額に肉って書いてやる!

深夜じゃなければもう少し張り切ったか、それは考えない ようにしたほうがいい。
深夜男根寮に響き渡った絶叫は、暑さのために眠りの浅かった彼らの鼓膜を直撃した。
「と、富樫が…死んでる――!!!」
やあれやあれ、
またかよう、
あいつも飽きねぇなぁ、
何度目じゃったか、
アーアア、起こされちまった、

慣れっ子になってしまった面面、面倒そうに食堂に集まった。
一人桃だけが懸命に、事切れてしまった富樫の肩を揺さぶって名前を呼び続ける。
桃の揺さぶり富樫はされるがまま、がくんがくんと揺れる。しっかりはっきり死んでいる、見慣れた場面に死が安い。なにか特筆すべき事があるとすれば、普段 富樫の男気とやらで頭にガッシリくっついていた学帽がコトリと力なく床に落ちた事くらい。
「富樫!富樫!死ぬな、死ぬんじゃねぇ、富樫――!!」
わふ、狼のようなアクビを一つした虎丸は相棒にしては薄情な事を言う。
「なあ桃よう、ほっときゃそのうち生き返るんだからその辺に転がしとけや」
「虎丸!富樫が死んでいるんだぞ!?」
桃はドン、と食堂のテーブルを叩いて怒った。
そんな様子を見た面面は、毎度のことなのに本気になる桃はいい奴だなあ、と改めて一号生筆頭の懐のでかさを感じたのだった。
とりあえず富樫の身体は食堂に置いておくわけにもいかないので桃が担いで部屋に戻り、明日また!そういう話になった。





誰かが打ち捨てたぬいぐるみは、捨てられても確かに仕方が無いような不細工さだった。
犬がモチーフらしいということはわかったし、鼻も目も耳もちゃんとついていて決して犬から欠損しているわけでもない。
だがどうしようもない不細工であった、ぬいぐるみという愛玩のための道具に生まれたのが不運としか言いようが無い。
打ち捨てられたぬいぐるみは今、富樫であった。
先ほど富樫がぬいぐるみに、ぬいぐるみが富樫になった。
(う…動けねぇ…)
白い犬のぬいぐるみは居酒屋にあって震度一でも感じ取れるほど過敏な人であればわかる程度に、かすかに動いた。
(ふ、踏まれでもしたらタダじゃすまねぇぞ!どうするんじゃ)
何しろ転がっていたのは塾の廊下である、富樫が言うのもナンであるが荒くれ者のガサツ揃い、下も見ないで駆け回る男達ばかりだ。
よじ、根性でもってぬいぐるみの脚を動かそうとヤッキになる。どうして自分がぬいぐるみなのか、今自分の身体がどうなっているのか、その辺りは後で考える とした。割り切りの良いところは富樫の美点である。
よじ、根性だけでは脚は動かない。なにしろぬいぐるみである。詰まっているのは綿だけ、動くはずも無い。
だが富樫は根性に根性を積み上げて、よじよじと脚を動かした。深夜の男塾廊下でこんな熱戦が繰り広げられているとは誰も気づくまい。
しかし廊下の端までたどり着いたとて、どうなろうか。そのあたりを考えない富樫は幸せである、たどり着いてから考えればよい。
富樫源次とは、そういう男であった。良く言えば今を生きる、悪く言えば行き当たりばったり。
そんな男で、それがいいのだと言う男が居るのだから世の中上手に出来ている。

時折ヘバりながらも奮闘を続けていたが、とうとう空が白み始めた。真夏の事夜明けも早い、四時半といったところ。
濃紺一色だったはずの夜空の端に一筋乳白色が差し、そこからじわじわと群青に明るみを帯びて、星を食らいながら明けて行く。


廊下のはるか先、富樫が横たわっている背後から足音が聞こえてきた。静寂の廊下をゆったりとした速度で誰かが歩いてくる。
(!だ、誰じゃ…)
富樫はまだ起き上がれても居ない、脚をひたすらじたばたさせて廊下をにじっているだけであった。背後から足音が迫る、肝が冷えてあるはずのないタマが縮こ まった。
「……おや?」
静かな、富樫にとっても聞き覚えのある声。
骨っぽい指が富樫の背、正確にはぬいぐるみの背中からそっと掴んで持ち上げた。
小型のぬいぐるみからすれば目のくらむような高さまで持ち上げられ、
(ヒ、ヒィイ!!落とされたら死ぬんじゃねぇか!?)
内なる冷や汗がだらだらとわく、廊下に転がっていた富樫を見つけたのは――
「ああ、ぬいぐるみか…」
透けるブロンド睫毛に薄いブルーの瞳、物静かな声。白磁の貌などと上品に表現を重ねなければならないような、一見男塾には似つかわしくない、
(セ、センクウ!)

薔薇の貴公子センクウその人であった。
普段から美しいものが好きだと公言してはばからないセンクウのこと、こんなブサイクなぬいぐるみなどすぐに放り投げられてしまうだろう。富樫はにわかに胸 がどきどきしてきた。
放り投げられただけならばまだいい、美しくないからと即座にゴミ箱に投げ込まれたり、あまつさえ焼却炉に突っ込まれたりしたらどうしよう。
富樫の不安をよそに、センクウはつぶさに富樫の身体を調べた。骨っぽい指が富樫の喉元をさすり、頬を撫で、身体の隅隅までを調べている。
心地よい、妙なる調べのような触れ方に富樫も思わず迫る危機を忘れてうっとりとなりかけた。
「……破れてしまっているな、」
富樫の腹へ触れた指に違和感を覚え、センクウがきらきらと光を睫毛で弾いて覗き込む。縫い目が破けて中の綿が零れ出していた。
「フフッ、これでは哀れ――誰のものと言うわけでもあるまい、俺が貰って行こう」

やさしく学ランの懐に抱いて、センクウは歩き出した。学ランの布地からは同じ男塾塾生とは思えないような、えもいわれぬかぐわしい香りが漂ってきて富樫の 眠りを誘う。生き物ではないとはいえ、先ほどまでの奮闘のせいで疲れ果てていた富樫はぽっかりと意識を失った。






見るからに不細工なぬいぐるみだった。常の自分の美意識からは外れる造りをしている、それは確かだった。
だがなんともいえない愛嬌と、にじみ出る可愛げと、それからこれはとてもおかしなことだが、
(このぬいぐるみ、俺を慕っているように見えてならん)
そう、このぬいぐるみが俺を好いているような気がして。
廊下に転がっていたのを不思議に思って拾い上げ、顔を見た途端どうしてだかわからないがたまらなく可愛らしいもののように思えてしまったのだ。
不細工な、俺のかわいい犬のぬいぐるみ。
「名前をつけてやらなければならんな」
ティーテーブルの上に載せたぬいぐるみに問いかけた、
「お前の名は、なんと言うのだ?……フフッ、聞いても答えられまいがな」
肘掛に頬杖をついて、俺は少し笑った。何故だろうこのぬいぐるみ、色色と話をしてみたいような気がしてしまう。
「お前ってアブねぇ奴だったんだな」
「なんだ卍丸、部屋に入る時はノックをしないか」
「したぜ」
肩をすくめて卍丸はソッポを向いた、これは恐らく忘れていたな。
「何か用か?」
「いや、…富樫が死んだって」
「富樫が!!?何故それをはやく言わない!!」
「いや、今…」
「部屋か!?」
「あっ、ああ、そう」
勢い良く立ち上がり、俺は廊下を駆け出した。

可愛い後輩、決して口に出す事は許されていないが…弟のように思っている男が。
まだ人生の喜びなどあまり知らないだろう、花開く前に潰された蕾の如き少年を殺すとは…、神はなんと無残なことをする!

「少年って、なあ」
「行くぞ!」
机の上からぬいぐるみを取り上げて、俺は駆け出した。








やけに一号生達は慣れた様子でセンクウを桃の部屋へと案内した。誰も喪に服して居ないのに首を傾げていると、美貌の後輩が近寄ってきて囁いた。
「慣れて…いますから」
「貴様たちは富樫を失って、悲しみを知らないのか」
「いいえ、戻ってきますよ。つかの間の…そうですね、昼寝のようなものでしょう」
「………そうか」
櫻髪をはらりとかき上げた、一見女のように華奢な後輩が実はとても強いことをセンクウは知っている。
導かれたままに桃の部屋に入ると、布団に富樫が横たわっていた。傍らに桃が正座して、じっとその顔を見下ろしている。
人の気配を察して、桃が目じりをさりげなく拭って、入ってきたのがセンクウだったのに気づくと微笑みさえ浮かべて見せた。
「センクウ先輩、押忍」
「ああ、……触れてもいいか」
「どうぞ」
桃は一瞬ためらうような顔をしたが、静かに頷く。泣きはらしたような顔が印象的で、センクウは胸の痛む思いをした。
かたくなに桃が拒んだと先ほど聞いた、富樫の顔に布はかけられていない。あくまで平素と同じようにと桃が主張したためである。

富樫の額に触れたのは初めてだった、普段学帽でほとんど隠されていた額は生者としてはありえない温度でセンクウの指へ答える。
「………」
「富樫は死んでやしませんよ。俺は…こうして死体を目の当たりにしても信じやしません」
きっぱりと桃が気を吐いた。
「…そう、だな」
センクウも信じている。
富樫が何事も無かったかのように起き上がるのを待とう、そう言葉を交わして部屋を出ようとした。
センクウが立ち上がりかけたところで、一号生の面面が入ってくる。
「押忍!一号生松尾、失礼いたします!」
入ってきたのは松尾だった。普段間近で見ることのない三号生に緊張しているようで瞼と口元が引きつっている。
「桃、雷電が思い出したそうじゃ!」
松尾に引き続いて後ろから入ってきた雷電はセンクウに礼儀正しく一礼し、富樫の死体を睨んだ。
「ぬうっ…これはまさしく、『魂逃蝶蝶』…」
「…説明してくれ、雷電」
桃が静かに、しかし熱の入った口調で尋ねた。雷電が一つ頷く。
「剣殿。富樫が死んだ時に何か…何かしなかったでござるか?」
虎丸が怒鳴った。
「ら、雷電!い、いくらなんだってそりゃあねぇだろ!桃が、桃が殺ったってのか!!?」
いきりたつ虎丸を制して桃が尋ねる。
「待て虎丸、…雷電、どういう事だ?」
「古来より、人間が眠っている時は超常の力が働くとされている。中国の姫武将である呉英麟は、眠っている間に城攻めにあった際にこの魂逃蝶蝶を行い、城の 外の麦畑にあった案山子に乗り移り、五百人もの敵を斬って難を逃れたと言う――眠り続けながら」
「そ、それって―」
「富樫の魂はどこかへ今遊んでいる、何か危機を感じ取ったと考えるが自然。さらに、同室の剣殿であれば何か知っているのではないかと思ったのでござるよ」
しん、と富樫の部屋が静まり返った。

「……実は。富樫が物凄く苦しんでいたんだ。暑かったからな。それで俺は大丈夫かと声をかけた、返事は無ぇがなんだか苦しそうなのは変わらねぇ。さすがに 心配になって覗いてみたらえらく汗をかいていて、」

そこの、と桃は壁にかけられたダンビラの隣にかかっている手ぬぐいを指差した。

「手ぬぐいを濡らして、富樫の汗を拭ってやろうとしたんだ……それだけさ」

富樫の部屋は更に更に静まり返った。一人また一人、部屋から去っていく。










と、ころりとセンクウの手からあのぬいぐるみが零れ落ちた。自分の死体を目の当たりにした富樫は桃の告白にも驚いた、身に覚えが無かったからである。
(お、俺ァなんじゃ、桃の好意をムゲにした上、ぬいぐるみに逃げたって事かよ―)
申し訳なさに富樫は神妙な顔をした桃を見つめている。
畳に転がったぬいぐるみの視線に気づいたのか、桃がそれ、と指をさした。
「センクウ先輩―それは?」
「今日の明け方拾ったのさ。中中可愛いのでつい、拾ってしまった。お前のものだったか?」
「富樫!!」

桃がそのぬいぐるみを抱き上げた。部屋に残っていた誰もが仰天し、目を見開く。
「富樫!何をやってるんだ、こんなところで!」
(そ、そんな事言われたってよォ)
「俺がどれだけ心配したと思ってるんだ!バカヤロウ!」

いきなりぬいぐるみに対して怒鳴り始めた桃に、誰もが言葉も無い。
燃える眼差しに射抜かれて、富樫はすっかり萎縮した。
「すぐ戻れ、富樫!」
(ど、どうやって)

いつまでも戻る気配の無い富樫に焦れて、桃が凄絶な笑い方をした。泣き腫らしていたぶんだけ凄みのある笑い方だった。
「今すぐ戻らねぇでいつまでもモタモタしているつもりなら、お前のあの身体にものすごく恥ずかしい事をしてやる」
(!!?)




あの可愛げがすっかり抜け落ちたぬいぐるみをセンクウは残念に思ったが、それでも大事に今も部屋に飾っている。
何故って、可愛い後輩の逃げ場を失くすような事はさせられないからであった。
モクジ
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