得したのは伊達
ちょっと付き合えるかと富樫が言った、そこまでは良い。
誘い方に飾りも工夫もない、正面突破の文句であったが富樫にしてはまあ上出来と言うべきである。
待ち合わせの場所も指定したのである、ますます富樫にしては上出来である。
なにぶん同じ屋根の下に住んでいるのだ、待ち合わせも何もなかろうなどと言い出すのが普段の富樫であった。
待ち合わせという単語にまるでロマンを感じない男が、じゃあ昼十二時きっかりに裏門のところでと飛燕に告げた、大変に結構である。
飛燕は冷たく、
「ああわかった」
とだけ答えたが内心は春めいて、頬が次第に薄紅を匂わせて熱を持ちひんやりとした手のひらで冷やしてもしばらくは落ち着かなかったほどである。
(富樫が、)
(約束だって、)
(…私と!)
飛燕の心は綿毛のごとく浮かんだ。身体だってふわふわと軽い、あんまり浮かれるとバレてしまうかもしれぬとピシャりと頬を叩いて口を結ぶ。
結んで開いて、頬を打って、結んで。
口元はいくら飛燕が気をつけてもほころんできてしまう。
(まあ、いいでしょう。…富樫!)
うふふ、と目を細めて笑いながらとっておきの簪で、髪の毛をくるくると首筋から跳ね上げた。唇へとワセリンを塗る、塗らずとも十分にツヤもあったし荒れも
なかったが小指ですっと丁寧に伸ばしていると声がかかった。
「飛燕か、どうしたんだ?」
「ああ月光、いえね、まったく面倒なのですけれど富樫に付き合ってほしいと頼まれてしまって…」
「富樫が?何かろくでもないことじゃないのか」
「そうかもしれませんね…しかし断りきれなかった私がふがいないのですから」
「飛燕…お前は人が良すぎるな、まあそこがお前のいいところなのだけれど」
「フフッ月光、私も楽しんでいるんです」
「そうか、じゃあ」
「ええ」
飛燕は月光の忠告に笑って、盲目の彼へと手を振って別れた。
「ぷはっ」
虎丸は顔を真っ赤にして空気を懸命に吸い込んでいる。ぜえぜえと肩を上下させて息苦しさを減らしながら、どんと伊達の胸を拳で叩いた。
「な、にすんじゃ、っきなり…」
飛燕が月光と話していた。
それを見たので、よう飛燕、と声をかけようとした。
それだけに過ぎない。
それを校舎の壁にいきなり背骨が砕けようかという勢いと激しさでもって背中から叩きつけられ、その上呼吸をする上で必要な器官を隙間なくふさがれた。
その手段が手のひらではない。
「てめえが悪い」
虎丸を壁へと張り付けにしたのは伊達臣人である。虎丸の肩を右手と左手が押さえたのだ、ならば口はどうやって塞ぐ、
「チューしたかったんか」
唇しか残っていない。伊達は虎丸をじろりと横目に睨むと汚れたとでも言いたげに唇を手の甲で拭った。
「馬鹿が。てめえを助けてやっただけだ感謝しろ」
「助けたっちゅうのはどういうこっちゃ?チューしたかったんと違うんか」
「ちったぁ自分で考えろボケ」
「やっぱチューしたかっただけと違うかのう」
尚もチューチューとうるさい虎丸の顎を伊達は右手で頬ごと掴んだ。タコのような顔になった虎丸の突き出された唇へまたしてねじこむようにして伊達は自分の
唇を重ねる。再び虎丸の身体は壁へとめり込むほどに押し付けられた。
「も゛お゛ー!!」
字に起こすのが困難な唸り声というかくぐもった絶叫を上げて虎丸は暴れた。伊達は構わず角度を変えて唇を合わせる、隙間が生まれるたびに濁った声が途切れ
途切れに漏れいづる。その声が完全に力を失うまで、殴っていた拳がクタクタと伊達の肩へと落ちるまで伊達は続けた。
(後でお前は俺にきっと感謝するぜ)
伊達は密かな確信を持っている。しかしタダで教えてやるのもシャクだと思っている、伊達臣人は安くないのだ。
密かな算段をめぐらせている伊達と壁との間で虎丸は鍋底の牛スジ、とろけっちまってクッタクタである。
富樫は時計を睨んだ。
腕時計などあるわけもない。校舎にくっついている時計を目を細めて睨む、視力は獣並みとは言わないが抜群によろしい、待ち合わせの時間はすでに五分過ぎた
ことが知れた。
「飛燕の野郎、襲ェなぁ…」
ただでさえ先ほど伊達がやってきて虎丸も伊達も駄目だといわれてしまったのだ。桃はハナから見当たらない。
頭数が丸ごと二人も減ってしまったので富樫はがっかりと肩を下げて学帽のつばを捻る。
「富樫、待たせたな」
待った?ううん、今来たとこ!
そんな会話をしようとちょっとばかり遅れた飛燕は、富樫の格好を見て悲鳴を上げた。
「なんだその格好は!!」
そんな格好。
額にはハチマキ、どうやら桃から分けてもらったらしいハチマキには赤々と『リョーコ命』と書きなぐってある。
学ランは喉元までバッチリ襟を閉じて、たすきがけ。
右手にはまっ黄色のメガホン、メガホンにもしっかり『リョーコ命』と書いてあった。
「と…」
富樫、といおうとした飛燕の顔が強張った。取って置きの簪についた房飾りがしゃんしゃんと微かに波打つ。
「今日商店街に荻野リョーコちゃんが来るんじゃ!!そんでこの横断幕をな、曲が始まったと同時に二人でもって横へズダーッと開いて、って、」
得意げに説明をし始めた富樫の首筋へ鋭い鶴嘴千本が突き刺さった。
酷く冷たい、二月もかくやの冷え切った瞳の飛燕はその場に声も出せずに倒れ伏した富樫の頭をぼかりとやって、
それから、肩へ担いで連れ去った。
この場合富樫に一つ幸せ、不幸中の幸いがあるとすれば、最初から伊達と虎丸も誘った事が飛燕に知れていないというこの一点につきる。
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