KYだらけのこの家で

頬に指を当てて思案しながら、おずおずと言い出した。
「あのね、話せば長くなるのだけれど…」
「手短に言え。四十字以内で」
「ぐうぜん」

四文字で簡潔に答えた母親の顔は笑顔である。普段以上に頬をほころばせた、十蔵をチリチリと苛立たせる笑顔であった。

「偶然で、先輩と何やってんだよ!!」
先輩、呼ばれて彼は自分かと指差した。額に青筋を立てて怒鳴った十蔵の後ろからどやどやと、彼の部屋を図図しく占拠していた御学友達がその部屋からもつれ 合いながら飛び出して来る。
「ギャーッ!おま、クローンじゃん!」
人を指差してはいけません、少なくともそう十蔵は教わった。しかし十蔵の肩にかじりつくようにして背後から組み付いたハーフの御学友は、十蔵の耳元に大声 を出す。
「な、生きてやがったのかよ!」
十蔵と獅子丸と十蔵の部屋のドアとの隙間から信長が驚愕に引きつった顔を出す、ナンマンダブ、と唇が小さく呟いた。日登はギョッとしたように顔を上げるが 立ち上がるのに躊躇している。部屋の中から一番出遅れた安東は、十蔵のベッドをきしませながら上に登ると、彼らの頭の上から客人の顔をまじまじと見て、

「おおおおお叔父貴ィイイイイイ!!!!?」

喉よ破けよとばかりに、腹の底、魂の底、刻み込まれた叔父貴の恐怖の記憶を全身で震わせて叫んだ。

彼の血縁、安東が世の中でおそらく一番恐れている彼の叔父の、若かりし頃の顔を客人に見出して絶叫。そのまま泡をぶくぶくと大量に噴き上げてから材木のよ うにベッドへと背中から卒倒し倒れこむ。血縁の絶叫を耳にした信長、卒倒した彼を必死に揺さぶりながら介抱する日登、互いに命を賭けて渡り合った十蔵、自 分の父親からとくとくと言い聞かせられ写真を見せられた獅子丸、日登以外それぞれに彼が本人であると断定することになる。
一人取り残された十蔵の母親は自分の息子と、それから自分を助けて自宅まで連れて来てくれた息子の御学友?とをゆっくりと目を細めて見比べてから、

「そろそろおやつにしましょうね」

と、すたすたと階段を降りて行ってしまった。KYッ…十蔵は父親が聞いたら鉄拳を振るいそうなヤン グな現代語を小さく吐き出した。幸いにして父親は講演の ために外出していたために、誰も咎めはしないままその呟きは宙を漂う。





部屋の空気が重たい。伊達臣人(クローン)にとりあえず座るように促し、全員律儀に車座になって座った。誰が口火を切るか、そう五人は目配せをし合う。と りあえず一番伊達臣人(本人)に縁の薄い日登が口を開いた、この雰囲気の中さすがに元一号生筆頭の胆力である。
「……で、その。その、アンタは…誰だ?」
彼の剛胆な友人たちがそれぞれに驚愕し、絶叫し、卒倒し、とにかく混乱しているのを見た手前、まずはここから確認するべきであると判断しての発言である。
しかし誰だ、その問いに答えたのは伊達臣人(クローン)ではなかった。彼の友人達である。

「先輩!」
十蔵が吠えた、目が薄ら赤くなっている。目の前で自分のために命の血花を咲かせ、そのまま蒼い蒼い海へと散っていった男を呼んだ。
「臣人さん!」
幼い頃数度だけ会った、彼の父親の親友を獅子丸は呼んだ。父が心から信頼する友人の名を、彼の尊敬する強い強い人の名前を呼んだ。
「クローン!」
信長にしてみれば非現実的、テレビでは羊が精一杯、そんな科学の奇跡を端的に呼んだ。
「おおおおお叔父貴ィイイイ!!!!!」
頭を電撃ネット○ーク刈りにされる、空を泳がされる、ボウガンで撃たれる、その原因となる男塾入塾を仕組んだ、滅法恐れる恐い恐い叔父様を安東は呼んだ。


「……わかんねーよ…」

結局わからない日登はがっくりと肩を落とし、十蔵の部屋の絨毯に零した。
その一連を眺めやった伊達臣人(クローン)は発言しない。する必要を感じていない、もとより彼は生まれた時から作品であって、言葉によるコミュニケーショ ンが必要であったことがないのである。泣き出した安東、グッと言葉を詰まらせる十蔵、スゲェスゲェと興奮して話にならない獅子丸、誰も日登の疑問を解かし てはくれなかった。

「お待たせしました」

そこへ更なるKYがドアを開けて現れた。盆に今日のおやつとコーヒーを載せて、混乱の極みにある室内へ微笑む。男塾に入塾してからというもの友達が沢山 やってきて、そのたびに息子の新たな面を見る事が出来る。新たな戦いを聞く事が出来る。息子の成長を感じる事が出来る、なんて素敵、母親は微笑んだ。新し い友達は背筋を伸ばして座っているが、その座り方も粋で洗練されているのを好ましく思う。
母親は盆を下ろしながら伊達臣人(クローン)の前へと膝をついてしゃがんだ。

「お名前は?」
「毘沙門天…が、この名前で俺を呼ぶ奴は今はいない」
「毘沙門天さん。神様のようね」
「七福神だったな」
「そう、素敵だわ」
「そうか」

会話が成り立った。食い違いながらも成り立った。
十蔵が額を押さえながら母親へと問いかける、母親に答えを求める事がめっきり少なくなったけれど、仕方が無い。

「おい、お袋」
「なあに」
「……先輩と、どこで」
「三丁目で」
「……」
「助けていただいて、どうもありがとう」
「ああ」

急に頭を下げられてもひるむことがない、なんと言っても彼は生まれた時から伊達臣人なのであるし、作品であった。

「……何してんだよ」
声が次第に力ないものへとなっている十蔵、運ばれてきたほうじ茶をグッとあおって声を絞る。
頬に指を当てて思案しながら、おずおずと言い出した。
「あのね、話せば長くなるのだけれど…」
「手短に言え。四十字以内で」
「ぐうぜん」

四文字で簡潔に答えた母親の顔は笑顔である。普段以上に頬をほころばせた、十蔵をチリチリと苛立たせる笑顔であった。
さっきもしたやり取りである。

「……もう少し長く」
「買い物から帰ってきたら、サンダルが脱げてしまったの。足を伸ばしたらバイクの重みに耐えかねて転倒して、」
「もういい、わかった」

十蔵のバイク、それは修理の済んだばかりのゴールデンリザード号である。重量も排気音も何もかもがモンスターマシン、それを単なる中年主婦が支えきれるは ずも無かった。ずりずりと手足をうごめかして地面に這いずる母親の姿が容易に想像が出来る。


「……すンませんっした」
子の恥は親の恥、その逆も然りである。十蔵は頭をしっかりと下げた、自分とさして年が変わらないように見えるがそれでも大先輩である。
「いや、いい」
ぐっ、と十蔵の太い喉が鳴った。もう二度と会えないと思っていた、その人がここに居る。そう思うと胸に迫るものがあった。
「………先輩、生きてたんですか」
「………ああ」
ふ、と視線を伊達臣人(クローン)はそらした、茶菓子を入れたふた付きの器のふたへ手をかけて持ち上げる。伊達臣人の能力や頭脳をコピーしたとはいえ、生 まれて間もない彼の好奇心は見えないものに対して強く働いた。

「食っていいか」
「は」


伊達臣人(クローン)はその器のふたを置く、その尖った指先までもが伊達臣人である。安東はもはや目を合わせることもできずに部屋の隅からコソコソと眺め て身震いしていた。信長と獅子丸は安東よりかは単純に出来ているようでアーヨカッタヨカッタと繰り返す。日登はまだわからないままである、しかし安東が叔 父貴叔父貴と繰り返すのと、十蔵が先輩と呼んだ辺りから推察はしていた。

「でさ、何て呼ぶ?」
いくら尊敬する父親の親友であっても、見た目は若い同年代。獅子丸は気さくに伊達臣人(クローン)へ声をかけた。十蔵が物凄い形相で獅子丸を睨んだ、感動 の再会を台無しにしてくれる御学友をである。
「好きに呼べ」
「伊達じゃ駄目なのか?」
信長が湯飲みを一度、母親に向けていただきますと掲げてからすすりつつ提案する。
「いや、先輩を呼び捨てってマズくねぇ?それにホラ」
ホラ、と獅子丸がまだショックから立ち直れないでいる安東を顎でしゃくった。日登がようやく状況を察したようで、非現実的な現実に頭を痛めながら口を開 く。
「アー…その、安東の叔父貴が伊達さん?で、そちらが」
「「クローン」」
声を揃えて獅子丸と信長。伊達臣人(クローン)も頷く。

どんどんと感動の再会の雰囲気が崩れていく。どいつもこいつもKYだ、十蔵の奥歯がギチギチと鳴った。



「召し上がれ、歯茎チョコ
「ギャッ、きっしょく悪ゥ――!!」
遠慮なく獅子丸が素っ頓狂な声を上げた。
「うえ…生々しいな…」
一応指先に摘んでからまじまじと見つめてから日登。母親の顔を気にしてからもぞもぞと口に入れた。
「押忍!いただきます!」
信長は元気よくリアルに健康そうな、色鮮やかな歯 茎チョコを頬張った。最近信長は耐性が出来たようで、どんな菓子、どんな料理が出てきても真面目に律儀に 食べるのである。

「…食えるのか」
「ええ、甘いの」
伊達臣人(クローン)もその手に、槍しか持った事の無いような、それ以外のために作られて居ない柔らかな手のひらに、ピンクの歯茎チョコを乗せている。ため らい無く口に入れた。彼に常識は通用しない、男と女が作り出すという定めからはずれ、常識の無い世界から来た男は疑問を感じて居ないようであった。母親は 嬉しそうに歯茎をすすめて笑っている。




「……甘いな」
台無し…!!
十蔵は拳を作ると、唯一常識を保ち続けている安東へほんのり優しい視線を向けて、ヤケになって歯茎を口へと放り込んだ。


「今日はそれじゃあ、パジャマパーティなのね」

KYッ…
更なる台無しに、十蔵のこめかみは大きく脈打った。KYに囲まれた彼に勝機は無い。
 
モクジ
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