私の王子様
好きになった子がタイプって言え!
言うんだ!
【埼玉県民】
飛燕が富樫と付き合っている。
色々と、社会的にも倫理的にも道徳的にも、色々と問題はある。
しかしこれは前提にしていただきたい。
飛燕はご存知のように大層な美人、それも触れればひんやりとしていそうな、玉の如き麗人である。
対して富樫、下品で粗暴で粗野で助平、顔も傷跡のせい以上に荒れた雰囲気のせいで野良犬のように見える。
見た目からしてこれだけの違いがある、人の好みというものは人がいるだけあるので一概に二人がつりあっていないというわけではない。
だいたい持ちかけたのはどちらだったのかと言えば、飛燕からなのである。しかしその事実は広く知られてはいない。
いつの間にやら、富樫がうまいことやったということになっている。
だからどうして富樫がうまいことやれたのかまっこと不思議だ不思議だと首を傾げるものも多かったし、なにぶん美人の飛燕である涙したものも多かった。
「どうして、あんな、富樫なんか」
そう、なんか呼ばわりされる富樫に飛燕が心から惚れているのだから世の中うまいこといっている。しかし、飛燕が富樫に心から惚れていることを知っているこ
ともあまり知られていない。
だから、
「富樫、お前の顔…もう少しマシにはならないか。見るに耐えない」
「テッ、テメ、俺の顔見るなりどういうこったよ!!オイ!」
「うつくしくない、むしろ、みにくい、そう言っている」
「ち、ちっきしょう言ってくれるじゃねぇか、俺のどこがブサイクじゃ!」
飛燕の左手、繊手だとか、白魚だとか、とにかくかよわくてひらひらとしたそれが不意に富樫の頬に触れてそっと滑る。富樫はいつ飛燕がポケットから手を引き
抜いて最終的に自分の顎を捕まえたのかわからないまま、煮えそうな眼をぐつぐつと飛燕へと向けて睨み、黙った。
「ここに剃り残しがある」
薄く硬い爪がそっと顎の下に残っていた髭を摘んだ、いくら剛毛とはいっても細いそれを爪だけでシッカと摘み、外見からすれば驚くべき強さでもって引き抜い
た。ブッチ、と微かな音がして、富樫はのたうつ。のけぞった富樫を飛燕は微笑みすら浮かべて見守っている。
「イッデェ!!」
飛燕が視線を向けた教室の窓の外は風が強い、日差しは日増しに強く長くなっているが風のせいでさほど暖かくは感じられない春の日であった。
校庭の表面を風が大きく巻き上げて黄色い土煙が起こっている、飛燕はそんなことを思いながら爪の隙間に残る富樫の髭をフィと息を吹きかけて飛ばす。
抜かれた本人同様白い毛根も丸々と、立派に太い髭であった。
「飛燕!おい、コラ!」
富樫が涙目で飛燕の肩を掴む。掴んだ、と思ったのは富樫だけで実際富樫の熊手のような手のひらが掴めたのは空気のみ。飛燕は身軽にすり抜けて廊下へと歩き
出す、富樫は前のめりになりながらそれを追う。
「富樫、お前私の顔をどう思う」
後ろ手に手を組んで背中を見せたまま飛燕は問う、足取りは春よりも軽やかで普段ギィコラミッシとやかましいはずのボロ廊下はまったくの沈黙。富樫はその後
ろからギッギッと廊下をきしませて追いかけながらその問いに一瞬立ち止まる。
「ケッ、おきれいですね!って言や満足かよ」
「そう私はきれいだ」
否定も恥じらいも無しに受け入れて飛燕は歩みを進める、立ち止まった富樫を振り向きもしない。富樫はなんとなくそのまま歩き出して追った。
「富樫、私とおまえはなんだ、どういう関係だ」
「か、関係って…そのアレだ、相棒って奴だろうが」
「相棒…お前にとっての最大級の愛情表現だないいだろう。そうとも私とお前は相棒だ」
富樫は何か物言いたそうに生来尖がっている上唇をますます尖らせた、飛燕の物言いに口を挟むと後が恐い、富樫にも学習能力というものはある。
廊下をずんずんと進む、飛燕は自分のペースで、富樫はぎこちなく進む。終点は昇降口、戸締りというものを知らないそこからは今が一般世界で盛りの桜色が覗
けていた。
「相棒というのはお互いが支えあうこと」
「ったりめえだろ」
「それはお互いの力が余りに離れすぎていては出来ないな」
「…まーな」
富樫は苦い顔をした。女のような顔をしたこの相棒は物言いもきついし時折鼻につくようなこともあったが、実力は十分に持っていた。自分があの時相打ちに持
ち込めたのも運の力が大きく作用していたということは認めざるを得ない。痛いところを突かれたというのが正直なところであった。
「…フッ、お前に実力がないと言っているわけではない」
飛燕は振り向いた。からかいや嘲りの色はどこを見ても探ってもない、心からの笑みである。
「…うるせーな」
富樫は不機嫌である。髭も抜かれたし、なんだか色々けなされた。振り向いた飛燕の背後、昇降口から吹き込んでくる埃くさい風に目を細める。
「お前しか私の相棒はいない。そうだろう?」
「………」
細い髪の毛が背後より吹き込んでくる風にあおられて、富樫へ手を伸ばしたようである。ふわりと広がって笑っているようにも見えた。
「だから富樫、私と並ぼう、いや、並んでくれ」
「あん?」
「私の理想とまでは無理は言わない、だが人並みの顔になってくれ」
「………」
さあ薬局に行って石鹸を買って来い、このメモに書いてある、まずは洗顔から始めよう――
飛燕はメモを手渡すとあっけに取られて物も言えない富樫の背中を強風の校庭へと押して送り出した。外へ出るなり長ランの裾が地面と平行になるほどあおられ
る、しかし学帽は飛ばない。科学の現代に喧嘩を売った男はそれでも律儀に飛燕が言うまま、歩き出した。
一度振り向く、
手でも振るかな、
それとも中指でも立てるかな、
飛燕は何が飛び出すのだろうと首を傾げて待った。昇降口にある下駄箱に肩を預けてもたれかかる。足元が黄砂やら砂埃やらでじゃりじゃりとしていた。
「おい飛燕、てめえのさっき言ってた、理想ってのァよ」
富樫の校庭じゅうに響きそうな、底抜けに大きくてがさがさ荒れた声。
「ああ」
ああ、と飛燕は小声で呟いた。頷いたのはきっと富樫へも見えている。一号生筆頭や屁こき野生児ほどではないにせよ人間離れ、いや動物じみた視力をしている
男であった。
「理想の男ってナ、俺だろ!」
そう堂堂と、芯から信じきっている笑顔で富樫はがなった。大口開けてがなった拍子に砂を吸い込んだらしく、ツバを吐いたのが飛燕のもとからは見える。
見えるには見えた、汚い下品だと咎めるのが常、しかし出来ない。
言葉をなくして、飛燕は下駄箱に預けていた体を浮かせて、棒立ちになっている。
顔は一瞬白く、それから赤く咲く、勢いよく血の気がのぼっていく、前髪を頬へと急ぎかぶせた。富樫は既に去っている、飛燕はあたりの気配を探った。
ざり、
誰かが砂埃をにじる音、飛燕はそちらへは顔を向けない。血の気が下がったかどうか、耳へ髪の毛をかき上げる仕草を装って耳たぶを確かめた。
「あいかわらずでけぇ声だ、塾内全部に聞こえたぜ」
下駄箱の陰から現れたのはハチマキもまぶしい一号生筆頭、剣桃太郎である。フッフフ、と涼しい笑いを頬にのせて飛燕へと歩み寄ってきた。
「ええそうですね、それもあんなに馬鹿馬鹿しい…」
「事実だろう?」
「……っ、」
違ったか?と微笑む桃に悪意なぞひとかけらもなく、ただ尋ねただけである。
飛燕の頬に下がりかけていた血の気は再び戻り始めた。
尚余談であるが富樫が買ってきたのは緑色の洗濯石鹸であった。泡立てて洗うと油気を根こそぎ持っていくためしばらく富樫の顔がばりばりとなるけれど本人が
まるで気にしていないので問題はない。
「馬鹿!」
四月の、志月のことであった。
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