したいのは同棲だったのに
はい、高崎不動産。ああ、はい、広告をごらんになっ
て…、
はい、はい、あ、これからいらっしゃる?はい、はい、ええ、今駅ですか?
はあはあ、そうですか、それならですね、北口から…はいはい、北口出ますとすぐ左手に交番がございます。その隣の道を、はい、
そうです、まっつぐに進んでいただいて…そうしますと、うちの看板が。はいはい、ははは、古い建物だからすぐ分かりますよ、それではお待ちしております、
あっ失礼いたしました、わたくし高崎不動産の高崎が承りました、ああ、はい、はい、
エイケイ様、
…え、イケイ様ですね?
ははあ、カゲに、ウンケイカイケイのケイ。
はい、お待ちしております。
「爺さん、これから客来るけど車使っていい?」
迂闊だった。ちょうど店に出てきた爺さんの事を爺さんと呼んでしまった。
「店で爺さんって呼ぶんじゃあねえって何べん言やわかんだよこのボンクラァ、俺ァ今っからともの湯だ、好きにしろィ」
「社長、いってらっしゃい」
「おう」
爺さんもとい、高崎不動産社長は蜂のように言葉を連射し、平たい草履をペタコラと、威勢良く行ってくらァと言って出て行った。
…何が社長だよなぁ、こんな、古いのだけが取り柄の一軒不動産で。たまたま友人に地主が多かったものだからその管理を任されて細々やってきただけだろうに
さ。まあいいや、客が来る。
私の知っていた五月の午後はもう無い。薫風だなんてとんでもない、エアコンの室外機並みの熱風が吹きかう外で、アスファルトが熱々に焼けていた。働くお姉
さん達は皆日傘を持ち、サラリーマンは手に上着をかけてふうふう言っているのが窓越しに見える。
「五月は、夏なんだなぁ」
呟いてみるとなんだか急に暑くなったように感じた。
お客さんには、冷たいお茶を出そう。
私は店の端に置いてある、メモがベタベタ付いた冷蔵庫のドアを開け、ペットボトルのお茶を取り出す。買ったものではない、茶なんぞ買おうものならそれこそ
爺さんはバッカヤロィと怒鳴るだろう。年寄りにとって茶を買うという事はありえないのだ、というわけで一一私が作ってペットボトルへ入れている。実は爺さ
んには黙ってあるが、実はお客さんに出す熱い茶は、常寿司の二代目から分けてもらった粉茶だったりする。さして面倒でもない。
しかし冷やすとどうしても粉茶ではうまくない、気がする。まあうちは茶屋ではないし、これだけピンピンに冷たいのならごまかせるだろう。
ガラスの器へペットボトルから茶を注いでいると、
からんごろん、
誰がつけたか恐らく爺さん、古いドアベルが鈍く鳴った。反射的に振り向く。
「いらっしゃいま、」
せ、は言えなかった。
暑い暑いと言っても不自然な、五月の黒いタンクトップ。
むき出しの青黒い程に血色の悪い腕。
肘から先は包帯が隙間なく巻きつけられている。
細く高い印象の鼻、神経質そうな唇。それ以外は分からない、
包帯が顔の上半分を覆っているからだ。
「ああ、フ」
フックメン!私はあやうく叫びかけた。先日お嬢様との夢の同棲生活のための新居を探しに来て、無理難題を言い――挙句激昂して去って行った彼がまたやって
きたのだ。
「店主、先日は邪魔したな…今日はまた、頼む」
フックメンはカウンター越しに私へ声をかけた。カウンター越しなはずなのに、私は首にグッと手をかけられたような圧迫を感じる。
しかし彼も客だ、先日来た際も、私の提案する物件が気に入らなかったので家へ帰った、それだけなのだから。今日だって普通に客として接しないといけないだ
ろう。
「はい、いらっしゃいませ。あの、…エイケイさん?」
「………翔霍だ」
「エッ?」
いや、だって先ほどの電話、そうじゃないのか?うちは自慢じゃないけどお客さんが二人同時にやってくることなんて繁忙期でもないかぎりそうそうはない。ま
して今は大体の人が居所を決めた五月。今の時期来るのは五月病で仕事をやめたり、その五月病でやめた人間の後釜に座った人間だったりそんなものだ。一応、
聞いてみる。
「先程ご連絡をいただきませんでしたか?」
「……ああ、」
…やっぱり影慶さんじゃないですか。
「影慶さん」
呼びかけながら、私はふと、影慶が苗字で翔霍が名前(またはその逆)ではないかとも思った。しかしあんまり語呂が悪い。
「翔霍だ」
どうして認めないんだろう。しかし面倒だ、もうどちらでもいい。どちらにせよフックメンだ。
「はあ、それじゃ」
どっちでもいい、と顔に出ていたらしい。フックメンは右手を挙げた、
「翔霍だ、」
「わ、わかりました!」
わかったって言ってんのに!私は慌てて一歩退いた。よく考えなくても不審人物なんだからあまり刺激するような事はしないほうがいい、私はこくこくと頷いて
両手をホールドアップ!ここは日本だって言うのに!
「影慶よ…いつまで待たせるつもりだ」
突然、吐息が多分に混じった、しかし力ある声が私を一歩後ろへと圧した。足元にあった金属のゴミ箱がかかとに当たって、私は一歩下がった事に気づく。
断言する、絶対に、絶対に、ドアベルは鳴らなかった。私がちょっとフックメンに気をとられたものの数秒の間、高崎不動産に二人目の客が現れたのだ。
現れた、忽然と。もしくは入り込んだ、煙のごとくに。
どちらにせよ只者ではない、私のような一介の不動産屋が会う類の人間ではない。
見た目からもそれは明らかだった。
二メートルはあろうかという、隆隆たる体格の大男だった。マントだとか、それから肩アーマーだとか装飾過多のベルトなんか似合うだろう大男は、あっさりと
黒いシャツに灰色のパンツを履いただけのまるで飾らない出で立ちだ。普通のオッサンがそんな格好をしたらそれこそ野暮の極みだろうが、体格がいいために、
着ている物がグッチですよと言ってもだまされそうだ。挑むように髪の毛がわっと持ち上がり、背中へと流れている。男で長髪、だのに女々しいどころか、どこ
かの帝王のように見える。長髪ではなくたてがみだ、人獅子だ。顔は険しく、鋭い目付きが私ではなく、フックメンを睨んでいた。
「し、失礼いたしました、邪鬼様」
「店主も困ろう。…貴様は貴様、どちらでもよい」
「はっ」
じゃきさま、私はフックメンの呼んだ名前を繰り返してみて驚いた。二人とも年齢不詳ではあるものの、さほど年が離れているようにも見えないのに。
はっ、なんていう返答も普通じゃない。
主従だ、私は直感した。…あれ、主従?このフックメン、たしか…お仕えする方と同棲するためのお住まいを探して…あれ?
「あ、貴方がお嬢様だったんですか!?」
昔っから爺さんに、てめえ思った事何でも口にすんのァやめろィ、そう言われていた。言われるたびうるせいくたばりぞこないと心で反論していたけれど、
爺さんごめん、あんたが正しかったよ。でも乳母日傘のお嬢さんが出てくると思って、こんな帝王様が出てくると思わないでしょう、だって。
私は覆面から覗くおっそろしい目に睨まれながら、とにかく「どうぞおかけください!」と悲鳴のように叫んで椅子をすすめた。
すすめてから、うちの椅子が長椅子でよかったと心から思う。お嬢様あらため帝王様に、丸椅子パイプ椅子なんぞすすめようなものならこのフックメンにたちま
ち縊られそうだ。
帝王様はうむ、と頷いてさっさと椅子に腰を下ろす。
フックメンはぴったりと、影のように隣へと腰を下ろした。
私はようやく、お茶を出すところまでこぎつけることが出来たのだった。
「ええと、前回は…確か天井が高く、駅が近く、そして幼稚園が近くになく…二人でお住まいになれる物件でしたね?」
私は一応、前回の条件を何とか思い出して繰り返した。帝王様はフックメンをちらりと見る、フックメンが頷く。
「そうだ」
「あの、失礼ですが身長は…」
そうだ、前回は確か、このお嬢さん改め帝王様が家に入れないどうこうで諦めたのだ。しかし見たところ2メートル程、日本人とすれば頭抜けて高いが、天井が
高めの部屋ならば大丈夫だろうし。と、一応聞いてみた。
どん、と手にした緑茶のグラスを乱暴に置きながらフックメンが凄む。
「見た目で判断するな、この方を身長などで計ろうなどと…」
エエエ、そんな…身長で測らないで何を測るっていうの!
「よい、影慶…」
大きな手のひらにグラスがすっぽりと納まって、おもちゃのようだ。帝王様はゆったりとした口調で私の質問に答えてくださる。
「状況による」
「……はあ、さようで……」
こちらが驚くほど濃く長い睫毛を伏せて、帝王様は再び沈黙した。
状況による、はあ、その、むちゃな。
気がすっぽり抜かれそうだ。魂ごと。
「お疲れの時には身体をくつろげたいだろうし、そこは察せ」
フックメンに言葉を続けられてしまう。ああ、その、
察せって、そんな…自由自在の狸のキンタマじゃあないんだから(一見マトモじゃないにせよ)人間がそこまで広がりゃしないだろう。
「天井はその、四メートル程度あればよろしいでしょうか」
「…邪鬼様、いかがでしょう」
「む、よかろう」
「邪鬼様、寝台を大きなものにすれば…」
「うむ」
帝王様の頬にフックメンはそっと顔を寄せて、私など世界にハナから居なかったように話しかける。帝王様は帝王様で、目を伏せてその声を聞いていた。
隣同士に座っているのだからそんなに身体を寄せる必要も無いだろうに…声を聞かれたくないにしては、私にばっちり聞こえてしまっているし…
と、思い当たる。本当にこの帝王様の身長が可変するのならば、(それこそ天井に届くくらいに!)顔を寄せないと声が聞こえないのだろうか。
まさかよ、私は首を振る。
「天井が高い物件を探してほしい」
フックメンからではなく、帝王様がそう言った。その声にひれ伏して、椅子を蹴散らかして床に頭をこすり付けながらハハーッとやりたくなる。どうにも人を下
僕にさせるような力を持つ、不思議な声だった。怒鳴られたわけでもないのに。
「はい、かしこまりました!少少お待ちください…」
私はそうして、分厚い物件スクラップノートからいくつかの物件を提示した。とっておき物件だって惜しみなく出すつもりになっている。図面を帝王様に見てい
ただき、フックメンが私に細かい部分を問う、私が答える、そしてその答えをフックメンがメモしていく。それをいくどか繰り返すが、中中これぞというところ
が見つからない。だんだんと申し訳なさが胸にわいてきた。
「ああ本当に申し訳ないですねえ…生憎この時期、あまりいい物件がなくって、その…」
「よい。俺が遅いのだ」
…帝王様はまことに、人物が出来ていらっしゃることだなぁ。
私はお茶のお変わりをグラスに注ぎながら感心しきり。頂き物で恐縮だが変わり煎餅を紙皿へざらざらと出して、お二人に差し出した。
「気を遣わせたな」
遠慮なくいただくぞ、と前置きをしてから帝王様はざらめのまぶされた変わり煎餅へと手を伸ばした。
「邪鬼様、いけません」
「む?」
その煎餅が口に運ばれる寸前、フックメンの鋭い声が飛んだ。エッ、な、なんだろう…虫なんて入ってないだろうけど。
「店主、悪いがまず、一つ食べて欲しい」
「エッ」
「影慶、よさぬか」
鋭く帝王様がたしなめる、が、フックメンは毅然として首を横へ振った。
「いいえ――邪鬼様、俺は世界の誰に憎まれようと、貴方だけをお守りいたします」
「…影慶」
驚きに何も言えないでいる私をよそに、フックメンはタンクトップの胸をきりきりと握り締めて顔を背ける。絞るような声で、自らをフックメンはなじった。
「この影慶、この身全てが毒でなくば、毒見も務められたものを…ままならないこの身、口惜しくあります」
「よい、貴様は十分に…」
「いいえ、邪鬼様。俺は…」
「い、いただきます!!」
私は大声で宣言する。全部で四種類あった変わり煎餅、ざらめ、カレー、のり、唐辛子、それぞれをつまみあげるとやけくそに口へと放り込んだ。四つの味が一
緒くたになって、さっぱりわけがわからない。ざらめが上顎をざりざりと擦りながら、唐辛子が喉のやらかい部分を燃やしながら、海苔が内頬に絡みながら、カ
レーは鼻をつんとさせながら、喉へと無理やりお茶で押し込む。流す、飲み込む。
「……すまぬ」
「店主、すまない」
さっきまでなんだか密度の濃い世界を繰り広げていた帝王様とフックメンそれぞれに、私に詫びた。
いいえ、いいんです。
とにかくとにかく、いい物件を見つけないと…
しかし思うように条件に合致する物件は見つからない。既に四時半を回って、もうすぐ夕暮れだ。爺さんは何をやっているんだろう、どうせ馴染みの爺さん達と
風呂屋で会って、長風呂して、待合室で高校野球でも見て、そんで馴染みの焼き鳥屋に転がり込もうとしてるんじゃないだろうか。
まあ今戻られても困るんだけれど。
こんな、帝王様とフックメン見たら化け物!だとか叫ぶかもしれない。いや、もしくは気に入ってしまうか。どちらにせよお客様には迷惑だろう。
…ん?化け物…?
「あったッ!!」
私は怒鳴った。ざらめ煎餅を食べつつ図面を捲っていた帝王様が顔を上げ、帝王様のグラスにもはやセルフ給油のようにお茶を注いでいたフックメンもじろりと
睨んでくる。
「店主、どうした」
「ございましたッ!とっておきの物件が!」
私は興奮に声を震わせながら、物件ファイルが並んでいる棚へと飛んでいく。一番右、『ブラック物件』と書かれた普段開いたりお客様に見せる事のないファイ
ルを取り出して、カウンターへと飛んで戻る。
「お客様、失礼を承知でお伺いいたします。お強くていらっしゃいますね?」
「当然だ、誰にものを聞いている」
私の問いに、即座にフックメンが応じた。帝王様も一つ頷いて、
「フッ」
そっと笑った。自信と迫力にあふれた、力強いが静かな笑みだった。
「この、駅前通りをまっつぐ五分、坂の上に、洋館があります。今ァ誰も住んではいませんが、相当に古いです。しかし―」
しかし、私は図面を開いてカウンターへのせた。どん、と自分でも驚くぐらいに音が出た。
「駅徒歩六分、7LDK、庭付き二階建て一軒家、広々ゆったり、バストイレ別の上各階に有り、内装リフォーム済み、システムキッチン!、敷金礼金なしッ」
ドウダッ、と私は気合を込めてフックメンを睨んだ。フックメンは椅子から立ち上がり、私のにらみを正面から受け止めて、熱の入った声で応じる。
「で、天井は!」
「シャンデリア備え付けるのに業者を呼ばないといけないほどッ!」
「――おお、ならば、」
フックメンの声が上ずる。私もグッと拳を作って頷く。
私とフックメン二人揃って、帝王様を振り向いた。
「――で、店主。何が出ると言うのだ?」
口元は柔らかく、しかし目は危険に輝いたその帝王は私に、そう尋ねられた。
「よく…わかりません」
私は舌でもって唇をそっと舐めてからはっきりと答えた。
「フッ……わからぬのか?」
「店主、隠し立てすると容赦しないぞ」
剣呑な視線をフックメンから向けられても、わからないものはわからない。
「あやかしが出るとは言われていますが、正体がわからぬのです」
「よかろう……影慶」
「はっ」
帝王は最後のざらめ煎餅を頬張って後、
「センクウに羅刹、それから卍丸を呼んでやれ――奴等も住居に困っておろう。この間取りなら不自由はない」
なんとも魅力的な笑みでそう言った。恐いのに、しかしなんとも人を惚れさせる類の笑い方であった。
「えっ」
フックメンの唇から出たのはイエスではなかった、少し間抜けな聞き返し。
「……店主、この館を借りたい」
「かしこまりました」
もう十年以上、マトモに借り手の居ない物件だった。その鍵は既にうちが借りてある。なんとか誰かに貸してくれと泣き付かれた上に押し付けられたのだ。
私は引き出しからその鍵を取り出して、
「………エッ?」
あれ、見たい、じゃなくって、
「……借りられ、ますか?」
「うむ」
写真は一応、その図面についている。けれど――
「良い」
「邪鬼様、よろしいのですか」
さすがにフックメンも聞き返す。しかし帝王様の意志がそう変わることもないだろう。
「店主、この屋敷何か惹かれるものがある――この大豪院邪鬼が借りよう」
大豪院邪鬼、姿かたちだけではなく名前までもが雄雄しくご立派。この方なら、
坂の上の化け物屋敷も、受け入れるかもしれない。
「一応、一週間はクーリングオフが聞きますから」
手数料を受け取ると同時に私は念を押す。しかし心のどこかで分かっていた気もする。
この人が、きっとあの化け物屋敷の主人になるのだと。
「家賃は月々七万五千円、共益費二万五千円、合わせて十万円です」
「よかろう」
契約書を作り終えると既に閉店時間の八時間際だった。私は店の外までお二人をお送りして、
「あの、一週間は」
尚も、何かあったらキャンセルがきくと言おうとした。
「くどい」
帝王様、大豪院邪鬼様は一言で切って捨てる。
「この邪鬼、一度口にしたことを改める事なぞ…ない」
それでなんだか、納得がいった。私は安心して頭を下げてお送りする。
五月の夜空は少しまだ熱気を残す。
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