空より来たる、奇術師曰く
「スニーカーってのは良くねえ」
良くないと言われても困る、私は本当に困ってしまった。上司が何をもってスニーカーを良くないと言い張るのかは知らないけれど、不器用な私にとってスニー
カーが無いと駆け回ることも難しいのだ。それを上司は知っているだろうに、何を言い出すのだろう。私がよほど面倒そうな顔をしていたようで、上司は言葉を
追加した。
「ハイヒールは、いい」
スニーカー<ハイヒール→スニーカーやめて、ハイヒールにせよ。そう上司はおっしゃっていると、そういうことだ。
私は書類を黙々と片付けていく。出張が増えた、上司は出動だッとウルトラマンか何かのように張り切って飛び出していくが、その分室内には内勤業務が取り残
される。山と積み上がった業務をこなすのは、私だ。上司は既に居心地よいソファに長々と寝そべって上機嫌、頬が少し赤いのでもしかしたらどこぞで一杯やっ
ているのかもしれない。
私は黙々と書類を片付けていく。スニーカーでも構わぬとかの大豪院邪鬼長官がおっしゃったのだ、上司が何を不満に思っているかは知らないがここは無理を通
させてもらいたいと思う。
「それもピンヒールだ」
私は黙々と書類を片付けていく。ウエッジソールとガレッジセールの区別もつかぬ私にまさかピンヒールを持ちかけてくる人がいたことにも驚く。そして何よ
り、
「私、十六センチ追加したら二メートルなんですけれど」
「そりゃあいい」
ソファの肘掛に乗っかった靴下の裏が私に向けられたままバタバタとおかしそうに上下した。ソファの側には脱ぎ捨てたつま先の細い革靴がきちんと揃えられて
いる、もちろん上司が靴を揃えて脱いでソファに寝そべったわけではない。私が揃えて差し上げたのだ。そして靴を揃えた私の足元をちらりと見た上司が発した
言葉が、例のスニーカー云々である。
「お前がニメートルになったら、俺も底上げがいるな」
何がおかしいのかわはははと笑い声を立てる上司。ソファが追従するように軽く揺れた。私は笑わない、笑えない。身長二メートルになったらますます買える服
がなくなってしまう。あるのはモデルが着るような南国の鳥や熱帯魚のような派手派手しい服ばかり、シンプルで日常着るような服とは縁切りになるだろう。今
はほぼ通信販売である。私は再び黙った。
「おい、ピンヒールだ」
何がおい、なのだろう。
「無理です」
「どうしてだ」
わざわざ体を起こして聞くようなことではないと思うのだけれど。
「歩きにくいですから」
「よしわかった」
…何がよしわかった、なのだろう。
後日目玉がどこかに行きそうな製作費用をかけて作られたという謳い文句の、真っ赤なピンヒール【軍事用】が自分のデスクに乗っけられていた時の驚きといっ
たらない。
経費か自費かをすぐに考えてしまうあたり私はどこまでも役人である。それからヘァだのギャウだのの悲鳴をみっともなく上げて羅刹上官に泣き付くと、
「あれは足が好きなんだ」
答えにもならないような返答。私は呆然とその箱を手にうろうろと辺りを熊のように落ち着き無く動き回った。突っ返そうにも受け取るような男ではないことは
知っている、だからお礼の品として茹でた豚足を一キログラム贈った。
真っ赤なピンヒール、ドラァグクイーンだって躊躇するような派手派手しいそれ。
それはたったの一度も履かれることはなくデスクの引き出しにしまわれ続けている。
まさに地獄絵図だ。私はスニーカーの紐を結び直そうとしゃがむ。しゃがむ直前まで窓の下で繰り広げられていた一方的な戦いに唾を飲んだ。
羅刹上官が突然土中から現れたと思えば、特殊金属で作られた盾を障子に指を立てるようにしてやすやすと指で穴を開けていく。混乱に陥り悲鳴を上げて逃げ惑
う彼らを一人一人羅刹上官は追い詰めて、確実に首筋へと手刀を叩き込む。首筋を打たれた彼らはその場にくったりと倒れ伏して、そのまま動かない。
「力加減あやまてば、死は必定…フッフフ」
唖然としている私へ、楽しげに腕組みをした大豪院邪鬼長官は言う。恐ろしいことを言わないでください、確かにそうでしょうけれども口に出して言うと言わな
いとではだいぶ違います。
「見たか」
この方の問いかけはいつもこうなのだ。何を、と聞き返す自分が愚かに思えるので必死に頭をめぐらせる。
「……死天王の方はそれぞれ、得意分野があるように思えます」
「ほう、言ってみろ」
心臓が跳ねる。そこへもって上司のイビキと羅刹上官に倒された誰かの悲鳴が聞こえる、平静を保つことは難しそうに思われた。
「まず、影慶上官ですが…諜報や…その、潜伏しながらの暗殺向きだと思います。また、羅刹上官は防御の堅い相手への攻撃に長けていらっしゃるかと思いま
す」
「ふん、それで」
「その、センクウ上官は――」
センクウ上官と尋ねられて、はたと舌が止まる。
私は今、上司以外の方が戦うところを見たことが無い。
「それで、どうした」
からかいの色がどうも、私を見下ろす声には滲んでいるように思う。部下の恥は上司の恥、ここは考えどころだ。
「まだ、拝見したことはありません。が、奇襲奇策を用いられるのではないかと、思います」
まったくの想像にしか過ぎない。私の回答の良し悪しを言わないまま、大豪院邪鬼長官は廊下へと出た。私も追って廊下へと出ていく、廊下の窓からは裏庭が見
下ろせる。そういえば裏庭の警護はまったくしてないことを思い出す。一つ開いていて、寒気をすらすらと通している窓へと近づいて、外の様子を覗こうと顔を
出しかけた。
と、首の後ろを乱暴に掴まれた。そのまま、後ろへと掴まれる。掴んだのはもちろん大豪院邪鬼長官で、じかに触れられたのは初めてだった。だが、184セン
チもある私の首根っこ掴んでそのまま後ろへと無造作に投げることが出来る力を持っていることはわかった。予想外だったということもあり、私は壁に背中から
叩きつけられる。壁がきしむほどの勢いだったので、おそらく大豪院邪鬼長官もとっさの手加減が甘かったのだろう、身体の中から息がたたき出された。
「っぎ、は…ッ」
息が出来ない。跳び箱に失敗した少年のように、息を吸おうにも吸えない。正直胃の中のを吐き出したくなるくらいの衝撃ではあった。が、無様なことはできな
い。腹を抱えるようにしてうずくまり、膝をついて立ち上がる。唾液のこぼれかけた口元を拭って、普段の顔に仕上げる。
息の乱れを殺しながら立ち上がって見せた私に、大豪院邪鬼長官は、
「愚か者、」
と一言言い捨てた。指先を窓の、先ほど私が顔を出しかけたあたりへ伸ばす。
タ、
「え?」
何も無い空間に赤い液体が生まれて、滴った。いや、下へ滴ったのではない、横に滑るように滴が移動する。
あれは、血液、
「―――糸?」
「そうだ、さすがに刃鋼線ではないが…これとてうかつに突っ込めば首が飛ぶ」
ジンコウセン、というものに聞き覚えがないが、とにかく私はすんでのところでギロチンを救われたのだ。私は言葉も無い。急に震えも戻ってくる。
「―あ、あの」
指が、長官の、指が、
「先ほどの話だ、自分の目で確認するがいい」
こちらの血の気が引きそうな私の謝罪と感謝を、ほんの些事だとして受け入れてはくれないまま、大豪院邪鬼長官は窓辺に立って下を覗くように顎で示す。この
流れから言えば、正面突破が難しいと踏んだ相手は戦力の何割かを裏庭へと割くだろう。そして、そこに微笑みすら浮かべて立つのはおそらく――
「センクウ上官――」
正確に言えばセンクウ上官が窓の下、裏庭にいたわけではなかった。ちょうど私と大豪院長官が覗き込んだ窓の真下に立っている。
立っている、というのも間違いではあった。浮いている。比喩でもなんでもなく空に浮かんであった。
「う、浮いて―」
私の声ではない。うっかりにも正面突破部隊を陽動にしたというのも忘れてしまって声を上げた、裏庭部隊(仮)の一兵卒のものだ。
私の心臓は次第に落ち着きを取り戻していく。よく考えれば上司にやれと言われて下水に投げ入れられたこともある。
落ち着け、その一言のたびに息も整う。
「邪鬼様、裏庭はこのセンクウにお任せ下さい」
浮かんだまま、センクウ上官はぐるりと首を曲げて振り向きながらこちらを見上げた。大豪院邪鬼長官は頷く。
「こちらの全ては貴様のものだ、好きにするがいい」
「ありがとうございます」
言うなり、裏庭でセンクウ上官を見上げてわあわあと騒いでいる部隊へ目掛け金色に輝く頭から急降下していった。高さはほとんど三階、天井が高い造りなので
一般から見
ればマンションの四階程度の高さのあるところからまっ逆さまに落ちていく。
「落ちた!!」
悲鳴のような声が上がる。
一部隊の真ん中に吸い込まれるようにして落ちた、そう私の位置からは見えた。その直後私の認識が間違いであったことに気づく。
地面に激突する直前何かしら、例えば透明なバンジージャンプのゴムや命綱などどこかにつながれていたらしいものがセンクウ上官の身体を支えたのだ。衝撃を
その見えない糸
もしくはロープへ吸収させてしまうと両手を逆立ちをするようにして地面へとつく。
敵陣の真ん中だ、鋼線に気をつけながらも私は思わず身を乗り出す。が、上がったのは悲鳴だった。腕で体重を支えながらその足(一瞬だけれど、何か武器の
ようなものを仕込んでいたのが見えた)で円形になぎ払った。円形に男達が崩れ落ちる。
「死天王一華麗で多彩な技を持つ男、センクウ――久々に見せるか、その足技を」
「鋼線を張り渡した上に立っていたということですか?」
恐ろしい体重移動とバランス制御だ。
「そうだ、実際は刃鋼線という鋭い金属の糸を使う。体重のかけ方をあやまてば、奴自身が真っ二つにされる」
私にそう説明する大豪院邪鬼長官が子供のように見えた、そう言ったら誰に縊り殺されても言い訳できない。だが影慶上官や羅刹上官、そしてセンクウ上官との
戦いを見ている最中の大豪院邪鬼長官はどこか純粋で素直だと思うのだ。
俺も、早く行きたい。
試合か何かで先に自分の後輩が活躍しているのを散々に見せられ続けて、エースでキャプテンである自分も早く出場したい、そんなところだろうか。そわそわし
ている、しかしキャプテンが落ち着かなくては示しがつかぬ。
『あの方の可愛げと言うものだ』
影慶上官、貴方のおっしゃること、確かに分かりました。
「キャーッ!!」
女のような悲鳴を上げながら柏木が磁石で反発するように飛ばされていく。馬鹿、馬鹿、悲鳴なんか上げたら気づかれるだろ!オレは扇風機の羽より何倍も速い
回転で持って頭を蹴り上げられた柏木が地面にドウと倒れたのを見た。見た、と思ったら次は澤田も頭を蹴り飛ばされていく。普通蹴るって言って頭を蹴るなん
て思いつかない、だのに今も今空から降ってきたこいつは、逆立ちで身体を支えながら俺たちの頭をやすやす蹴っ飛ばしていく。ストリートダンサーがこんなダ
ンスをしていたっけ、ああ塚原!
既に五人やられた。残りは二十人弱程度。隊長だった島田さんが一番にやられちまったらそれこそ烏合だ。大層な装備持ってても役になんか立ちゃしねえ。
「どうするんですか砧さん!」
「うるっせぇ聞くな考えろバッカ、おいビビってんじゃねえ、囲んで潰せ!!どうせ訓練だ!」
オレの声に残ってたバカどもはヒヤリとした顔をした。訓練だって誰よりナメきってたくせに、いざ始まったら死にそうな顔しやがって。
「囲め!ラグビーぐらいやったことあるんだろうなヒヨッ子ォ!!」
誰かが吠えた。
おおおおお、
誰かも釣られて吠える。
おおおおおおッ、
逆立ち奇術野郎に向かって誰もが飛び掛っていく、オレも飛び掛る。そいつを押しつぶそうと飛び掛ったオレの手が、奴の身体にかかったと思った瞬間。
どうしてか、まったくどうしてか地面に組み伏せられたのはオレだった。
上からどさどさと積もってくるのは新兵達だ。重い!
「アッ、ま、また跳びましたよ砧さん!!」
「砧さんは?」「いなくね?」
「てめェらの下だ下ァッ!!どけ!!」
「あっ」
新兵が慌ててオレの上から退いていくその動作もどうにもトーシロだ。もっとまわりに気を配れよ、そう言ったらきっとお決まりの「だって訓練」だろう。
言うだけムダだ。死ぬ目にでもあわなけりゃきっとなおらねえ。
「訓練だと侮っていると、死ぬことになる」
頭上も頭上、オレの頭のはるか真上でそいつは冷えた目を光らせてそう言い放った。冷えた目っていうのはよくは見えなかったが、声があんまり恐ろしく冷たい
んでそう勝手に想像する。
「弱いのなら弱いのなりに、全力で死に物狂いに向かって来い!」
厳しい声だった。逆立った金髪がまぶしい、顔は逆光だが怒りに燃えた顔ってやつか。
「む、無茶言うなよう!!ばけもの!」
オイオイどこのお坊ちゃんだ――、まあいきなり空飛んで来たかと思えば誰も彼もを蹴り飛ばし、最後に再び空へと戻ったんだ。まあ無理もねえか。
「貴様等はつまらん、もっとあの男のようにがむしゃらに向かって来ればいいものを」
あの男、ってのが誰だかわからんが、とにかくオレらはその直後降り注いでくるバラに襲われることになった。どこに隠し持ってやがったんだか、そのバラとき
たら棘が鋼鉄出来てて歯になっていやがった。
バラの次は、コマ?人をバカにしてやがる。ヨーヨーみてえな糸つきコマがかっ飛んできて殴り倒していく。バラにコマ、ふざけた野郎だ、ふざけた!
「痛い!」
「血が出たァ!!」
あんまり恥ずかしい悲鳴を上げて逃げ惑う奴等から顔を背ける。と、庁舎の窓に人影が見えた。畜生お前らが親玉か、目の前が真っ赤だ。
無我夢中で転がっていたピンポン玉程度の石を握る、手には特殊金属で出来た盾も警棒も、背には一応ペイント弾だけど銃だってある。だというのにオレが手に
したのは石ころだ。笑えてくる。渥美が倒れた。もう倒れてねえ奴を見つけることも難しい。
とにかくその石を握って力いっぱい振りかぶった。歯を食いしばって投げつける。
石が窓に吸い込まれて、人影が窓から消えたのだけを見た、当たった。どうだバッカヤロウ、へっへ、見たか。
オレはコマを顔面に食らって、その場に転がった。誰かの体の上だったせいか、冷たくはなかった。
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