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黄色と青とで
全体的にオレンジの空に、端から藍色が染み入ってきて、 まざりあってまざりあってとけあって。
雲が虎柄、まだらに染め抜かれて転がっていく。
今、伊達組家事取締役筆頭通称仏頂面はヒヤリとした。
気温室温的な意味ではなく、背筋的な意味で。
「暑い…のう伊達、なーんでお前ンところ、クーラーが無いんじゃ?ケッチくさいのぉ~」
ああ、虎丸様!
私は障子の向こうで空気が張り詰めたのを感じた。手にした盆には今が出番ぞと待ちわびる、黒玉スイカの厚切りが。
この家は組長に惚れこんだ棟梁の真田さんが、『日本一のヤクザの大親分が住むにふさわしい家を』と言って一から手がけてくれたもの。風通しは抜群にいい、 素敵な日本家屋です。北の窓と南の窓とを開け放てば家中に風が滑り込んでくるし、干した熱熱の布団も畳に並べておけば風と畳が熱を吸い取って夜も寝苦しく はないし、快適なんです。
しかし最近の暴力的な暑さには、どうしても負ける部分があるのも事実。
けれど組長は、真田棟梁への筋を通して手を加えることはしません。クーラーをつけるためには壁に穴を開けることになるでしょうから。
説明すれば虎丸様だって、わかったにちがいありません。筋を通す点に関しては、組長と変わらないのですし。
「暑けりゃてめえが来ねぇだろうからな」
そんな憎まれ口を叩くから!いっそ、いますぐ私この障子を開け放ってしまいましょうか。この塗り盆素敵でしょう、じゃなくて、この盆にのったスイカとって も立派でしょう、実がギュッと詰まった上等なスイカですよって言いましょうか。これは組長がわざわざ命じて取り寄せたんですから、うちが暑いことぐらい、 組長だって御存知なんですから。
「な、なんだとォ!?おめえ、俺が邪魔だってかァ!?」
「……フン」
フン、じゃありませんよ。どうしてそこでそんなことは無い、きてくれて嬉しい、そういえないんですか!言えないから伊達臣人?そうですか。
「チェッ、じゃあな!」
結局虎丸様は帰ってしまわれた。組長は座布団に着物の裾をチョイチョイと跳ね上げて脚を丸出しの格好で座っていらっしゃる。
声をかけるのもはばかられて、スイカは私と見習いさんで食べました。
それから一週間、虎丸様は来ない。
ああどうしましょう、普段は結構ああ言われてもケロリとしていらっしゃるのだけれど。
困りました。
と、組長の寝室を掃除していたら床の間の花が枯れていたのに気づく。この間取り替えたばかりなのですが…神棚のお榊も。やはり酷暑ということでしょう。
私も首周りがたいへん暑苦しく、汗ばかりかくのでもう二キロも痩せてしまいました。
花を買いに行こうかとも思ったのですが、生憎お客様がいらっしゃったので見習いさんに行ってもらうことにします。
「見習いさん」
「はーい」
返事ははい、だと教えたのは何度目だったでしょうか。そんな顔をしていたかもしれません、見習いさんに繰り返し謝られた。
「ちょっとお花を…床の間に飾る花をお願いします」
「はーい」
…また…
「森田さんの所、わかりますね?」
「フラチューですよね!わかります!行ってきまーす!」
「おつりでアイス、買っていいですからね」
見習いさんは嬉しそうに出て行った。さて、私はお客様のお食事の用意をしなければいけない。調理場が一番暑いので、上着を脱ぐ。
今日は鱧が届いているそうですね。ああそれなら器は土ものがいいでしょう、とびきり渋い色合いの唐津。そうしたらお酒は派手に薩摩…
ああ暑い、暑い暑い暑い。
真夏の陽炎の果てに、その店はあった。
「くーださーいな!」
坊主頭に眼帯の、人相の悪い男が愛想のカケラも無い顔でのそのそと出てくる。
「うちは駄菓子屋じゃねえぞ、見習い」
「えーと、と、トコヤに飾る花ください」
「トコヤ?…総長は理髪産業にも手を出したのか?」
「……わかんない」
「ガキの使いじゃねえんだぞゴラ」
「親分に飾る…んじゃなかったっけかなー」
「総長に!!?」
このとき、フラチューこと、フラワーショップ忠義店主森田大器(フラワーアレンジメント免許取得、表千家いけばな師範代)は、
芸術的にひねりをくわえたポーズを取り、イチヂクの葉で股間を隠したのみの全裸の伊達組組長伊達臣人に、どう花を飾りつけるのか想像したのはナイショであ る。
「あ、ヒマワリがある!森田のおじさん、これにします!」
大輪のヒマワリが生き生きと軒先のバケツに入れられていた。森田は腕を組んで、
「ちっと総長には安いんじゃねぇか?どこにでもあるぜ」
あくまで伊達臣人にふさわしい花を探しているようであった。
「でもすごくいい色だし、これでいいんじゃねぇかなぁ」
「まあ、今日届いたばっかりの花だからな。今束ねてやるから待ってろ」
森田はバケツから数本目立った花を選ぶと茎を揃え、濡らした新聞紙を根元へ巻きつける。包装紙でくるむと見習いへ手渡そうとして、姿が無いのに気づく。
「…見習い?」
「………アッツー…」
暑さに店の軒先にヘバッていた見習いに気づくと、見習いはふらふらと立ち上がった。
「大丈夫か。食ってんのか、そんなんじゃ総長のお身体お守りすることなんざできねえぞ」
「大丈夫」
大輪のヒマワリは抱えてみると思ったよりも重たくて、そして大きかった。
「さっきのトコヤだけどな」
「うあい」
「もし開店するんだったら俺ントコに連絡くれってホトケさんに言ってくれや。祝い花作るの時間がかかるんでな」
「ふぁーい」
「寄り道すんじゃねぇぞ」
「………」
「返事しろや」
フラワーショップ忠義店主、森田大器。伊達組が関わるキャバクラやクラブ等へ納入されているフラワーアレンジメント等は実は、全て彼の手によるものであ る。組員の結婚や葬式含め、こと伊達組の花関係は全てフラワーショップ忠義一本に任されていた。
それが店名でもある、忠義への報いであることを、誰もが知っている。
「……何でよりにもよって、ヒマワリなんですか」
帰ってくるなり仏頂面の額に青筋が立つ。ヒィ、見習いが喉の奥で悲鳴を上げた。
玄関先にひやりとした空気が膨らんだが、不意に見習いが足元にあるべきはずのものがないことに気づく。
「アレ、お客さん今日まだ来てねんですか」
「え?ああ、この暑さに体調を崩されたらしく」
「ヘエ、ヤクザなのにだらしがねぇんだ」
仏頂面がますます恐い顔をして、見習いの口を手のひらで塞いだ。
「………うちの組長も、ですよ」
エエー!!!見習いがくぐもった声を上げた。
オニの学ランっちゅうヤツだ、見習いは大きく頷いて納得する。
暑い暑い暑い。
暑い、伊達はあの穴倉にあった。
日差しも雨も防げないあの穴倉。真夏の日差しは拷問のように降り注ぐ、単なる日差しと侮ってはいけない、背中を焼けば皮が炎症を起こしてひきつれたように なるし、熱射病でふらついたところをグサリとやられるかもしれない。
そこから這い出て、薄汚い体のままあそこへ入った。男塾にだ。
そこではなにもかもがまぶしくて、体験したわけでもないのにすべてが懐かしい。飯を少ないと言ってみたり、エロ本を買いに行くのに見張り部隊を立てたり。
暑い暑い暑い。
あいつのせいだ、あいつがクーラーがなくて暑いだとかほざいたせいだ。あんなものがなくたって、気迫でどうとでもなるだろうが。
暑い暑い暑い。
あいつのせいだ。うるせぇ、暑苦しい、妙に人懐っこくて突き放せないあいつが悪い。
あの日向のにおいのするきんいろの。
伊達の脳裏を一頭の金色が駆け抜けた。
はた、として目を開く。夜気がほそく通り抜ける自分の寝室だった。どうやら横になって休んでいた間に夜になったらしい、熟睡した気配はなく気だるいまま。 頭痛が鈍く頭を占めるのを無視して体を起こした、と、濃紺を全てに含ませた色彩の部屋の中、何か金色にかがやくものがあった。
「……?」
視線を巡らせるとすぐにその金色が見当たった、床の間に飾られた信楽の無骨な器へ無造作にヒマワリが活けられている。
本来安らぎをもたらすための床の間に生命力溢れる、ともすれば暑苦しいばかりに輝くヒマワリに伊達は顔をしかめた。
「どこの誰がこんな活け方をしやがった」
ずけずけと図図しく器に収まって、空気も読まずにワッと咲いたヒマワリ。
しかしどうにも慕わしい、どこか間抜けで人懐こさを感じさせるその花へ伊達は膝でにじり寄ると手を伸ばした。
太陽の花といわれている花。
伊達をさんざんにあの穴倉でいためつけた太陽、しかし今伊達の手にある太陽は黄色く丸く、親しみのある太陽だった。
あの、きんいろの。
「組長、お目覚めでいらっしゃいますか」
襖の向こうから仏頂面が声をかけた。手にしたヒマワリを乱暴に花器へと戻し、
「ああ」
「虎丸様がお見えです、…お断りいたしましょうか」
「………いや、今行く」
「はい」
どうしてそうしたのか伊達もわからない、わからないまま伊達は花器からヒマワリを摘み上げるとそれを携えたまま客間へ向かった。
客間の襖を細く開けた途端、ひやりとあふれ出したのは冷気だった。
「?」
開け放つ、踏み込む。
「よォ!」
そこにあったのは、米俵ほどの大きさの氷塊とその隣に陣取って馬鹿笑いをしている虎丸であった。
「氷屋って、もう全然無くてのォ。探すのに手間取ったんじゃ」
笑いながら氷塊をコンコンと叩いて虎丸が伊達を手招いた。見れば氷塊の隣に座布団があって、どうやらそこへ座れと言うようである。
そこへどすんと腰を下ろしておいて、氷塊の下に敷かれたムシロと新聞紙、それから長い紐が目に入る。
「…担いで来たのか?」
「オウ、リヤカー貸してくれるっちゅうたけどな」
面倒で、虎丸はワハハハと大笑いをかます。
「後で好きに切り分けてくれや、オット――来た来た」
仏頂面が黒塗りの盆にカキ氷を載せて運んできた。ガラスの器は薄い黄色と薄いブルー、仏頂面の気に入りの古い氷鉢である。
黄色にはブルーのシロップ、ブルーには黄色のシロップがかかっていた。
「おう伊達、おめえレモンとブルーハワイどっちがいいよ」
「あ?俺はいらん」
「バッカ、せっかく虎丸様が運んで来たんじゃ、どっち」
「………レモン」
伊達はブルーの鉢を受け取った。鉢と揃いの色をした、ガラススプーンを使ってシロップのてっぺんをすくいとる。
それを見咎めた虎丸が違う違うと声を張る。
「あんな、まず最初にザッと混ぜんの」
言われるまま伊達は軽くカキ氷をかきまぜた。シロップの黄色が全体に馴染んでしんなりとする、知らず喉が鳴った。虎丸などはさっそくブルーハワイを喉へ通 している。
一口頬張るとサッと口内で氷が溶けて、レモンというにはあまったるいシロップが広がる。その雪消の速さから、いかに口内が熱くなっていたかを伊達は知っ た。
「うまいじゃろ」
「……まあな」
「こーやっときゃ、暑くないじゃろ」
「…………まあな」
伊達は虎丸の真意を知った。虎丸は普段どおりにくだらないことを言っては笑って、カキ氷を食っている。
いかに怪力とて、あれだけの氷塊を担いできたのはさぞ骨が折れただろう。そこを買ってやってもいい、伊達はそう決着をつけた。
「おい、」
伊達は傍らに置かれていたヒマワリをその氷の足元へさして、膝で虎丸へとにじった。
「うん?」
「てめえが見つけたにしちゃあ美味い氷だな、後で店を教えてくれ。うちの店で使いてぇ」
「あ、そりゃあ爺さん喜ぶぜ、そんじゃ住所だけどナ」
虎丸が氷鉢を下ろして尻ポケットから手帳を取り出そうと身を捩った瞬間、伊達の腕が素早く伸びて虎丸の肩を捉えた。もう一方の手が顎を掴み伊達へと向かせ る。
「う、」
虎丸の視界は伊達の顔で一杯になっていた。
「アレ、親分氷メロン食ったんですか」
伊達はふふふんと笑うばっかりで、何も言わなかった。
モクジ
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