水底に眠れ

お前に殺される夢をよく、見る。
夢見る。




無音映画のように雨が全ての音を掻き消した。雨だけがうるさい。うるさすぎて、音が無い。
激しい混乱と自分に対しての失望と、それから肩口から噴き上がる鮮血に伊達は眼差しを歪ませた。くしゃりと子供が泣き出す寸前の顔に良く似ている。
伊達のその顔を見て、下手人は下卑た笑いを頬に貼り付けると更にナイフを繰り出してきた。相手が戦意をくじけさせたのだと踏んで、既に頭は報奨金でいっぱ い。
男が何か喚きたてているのを、伊達は水底に沈んだような気分で聞いていた。耳に水が一杯入って声が遠く、視界はゆらゆら揺れるのだ。
男が今度こそナイフを伊達の胸へ突き立てようと突進してきてもなお、伊達の心は水底でたゆたっている。
「死ね!」
その声は氷の矢となって水面から水底までを突き抜け、伊達の耳を射抜いた。伊達の視界の中で、自らの腕がゆっくりと持ち上がっていき、男へと向けられるの が見える。水をはらんで腕が重たいからこんなにもったりと遅いのだと伊達は理解した。が、実際には尋常ではない速さ、獣のように自らの腕を省みすらしない 強さで腕が伸びた。突き出されたナイフの腕を右手が掴んだ、男の顔が驚愕に白くなる。
「……!」
男が何事か喚いた、痛いだとか、放せだとか、それとも許してくれ、そういったことを言っているのだろうが、伊達はまるで聞いていない。
そもそも聞こえていない、伊達はまだ水底にいる。ゆらゆら揺れる男が口を魚のようにぱくぱくさせているようにしか見えていないのだ。
「あ、あ、あ、ああ!!」
絶叫が路地に響いた。指の力だけで千切り取った腕を伊達は首を傾げて見やり、すぐにつまらなそうに打ち捨てる。
伊達を指差して、男が口を開閉させる。目は見開かれ、口からは涎が垂れ落ちていた。
無音、全てを遮蔽した水底の伊達はゆらりと視線を泳がせて、絶叫する男へ定める。
伊達の腕が再び持ち上がった、今度は左腕、伊達を指差したその人差し指を優しく優しく伊達の手のひらが包み込んだ。
無音の中、伊達は手のひらにぴきん、と軽い音を聞いた。聞いたのは耳ではない、手のひらが聞いた。
骨が折れたのだ、ごく軽く伊達が握りを強くしただけで、あっけなく男の人差し指が折れた。
「うあ、ああ、ああ、あああ」
男の声は伊達には聞こえない、涙だか雨だか涎だかわからない液体でぐじゃぐじゃに汚れた顔が色を失っていく。
必死に哀願し、許しを請う言葉を口にしようが何一つ伊達の耳へは入っていかない。
今伊達は水底にあったからだ。
魚、それとも鳥、感情がまるでわからない目を一つ瞬いて、伊達は再び腕を持ち上げる。

無音映画のように雨が全ての音を掻き消した。雨だけがうるさい。うるさすぎて、音が無い。
しかし伊達がいるのは水底、いかに雨が水面を叩こうとも、水底までは届かない。
何も届かない。





深夜。
ドアを叩く音に桃は目覚めた。桃の住むマンションにはインタフォンがある、それもこの間直したばかりの、画像まで送れるものがあるというのにと首を傾げ た。
富樫や虎丸ですら、インタフォンを鳴らす。いや、面白がってカメラはどこじゃときょときょとするぐらいである。
桃が一応護身用にダンビラを左手に下げ、まず画面を確認した。
黒い塊がドアの前へ立ち尽くしている。
深夜のため非常灯しかともっていないマンションの廊下、薄暗い光源の元ではいかに最新式のものといっても画像はざらついていて見づらい。桃が目を凝らし た。
「……はい、どちらさまですか」
桃がインタフォン越しに呼びかけると、画面の中で黒い塊がわずかに蠢く。黒い塊、人影が頭をもたげた、その顔、正しくは頬へ桃の視線が注がれた。
身体を翻す、玄関へと桃は足早に進んでドアを開け放った。
「こんな時間にどうした、だ――……」
続く言葉は、伊達、だった。桃のマンションのドアをインタフォンを鳴らしもせずに叩き、ドアの前で呆けていたのは親友にして戦友の伊達臣人であった。
が、桃の声が途切れたのはその人物に対してではない、その風体であった。
黒い人影、と見えたのは何もカメラのせいではなかった。
今も降り続く豪雨に身体のいたるところから滴はひっきりなしに垂れ、さらに全身を血に染めていたのである。
黒と見えたのは赤であった、それも今しがた浴びたばかりで生臭い匂いをぷんぷんとさせた血であった。
「おまえ…」
桃は素足のままマンションの廊下へ進み出、伊達の肩を掴むと検分する。ざっと見渡しただけであったが外傷は肩だけ、後は返り血のようだ。
掴んだ肩を自分の胸へと抱き寄せ、そのまま伊達を部屋へと引きずり込む。伊達のほうが上背がある上、全身雨と血に濡れて重たい、何より伊達に意識がほとん ど無かったのが妨げとなった。
伊達を玄関に転がし、ドアを閉める。チェーンを下ろし、鍵をかける。防音設備が整った部屋は、雨音を全て遮断した。

ソファが汚れるのも構わず、伊達をソファへと運んだ。血まみれのシャツは元が何色なのかもわからない、桃は濡れて張り付いたそれを半ば破くようにして腕か ら抜き取った。まずは傷の手当てをと思ったからである。
「おい、しっかりしろよ」
つとめて平静を装ってそう言うと、伊達が遠い声で答えた。
「ああ」
「どうしたんだ、誰かに襲われたのか」
ソファに横倒しになり、傷のある右肩を上にしたまま伊達は胎児のように丸まっている。桃は一旦離れると薬箱を持ち、手際よく消毒を施していく。
「この間ツブしてやった組に雇われたんだな、懲りねぇ奴等だ」
「お前が相手じゃ、向こうはいくら貰ったか知らないが割りにあわねぇだろうに」
「ハッ」
笑って、伊達は痛みを思い出したように顔をしかめた。桃は薬を塗った上でガーゼをあてがい、それから包帯を巻きつけた。
「にしても、お前が傷を負うなんて珍しいな、よっぽどの手練だったのか?」
単なる興味だった、そう酷い出血ではなかったのだが何か喋り続けていたほうがいいだろうと思い、桃は軽い気持ちで尋ねたのだった。
伊達の目が色を失った。

「お前に殺される夢を、見る」

外は世界を沈める勢いで雨が降り続いているというのに、伊達の目は静かに凪いで、そして静かだった。



伊達の過去は知っている、知っているが詳しく聞いた事は無い。聞こうと思ったことも無かった。
しかし伊達が青ざめた顔で語り出したので、桃はその声に耳を傾ける。伊達と返り血と雨とで汚れた寝巻きを着替えるタイミングを逃したが、黙って聞いてい た。
「俺はあの穴倉から出てから、様様な武術を叩き込まれて育った」
伊達の目は揺らがない、伊達は今水底に沈んでいる。
「偉そうに俺に講釈垂れる奴、サドッ気満たすために命令してくる奴、やけに丁寧だがえげつない訓練を考え付く奴、」
「房中術まで仕込まれたんだぜ?こんどお前、試してやろうか、イッてる間に寝首掻かれたくなけりゃあな」
ハハハ、伊達は浮かれた笑い声を上げた。桃は黙っている。伊達が笑い終え、桃が黙っているとまさにこの部屋は水底、無音であった。
「身体はバカ正直にどれもこれも覚えたが、奴等の言葉なんか覚えてやしねぇ、たった一つ、」
「たった一つ覚えてる言葉がある」
伊達の眼差しが揺らいだ、まぶしそうに細められる。渇いた唇が小さく呟いた。
「『お前を殺してしまわないものは、全てお前を強くしてくれる』と」
「………」
桃は伊達の顔を上から覗き込んだ。伊達がまぶしそうに目を細める。
水底から太陽を見上げた顔は、おそらくこのような顔だろうと思われる顔であった。
「さっきな、四人がかりで襲ってきやがったんだ。俺が三人倒してたら、後ろから最後の一人がナイフを俺へ突きかかって来た」
「ああ」
「避けようと思えば、多分、いや、絶対に避けられた」
「だろうな」
伊達だ。桃は大きく頷いた。
「俺は一瞬、お前の手がそのナイフを払う想像をしてしまった。それで、反応が遅れた」
桃が何も言えないでいる、伊達は更にこう言った。
「俺を弱くしたのはお前だ、桃。…俺はいつかお前に殺される気がしてならねぇよ」
「そんなことしねぇよ、するわけがないだろうが」
強い口調で桃が身を乗り出して言った、伊達はまたも目を細める。水底から見上げる太陽はなんとまぶしい、伊達は笑った。
「ハッ」
「俺はお前を殺したりはしない、ただ――大事にする」
それだけだ、俺の魂にかけて。桃ははっきりと言った。血の気の無い伊達の手をグッと掴み、輝く瞳でそう言った。

「てめぇなら、別に良かったのによ――」
泣き出しそうに細い伊達の声を桃は聞かなかった事にした。手のひらで伊達の目を覆う、眠れと念じた。通じたのか伊達はしばらくして寝息をたてはじめた。




こんな強く深く風に思われた事など、恐らくないだろう。桃は胸の高鳴りを抑え切れないでいる。
伊達の手を握ったまま、桃は眠れぬ胸を煮やしていた。
瀑布となった雨はまだ続いている、だがこの部屋だけは無音の水底。無音の水槽。
水底で二人はいつともわからぬ終わりを夢見て身を寄せ合っていた。
モクジ
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