酒気嗅ぎ取れず
誕生日を祝うという名目で始まった酒宴も夜半を過ぎてほぼ散会。後に残るは酔い潰れた一号生たちという名の残骸、そして極少数の死体処理班、もとい不運な
る介抱者たち。
一応この日の主賓である富樫、心地よい酔いに回る世界の中、この晩何度目かの憚りに立っていた。今宵は特別、と何某の秘蔵の酒とやらを存分に振舞われた。
勧められるまま上から酒を流し込めば下から出るのは当然の帰結、気持ち良く出す出すものを出してしまうとまた容量が増えるのか、先刻の美酒が恋しくなる。
〆にあの酒をもう一杯飲みたいもんだ、ああでも瓶はたしかもう空だった。瓶を逆さにして置いておけば一口分ぐらいは溜まらんかのう、とみみっちいことを考
えながら廊下に出ると、暗闇に半ば溶けるように立っていた男に気が付いた。
よお桃、おめえも小便か、と、声をかけた。
ありゃあ旨い酒だったな、おめえも飲んだか?いやほんとに旨えのなんの、命の洗濯っていうのかありゃ、いや違うな、酒はシャクヤクのチョウっていうのか、
あーどうでもいいや、まだ飲んでねえなら一緒に行こうぜ、あと一口ぐらいはあんだろうよ、すこぶる上機嫌の酔っ払いの無駄口を、桃は静かに聞いている、よ
うだった。
一瞬だった。
桃の掌が富樫の腕の付け根を掴んで引き寄せる。ぽかんと半開きの富樫の口、その唇に押し付けられた桃の唇。上唇に、微かに舌が触れた。
唇はすぐに離れた。離れた後、震える息を濡れた唇が感じた。 いつも呆れるほど無駄に爽やかな光を湛えるその双眸は伏せられていた。
すまない、と一言呟いた桃は、そのまま現れた時と同じように闇の帳の奥に消える。富樫はしばらくぼんやりしてから、ああ、とかおお、とか不明瞭な声で答え
たが、答えを渡すべき相手がすでに居ないことに今更ながら気付いた。
一体何が起こったのか分からなかった。もともと考えるのが得意ではない上に酔っていたのでは尚更だ。きっと酒のせいだ。酔っていたからだ。
そう自らの中で結論を下して、富樫はそそくさと部屋に戻る。
酔い潰れた男達を介抱する飛燕達に手を貸す、と声をかけながら、富樫の頭からは漆黒の闇に溶けていった男の姿が離れなかった。
思い出す、桃の唇の感触。
冷たかった。
そして、酒の匂いはしなかった。
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