節分奇憚

あるところ、信濃の国伊那の里、緑濃い国のその中でもと りわけ山深いところに一軒の家があったそうな。
山奥なのでだーれも訪れるものなんぞありゃあせん。だというのにその家は古いながらもたいそう手入れが行き届いて、雪に押しつぶされずにきちんと建って おった。
その家に住んでいるのはジイさんとバアさん。二人ともかなりの年じゃった。
暮らし向きは良くはない、というより貧乏ではあった。けれどジイさんもバアさんも根が明るいもんで、大して辛い思いもせずに暮らしておったそうな。

「はて、バアさん」
ジイさん、いろりばたで湯のみを手に首を傾げる。
「なんじゃ、ジイさん」
バアさん、いろりばたで秩父菜の漬物を摘みながら聞き返す。
「ワシゃあ、いくつに、なったかいのう」
ジイさん、のんびりと尋ねる。
「わたしの、二つばかり、年上でしたわいなあ」
バアさん、ぼんやりと答える。
「はて、バアさん、いくつじゃったかいのう」
ジイさん、再び尋ねる。
「ほほ、ジイさんの、二つばかり年下でしたわいなあ」
バアさん、再び答える。

息がぴったりと合って、歩みの速さも同じ程度。まったく似合いの夫婦じゃった。
夫婦は今でこそ二人っきり山奥にこもっておるが、娘もおった。これがまったく可愛い、良く出来た自慢の娘で、
「あの子は、元気かいのう」
「あの子は、元気ですとも」
二人の会話のほとんどはこの娘の話に始まるのがほとんどじゃった。
この娘何年か前に出稼ぎにこの山奥を出たっきり、手紙の一つも寄越さん。心配になるのも道理じゃったが、
「まあ、大丈夫じゃろうな」
「ええ、大丈夫ですとも」
呑気な夫婦で、まあまあ大丈夫ということになっておった。






ある節分の晩は三日も降り続いた雪のせいで、戸を開けることすらままならぬ夜であった。
魚を取りに行くのも、炭をしまってある洞穴にとりに行くのも、屋根の雪を下ろすのも、なにもかもできぬ三日間である。
「やれさみしや」
ジイさんがぽつりと言った。バアさんよりはやく答えたのは腹の虫である。
「さみしや」
バアさんの声が、沈んで言った。バアさんに続いてみきりみきりと鳴ったのは雪の重みに耐えかねている柱である。
「今日は節分じゃが、うちに果たして鬼なんぞおるんかいな」
「はて、うちにそんな方がおりましたかのう」
ジイさん、ぽそぽそ熾るいろりへ乾いた手を差し出しながら首を傾げた。
「おりましたかいなあ」
バアさん、すっかり白湯みたいになった茶を一口。
ううん、と大きくジイさんが唸った。
「鬼がおるんなら、話し相手になってもらいたいくらいじゃ」
「はいなあ、さぞ楽しいでしょうなあ」
バアさんは手を叩く。
どれ、とジイさんが立ち上がった。手に空の茶碗を持って、手に握るそぶりをした。毎日の飯にも困っている、投げられる豆なぞありはしなかったのだった。
「娘も帰ってこんのに福もないわい、それ、福は外ォ」
ぱららら、と豆の落ちる音は続かない。ジイさんはいろりの周りを回りながら豆を投げるふりをした。
バアさん、手を叩いて笑う。
「あれ、ジイさんたら。まああの子がいないのに、福なんてありませんわいなあ」
「そうじゃとも、ほれ、鬼は内ィ」
「ほほほ」
「はは、鬼は内じゃ、鬼は内、」
「なんにも無いうちですけれど、どうぞお入りくださいな」

すっかり楽しくなってしまった二人は、声を揃えて、
「鬼は内ィ」
と囃した。
と、


「もし――」
すたすたと、戸を叩く乾いた手袋拳の音がした。
ジイさんバアさん、顔を見合わせる。
「鬼ぞ」
ジイさんが声を上げた。バアさん、立ったままのジイさんの袖を引く。
「鬼」
「鬼ぞ」
ジイさんが戸へと声をかけた。
「やあれどうなされた、こんな夜更けに」
「声に呼ばれて参った。雪に迷ってしまったので、どうか一晩泊めて欲しい」
戸の向こうからは若い男のものらしい声がした。雪の唸る音はもう聞こえない。
「それは難儀じゃったのう、どれバアさん、泊めて差し上げよう」
「はいなあ」

ジイさん、戸をからりと開ける。戸の外は膝の丈くらいにまで雪が積もっていて、そこに男が半ば雪だるまのようになって立っていた。
「助かりました」
目の窪んだ若い男で、顔立ちは端整。バアさんが思わず華やいだ声を上げた。
「仲間と、それから主人もおります」
その言葉の通り、その男の肩越しに年の頃同じばかりの男が三人ほど雪の中に立っているのが見えた。
そして、

「あれ、」
バアさんが腰を抜かした。ジイさんも、
「なんと、」
開いた口がふさがらない。
その全部で四人の男の奥に立っていたのは、山の入り口の年経た糸杉よりもなお大きな、雲に手が届こうかという大男であった。
夫婦二人顔を見合わせて、
「鬼ぞ」
「鬼じゃ」
とささやきあう。しかし年をとると中中豪胆になっているのか感じなくなっているのかはわからぬが、
「そこの御仁よう」
と、ジイさん外に走り出てその大男へと声を張り上げる。もともと鬼でも呼ぼうとしていたところ、本当に鬼が来たところで驚くまでのことでもない。夫婦は腹 を決めたのであった。


「…何か」

返ってきたのは聞いただけで声が若返り、血も熱くなろうかという力強い声であった。

「うちは見ての通りのボロ家じゃ、泊まっていただきたいのは山々じゃが、戸をくぐれますまいよ」

「問題ない」

あっ、というまのことである。今の今まで天を突く程の身の丈が有ったはずだった。だというのに本当に一瞬のうちにその姿が形を変えて、

「これで良かろう」

大男は大層立派な、獅子のように立派な髪の毛と堂堂とした威容の青年へと変じていた。
これにはジイさんとバアさん、声も出ない。








まあどうぞ、と家に上げ、白湯のような茶を出す。
「ほんに申し訳ないのう、この雪で食べ物もままなりませんで」
立派な男は首を横に振る。そして隣に控えていた、一番最初に声をかけた男に何か命じる。
と、一番最初の男は背負っていた荷物からありあわせの携帯用の食料を取り出し、台所を借りる旨を述べた。
台所からほどなくして久しぶりの暖かい湯気がただよってくる。きのこや干した竹の子、それから凍らせた餅など具が煮えた鍋は味噌で仕立ててあった。
「おや、若いお方」
ジイさんが何かに気づいた。若いお方、と言ってもほぼ全員が若い男であったので顔を誰もが上げる、が、目の落ち窪んだ男が自分だろうと聞き返す。
「…何か」
「その腕、どうなすった」
見れば男の腕にはきつく包帯が巻かれた上、料理するには邪魔っけだろうに更に袋をかぶせてある。
「私の触れたものを、邪鬼様に召し上がっていただくわけにはまいりません」
きっぱりと述べるその若者の声は静かであった。ジイさん、これはさぞかしこの大男は名のある鬼の若子なのであろうと見当をつけた。
その鍋の中にはなんとイノシシの肉も入っていて身体が大層温まる。皆で火を囲みながらその鍋の汁をすすった。
甘辛い味付けに鼻に通る湯気すらうまいようであった。


みきりみきり、みき。
「ん?なんだこの音は」
髭を生やした、たくましい鬼が声を上げた。いかにも鬼らしい顔をしているなとバアさんは思う。
「これは雪の重みで、家のつぶれる音でございますよ」
「そりゃあ大変だ」
見たこともない面白い髪型の鬼も言った。隣に座っていた、目元の涼しい鬼も頷く。

「雪が酷くて、屋根に上がって下ろすこともできやしないのです」
ほう、と鬼の頭目は頷く。また隣の従者らしき鬼にささやく。

「炭もそろそろ、底を尽きますのう」
「あれ、炭をしまってある洞穴の前に岩が落ちてきてしまってなあ」

「岩」
「熊ほどもある岩で、びくともせんのですわ」
「ほほ」



鬼達は自分達から色々としゃべることはなかったが、ジイさんバアさんの話を聞いてくれた。
人数分の布団がないため、茶を振る舞い話をする程度しかジイさんバアさんにはできないからである。そのもてなしを鬼達は受けた。

「娘に一目会いたいのう」
「会いたいですわいなあ」

娘の特徴を事細かに聞かれ、聞かれるままに話す。
話しているうちに、ジイさんもバアさんも眠気がうとうととしてきた。腹も膨れていたところである。
うつら、
うつら、

「鬼は内ィ、じゃ」
「鬼は内ィ、ですわいなあ」











次の日目覚めてみるともう鬼達はいなかった。
雪も止んでいる。ジイさんバアさんあれは夢じゃったかいのうと揃って首を傾げたが、確かに湯飲みも並んでいるし、鍋も出ている。
きらきらまぶしい外に、久しぶりに二人は出た。鬼の名前を知らぬ、が、
「鬼さんやあい」
「鬼さんやあい」
と大声で呼びまわる。
「あれ、ジイさん!!」
バアさんが屋根を指差す。見れば屋根の雪はすっかり落ちていて、家の背丈が伸びたようにも見えるほどであった。
「やれ、バアさん!!」
ジイさんが炭をしまってある洞穴を指差した。見れば洞穴の前に落ちてきていた大きな岩は粉々に砕けている。そしてその横に、ノコギリで切ったとはとうてい 思えぬような切り口の薪がどっさりと積んであった。切り口が滑らかで、均一な高さに切りそろえられた薪である。

ジイさんバアさん、抱き合って喜んだのは言うまでもない。
さらに、

その三日後、金に品物をどっさりつみこんだ車に乗って、
「見上げるように大きな殿方に、言われたのよ」
と娘が帰ってきたのだから驚きである。荷物はその殿方に貰ったものだと言う。
ジイさんバアさん、泡吹いて仰天したのは言うまでもない。


ジイさん曰く、
「あれは鬼なんかじゃあねえ、きっと福の神様だったのよう」
バアさん曰く、
「お導きってのはあるものですねえ」
ジイさんバアさん、そして娘。

三人は山奥で仲良く暮らしましたとさ。


モクジ
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