須過雨斗

桃の香りの気を吐いて、くるくる高く舞いながら。
うろこきらきら瞬きチらら。
楽しくゆらら夢心地、銀毛の虎を背にうつら。
【たゆたい】

「あれな若者、いい魂をしておる」
「お師匠様、またでございますか。先日も土耳古から一人…」
「五月蝿いことを申すではないわえ、ほら、行ってしまう。早う御行き」






手渡された桃を齧ったのが間違いだった。それは今はっきりとわかり、他に原因が思いつかぬのだ。
桃は皆にすまんと詫びた、詫びたつもりであった。が、
桃の花が桃の言葉の代わりに唇からあふれた。つぼみが先陣切って飛び出し、次に花びら、そして花開いたばかりの花が一輪あふれだしてくる。
「ば、馬鹿桃やめんかい!口を閉じるんじゃ!」
両手に桃花だけではなくうるさいばかりの色花を一杯に抱えた田沢ががなった。隣では松尾がサザエさんヘアーにちょこんと黄色い花をさしてまさに刺身のタイ のような格好。律儀に秀麻呂と椿山が竹ほうきとゴミ袋でもって床へと積もった花花を片付けていく。
桃は足元を花に埋めながら困ったように口をつぐむ。花が止まって、息苦しいばかりの桃花の香りも開け放つ窓からの風に洗い流されていく。
田沢は手にした花を椿山の持つゴミ袋にぼそんと乱暴に投げ入れ、代わりに手にしたチラシとビンボウ鉛筆を突き出した。
「口が利けねえんじゃしかたねえじゃろ、書いてくれや」
桃がうっかり、ああ、と答えてしまったのでその口から大輪の白菊が飛び出してきて田沢の額へ激突する。
せっかくの夕食前だというのに、なにやらめんどうなことになっていた。


「もし、もし」
もし、と言われて振り向くのは後ろめたいところがあるからだと誰かが言っていたが、桃が振り向いたのは純粋な好奇心からである。呼び止められた夕方タイム セールに沸く商店街、独り歩きの桃の目に入ったのは明らかに日本のそれもわいわい混み合う商店街には似つかわしくない姿の少年であった。髪の毛を細く後ろ へと低い位置で結わいた、薄緑色の中国服を身に着けていて、目じりに濃く紅を入れている。頬のあたりにも影をつける意味合いを持っているであろう頬紅がさ してあった。
「…俺か?」
黒髪の少年は両手を袖の中に隠した中国風の会釈をし、堅く感情の見えない頬を動かしもせずに口先だけで話し出した。
「我が師匠が、貴方の魂を褒めておいでです」
「魂?」
はい、と静かに少年は答えた。桃の肩にどすんとおばさんがぶつかった、こんな道のど真ん中で、とでも言いたそうに顔を醜くゆがめていく。
「清い気がまんまんと満ち満ち、貴方の身体を水脈となってめぐるため、高貴なる魂をすすぎ磨いていると言っておいでです」
「ふゥん?」
少年は腕をたっぷりとしたボリュームのある袖から引き抜いた。右手にはいかにもみずみずしそうで、皮ごと食べられそうな小ぶりの桃が優しく握られている。 その桃を握った手をそっと桃へと突き出した。底の見えぬ黒目がちな少年の目が桃を見つめた、受け取れと目が促している。
「…いいのか?」
「はい、どうぞその魂を大切にと師匠が言っておいでです」

商店街のど真ん中に、こんな少年を弟子に取るような高貴な人影があるはずもない。周りを見渡して耳を澄ましても、聞こえるのはコロッケの特売や、魚屋がま とめ売りにかかる威勢のいい声が耳にひっかかるだけ。
少年に視線を戻すと、もうそこに少年は居なかった。かわりにアニマルプリントのオバサンがどいたどいたと大柄な身体を揺すってこちらへ突進してくるのが見 える。ひらりと学ランの裾を返して避け、手にした桃を一瞥。

まあいいか、いいさ。そう思って口にした桃が原因だろうと、桃は言っているのだ。


「だからお前、夕飯前にモノ食うからじゃ」
虎丸が噛み付くようにがなった。不機嫌そうに見えるのは虎丸が腹を減らしているのと、桃ひとりだけ何かうまいものを食ったというのがうらやましいのと半々 のせいである。
桃は口をしっかりと閉じて、しおらしくちびた鉛筆を止めた。文字通り閉口して、今にもあふれ出しそうな花をとどめている。歯できりりと戒めに噛んでいるた め、血の赤が濃くなった唇が何かむずむずと動く。
「そいつに心当たりは無いのか?」
「…む」
Jに問いかけられ、つい『覚えが無い』と口にしようとした途端桃の頬がぷわっと膨らんだ。口の中に含んだ何かが桃の頬を内側から押し上げている。
「吐いちまえよ、桃」
田沢の差し出したバケツを受け取り、田沢にスマンと無言で頭を下げ、そこに向かって口を開いた。
真っ先に飛び出したのは暗い橙の夜映えしそうなノウゼンカズラ、立て続けに花弁を吐き出すと次いで蜜のにおいをさせたレンゲを茎ごと。
後はざらざらとオシロイバナをこぼす。吐き出すといっても唾液も胃液も出ない、ただ胸いっぱいに詰まった花花をつらつらと吐き出していく。
花がどこから現れるのかはわからない、気づくと口の中で一杯になっているのだった。
「ゲホッ、ゲッ、う…」
胃の中の物を吐き出すのと違って、終わりが見えぬ。喉を開いて花を吐くと喉にぴったりと花びらが張り付いて不快極まりない。
夕食の準備はそろそろ整おうとしているというのに、係の者以外は桃の周りにぞろぞろと集まって心配そうに桃を見やった。桃が顔を上げる、嘔吐したのとそう 変わらないせいか顔から血の気が引いている。唇には一枚薄紅の花びらが付着していた。それを乱暴に袖でもって拭う。
再び鉛筆を握ると、芯を摩滅させる勢いでガリガリと書き付けた。
『飯が食えない』

「そ、そりゃ大変じゃ、そうじゃ桃、ワシがお前の分まで夕飯食ったろか!」
身を乗り出してオレオレと自分を指差して見せた虎丸を、桃が睨むまでもなく傍らの椿山と秀麻呂が頭とわき腹をそれぞれに小突く。桃はふんと学ランの襟元、 マフラーのあたりに積もった花を叩き落とした。毒がありそうな程に赤紫が強い山茶花である。
季節も種類も全てめちゃくちゃだ。
さきほど喉が詰まりそうで苦しんでいたところ、背中を叩かれてなんとか吐き出したのはなんと金柑であった。

うんざりとしたようで桃がふてくされている。冗談じゃないぜ、と言いたいだろうというのが口にせずともわかる。伊達なぞは遠巻きに見ていて、桃の苛立ちが 募るのが手に取るようにわかった。
次第にこれが笑い事ではないということが塾生達にも分かり始めてきた、何かしゃべろうとするたびに花を吐き出すんじゃあ桃は飢え死にかもしれない。
誰もがサッと頼れる男、雷電を見た。雷電は腕組みをして一つ大きく、頷く。
「これは世に聞く…」
全員が、知っているのか雷電と怒鳴った。いつもいつも伊達や桃に役どころを奪われてしまって言う機会を逃している、ここぞとばかりに大声でそう口々に言っ た。
「須過雨斗であろう」
すかうと、誰かが雷電の言葉を繰り返した。雷電は腕組みを解くと、床に落ちていたホタルブクロを摘み上げる。薄い紫が食堂の電球の光へ頼りなげに答えた。
その花びらをかざすと雷電は桃へと向き直った。有象無象の花花から漂う香りと、これから食堂へ運ばれてくるであろう味噌汁のにおいとそれから何かゲテモノ (おそらく畑の下から出てきたモグラあたり)の臭いと混ざり合ってそれはそれは胸が使えそうになっている桃、いつもの輝くような頬にも疲れが見える。
「剣殿は、仙人に目をつけられたのでござるよ」
『仙人?ああ確かに…』
桃の言葉の代わりにザラザラと出てきたのはなんとヒマワリの種、普段ならオヤツじゃと喜ぶだろう虎丸も流石に桃が吐き出したものをどうすべきか迷いながら 拾い集めた。拾わないわけではないらしい。

「中国の唐の時代、崑崙に住まう仙人達は身の回りの世話をさせるのに里から少年少女をかどわかしていたそうでござる。そして彼等は皆、清い魂を持っていた と聞く…」
「キヨイ…キヨイってなんじゃろな富樫」「わからん、来よい!って事かもわからん」「それはねえじゃろ」「…だよな」

「潔白、清らか…つまり穢れ、虎丸に富樫のようなものとは縁遠いものですよ」
「なんじゃ飛燕、ワシらなんか言うたかのう」
「おいもっぺん言ってみろや、オイ」
「雷電、次を続けてください」

雷電はうむと頷いた。あたりを見渡す。
「剣殿の食べた桃は仙桃、仙人達が食べるものでござろう。仙人が食せば百年生きられるとも言うが、常人が食せば…」
「食せば?」
「穀断ちをし、仙人になるための準備を整えだすという」

桃はふと、先ほどから違和感を感じていた頭頂部へ手のひらをやった。二つ渦を巻くつむじのあたりに何か粒のようなものがある。かさぶたか何かだろうか、何 かぷつりと頭皮にあって指先へと触れた。あちらこちらへくるくるとやんちゃな髪の毛を分けてそれをそっと確かめる。
「!!!」

声にならない叫び声が上がった。伊達は誰より速く桃の側へと塾生達を押しのけながら駆け寄り、椅子に腰掛けた桃の指が示すところを髪の毛を掴みながら覗き 込んだ。こういう必死さが行動が、不遜な態度の伊達が慕われる理由でもあると皆実は知っていた。
「うっ、こ、これは…」
伊達が口ごもっている。言い出しづらいようなものがあるのか、と桃は不安に曇った顔で伊達を見上げる。伊達は桃と塾生達の視線にせかされるように口を開い た。

「頭の真ん中に、花の…蕾みてえなモンがあった」
おそらく、蓮。そう伊達にしては珍しく口ごもりながらそう言った。
手拍子一つ程度の間を置いて、一番驚いたのは桃。そして、

「見せろ!」「ううおおおおすげええ本当に蕾じゃ!!」「花咲くかのう」「おい見えねえぞどけ!」「何の花かな」「桃じゃから、桃じゃねえか」「おーい桃 の花が咲くのに賭ける奴ーッ!」「わしゃ三百円賭けるぞなーっ」


ワァワァキャアキャアと小学生のような賑わいに一瞬にして食堂は包まれた。桃は流石にとんとん、と賭けの胴元に名乗りを上げた富樫の背中を叩く。しかしう るせいとまるで桃のことなぞ忘れてしまったようで振り払われてしまった。桃の手が寂しく宙を泳ぐ。
賭けに没頭している塾生達をよそに一人伊達は真剣に桃の身を案じ、雷電へ話の続きを促した。
「頭に花かずらが開き、脇や足の裏などに汗をかかなくなる。そのうち水で酔えるようになり、影がペリペリとつま先から剥がれ、それから――」
「それから?」
「それから、自分に対してとても素直になるそうでござる。包み隠すことを知らなくなるというか、具体的なことは本には…」
「これ以上奔放になろうってのか!」
声を荒げ、すっかり拗ねた桃を横目に伊達は声を小さくした。幸い、賭けの喧騒に声を潜めるまでも無く二人の声は紛れ行く。顔を雷電へと近づけて、
「それで、防ぐ手立てはあるんだろうな」
「…ム、剣殿」

桃は膨れッ面で二人を見た。つまらなそうに半目になっていて、今にもフンと鼻の一つも鳴らしそうである。膨れッ面があふれる花のせいなのか、それとも不機 嫌によるものかを考察するのは一旦置いておいて雷電は問いかける。
「その、剣殿が食された桃の種は」
「………」
桃の右手が上がる、雷電が両手をお椀の形にしてその種を受け取る。身の大きさの割には大きな種で、ころりと丸いその種を雷電は電球にかざして調べる。

「それから、剣殿。頭の花を…」
雷電に言われるまま、桃は座ったまま頭を下げて雷電へと向けた。雷電は失礼、と一言断りをいれておいて髪の毛を掻き分ける。顔が険しいものへと変じた。ど うなんだ、と伊達にせっつかれて、
「時間がもうあまり無いかと」
「なんだと?」
「この頭上の花、もうだいぶほころび始めており申す。この花が開けばたちまち羽化登仙、魂が肉体より遊び出でて仙人の持つ酒瓢箪へと吸い込まれていくは ず」

と、なにやら物騒な話が耳へと飛び込んできて富樫が虎丸の頭を叩いた。田沢松尾、次第に賭けの声が小さくなっていき、再び雷電の周りを真面目な顔で取り囲 む。夕食の時間はとうに過ぎていた、が、それどころではないと誰もがゆるやかにではあるがわかりかけていく。

「仙人達は魂を酒へととかして味わい、抜け殻の肉体に用を言いつけるとか」

「そ、それじゃ死んじまうのとかわらねえぞ!!」
「その通り、防ぐ手立ては…」

「手立ては!!」




「剣殿に、なまぐさな事をしていただく他ござらん。それも早急に、度の過ぎた」

食堂が静まり返った。誰も言葉を発しない、桃が射抜く瞳で雷電を見た。

「魂が穢れれば重みを増し、身体より抜け出ることならぬと聞く。剣殿には何かなまぐさな事をしていただかねば」
「ナマグサってな、どんなだよ」
富樫が尋ねた。もう賭けのために振り上げた拳は桃のために握っている。虎丸も、それから田沢に松尾皆もう桃のために耳を雷電の話に傾けていた。
「例えば、四足動物の肉を大量に食らうとかですか」
飛燕が言葉を継いだ。雷電が頷く。月光が続けた。
「それから血を浴びること、それも濃い血液のほうが禁は濃いだろう」
「濃い血ってのは?」
「血縁などだ」

そりゃあ無理だ、桃は右手を振った。
「それに肉食わせるってのも大変じゃろ、ここじゃあ」
「そうじゃのう…泥棒とかそういうのでもいいんか?」
「悪くはない、が…リスクが高すぎる」
「それか、女を抱くとか」
「それが今考えられる中でたやすいことであるな、だがその、……」
雷電が顔を少し赤らめた。それでなんとなーく察しのついた秀麻呂がかわりに手を叩く。
「ホンバンじゃなきゃ駄目ってことだろ?わかったわかった、ソープ行くぜ!」
「金じゃ、みんな金集めろ!桃を風俗に連れて行くんじゃ!!!」
おおおおおっ!と皆が同意の雄たけびを上げながら自分のポケットを探った。








伊達は自分のポケットに入っていた千円札を取り出した。皺がついている。貴重な紙幣であった。
が、おしくはねえ、友を助けるのに何の躊躇がいるかと胸を張った。まったくに伊達というのは男である。
その男の肩を、誰かが叩いた。叩いたのは桃である。切迫した様子ではあったが、笑顔ではあった。危険であったり、ぎりぎりまで追い詰められたりした時にこ うした笑みを見せることがあったのを伊達は思い出す。
「なんだ」
桃が肩を抱えてきた。そして外に出ろと仕草で示す。伊達は促されるままに食堂を出た。
「桃、待ってろ!!金を絶対に集めて風俗でナマ本やらせてやるからのう!!」
虎丸の大声を背中に受け、右手を挙げて答えた桃。部屋を出て早々、

『なまぐさだってよ』

と唇からしゃくなげの花弁をひらひら吐き出しながら言った。伊達にはその言葉は聞こえぬ、聞こえぬが、


意味は、通じた。
薄く脈の透けた白葵の花弁が伊達の唇へとかぶさってきたので、叫び声は完全に遮断されることとなった。









二時間後ようやく集まった金を手にした秀麻呂は桃を探し回る。探し回った末に、花で埋もれた伊達の部屋にて発見された桃の頭からは不思議なことに完全に花 は消えていた。
「不思議だな、どうして治っちまったんだろ」
「ああ不思議だな、だがもうこの通りしゃべっても花一枚出てこねえさ」
笑う桃の脇にも足の裏にも、それどころか全身汗みずくである。しっかりと影をつま先にくっつけた桃はさらにからりと笑って、
「お前達がこんなに俺のために親身になってくれたのが嬉しいぜ」

とどこまでも清い魂を輝かせてそう言った。





「あれ、伊達は?」
モクジ
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