乱取り

あっためてやるよ、と言ってくれた彼氏ですが、
彼氏のほうがよほど低体温でした。
【岐阜県より】



電車に乗って座席が空いていた。自分が降りたい駅まであと三十分以上もある。車内は空いていて、他に客もそんなにいなかった。
虎丸は自然な動作で腰を下ろす。虎丸が出社する時間帯は通勤ラッシュとは少し外れているためほぼ毎日座ることが出来る、春の日差しが窓をすり抜けてとろと ろと当たるのが心地よい。
と、隣に腰掛けていたOL風の三十手前といったところの女性が突然立ち上がった。次の駅で降りるにしても早すぎる、座るなり眠りかけていた虎丸は肩が勢い よくぶつかって思わず下がりかけていた分厚い瞼を持ち上げる。
「………」
虎丸の姿を女は恐ろしい顔で睨み下ろしていた、かわいいと懐かれ撫でられこそすれ、睨まれたのは久しぶりである。虎丸が目を開けたのを見るや女はフンと鼻 息も荒く車両を移動していった。
おっかねぇのう、虎丸は口には出さずに呟いた。突き刺さりそうなヒールを鳴らしての後姿がどうも腑に落ちず、空いた右隣ではなく左隣へと目を向けた。
左隣は杖を手にした老人であった。虎丸がそちらを見たのと時を同じくしてその老人も立ち上がる。さきほどの女のように斬り付けるような目はしていなかった が、皺に埋もれた目は悲しそうな、恨みがましいものであった。よたよたと老人は、別の車両へと移っていった。
「……なんじゃい」
さっきの女だけならば、痴漢に間違われたということもありうる。しかし老人もとなるとそのセンもなくなった。
首を捻り捻り、とうとう目的駅まで眠ることあたわず――ということはなく、今日も虎丸は一駅寝過ごしての到着となった。
「おう、おはよーさん」
受付の女の子も。
「おはよー」
同僚の営業も。
「おーす」
後輩も。

やたらと皆よそよそしい。
春になって上着を脱ぎ、薄手になった事務服の女の子達が遠巻きに虎丸をひそひそやっている。
虎丸は自分の机でほんの少しシュンとなった。普段わいわいと賑やかしいオフィスで一人のけものにされているようであった。
孤独になれていない男である。だからこそ大騒ぎもするしスキンシップ(女の子相手ならセクハラ紛い、男相手ならドツキ)も激しい。
遠巻きにされてしまうととたんにいつもの元気も萎れてしまって、ただ鼻の下を擦るだけになってしまう。近づけば逃げられてしまうというのは虎丸にとっては 恐ろしいものなのである。拒絶もそうだが、いつしかそれが無関心になることを思うと冷たい汗がひやひやと背中を滑る。
午前中、結局虎丸に自分から話しかけてくれた人はいなかった。


午後の始業一番。
「虎丸ッ!」
オフィスの一番奥、一番大きな机から高い声が飛んだ。耳に突き刺さる鋭い声に虎丸はピャッと飛び上がる。慌ててボサボサの髪を整え、声の出所へと走る。腹 がクゥと小さく鳴る、一人きりの昼飯はちょっとばかし味気なくって、牛丼一杯にとどまったせいであった。

虎丸が机の前にたどり着くやいなや細い眉を逆立てて、ファンデをそぎ落とす勢いで怒鳴ったのは事業部長である。
三十八歳にして独身の女で、キャリアウーマンと女傑と冷酷無慈悲と後しかめっ面の事項を辞書で引くとこの女が出てきそうな、という外見。
「エヘ、なんですかのう」
「虎丸」
女帝、と呼ばれている。女帝はたっぷりとした椅子に背中を預けたまま腕組みをして絶対零度の眼差しを虎丸へ向けた。
オーコワ、虎丸はよせば良いのに小さく呟く。すぐさまギロリと女帝に睨まれて首をすくめた。
「あったかくなったな」
女帝は瞼を伏せたままそう言った。女帝の席の後ろは大きな窓で、女帝のきつく結い上げられた黒髪はいかにも熱をもっていそうに見える。
「そ、そうじゃ、いやソウデスネ」
「女子事務社員も先週から春服だな?」
今度の言葉は疑問系をとっていた。わずかに女帝は背もたれから細い身体を前のめりに上げて、眉をしかめる。不機嫌そうな顔をさせれば天下一品、この鉄面皮 がどうして営業が出来ていたのかはこの金融会社の七不思議にも数えられていた。
「へへ、春の女の子のスカートは薄くって、チラリ、ヘッヘヘ」
ようやく正面から話しかけられたことが嬉しくって、ついつい目じりを下げた人懐っこい笑顔で虎丸は馬鹿を言った。
「………お前も、衣替えだな?」
女帝は一瞬恐ろしく馬鹿を見る冷たーい顔をしたが、額を押さえて疲れたように尚も言う。
「イッチョウラです!」
一張羅、確かに入社のときに値切りに値切った一張羅である。色は派手なほうがいいと思ってストライプキワキワの春めいたグレー。
「………なるほど、確かに一張羅だ。去年お前はそれ、ほぼ毎日着ていたな?」
「はい!」
「…………虎丸、私は犬ではない」
「へぇ?」
女帝がナニを言いたいのか皆目見当も付かない。
「犬ではない、しかし私の鼻が許せん許せんと言っている」
「えへっ?」
「く・さ・い・ん・だッ!!!」
後れ毛一本許さずにきっちり結った頭かきむしりながら、キィィと奇声を上げて立ち上がった女帝。カッカと虎丸の側へと歩み寄った女帝はその足をスカートの スリットが許す範囲で振り上げて、思い切り尻を蹴っ飛ばした。
「きゃん!」
「去年のまんま、しまいこんでやがったな!クリーニングに出さんか!!」
ついついアダになるサービス精神。虎丸はかわいらしい悲鳴を上げて飛び上がった。その様子はとてもおかしいもので今まで遠巻きにしていた社員達もついつい アハハと笑い顔をのぞかせる。

その笑い顔を、乱れた結い髪をめぐらせて女帝は睨んだ。女帝の睨みはメズーサ、誰もが固く凍りつく。
「朝から見てりゃあナンだッコソコソヒソヒソ、つまらんことやってるんじゃねぇッ!」
女帝、一喝。あまり知るものは居なかったが彼女はチャキチャキの江戸っ子であった。
「おう小さェことやってんじゃねえぞアンポンタン、こちとら馬の目抜く街金だけどな、仲間ぐらいは大事にしろい!」
社員達は恥ずかしそうに目を伏せた。虎丸に目でチラホラと「ごめんな」を言って席へと戻っていく。
わぁったら仕事!
女帝の一喝に虎丸、無言で一礼をした。
尻を押さえながら。

尚、この日虎丸の机にいつの間にか供えられたものを挙げておく。
ようかん×6本
栗ようかん×2本
カップめん×4つ
オニギリ×4つ
カップハルサメ×2つ
こんにゃくゼリー×1袋
ワンカップ×1つ

虎丸、それらを抱えてジーンときている。
みんな、みんな、いい奴じゃのう!
あんまり嬉しかったので屁をこいた。

「虎丸ーッ!!」
女帝の罵声が、今日も響く。








がらがらぽんぽん、ぺけぽんぽん♪
なんの歌かはわからないが、なんとなく虎丸はそのマヌケな音を繰り返してみた。
「がらがらぽんぽん、ぺけぽんぽん♪」
がらがらぽんぽん、ぺけぽんぽん♪
「がらがらぽんぽん、ぺけぽんぽん♪」
その音が鳴り続いているのを律儀に繰り返しながら虎丸はそこへ洗濯物を入れていく。
タオル、タオル、手ぬぐい、シャツ。
シャツ、シャツ、シーツ、ズボン、タオル。
虎丸の今住んでいるアパートは築三十年の中中根性が入った木造モルタル。共同の洗濯機はアパートの廊下にあったが壊れてしまった。
壊してしまったというのが正しいか、虎丸の名誉のために記しておくが壊した本人は虎丸ではない。同じアパートに転がり込んできたかけだしヤクザの友人が壊 してしまったのである。家賃は払えねえ、出世払いだ。そう大家に言い出したヤクザは追い出されるどころか用心棒代わりに居住を許されていた。
確かに治安があまりよくない地域にそのアパートはあったが、駆け出しヤクザがこのアパートに住める理由は他にあると踏んでいる。
その理由つまり顔である。駆け出しヤクザは顔が非常によろしかった。
『洗濯物をいれたら、フタをしめてください。洗濯物をいれたら、フタをしめてください』
ぺけぽんぺけぽん、ぺけぽんぺけぽん♪
先ほどまでとは違う音に、間延びした電子音声。虎丸はあたりを見渡す。
「アッ、もうそろそろか…あっとっはー」
虎丸、洗濯物を入れてきた袋代わりのシーツを放り込む。ここまで歩いてきた姿はまるきり昭和レトロな泥棒である。
ここ、コインランドリーであった。
春の金曜日の夜九時現在、コインランドリーは無人である。仕事帰りには多少人の入るコインランドリーではあったが、明日の土曜明後日の日曜にやればよかろ うと金曜日の夜は人が集まらないものらしい。
誰もいないのをいいことに虎丸はスーツの上着を脱いだ。放り込む。
ついでベルトを抜いてズボンを下ろす。脱いだズボンを鼻先へと近づけてクンカクンカ、嗅いでみた。
「うっ…」
さすがの男塾育ちである虎丸としても顔を背けたくなるような異臭がする。会社帰りの電車も人に避けられながらであったのも仕方がないことであった。
そのズボンも放り込んだ。虎丸の頭に洗濯表示を見るという項目はない。クリーニングという項目もあるのかないのか分かりづらい。
一度に洗わないと小銭がもったいない、それだけで虎丸は上下スーツを放り込んだ。
『洗濯物をいれたら、フタをしめてください。洗濯物をいれたら、フタをしめてください』
ぺけぽんぺけぽん、ぺけぽんぺけぽん♪
「はいはーい、閉めますよォ」
フタを閉めるとランドリーはううん、ううん、と体を揺さぶって動き出した。

パンツ一丁になった虎丸は、プラスチックの青いベンチへ腰を下ろした。ぶるる、一つ身震い。春とはいえ夜は少し冷える。
コインランドリーの蛍光灯の光へ蛾が一匹まとわりついているのが春らしくあった。

コインランドリーに虎丸は一人。











駆け出しヤクザは九十リットルの真っ黒いゴミ袋へ服という服、タオルというタオル、シーツを入れて夜道を歩いていた。
駆け出しヤクザはタバコが吸いたい。しかし目的地に灰皿があったのを思い出して今のところガマンをしている。
夜道である。街灯がぽつぽつと等間隔にともっていて駆け出しヤクザこと伊達のおそれる夜ではない。
あと二つ街灯をやり過ごせば目指すコインランドリー。駆け出しヤクザに給料日があるかといえば難しいが、ともあれ伊達は白い封筒を今日得ていた。
その封筒には一万円札が何枚か。スナックのママが用心棒に支払ったものである。
「焼肉でも食うか」
ハレの食い物としてはやはり焼肉である。伊達も若い、若い体が肉を求めていた。そして焼肉ならば、
「あの馬鹿も誘ってやるか。…無論ワリカンだ」
一人で行くのは寂しいものである。伊達は同じアパートに住んでいて大家を紹介してくれた同窓のつながりまゆ毛を思い出す。
飯だ飯だとそのまゆ毛の家のドアを蹴っ飛ばすも不在の様子であった。呼んだら居ろよと理不尽を呟いておき、伊達は溜め込んでいた洗濯物を思い出したのであ る。
そうしてコインランドリーにたどり着いた伊達は、ガラス戸の向こうで寒さに震えるまゆ毛を見つけた。
まゆ毛こと虎丸、伊達を見つけるなり顔を明るくした。水ッパナ垂らさんばかりであるが。
「だ、だって…」
このだっては伊達、であった。寒さに震える虎丸に伊達は、
「バーカ」
と言ってやる。
「だって…」
これはだって、である。伊達は虎丸を横目にフタを開けてポケットの小銭をチャリンチャリンと食わせてやった。

がらがらぽんぽん、ぺけぽんぽん♪
がらがらぽんぽん、ぺけぽんぽん♪
明るいメロディに伊達は、持ってきた黒いゴミ袋からタオルやらシーツやらを放り込む。その背中に…
「伊達、あったかいのう…」
背中にぴったり、ほぼ裸の虎丸は身を寄せた。やたらロマンチックに呟いた虎丸の腹へと伊達は無言で肘を叩き込む。
「おぶっ」
体をくの字に折り曲げて苦しむ虎丸へ、春の夜の冷たさなど冷たさのうちに入らないほどの視線を投げる。
「なんだって裸なんだ」
「だって、金勿体ない…」

がらがらぽんぽん、ぺけぽんぽん♪
がらがらぽんぽん、ぺけぽんぽん♪

伊達はちょっと迷った。実は今着ているシャツは非常に、伊達の言葉で言えば、
「ダンディズムに反する」
匂いがする。もう一日ばかり着たら匂いが臭いへと変化しようかというところである。今着ているジーンズはまだ大丈夫だと判断が付いた。

ガタガタ震える虎丸は膝を内側にして体をくねらせている。鍛え方が足らないと厳しい批判を胸のうちで行い、伊達はシャツを脱いで放り込んだ。

「下ァ、いいんか」
「まだいい」


『洗濯物をいれたら、フタをしめてください。洗濯物をいれたら、フタをしめてください』
ぺけぽんぺけぽん、ぺけぽんぺけぽん♪

伊達はフタを閉めた。虎丸の横というより備え付けの灰皿の側、青いベンチへ腰を下ろした。すぐさま虎丸が暖を求めて擦り寄ってくる。
「くっつくんじゃあねえ鬱陶しい」
人通りはほとんどなくなったとはいえガラス戸である。夜闇の外からでも見られないとは限らない。
「人肌が、恋しいの」
「うるせえ」
ぴったり寄り添う虎丸をうるせえと言いはしたが、肘で突き放したのは一度きり。その後は顔を背けて気づかない振りを伊達は続けた。






春の空は癇癪もちである。突然ゴロゴロピカリとうなり出したかと思えば、太い雨をざんざんと落とし始めた。あまりに雨の弾幕が厚過ぎて視界がどんどん不良 になっていく。
同時に気温も次第に下がりだした。夜も深まっていき、これ以上気温が上がることはなさそうである。
「ウウウウ」
虎丸が耐え切れずに震え上がった。伊達も裸の上半身に寒さを感じている。伊達はここに来る前に流しで髪の毛を洗っていたせいもあり冷えの周りが早い。
「冷えるな」
伊達もタバコをねじり消してぽつりと呟いた。右側へばりついている虎丸の震えが伝わる。ちらりと伊達が目線をやれば、厚い唇も震えているのが見えた。
思わず伊達は虎丸の肩を引き寄せた。すでに密着以外に言いようもないほどに寄り添っている、しかし伊達は意思表示としてその肩を抱く。
虎丸の鼻先が伊達の頬にくっつきそうである。
「…伊達」
虎丸がすん、と空鼻をすするのを聞きつけた。虎丸の肩はひどく冷たく伊達の手のひらへと感じられる。冷えた人間の体は伊達の辞書ではそのまま死体へと結び つく。肩の丸みを掴む指へと力を込めた。
伊達が虎丸のほうへと向くと目がかち合う。つながりまゆ毛のその下でどんぐり眼がまたたいた。唇の震えは止まっていない。
「ガタついてんじゃねえ」
その時伊達は、虎丸の唇を自分の唇であっためてやりたいとかなりかわいらしいことを思う。
「そーいやおめえ、おれンことスキスキーだったっけ」
伊達の気持ちを読んだか知ったか、虎丸はそんなことを言い出す。
「馬鹿」
馬鹿、の切り返しがやたらと早い伊達である。


そんな言葉をさらりとまるで聞かなかったことにして虎丸はオッシャと立ち上がった、裸で。
そして裸の両手で手招きをして、

「そんなら俺もお前もちょーどハダカじゃ、やろうぜ!」

そう大声で宣言した。白白しい蛍光灯がぱちんと蛾を弾く。伊達は思わず取り出していた二本目のタバコを落とした。平静を装いながら立ち上がった。
外を見る、雨が煙となっている。外を見る、用心深く見る、人通りはない。外を見る、用心深く、遠くまで見る、誰も誰もいない。
伊達が小さく唇を舌で濡らして虎丸へと腕を伸ばした。


「はっけよぉい!!のこったァ!!」


虎丸得意のがぶり寄り。正面から受け止めた伊達は思いっきり虎丸を入り口のガラス戸ごと投げ飛ばしていた。雨に虎丸のパンツがぐしょ濡れとなる。
ガラス戸を直しながら俄然虎丸の頬に血の気がさす。

「よっしゃ、もう一番っ!はっけよぉい!!!」

二人はその夜、汗だらけになって裸の体をぶつけ合った。
体がすっかりあたたまっても、深夜の乱取りは続く。







ぺっぽんぺっぽんぺっぽんぽん♪
『洗濯が終了しました!またのご利用、お待ちしております!』
ぺっぽんぺっぽんぺっぽんぽん♪
『洗濯が終了しました!またのご利用、お待ちしております!』
ぺっぽんぺっぽんぺっぽんぽん♪
『洗濯が終了しました!またのご利用、お待ちしております!』
モクジ
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