右手の変人

カサをかぶった丸い電球のヒモをひいたら、ゴキブリが落 ちてきた。
古今東西全力での悲鳴を上げさせる出来事であるが、

ヒモ引いて電気を消したと同時、頭に何かポスンと落ちてきた、
これも中中のホラーである。

「う、うおおおおおおッ!!!?」

消灯直前、男根寮全体に富樫の絶叫が響き渡る。




なんだなんだと、どがちゃかどがちゃか。就寝寸前だった塾生達は寝巻きのまま急ぎ富樫の部屋へ突入。
もしかしたら二人でにゃんにゃんしていたらどうしよう、秀麻呂は一瞬恐ろしい妄想に顔を曇らせた。
『よせ、富樫…』
『も、桃俺ァもうたまらねぇんじゃ!』
『ああ、富樫…』
『好きじゃ、好きじゃ、桃…!!』
『…ああ…』
富樫決死のがぶりより。
御丁寧に椿か牡丹か、ともかく赤っぽくて大輪の花がぼたりと落ちる想像までしてしまい、秀麻呂はたちまちげんなりした。そんなにゃんにゃんな空騒ぎに付き 合わされてはたまらない。

「ど、どうしたんだ富樫ィ!」
一応心を決めて秀麻呂はドアを開け放つ。頼むから蛇が出たとかそういうことでありますように!一球入魂!

「…………」
「……………」

それ何?秀麻呂が指差した先、つまり富樫の頭の上。
アダムスファミリーでコミカルに走り回っているような、紛れも無く人間の右手首が富樫の頭の上へ陣取っていた。
手首が秀麻呂に向かって、よう、とばかりにくるりと回転。そのままバランスを崩してか、それとも意図してか富樫の胸へ落ちた。
手首に目があれば、富樫の目とかっちりぱっちり見つめ合っているだろう。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
パチ、入り込んだ蛾が電球にぶっつかった瞬間、均衡が崩れた。

「…ぎゃ―――ッ!!?ウオ、うおおおおおおお――ッなんっじゃっこりゃああああああ!!!!!」
人間かどうかも疑わしい悲鳴を富樫は喉を裂かんばかりにして上げた。
富樫が手首を掴む、手首がソッ、と富樫の手を親しげに握り返す。富樫の背筋が凍った。
「うああああああ!!」
ピッチャー大きく振りかぶって、投げた!コントロールはさておき、甲子園も十分狙える剛速球である!
正面のキャッチャーが構えるミットから大きくそれ、相手ベンチに飛び込んだ!富樫の放った大暴投が監督を襲う!
「!!!」
監督、伊達臣人。伊達は目の前に突然飛んできた手首に少なからず仰天した、瞳孔がカッ、と開く。
しかし伊達臣人は伊達臣人である。尋常ならざる反射神経と太い胆でもって平静を立て直し、顔面にぶつかる寸前でキャッチした。

「……………」
伊達はしばらくその手首を見つめていたが、やがて、

「くだらねぇ、――おい、富樫」

そう吐き捨てて富樫へと軽く投げ返した。投げられたものはついつい受け取ってしまう。ギブミーギブミーしてんかの悲しき性である。
胸の真正面で手首を受け取った富樫は、青ざめてますますみすぼらしい野良犬のようであった。富樫の視線が伊達と、胸に抱いた手首とを行きつ戻りつする。手 首は猫であればゴロゴロと機嫌よく喉を鳴らしていそうにくつろいでいる、ように見える。

「桃だ、――取っとけ」
「――――!!!?」


雷電が生憎いなかった。だから誰もがこう叫ぶ。
「説明してくれ、雷電!!」


守倉風(すくらっぷう)
古代中国、明の時代。
長きにわたって続く戦乱に、徴兵が相次ぐ精で農村には若い人間はほとんどいなくなってしまった。
親たちは嘆き悲しみ、どうにか息子を兵に取られまいと血涙を流しながら息子たちの腕を落とすことにした。
そこへ旅の男が現れて、
「これはどうしたことだ」
と尋ねる。わけを話した村人に男は深く頷いてみせ、
「ならばおれがやってやろう」
言うなり胸の前で印を結んだ、それと同時に強い風が若者たちへ襲い掛かり、四肢をばらばらに切断してしまう。
驚く村人達。青年たちは四肢を切断されようとまるで生気を損なわれていない。
男は笑いながら、
「おれは風神よ、官吏をやり過ごすまでは手足を倉にでも入れておくがいい、後で組み合わせれば戻ろう」

そう言って、去って行く。はたして男が言ったとおり、手足を傷口へくっつければ元通りとなった。
それからというもの、逃げよう隠れようとする人間にこの風が吹くという。
また、スクラップの語源がこの守倉風であることは言うまでも無い。
殺人鬼が自供した殺害人数と、実際の死亡者が食い違うのはこのせいである。




雷電が長い長い説明を終えると、松尾が手を上げた。
「質問じゃ、雷電!」
「うむ、何かな」
「そんで、これが桃なら、どうやりゃあ戻るんじゃ?」
「………確かなことはわからぬ」
ざわめきが広がった。雷電がわからぬと言ってしまうとそれはそれは大変な事のような気がしてくる。
「ともかく桃の身体を集める、そうだな、雷電?」
親友のJが普段重たい唇を開いてそう述べた、雷電がおお、と胸のうちを熱くする。
確かめずとも雷電を助けるためにJが発言したということはわかり、雷電は友情に鼻をぐっと詰まらせた。


「エッ、で、で、この手俺ァどうすりゃいいんじゃ!!」
富樫ががなった。
手首は上機嫌な様子で富樫の喉元を撫でている。そのうち頬へ這い上がって、そっと頬を愛でていた。
見えないだけで、桃が間違いなく顔を近づけている想像ができようというもの。もしかしたら口付けているかもしれない。

伊達が口を開く。
「富樫だな」
椿山が頷く。
「うん、富樫だね」
松尾が富樫の肩を叩いた。
「頼むぜ、富樫」


満場一致で富樫が手首養育係に任命されたのであった。






「のう、なんだって伊達おめえ、アレが桃だってわかったんじゃ?」
伊達は見た、薬指に噛み跡があったのを。
先日滅多に使われない一号生筆頭室から殺した息遣いを聞き取って、飛び出してきた富樫。バァロォ、と大声で怒鳴って逃げていく。
ただならぬ雰囲気に筆頭室を覗くと、右手薬指へ唇を落として傷を舐め取っている親友の姿。伊達の顔を見るなり、怒らせっちまったと苦笑して見せる。
伊達はああ、なにか爛れたことをやろうとしたんだなと悟った。聡い男である。



富樫と手首の生活が始まろうとしている。
「ッ、どこ触っとんじゃ、桃!!」
『手首だからな、どうも勝手が分からなくて…ふふふ、どこか触ったか?』

富樫は黙って窓から手首をぶん投げた。
モクジ
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