あちらこちら

あちら側から手を振ろう。
ナニ呼ぼうってんじゃない、手を振るだけさ。
当たり前じゃないか、かわいい君。
【向こう】




富樫源次、肩書きは色々ある。
男塾特攻隊長、
閻魔王門前払い、
101回目のごめんなさい、
一不死ニ他界三マヌケ、
そして、
男塾塾長江田島平八秘書、
ただし、見習い。

落語家の弟子はまず入門して内弟子扱いとなり、師匠や兄弟子達の身の回りの世話から始まるそうであるが、これは男塾塾長秘書見習いもさして変らぬもののよ うである。富樫は後先考え無しに江田島平八に、
「秘書にしろい」
と簡単に言えばそういうことを頼み込み了解を得た。了解それは「わしが男塾塾長江田島平八であるーっ」そういう事である。
ここに至るまでにいくらかの攻防があったのではあるが、これはまた別の機会にまとめたい。
男塾塾長江田島平八秘書見習い富樫源次は今まさに、男塾塾長江田島平八への朝食をこしらえているところであった。
コトコトトントンとその包丁がまな板と竹馬になってくれるのはその何年も後のことで、富樫は背中を丸め、唇を尖らせ、目をすがめ、ウームと唸り、

…トン、
……ト、
…ズ、トン、……ト、

聞いているほうがじれったくってその包丁を貸したまえと言い出したくなるような、そんな不慣れな包丁さばきの側では味噌汁の鍋がブワーと膨れ上がってこぼ れ、鍋肌にガスレンジを焦がしている。吹き零れた鍋にウオッと仰天するのも新米ならでは、もう何年かすれば吹き零れる寸前にチョイと脚を伸ばしてガスレン ジのつまみを足の指で捻ることすらできるようになるだろう。
漬物刻んでいる間にも時間は刻々と過ぎてもう塾長を起こさなくてはならない時間である。しかし新米秘書見習いの富樫に時計を睨む余裕はない、彼の世界には 漬物と自分、それと兄ちゃん。なぜ兄がいるのかと言えば富樫、兄ちゃんはどうやってたっけかとしみじみあの二人暮しを思い出しているからである。

「……おわあああッ!!!」

そして飯はゴチゴチ、味噌汁は渋く煮え詰まり、塩サバは外はジャリジャリ中は生臭と大変なデキに落ち着き、そしてとうとう塾長を寝坊させてしまう一日の始 まりであった。その後飯がマズイと叱られ講演会には遅刻し締め切りの随筆は一本落とすことになってしまう。唯一の幸いは沢庵が均一に切れたことくらいであ る。
飯を食ったら着替えを手伝う。布団を干す、叩く。花粉症などという軟弱にはとんと縁のない二人なので、二人分の布団を物干しへ干して全力でブチ叩く。洗濯 物もシワを全力で伸ばして干す。掃除、畳の上はホウキで、床は雑巾で。スーツの膝は既に抜けそうにテカテカで、後日ズボンは脱いで掃除をすることに決め た。

そうして午前が終わって、昼飯である。午前に塾長が何をしていたのか、富樫にはまだ把握するゆとりもない。

「ぼた餅が食いたい」

昼飯は富樫、塾長と二人で食うことにしている。初めは富樫も驚いたことに塾長は朝食を正座でテレビも何も見ずに食べる、背筋がすっと伸びて、最初に食事内 容についてニ三言文句なり要望なりを言った後は無言である。おかわりが欲しければお櫃の前に控えている富樫へ無言で茶碗を差し出し、食い終えると同時に、
「よし」「わるし」「馬鹿もん」
あたりの評価を言って終わり。その後富樫は台所で手早く腹へ朝飯を詰め込み、掃除洗濯への英気を養うのである。
【男塾塾長】江田島平八の姿を知っているものならば、
「こんなに静かなのか」
と驚くだろう。
その厳格な、修行僧のような朝食と打って変わって昼食はなごやか。着物の脛をチョイチョイとはねて胡坐をかき、富樫とちゃぶ台を囲む。テレビもつける、俗 悪なワイドショーやバラエティにワッハハと大声で顎が外れるほど笑う、そして、
「お前はこんなのが好みか」
助平な一面をのぞかせて画面のアイドルを指差したりしてみせるのだ。
そんな昼飯なので富樫もぐっとくだけた献立、たとえばヤキソバだとかそういったものを出す。夏なら三日はそうめんひやむぎざるうどんでも怒られたりはしな い。

その日富樫が出したのはチャーハンであった。チャーハンは富樫、得意である。乱暴でガサツでせっかちの怒りんぼうが作るとチャーハンはうまくいく。富樫の チャーハンは具は貧相にタマゴとハムとネギとゴマ、そんなものだったが不思議とおいしいデキになっている。
「うまいな」
「ヘッヘ、そうだろ」
「フン、おかわり」
「あいよ」
この頃富樫、まだ入門あえて入門とするが、入門したばかりなので塾生気分が抜けきっておらずついつい口調も雑なものになる。しかし塾長はそれが本当に度が 過ぎぬ限りは咎めはしない。何年も経って一通り常識や礼儀が身についてからのほうがかえってやかましくあれこれと言われたほどである。

「ぼた餅が食いたい」

昼食を終えて、富樫がちゃぶ台側へ膝をつきながら食器を手に立ち上がりかけたところ、こう声がかかった。
一瞬テレビに半分気をとられていたせいで、エ、と聞き返す富樫に塾長は腕組みでもう一度言った。

「ぼた餅が食いたい」
「ぼ、ぼた餅って…」

作った事もなければ食った事もほとんどない、富樫は頭に手をやって、半立ちで戸惑う。

「明日食いたい。そうだな四十六人分用意しておけ」
「よんっ…!!?」

あまりにあまりな物言いに富樫も開いた口がふさがらない。無茶を言い出すのは塾長の十八番だが、それにしても具体的に無茶を言い出したものである。
「わしはこれから少し一人になる。いいな」
言うだけ言って、さっさと立ち上がって自室にこもってしまう。取り残された富樫は皿を手にしたまま、キョトンとしている。何がなにやらとんとわからぬま ま、
「ケッ、無茶言うジジイだぜ」
と吐き捨てて皿を洗うのに取り掛かった。しかし命令は命令であるし、何よりこの男の片腕になっちゃろうと思い立ったのは自分自身である。
皿を洗い終え、戸棚にしまうと手帳を取り出し、塾長が懇意にしている和菓子屋へジャーコロジャーコロ電話をするのであった。

「もしもし、清明」
和菓子屋清明の店主は若い男である。二代目になって味が落ちたというものもいるが、塾長はここのどら焼きが好きでよく富樫に買いにいかせていた。富樫はこ の取り澄ましたキツネ顔の二代目はどちらかと言えば苦手で、いかにも江戸っ子という風情の先代よりは気が合わない。しかし合う合わないの問題ではなくこれ は塾長の命令なのでしかたないと富樫は話を切り出した。

「…ちゅうことで、悪ィが四十六人分のぼた餅頼まァ」
「申し訳ないが出来かねる」
アッサリすげなく断る男である。富樫はナァニィとがなりたてたいのを堪えて、
「ど、どうしてじゃい」
となるべく落ち着いて尋ねた。
「手が足りない。ご存知の通りうちは手作りだから」
二代目は年が近いということもあり、富樫に対して客のような口は利かない。一度咎めれば金を払っているのは塾長であって、使い走りの富樫なぞ客ではないと 言うのである。そういう物言い自体が富樫の気に入るはずもなかった。
「だがな、こりゃ塾長たっての願いなんじゃ。どうせうちで食うかするんだろうし、多少見てくれ悪くってもいいから頼むぜ」
「……手抜きをしろって言うのかい」
電話の向こうで声が冷えた。天才肌の二代目のプライドをどうやら傷つけたらしいとわかり、富樫は受話器を持ち直し詫びる。ここでヘソを曲げられてはかなわ ないのだ。
「そうじゃねえ、悪い。だが、どうしても、明日にぼた餅四十六人分必要なんじゃ」
「無理だと言ったら無理だ。だいたいどうして明日なん……あ」
「どうしたい」
「ああ、そうか。うん、わかった」
急にアッサリと快諾され、思わず富樫はつんのめる。
「あ?いやその、い、いいんか」
「いいさ。うん、その代わり」
「その代わり?」
「手伝ってくれ。さっきも言ったが手が足りない」
その申し出に富樫はうろたえた。今日の今日、沢庵刻んでるうちに味噌汁吹き零した自分にそんなことが出来るはずもないと思ってのことである。
「ン、んなことできっか!俺ァ自分で言うのもナンだが不器用で」
「見てくれは悪くていいんだろう」
自分で言った言葉を取られてそう言われてしまうと言葉も無い。
その夜、三月十九日の夜を徹してぼた餅作りに富樫は励むことになった。






三月二十日、いい日である。よくよく晴れて、昨晩のうちに雨がざっと降ったおかげで空の青さが新鮮である。
背中に泥棒風呂敷を担いだ富樫は、先を行く塾長の背を追った。
(重い…)
ヒィ、ヒィ、岩石うさぎ跳びと同じ格好でアゴを突き出しながら富樫は一歩一歩踏み出す。汗が鼻の先にたまって今にも落ちそう、岩と比べても中身がぼた餅で あることから柔らかく、支えづらい。富樫は苦心しながら運んでいた。

男塾塾長、江田島平八。その大きな背中に憧れ、自分もそうなりたいと追いかけているうちに秘書見習いにまでなってしまった。生活を共にするうちにその思考 パターンや考え方も少しずつわかりかけてきた矢先、

(知らねえ人みてえ)

自分のまるで知らない背中が出てきてしまっているのだ。硬く、どこか寂しい背中である。堂堂としていていつでも挑んでこいと言うような普段の背中とはおも むきが全然違ってしまっている。富樫は声もかけられないでいた。
行き先が男塾であると気づいたのは到着してからである。下ばかり向いてしまっていたせいで何年も通い慣れ親しんだ道にすら気づくヒマがなかった。

「お、男塾じゃねえか…」
「こっちだ」

懐かしさがこみ上げてきて、思わずクンと鼻を鳴らす富樫に短く答えた塾長は尚も男塾の敷地をひそやかに進む。普段ならば大声で名乗ったり、ずかずかと大ま たに歩くのだというのに。富樫の疑念も募る。


塾長の足が完全に立ち止まったのは桜の古木の下であった。見事なうば桜で、男三人がかりで抱え込まねばならないような太さで幹肌の照りつやつやと、木全体 に生気が満ち満ちている。
その根元に小さな塚があった。苔がさほどついていない、ここ数十年ほどのものである。高さは富樫とほぼ同じくらいで、桜が花の重みに耐えかねてその塚の頭 上を日よけのように覆っていた。

「あ?誰か…来てんのか」

緋毛氈が一枚、塚の前へと敷いてある。塾長はそれを一瞥し、富樫へアゴをしゃくってみせた。

「フッフフやりおるわい、のう富樫」
「ああ?」
「よし、ぼた餅をそこへ供えろ」
「お、いや、…はい」

風呂敷を一旦下ろし、その塚の台へとぼた餅の包みを運ぶ。一人分きちんと竹の子の皮へと包んであるのを抱え上げて、ドサリと多少乱暴に何回かにわけて運ん だ。四つ、余る。頼まれたのは四十六人分だったがキリよくやろうということで五十人分作ったのであった。

「塾長、余った分食っても…」

運び終えたと同時に顔を上げ、問いかけようとした富樫の唇が半ばで止まった。その塚へ手を合わせ目を閉じた塾長の姿を見た。静かに、祈りを込めて手を合わ せる塾長の姿に富樫はただ立つことしかできない。
そこにきてようやく富樫は塚の文字へ目をやった。



【男塾塾生 四十六名 鎮魂塚】
文字を目にした途端富樫の頭へ記憶が猛烈な勢いで押し上げられた。舞台に上がるその記憶、藤堂のこと、サマン島の、学徒出陣で召集された男塾塾生四十六 名、彼らの花も盛りの青春、塾長の無念、飛び回るようにして富樫の頭へと上って、自然と富樫の頭を下げさせた。手が持ち上がり、そっと合わせる。
喪失の悲しみに、奪われた憎しみ、それらを富樫は誰よりよくわかっている。復讐を果たし終えて尚、喪失は取り戻せぬ。


「余ったのか」
声をかけられてようやく富樫は、塾長が黙祷を終えて富樫のすぐ側まで迫っていたことに気づかされる。あぐ、あぐ、と言葉を失っている富樫の手から握られっ ぱなしだったぼた餅の包みを取り上げて、
「腹が減ったな」
そう笑って塾長は緋毛氈へと腰を下ろした。いつもと変らぬ塾長のワッハハという笑顔がどれだけか富樫の胸を締め付ける。よかった、という気持ちとそれから よくわからない気持ちにたまらず富樫は尋ねた。

「さ、寂しいんじゃろが」
どうしてこんな事を口走ったのか、富樫にもわからない。胡坐をかいた塾長はアゴをさすって短い返事をよこした。
「いいや」
それが富樫には、お前と違うという拒絶に思えて仕方が無い。大事な人がいなくなって寂しい、アンタも俺も同じじゃないか、そんな気持ちでいたのである。

「お前がいるだろうが、毎日お前のようなうるさいのがいて寂しいも何もあるまいて」

フッフフ、フフ、わっはははは…
桜がその笑い声にくすぐられたように身じろぎ、花びらをしらしらとこぼす。
のけぞるようにして笑いながら塾長、さっさと座れと富樫を促す。急に恥ずかしくなってしまった富樫、今は被っていない学帽で顔を隠したい気持ちで一杯であ る。ドッサと緋毛氈へ腰を下ろした富樫の目の前へぼた餅の包みが投げ出された。のろのろとそれを開き、自分がこしらえたぼた餅を鈍い動作で頬張った。

「フン、お前にしてはよく数を数えた」
「…え?」

残り、二つのぼた餅。そのうち一つを富樫へ差し出す。意図を汲み取りかねている様子の富樫へ、

「今日は午後休みをやろう。フフフわしは話のわかる塾長だからな」
「…いや、その」
「兄の墓参りはどうした」
「!」

富樫はぼた餅の包みをかかえ、とうとう何も言うことが出来なくなってしまった。
春分の日、あたたかな陽射し、うまい具合の風、ぼた餅、緋毛氈、

後一つ残ったぼた餅の包みを横目に、自分の分を頬張る富樫にはぼた餅は過ぎた甘さである。塾長はどうだかわからないが、
「茶が欲しい」
と言い出す。富樫が腰を浮かせかけるといいと手で制された。いぶかしむ富樫の元へその鼻へ風にまぎれながらも漂ってくるのは茶の香り。


「抜け目がない奴じゃ、フフフ」

おかしそうに笑う塾長と、アッと声を上げる富樫。
二人のもとへ、最後のぼた餅の分け前に預かる男が卒業して尚ハチマキをなびかせて颯爽と近寄ってくる。
その手にどこでどう調達したものか抹茶がナミナミ入った茶碗があるのを見て、富樫も塾長も大いに笑ってその男を歓迎した。




春分の日、あたたかな陽射し、うまい具合の風、ぼた餅、緋毛氈、



向こう岸へ手を振ろう。
すぐ行きゃしない、のんびりさ。
心配しないで、いとしい人。
【こちら】
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