玉座を目指す
「私、転校するんだ」
ありふれた別れ。しかし彼らにとっては唯一の別れ。
彼等の栄華、その象徴たるこの城で、女王はかすかに微笑んだ。
「ここに隠そうと思うんだ、やっぱりお城には宝物が必要だよね」
「ナイトは宝を守るのよ」
イチとロクは戸板を投げ出して、背負ってきたリュックから軍手をそれぞれ取り出して無言で手にはめる。
彼らが見知ったあの城とはかけ離れた内装に、気を引き締めているのだ。油断できぬと亡国の騎士二人、顔を合わせて頷いた。
「さっきのトゲといい、ここに新しく入った奴って随分なヤツだな」
ロクが口を開くと、イチは慎重に頷いて、
「よく見るとほら、隅隅まできれいに掃除されてるだろ?これは一人や二人が住んでるんじゃないな…少なくとも主人と、それからメイドみたいなのを雇ってる
に違いないよ」
まさか彼等、覆面アサッシンとマッシブダンディが割烹着で掃除しているとは思いもしないでいる。そのバケツの水を先ほどの独眼鉄が走り替えているとも思っ
ていない。
「喉渇いたら言ってくれ、ジュース持ってきたから」
相変わらずの準備のよさに、ロクは笑った。歩みゆく先に小さなドアが見える、そのドアに関しては以前彼らが幾度も潜り抜けたものとなんら変わりないように
見えた。
「せーので行くぞ」
上ずったロクの声に、イチが押し留める。
「待て、同時に飛び込んで、何があるかわからない」
そんなイチの冷静さがじれったく、ロクはその忠告を聞きいれずドアを靴底で蹴り開くとそのまま飛び込んだ。飛び込む先が暗闇だというのにその背中には迷い
が無い。
「行くぜ!!」
その直後、イチが慌てて追いかけたのとロクの悲鳴が上がるのとは同時だった。
ロクが何かに脚を取られてもがいている、なんだろう、駆け寄ろうとしたイチのその鼻先へ鉄格子が天井から滑り落ちてくる。イチの背後でドアがひとりでに閉
ざされた。
「ワッ」
「イチ!おい、ちっくしょうなんだコレ!脚が!」
暗闇の中でロクが混乱に喚いている。つんとした匂い、コンクリだ、それも速乾の。イチは即座に判断した。
「フフフネズミどもが掛かりおったわ…」
ぞっとするような冷え冷えとした声が、回廊の一番奥から届く。二人はハッとして動きを止め、奥へと眼を凝らす。
真っ暗闇だと思っていた回廊の奥に、何かオレンジに揺れるものがある。それが蝋燭の火だと気づいたのは同時だった。
そしてそのオレンジが大きく揺らぐ、隣を誰かが通り抜けたのだ、それに気づいたのも同時だった。
声の持ち主が通り抜けたのだ、考えるまでも無い。
「貴様等、ここが新鎮守直廊と知って入り込んだのか?フフフ…」
陰鬱な男が暗がりが蝋燭の明かりに照らし出された。薄べらかな唇には酷薄そうな笑みが浮かんでいる。
少年達は息を飲んだ、男の肩にはおびただしい数の小さな蝙蝠達が留まってざわざわと羽音を立てていたからであった。
男はロクからちょうど5メートル程度のところまで近寄ると、肩の蝙蝠たちと同じように肩を震わせて笑う。
ぼうっと廊下にともされた青白い光が、男の顔を浮かび上がらせていた。
「……フフフ脅えてやがる。貴様等がここを抜けるためにはただ一つ、廊下の一番奥の蝋燭を消す事だ」
「何!?」
ロクが声を上げた。およそ15メートルはあろうかという廊下の火を、どうやって消せと言うのか。それも足元を
「出来ぬのならばこの、我が友、蝙蝠達の夕飯になってもらうとしよう」
腕組みをしていた腕を、翼のように大きく開いた。と同時に蝙蝠達が心得たと言わんばかりに男の周りに飛翔する。
蝙蝠達が歯をむき出しにしたのが、青白い明かりにきらきらと光った。
生理的嫌悪がロクの顔を歪めた。ひっ、と喉の奥が鳴るのを蝙蝠男は心地よさそうに聞き流す。
「うわあああッ!!」
「ロク、落ち着け!ロク!」
鉄格子に取りすがってロクへ落ち着くように促すが、ロクは腕をぶんぶん振り回すだけ。
必死にイチが鉄格子の隙間から手を伸ばし、ロクのシャツの襟首を捕まえるがそれが精一杯。
「やめろ!オレ…コウモリダメなんだ!こっちへ来るな!!」
そうロクが喚くと、ますます蝙蝠男は嬉しそうに笑って、一歩また一歩と蝙蝠をまつわりつかせながら近寄ってくる。
ロクはますます震え上がって、来るな来るなと繰り返す。そう言われ蝙蝠男はますます近寄っていく。
とうとう男がロクの目の前へと立ちはだかった。ロクはうつむいて頭を抱えている。
「やはり子供か、フフフ邪鬼様の元へたどり着こうなどと十年早いわ…」
男が右手を軽く上げた、蝙蝠達をけしかけようとしているのだ、それは誰が見ても明らか。
「……行け!」
その瞬間を狙ってイチが鋭く言葉を放った。同時にロクの身体が一旦沈む、膝を曲げて、上体を低く。
ふくらはぎまでコンクリ漬けになっていた足に筋が浮かぶほど渾身の力を込め、地面を蹴りつけた。前へ!
不思議な事にコンクリは普通の水と変わらぬ柔らかさでシャバシャバとロクの脚からほどけていく。後ろを振り向かずにロクは男の横をすり抜けると前へと飛ぶ
ようにして駆け出した。
「ヌッ!?これは、どういう…」
男がたじろぐ、その一瞬の隙が貴重だ。イチが祈る、ロクの背中へと男が向き直った。一拍遅れた後、先ほど振り上げたままの右手を振り下ろそうとした。
「行け、我が友……ッ!!?」
言葉は最後までつむがれなかった。蝙蝠男の顔面にボコンと軽い音を立てて蓋を開けたままのペットボトルがぶつかる。ペットボトルからは甘い香りのフルーツ
ジュースが飛び散って男の顔面をしとどに濡らす。
「こら!さっき、パイナップルをやっただろうが!こら!!俺の、顔をッ、舐めるな!こら―っ!!」
たちまち蝙蝠達はきゃっきゃと可愛らしい声を上げて男の顔面へと群がる。その群がり方は蝙蝠嫌いな人間が見れば卒倒ものだろうが、案外ほほえましくもあっ
た。
男が黒山となっているその間にロクは蝋燭へと取り付いて、フッ!と鋭く息をかけて吹き消した。
「よォ―――しッ!!」
勝利の雄たけびと共にロクが腕を振り上げる、イチが軽く右手を上げて応じた。ロクは軽やかに駆けて鉄格子の向こうのイチと、それから蝙蝠と戯れている男の
元へ戻る。
「貴様、どうやってコンクリートから抜け出した…」
蝙蝠に顔を舐められながら男が低くすごんで見せた。だがいかんせん蝙蝠に群がられているので最初暗闇から出てきたときほどの恐ろしさは感じない。
二人は顔を見合わせ、
「…オレもわかんねぇ、イチ、何したんだ?」
当のロクがイチへと尋ねた。イチははにかんで笑いながら男の足元へと転がったペットボトルを指差す。
「知らなかった?そこのジュース混ぜただけ。砂糖がわずか0.05%入り込んでもセメントは硬化しないんだ」
「へぇえ」
感心したようにロクが大きく頷いた。更にイチは男にじゃれつく蝙蝠達へ視線をやり、
「それにあのコウモリ、吸血コウモリじゃない、フルーツなんかを主食とするコウモリだよ。海外ではペットにされるぐらいかわいいんだって」
男が低く唸った。右手を壁へとつく。どうやら何かしらのシカケがあったようで、ガラガラと鉄格子が天井へと戻っていく。
コンクリを避けてイチがロクのもとへと駆け寄ると、男がフフフと笑ってみせた。
「よく見破った。しようがない、先へ進むがいい。だがな、この一番奥に誰がいらっしゃるか貴様等は知らぬだろう」
「ああ、知らねぇ」
「この奥におわすのは我らの王だ、ここで引き返すのをすすめるがな」
「ここまで来て戻れっかよ、行くぜ、イチ」
「うん」
ロクとイチは扉へと駆け出した。
薄暗い部屋に、二人の息遣い。
マフィアのボスが膝に乗せるのは毛足の長い猫だが、男塾の帝王が膝に乗せるのは眼光鋭い腹心であった。
別に無理強いをしているわけではないが、ともかく膝に影慶が横ずわりになり、時折戯れを口にしながら侵入者達を眺めている。
邪鬼の指が不意をうって触れるたびに影慶が身をよじらせ、その様子にまた邪鬼が笑う。
出来上がったばかりの味噌汁の匂いが漂う邪鬼の部屋で、影慶は割烹着をかなぐり捨てて邪鬼の厚い胸板へうっとりと身を任せていた。
「ほう、蝙翔鬼を突破したか…」
「ならば、次は…」
「次はディーノか、奴め、やりすぎなければよいのだが…影慶、」
「はっ」
「後で様子を見に行くがいい、食事は後だ」
駄賃とばかりに降りてきた唇をこめかみへ受けて、影慶は彼の主君のオーダーへ頷いた。
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