たったの一撃!

見えないものがいいものだと言ったのは誰だった?
鬼と女は目に見えぬぞよき――あれは誰だった?
見えないものが怖いとは思わないのか、
それでも私は、真っ赤な肉の断面が明瞭に見えるのを恐れもするし、
かけられた言葉が真意かどうかを迷いもする。








卍丸は頭上を仰いでひゅうと口笛を吹いた。まっとうに見れば女には見えないような長身の女が両手に傘で空中を駆けて行く。駆けて行くといったが実際はおっ かなびっくり歩いていく。敵の誰もが上を見て静止した。非常識な光景を目にしても静止していないのは俺たちだけ、と卍丸は無敵の笑顔で取り囲む敵を一拳に 地面に殴り伏せる。
「スカートでも、履かせりゃ良かった!」
聞きとがめた羅刹がしかめっ面で真面目にやれと言う、卍丸は盛大に笑った。
「顔に似合わねえ事言ってんじゃねえぞ、オッサン!」
羅刹の顔が怒りに歪む、駆け寄り敵をなぎ倒しながら突き出してきた指拳はまっすぐ卍丸へ繰り出されてくる。卍丸は正面からその手首を両手で掴むと、突進の 勢いをそのままに受け流す。羅刹は勢い良く影慶に敵兵ごと抱き合うようにしてぶち当たる。影慶の怒号が飛んだ。
「卍丸!何をしている!戦闘中だ!」
「カッカしてんじゃねえ影慶。せっかくの乱戦だ!」
「…今は翔霍だ!!」
「バレバレなんだよ、え・い・け・い!」
わははは、卍丸の笑い声が響き渡る。影慶は無言でしゅるりと覆面をかなぐり捨てた、ついでに腕の包帯へも手をかける。羅刹がアッと声を上げてやめんかと静 止したがもう遅い、見た目以上に気の短い影慶は卍丸へと駆け出してしまっていた。仕方が無いので羅刹も唸り声を上げて追いかける。死天王最後の一人センク ウは自身が倒立しコマのように回転しながら敵を蹴り倒している、その回転があまりに速かったため、彼はどうして死天王が殴り合いをはじめたのか理解ができ ぬ。理解できぬのはセンクウだけではない、敵兵達もだ。
何がどうして彼らが同士討ちを始めたのかまるきりわからぬ、わからぬがこれはチャンスではないかと声を上げたものがいた。だがすぐに、
「手なんか出せるかよ!」
悲鳴が上がった。虎の戯れに飛び込むウサギがいてたまるか、彼等が出来ることはと言えば取り囲んでわあわあ言うだけである。
庁舎前広場は混乱の最中にあった。


血路を征く、
血路を征く、
血路を征く、

私は精一杯に駆ける、ふらつく、傘右手の傘で空気の塊をすくい上げ、左の傘で受け流して持ち直す。靴裏は謳い文句の通りの頑丈さで刃鋼線の鋭さを耐える。 晴れた日に両手に傘を開いてふらふら、さぞ滑稽だろう。
バランスが崩れる前に駆け切ってしまえばいい!
大豪院邪鬼長官、長官、邪鬼様、上司の上司、いや、
「帝王だ」
かの帝王がその血でもって拓き啓いてくれた脈脈たる血路を進め、渡り切れ。もう敵兵の頭上はほぼ越えた、さあ落下しようメアリ、
メアリ、
私はただ一度だけ振り返った。必死に走ったというのにまだまだ出てきた窓は大きくって、そこに帝王大豪院邪鬼長官の立ち姿は確認できる。
目を凝らさなくても、新しいコンタクトレンズの具合は良好で顔までクリアな視界が届く。笑っていらっしゃる。
映画で見たメアリ・ポピンズのように、ただし私は落下する。落下した先は戦場だ、あの人が待つ戦場だ。
私がピンヒール履いているのも、コンタクトレンズでくっきり全てが見えてるのも全てあの人の策略なのだとしてももういい、血が滾ってしまっている。
私は刃鋼線から飛び降りた。




俺は進藤。正面突破指揮官ではあるが正直言って気が重い。
ただの訓練と言うが、自分達が今まで体験してきた訓練とは何もかもが違う。異常だ、常ならざる敵だ。部下の報告によれば怪しい覆面が気配もなく隠密部隊に 潜んでいたり、特殊金属製の盾を指で貫いたり、果ては空を飛びまわりコマを操ったりもするそうだ。化け物か。
そして今の今まで俺たちを一人で相手にしていたモヒカンの男、俺の目が狂っていなければ俺達の目の前で奴は十人以上に分裂して見せた。本当の分裂だ。
驚くべきことにこの化け物達全てうち、防衛庁の職員だというのだからもう笑いしか漏れてはこない。単なる職員がこうなら、長官はどうなんだ。式典の際に見 かけた長官は凛々しく気高く、そして押しつぶされそうな威圧感があった。
そこへきてまた、ヘンなのが飛んできた。
突然空中より落下してきた覆面の女(?)はその落下速度を両手にさした傘でもって和らげた。映画のようにふわふわとは決していかないけれども、ズンと響く 音を立てて着地する。両手に開いた傘に顔身体も半分隠れている。覆面はちょうど俺たちが突撃している真後ろへ降りた。
「また、ヘンなのが!」
誰かが後ろを振り向いて怒鳴った。
しまった、挟み撃ちだ、気づいた時には遅かった。覆面が傘を閉じて俺たちの背中へと突撃してくる。傘でだ。
「来たァッ!」「意味わかんね!意味わかんね!」
意味がわからなくて叫び戸惑う部下達の気持ちもわからないでもない。だが俺は伊達に指揮官をしてはいない、今まで相手にしてきた奴等と比べればはるかに弱 いだろう。見たところ女だ、その上ピンヒールだ。俺は手にした特殊警棒を握り締めて号令をかける。
「後ろだ、…かかれッ!」
全員でかかればこの傘女くらい押しつぶせるだろう。俺の読みは間違ってはいない、いなかった。が、全員が振り向いて相手を確認し、武器を持ち直すだけの時 間のロスを考えてはいない。
女は両腕を交差させたまま突っ込んできて地を蹴り、飛ぶ。飛び込んでくる。
最後尾の奴等に接触したと思った瞬間には腕を開いて、前方180度余さず横一閃に傘が俺の部下達をなぎ払った。勢いがついていた腕が後ろへと回り、更に攻 撃範囲を広めて270度全てを叩く。背中にまで回りきった傘を再び両腕がXになるように前へと閉じる。開いては閉じ、閉じては開く、そして駆ける。俺たち の陣を切り裂くつもりだ。たったの一人で、俺たちが振り向き立て直す暇を見つける前に!
しかしたかが傘だ、ビシリとやられたくらいどうということもないと思ったのに、打たれた奴がその場に転げたので目を剥く。おかしい、どうして傘がこれぐら いの威力を持つ?
「ベルリンッ!」
「はい!」
俺達全てを飛び越えて届いた声に傘女は答えた。声を聞く限りやはり女で、真っ只中で振るう傘は止まらない。
「おらッ!」
俺は隣の濱口へ合図して、二人がかりで同時にその傘を押さえ込んだ。抱え込んで初めてわかったが、重い!何キロもあろうかというこの傘で鼻面を叩かれれば 鼻血どころの話じゃない。鼻骨が折れる。右手の傘を押さえ込んだ、今だ誰か続けッ、奴の動きを止めろ!
女が俺達ごと傘を振りぬこうと力を込めたのがわかった、さして太くは見えなかったスーツの二の腕が盛り上がるのが見てとれるほど。本気で振り抜かれたら俺 達二人の体重を跳ね返せそうだとすら思った。
俺は声の限りを叫ぶ。
「押さえ込めェッ!!」

臆病風に吹かれたか、女を後ろから抱きしめるようにして押さえ込んだのは松岡ただ一人。一人とはいえ巨体の松岡に後ろから抱え込まれて動けるはずもない。
「うッ」
「うおおおおおッ!!」
松岡が吠えた。吠えるのは怖いからだ、混乱の極致にあってこの女も化け物かもしれないという恐怖から叫ぶのだ。叫ばなければ心が折れる。
「あ、ぐッ」
女の胸へと回された腕が力を増す。肺が肋骨ごと潰されそうな痛みに女の覆面に隠されていない口元が歪んだ。勝った、俺は更に体重をかけて地面へと引き倒そ うと傘を手放す。すると濱口はつられたように手を放す、馬鹿野郎!手を放すんじゃねえ!
女は締め上げられたまま傘を最後の力でか再び振り回した。しかしさっきまでの斬撃と言っていい攻撃からずいぶん落ちて、ただがむしゃらに振り回すだけのも のへと成り果てている。今なら行ける、俺は振り向いて部隊の奴等へ号令をかけようとした。


「だらしがねえ奴だ」


俺の耳に何かが弾んだ声を囁いた。囁いたのじゃない、聞きつけたんだ。何かを認識する前に俺の肩が捻り上げられて、地面にわき腹から落とされた。痛みに声 も出ない、気を失ってもいいような痛みだった。歯を食いしばって指を地面へと食い込ませ、頬が触れた地面の冷たさに覚醒する。
どっと吸い込むことが出来た息とどうじにドンドンと心臓が打つ。混乱に落ちる。
何があった。何があった。何があった。
風だ風が吹いた。風が吹いて俺たちを叩き伏せたんだ。
金色のモヒカンが俺らの隙間を蛇より細く狡猾にすり抜けていって、瞬き二つの間に肉薄して松岡の横頭を膝で打つ。松岡の目がぐるりと剥かれて眼球が真っ白 になるのを見た。
落とされた松岡が地面に崩れ、痙攣を一度二度して完全に意識を手放す。
その松岡の巨体の上で、女はたどり着いた男のもとに跪いた。







「ご迷惑を、おかけしました」
喉が鳴った。欲求に任せて一度に空気を吸い込むと眩暈を起こすのを知っている、なので細く細切れにして吸い込む。
私はまだ顔を上げられないでいる。顔を上げて上司の顔を見たらそれこそ卒倒しそうだ。立ち上がれない、立ち上がりたくない。
「突っ込んだら動けって言ったろうが」
「…はい」
上司の声は戦闘の真っ只中だというのに軽い、気配がさわさわと増えて首筋や手首に感じられる。取り囲まれた、取り囲まれたという事実が私に立てとせっつ く。
私は立った。十二月の冷たい空気の中、まだ肺が燃えているようだ。顔を上げる。
いつの間にかは知らないけれど上司は煙草をくわえていて煙をうまそうに舐めている。目を細めた顔は少し好きだ。
「突っ込んでかき回す。気持ち良いぜ」
「……はい」
「動かなきゃイケねえぞ」
「………はい」
珍しく私が普通に返事したからか、少し返答に上司は詰まったようだった。
ようし、と私の肩を抱いて囁く。
「ブチ込んでやれ」
了解しました。声も落ち着く。息も落ち着く。私は再び傘を構えた。しびれた腕が今にも傘を取り落としそうだ。
肩を抱く腕に力が入る。ぐっと身体が寄った。取り囲む敵達はようやく同士討ちをやめたらしい三人の上官達の攻撃が気になるようで、背後をちらちら確認しな がら迫ってくる。いくばくも時間が無い。
「なあベルリン、」
「はい」
「旅行に行こうぜ」
私がイエスかノーを言う前に上司は言葉を続けた。
「北朝鮮、アフガニスタン、スーダン、それから…」
「全部内戦真っ只中のところじゃないですか!」


それがいいんだ、そう言い残して上司は敵を迎え撃つ。あんまり気持ちが良さそうだから、私も疲れを忘れて傘を構え直す。





結局私たち、仮想テロ組織『SAKIGAKE』は最後は数に押されて(AT部隊が一度倒されたというのにルール無用で何度も復活しては攻撃してきたせいで もある)じりじりと庁舎壁際へと追い詰められた。相手が銃を構えたのを見て玄関ホールへ立てこもる。
私はスーツの両袖を引きちぎられ、頬は殴打され青く腫らしていた。情けない話である、上司達は傷などほとんど負っていないというのに。しかし上司達と比べ るのが間違いだとも言えた。
「追い詰められました、どうしますか」
傍らの上司にそっと尋ねた。不思議と緊迫感の無い上官達に私は戸惑う。玄関ホールの入り口は一つ、相手が突入してきたのを頭撃ちにするしかない。
「追い詰められた?」
上司は不思議そうに口を半開きにして私を見る。いつものように見下ろされない、ヒールのせいだ。
「サラリーマンたるもの、上司にゴマはすっとけ」
なあそうだろ、と上司が他の三名を振り返ると皆苦笑した。
私が更に問いかけようとすると、突如腕や背中がざわざわと粟立った。
冷や汗がじっとりと額に噴き出た。

悪寒、恐怖、畏怖だ、これは、

振り向かなくてもわかる。

下りて来られたのだ。

鬼が戦場へ下りてこられたのだ。

「…わかったか?」
優しく羅刹上官が尋ねたのに答えて一つ頷く。

私のすぐ横へ、立っておられる。
つま先から冷えていく。こんなに恐ろしい方の下に私はいたのだ。

「慰安旅行だが」

鬼が口を開いた。鬼らしくもない内容だったので私は少し笑う。

「……熱海に行くぞ」
「オスッ、邪鬼様!!」
「うむ」
元気良く死天王が答えた。私は更に笑う、これじゃあまるで学生のようでかわいらしい。


帝王の背中を見送ると、私は身体から力を抜いた。
あの手のひらが、私に道を示したせいで傷ついた手のひらが気を噴いたら全て終わるのを私は経験ではなく感覚で知っている。



堂堂とかの帝王は正面より出て行く。出て行って、相手が銃撃するより速くその気を放った。
「大豪院流、真空殲風衝――ッ!!!」
轟!
豪、轟、強轟!
悲鳴と絶叫、残るはむくろ。手加減してもらえてよかったな、とセンクウ上官が呟いた。私もそう思う。
窓越しに空を見上げる、雪が降って来ている。
上官達は既に、今日どこに飲みに行くかを話し合っている。私は疲れていたので帰りますと言ったが聞き入れられなかった。











クリスマステロルはあっけなく終了し、おかげで今尚私たちはこの仮庁舎を使用することになった。

一月立った今も私はベルリンで、上司は相変わらずソファで寝ている。
ジャーン!ジャーン!!
デスクの上のアラームが鳴った。
「出動だッ!!」
今の今まで寝ていたというのに、上司はきらきら輝きながら飛び上がって起きる。私は処理していた請求書を束ねてデスクの引き出しへしまう。
「遅い、先行くぞベルリン!」
「はい!」
風より尚速く部屋より走り去る上司を追いかけて、私も防弾チョッキを着用しながら走る。
廊下にヒールがカンカンと鳴った。

モクジ
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