肩透かしの恋

いつも見ているって?
そうとも、見ているとも。
おまえの隙間をさがしているのさ、
糸の如き隙間におれをねじ込もうと狙っているのさ。

【粘着】



雑穀対米の割合が8:2の飯に、実はあれば大吉な味噌汁をぶっかけて。ぺらぺら沢庵を端噛む。
そんな粗末な朝飯に午前のシゴキがどっさりと重なっているのだ。朝飯とさして変わりの無い昼飯で育ち盛りの塾生の腹は到底膨れない。
なのでめいめい勝手に男塾から抜け出して近所の肉屋でコロッケ買ったり、スーパーで安売りされていたカップ麺などを買い込んできてはさびしい口を慰めてい た。
昼飯を食い終わったわずかなゆとりの時間を桃は教室の窓際、自分の席で昼寝をして過ごすことが多い。今日もそうする気でジャンプを手にしている。水曜日と いうこともありあらかた一号生の中でジャンプは一まわりしたので、顔にのせて寝ていても取り上げられることはないだろうと踏んでいた。
三月である。
外界では卒業シーズンがどうのとやっているめでたい季節であるが、ここは男塾である。大豪院邪鬼の姿は当たり前のように天動宮にあったし、江田島平八は何 時もどおりに名乗る。いつまでも続いていそうな今日があった。
外の桜がようやく男塾の根性桜に追いついたあたりの日はあたたかく、いかにも昼寝にうってつけである。
ううん、と大きく伸びをしてから桃は椅子の背もたれに身体を預け、長い脚を机に投げ出した。ジャンプを顔へかぶせようとした時目の端に自分のほうへ近寄っ てくる男の姿が目に入った。
「富樫」
「おう桃、…寝ンのか」
「ああ、いい天気だぜ。どうだお前も」
「俺ァいい。腹減って寝られやしねえよ」
「そうか……で?」
「へ?」
「何か用だったんだろ」
ああ、と富樫は学帽の頭を掻いた。屋根から落ちても外れない学帽は富樫の指の動きに合わせてゆらゆら揺れている。桃はぼんやりと富樫のむぐむぐと何か言お うとしては口ごもる唇のあたりを見ていた。荒れている。
「いや、おまえ寝るならいいや」
「いいから言えよ、…言っとくが金はないぜ?」
「おまえに借金なんかできっかよ、取立てが恐いぜ」
うははと富樫は破顔した。笑うと目が細くなってガキくさく、そこがよくって桃も笑った。
「で、なんなんだ」
「パン屋行くんだけど、おまえも何か食うかと思って」
「オゴリか?お前のオゴリってのは珍しいな」
「バァロォ、金は貰うに決まってんだろ。ついでにパシってやってもいいってだけだっての」
「そうか、ん…」
桃は学ランのポケットを探った。指先にあたった金属を掴んで机の上へと投げ出してみる。
小銭がいくつか。それからゲームセンターのメダル。その中から銀色の小銭だけを拾って、富樫の手のひらへ渡した。
全部で二百円。
「買えたら頼む」
「ツリはいただくぜ」
「おい」
「ヘッヘヘ冗談じゃい、そんじゃ何か適当に買ってくらぁ」
桃、テキトウ。そう富樫は呟いてから背を向けた。走って出て行く。桃は富樫の背中が教室のドアに消えるのまで見届けてから、眠る。
春の日差しは桃の眠りを桃が意図した以上に深めたようで、目覚めた時にはとっぷりと暮れてまわりに誰もいなかった。

ビニル袋に包まれたアンドーナツはコチコチに冷えて硬く、しかも一口齧ってあった。桃は小さく笑って冷たいアンドーナツを頬張る。





それからも毎日富樫は昼休みに桃のもとを訪れて、パンはいらねえかと聞いていく。桃のポケットにちょうど小銭があれば何か頼むし、無ければ断る。
桃はアンドーナツにカレーパンにカレーパン(辛口)にアップルパイにレーズンパンを食べた。どのパンも「うまい!」という味ではなかったが、「あ、あれ あったな」と思い出したように馴染む味であった。
パンを買って戻ってくる富樫を桃が出迎えることはほとんど出来ない。眠ってしまっているからである。眠ってしまって、目覚めた机にあるパンは律儀といって もいい生真面目さで毎度一口だけ齧ってあって桃を苦笑させる。
しかし富樫はもともとパンよりは米ッ食いだったと桃は記憶している。もっと言えば一番好きなのはラーメンであった。
こうも毎日駆け足でパンを買いに行くのはどうしたことだろうか、とようやく疑問を抱いた桃は田沢に尋ねてみた。
「なあ田沢、最近富樫の奴おかしかないか」
「そうでもねえだろ、いつもあんなもんじゃねえか?」
「なんかやけに張り切ってるな」
と、秀麻呂がチッチと指を振りながら、
「なんだ桃遅れてんな、まっこの事情通の秀麻呂様の話を聞きねえ聞きねえ」
江戸っ子口調で切り込んできた。桃は背もたれから身を起こして先を促す。
「聞くも涙、語るも涙ァ。純情一筋男ァ源次、ア・恋物語ィ」
歌舞伎モドキの節回しで秀麻呂は桃の席の前の椅子に腰を下ろし、リーゼントの頭を振って見栄をきった。
「恋物語?」
「そうさ、あいつ今熱烈に恋してんだよ」
「へえ」
「マッ、俺の見たトコ勝ち目はねえなあ」
「そうか?」
「あいつあれでじれったくって、見ちゃいらんねーぜ」
「へへえ、で、誰に?」
「隣町のパン屋の、看板娘!」
秀麻呂が笑った。どうだ笑うところだと言わんばかりだったので、
「そんな遠くまでか、酔狂な奴だな」
桃も笑う。不思議に戸惑っていた。
「こないだ食料調達中にグーゼン見つけたんだとよ、で、」

秀麻呂の話を詳しく聞くと、ありありと桃の目の裏側にその情景が浮かんできた。

古い商店街をガラガラと、まだ肌寒いと言うのに汗を垂らしてリヤカーを引く。
が、パン屋の目の前で押していた男塾一号生の命綱である食料を満載したリヤカーがとうとう重みに耐えかねてパンクしてしまった。
パン屋へと入ろうとしていた客達富樫をいかにも邪魔くさそうに見ている。この現代社会に闇市帰りのような風体の富樫をちらちらと視線があわれんでいく。
商売の邪魔をしてしまったことをまずは詫びるべく店内に入った富樫はすまなそうに学帽を胸に当てて、
「すまねえ、店先で」
と眉をショボ下げて言った。だがその詫びた語尾がモゾモゾと小さくなる。
「いいえ、困った時はお互い様ですもの」
現れた看板娘はおそらく髪の毛を清潔そうに後ろで一つに束ね、すっきりとした首を傾げて富樫に笑ったことだろう。
お近くなんですか?とか、大変ですね、とか。
頑張ってくださいね、だとか。
そんなイチイチかけられた言葉に富樫は骨までトロトロになってしまった、そこまで想像がつく。
だから最後の、
「また来てくださいね」
笑顔つきの一言に毎日ダッシュで隣町まで駆けつけるのだろう。


「…そうか、俺はそのパン屋の売り上げ貢献に一役買ってたのか」
桃はポケットに残っていた小銭を手のひらに乗せて数えながらなるほどと納得した。集まってきた一号生達も頷いている。どうやら一号生達に声をかけていたら しい。桃は肩をすくめた。
「へへへ、富樫のヤツ顔真っ赤にしちまって。趣味は読書ですときたもんだ」
「アイツが読書?ジャンプとマガジンとサンデーしか読まんくせにのう」
松尾が腹をさすって笑い、隣のJの肩を叩く。だがJはムと小さく頷くだけである。しゃべるのは得意だが読み書きは不慣れなJ、彼が読めるのは今だドラえも ん程度の漫画であった。
「見てきたように話すんだな」
秀麻呂がウフフとおかしな笑い声を立てた。
「あいつ、後ろを振り返り振り返りするわりにてんで気づかないんだぜ?浮気は出来ないタイプだな!」
「…尾けたのか」
おうよォ、と極小路組のおぼっちゃまは威勢良く胸を張った。
「あそこまあまあ美味いんだ。富樫にそれとなく聞いたらバアさんがずーっとやってたんだって」
「最近になって孫娘が手伝いに来たんだっけ?」
「こないだワシ、おまけしてもろうた」
「俺もじゃ」

あのパンがうまいこのパンもよかったと言った雑談で沸く級友達に桃は肩をすくめる。

「やれやれ、パン屋の場所もだが事情を知らなかったのは俺だけらしいな」
「桃には言えやしないよ」
言い出したのは椿山だった。どういうことかと聞き返してみれば、
「だって…その」
どうにも要領を得ない。見渡すと、
「桃は駄目だな」
「うん、桃は無理だ」
「桃じゃ仕方が無いな」
などと誰も彼も得心顔でウンウンやっている。桃はムクれた。
「おいおい俺はのけ者か?」
ちょっと口を尖らせるようにして言ってみると、田沢がメガネをずり上げながら答える。
「そりゃあおめえ、桃、おめえが格好いいからじゃ」
「…うん?」
秀麻呂が椅子にふんぞり返って間延びした声で続けて言う。
「そーそ、お前みたいなさ、かっこいい奴がもし「それじゃあ俺も行くよ」なんて言ったら困る」
「富樫の奴、俺等はパン屋誘うもんな」
「そうそう」
「桃を誘わないのは、もしその姉ちゃんが桃にホレちまったら困るからだろうな」
「うむうむ、わかる、わかるぞー富樫ー」
「ワシらじゃあライバルになりゃせんと踏んでるんじゃろなぁ」
「腹立つが、しゃあないのう」
「そうだなあ」

「………ちぇ」

桃は少しばかり面白くなかったので、ジャンプを顔にかぶせてぐうぐうといびきをかいて眠る。





次の日、富樫はまた桃にパン食うだろと持ちかけてきた。桃は何時ものように小銭を渡す。富樫は小銭を受け取るとすぐに教室を出て行こうと駆け出した。その 背中を見送ろうとしたが、一度眉を動かしてから、
「ああ頼むぜ、…そうだ、富樫」
桃は富樫を呼び止めた。
「あーん?」
他の誰かから集めたらしい小銭で学ランのポケットは重く、裾は翻り方を鈍くしている。身体全体ではなく上半身だけひねってソワソワと振り向いた仕草に富樫 の気のはやりが見て取れた。
「……いや、なんでもねえ」
桃は珍しく歯切れの悪い物言いをした。普段こうした言い方をすれば、なんじゃい桃ォと富樫が食いついてくるのが常である。
だがこの時の富樫は、
「そっか、じゃああばよ」
そう言ってパン屋へと駆けて行ってしまった。恋の道をひた走る富樫には、足元は見えていない。たちまち前傾姿勢の全力疾走をかます富樫の足音は聞こえなく なってしまった。
「…ちぇ、」
そっくり返って昼寝をする気分になれなかったので、机にうつぶして桃は昼寝をした。深い眠りを終えて目覚めた桃の机の上には夕日に赤く照るチョココロネの 袋。
今度は一口も齧られていないそれを桃はもそもそと食いながらぼんやりと寝癖の頭を掻く。
その頃からか、桃の机に残されるパンは齧られることがなくなった。




淡い淡い、今時純文学でもはやらないような恋はコメディに終わる。
結局名前を名乗って、毎日通って、店のお得意さんになって、そのうち映画に誘おうとチケット握って、皺皺になるまで握って、機会をうかがっていたうちに終 わった。
その子に彼氏が出来たんだとよ、と桃は誰かづてに聞いて知る。
肩透かしの恋を終えた富樫の姿が校庭にある。昼寝から目覚めた桃は机に頬杖ついてそれを眺めていた。机にうつぶして寝ていた頬にはくっきりと寝跡がつい て、普段やわらかな頬の印象を硬くする。
夕方のオレンジが日光の色成分に染み渡り始めた時間帯である。そろそろ誰かの腹が鳴り出すような時刻に校庭にある富樫のギラギラとした気勢はどこかへ沈ん でうつむき加減だ。
富樫は正面から吹き付けてくる桜の花びらに打たれるようにして歩いている。桃はひとさし指と親指で輪を作り、教室の中から富樫を輪に切り取った。
「……ちぇ」
結局桃は何にふてくされているのかわからないままである。
それが面白くない。

「何ムクれてやがる」
背後から浴びせられた声に桃は振り向きもせず応じた。
「俺がどうしてなんだかつまらんのかわかるか、伊達」
伊達は鼻を鳴らして笑った。お得意のフンというあれである。
「嫉妬だろうが、くだらん」
「嫉妬…か?」
桃の中にその単語は染み込んでいくが、どこか地表に染み込みきれない欠片のようなものがある感覚が残る。
「嫉妬だろうぜ」
早くも声をかけてしまった事を後悔しているらしい伊達の顔は渋い、面倒見のよいところがアダとなった。
「嫉妬か」
「好いた相手が知らない女にうつつ抜かしてんのが気に食わねえんだろう」
「…別に俺は」
隠しきれてねえんだよ――苛立つ伊達の頬に傷に妨げられながらの皺が浮かぶ。腕組みをして教室の入り口へともたれかかった。
校庭では富樫がまだ歩き回っている。目的は無いらしくただ歩いているようで時折歩くスピードが落ちるが、立ち止まることはない。
ひたすらに歩いている。
「隠してやしねえさ、俺は、」

伊達に言われるまでもなく桃は確かに富樫が好きだと確信している。富樫が嫌がらないのであれば声を大にして叫んだっていいとすら思っている。
だが、富樫が可愛い女の子にホレた事に嫉妬しているかと尋ねられれば答えは澱み無しに、
答えは、
「俺は別に富樫がどこの女にホレようが、応援できる」
答えは明瞭にNOである。もしも富樫がゴリラのようないかつい大女を好きだと言おうが、それともテレビで引っ張りダコのアイドルに恋をしたと言おうが、桃 の出来る範囲で全力で応援できる自信が桃にはあった。自信だけでなく行動できると胸を張って言える。

「違ぇ」
「え?」
「てめえがこだわってんのは【女】じゃねえ、【知らない】の部分だ」
「………」
腑に落ちた。伊達の言葉は桃の脳天からつま先まで突き抜ける。桃は打たれたように理解した。

そうなのだ、桃は言葉も無い。伊達は桃に用は無いと言わんばかりに何も言わずに背を向けて、夕暮れに桃一人を取り残して去っていく。

悩んで一分、行動瞬時。
剣桃太郎、額から眉へとずり落ちてかぶさっていたハチマキをほどいて閉め直す。頬を張った。だらけてむくんでいた頬に血色を叩き起こす。
しゃんと背を正して一息大きく肺へ空気を入れ、目を瞑る。瞼の裏のモヤモヤとした緑にピンクを追い払ってから目を開けた。

「富樫!」

腹の底から声を出して桃は富樫を呼んだ、富樫が声に立ち止まる。桃は富樫が振り向く前に既に窓枠を学ランの裾を大きく翻して飛び越えていた。着地と同時に 走り出している、目的地は富樫源次。フラれたばかりの富樫源次、その背中。夕暮れの校庭をまっすぐに、最短距離で突っ切ってその背中を目指す。
この姿を見たら伊達はみっともねえと桃を笑うかもしれない、だが桃はそれでもよかった。もともチンケなメンツなぞありがたがって大事にするような男ではな い。
駆け出していく桃は最初の一言をもう既に決めている。

「よう、フラれたんだって?」
モクジ
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