」
仕える…いや、前言撤回、中身もオカシイわ。いつの時代だよ全く、春だからか。
とにかくこの覆面の仕えるご主人様か、そいつと二人暮しね。はいはい。で、同棲?ご主人様と召使の。ははぁロマンスだ、わかったわかった。
お嬢様と暮らす家を探したいが顔は出せないってワケね、なるほど修羅の恋ってのも楽じゃあないか。

「ははぁ、なるほど。それで…独立はお初めてで?」
「ああ」
「不動産屋も」
「ああ」
「そんならですね、まず、これだけは譲れないっていう条件を定めておくことですよ。例えば二階でないといけないとかね」
「…条件、そうだな…」
覆面は腕組みをした。第一印象でやせているかと思ったけれどよく見れば全体的に筋肉ばってて強そうだ、ああ強盗でなくってよかった。

「防衛庁が近いほうが良い」
「へ」
「防衛庁が近いほうが良い」
繰り返し言わなくても、言葉はわかりましたよ。ちっとばかり理解するのに時間はかかりましたがね。ええと、勤務地が防衛庁ね…面倒な言い方しやがっても う…ハイハイ。
「さようで、ここの最寄り駅なら大丈夫でしょう。そんなら駅から近いほうがよろしいでしょう」
「そうしてほしい。走って五分以内が希望だが、無理なら強くは望まない」

…走って、って希望された人も珍しいな。だけど重ね重ね覆面男だからね、驚くのも馬鹿馬鹿しいや。

「間取りはどうしましょうね、リビングと部屋二つぐらい…いりますか」
「俺の部屋はいらん」
「は」
「俺のことは構わん、だがじゃ…いや、主人のプライヴェートは守りたい」
やけに男はヴェ、の発音を滑らかに言って、こちらを睨んだ。ちょ、どうしてこっちが睨まれる…!
「ははあ、その、」
そのお嬢さまをとにかく大事にされてらっしゃると、ね。はいはい、そんなら1LDKでも…ってことでもいいんじゃないか。
「しかしその、例えば貴方がリビングで寝るとしても…例えばトイレとかお風呂とかのたびに必ず顔をあわせるでしょう。ちゃんとお互いが部屋を持つことで、 お互いのためにプライベートを大事にできるんじゃあないですか」
「……俺なぞ、天井裏にでも潜めばいい」
もともと隠密向きなんだ、そう覆面男は少し誇るように言った。
――ははあ、春だなぁ。
急に白ッ茶けた気がした。窓の外じゃ春の午後って感じで風が強めに吹いている、ああ後で物件チラシしまっとかないと全部かっさらわれちまうな。
なんだか相手をするのも面倒になってきたぞ、風呂から帰ってきて爺さんと鉢合わせるのもよろしくない。さっさと物件案内に行きたいところだ。

「まあそれでもね、部屋はあるといいですよ色々と。それに1LDKとかだと二人暮しできるところも少ないんで…とりあえず二部屋で考えてみませんか」
「それでいい」
「それなら…ちょっとお待ちください」
カウンターの下から分厚い台帳を引っ張り出してくると頭の中でつけたアタリの物件を探す、
「これはどうでしょう、二部屋にリビング、南向きですよ」
普段なら出し惜しむオススメ物件を開いて差し出す。ここは大家さんもあんまりうるさいこと言わないしね、いいでしょう。
「……む、」
身を乗り出す覆面。覆面の隙間から見える目つきは悪い、ああ恐い恐い。そのお嬢さんとやらもまったく物好きだ。
いや待てよ、磯のアワビの片思いって位で…お嬢さんが大学進学なんかでひとり立ちしようってところ、忠義心にかこつけて同居を親父さんにでも取り付けたん じゃあないか。有りうるなぁ。
「……悪いがこれは駄目だ」
「はあそうですか、ちなみにどこがお気に召さなかったんです?」
「ユニットバスだ」
「まあ気にされる方は気にするでしょうけどね、でも…」
「あの方を狭い風呂に入れられるか!!」

ドンッ!茶が跳ね上がるほどにカウンターテーブルを叩かれた。
ワァなんだよなんなんだよまったくもう、最近の若者ってなァあれだなぁもう、恐いなあ覆面だしなあ。
とにかくそのお嬢さんを大事にしたいってのはわかりましたよ、わーかった、噛み付きそうな顔で見ないで下さいね。

「はいはい、それじゃあね、こんなのは」

とっておき物件第二段。

「……幼稚園が近い」
「へ」
「幼稚園が百メートル圏内にある、これも駄目だ」
「はあ、そりゃあ、声なんかが気になるって方もいらっしゃいますがね、しかし」
「あの方が幼稚園児に大人気になったらどうするッ!!」

ドオンッ!!今度は台帳が飛び上がるほどにカウンターテーブルを叩かれた。
ギャア嫌だなぁ恐いなぁ、爺さんはやいところ帰ってきてくれないかなあ、いやそれでもお前は客の一人もさばけんのかって怒鳴られンのもアレだな、もう、ど うしろってンだ。
はいはいはいはい、そのお嬢さんが大変な子供好きで、幼稚園児に大人気になってしまうと自分との時間がなくなってしまうと。恋するあまりの、若さゆえの暴 走って奴かね。はいはいはいはい。


しゃあないね、これ。とっときのとっておき、本当ならお得意さんに紹介したいところだけど…

「これならどうでしょ、南向き、近所にスーパーもあって、風呂も広いし洗濯機置き場も室内、少し古いけれどその分作りは頑丈で」
「天井は」
「は」
「天井の高さは」
「そうですねえ、三メートル…ってところでしたっけか」
「あの方がそんなに小さく収まってたまるか!あの方は、もっと大きい!!」

拳を作って力説されてしまった。
もう言葉も無い。何、なんだって?大きい、はあはあ、三メートルより、え?いや天井はそらあ高いほうがいいでしょうけど、ねえ。
覆面男、フックメンは勝手に燃え上がっていく。

「大体、天井が三メートルということであればドアはもっと低いだろう、入り口すら入れんぞ。たとえあの方に人並みに小さくなっていただいても入り口がくぐ れないのならどうすればいい、あの方をバラして中で組み立てろというのか、ボトルシップか!」
「…ちなみにその方、身長はいかほど」
「およそ最大で十メートル」
「はェ!!?」
「………邪魔をしたな」




覆面男、フックメンは茶を飲み干すと出て行った。
「………どんなお嬢さんだったんだろう」



しかし後日、十メートルはないにせよ見上げるほどに、あたりの人々から図抜けて大きくご立派な『お嬢様』をともなってのご来店になるとは夢にも思っていな かった。
モクジ
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