一挙両得

新宿という街は、伊達の趣味に合う。
もとより下衆だと胸を張って、きれいきたない関係無しに大口開けて飲み込む街である。
全てが自己責任、身の毛もよだつ底辺の絶望も、途方も無い成功も望みのまま。
運の作用もあるが、基本的に実力次第の街である、生まれも学歴も何も関係無しに、自分の器を試せる街である。それだけの見返りのある街である、しかしチッ プは自分自身。払えぬ賭けに負けて、今日も滅びがあぶくと涌いた。

出自は不明、しかし実力だけは無尽蔵。
そんな伊達臣人が新宿に旗揚げをした。五月の事である。
とある賭けに勝ち、求められた以上の実力を支払った伊達はこの新宿の片隅に事務所を手に入れた。雑居ビルの1フロアだとその賭けの相手は言った。
ならば今用心棒をする代わりに住ませてもらっていたキャバレーを出て、そちらに居を構えることにする。
居場所が出来たと、そのキャバレーのママに告げた。既に五十近いママは厚化粧前の、どこか中年男性のように無表情な顔でそう、と頷いた。
「良かったじゃないの、で、場所どこよ」
「ここから歩いて七分てところだな」
「なら店のコ連れて、掃除手伝ってあげよっか」
伊達は苦笑した、ヤクザの事務所の立ち上げを手伝おうかと言い出すママの好意はありがたい、しかし…
「いや、遠慮しとく。この店ヤクザと関わり持たねぇのが身上だったんだろう」
そう、確かに伊達を雇った際にママはそう言ったはずである。

『ウチはサ、忙しいよ?』
『忙しい?』
『ヤクザにミカジメ払って無いからサ。ウチ。だからいっそがしいよォ本当に、ヤクザ午前午後』
『フッ…俺もヤクザだがいいのか』
『いいのいいの、群れてなきゃア』

確かにママが言うとおりに忙しかった、しかしそれは伊達の望むところである。ひっきりなしに押しかけてくるヤクザを拳で脚で跳ね除ける伊達、運良く店に居 合わせた客はその余興に拍手と歓声と、それから気前の良い一万円札で伊達をねぎらった。伊達にとってそれが主な収入でもあった、一軒の店の用心棒、しかも 寝泊りまでさせてもらっている身分ではたいした給料は見込めない。その一万円札は伊達の懐を潤した、そのためヤクザの乱入は伊達の望むところだったのであ る。

「そ、そんならサ、炊飯器あげるわよ炊飯器。こないだ新しいの買ったから」
「……そりゃ、どうも」

旗揚げしたヤクザの事務所、一番最初の家財は炊飯器か。そう思うと伊達の傷が走る頬が笑みにゆるむ。男塾に入塾してからというもの、気づかなかった自分の 構われ体質というものに気づかされる。人の好意というものを素直(というにはまだ遠いと桃あたりは言うだろう)に受け入れられるようになった気がすると、 伊達は少し気恥ずかしさを覚えた。丸くなったとは違う、虎丸が偉そうに、
「ニンゲンが出来て来たんじゃねーの」
等と言うだろうか。それはそれで腹が立つな、と伊達は頬の傷を爪で軽く掻いた。

「後でオニギリ作ったげる。もってきな、今日はもう上がっていいよ」


アルミ箔に包まれた熱いオニギリを手に、伊達はキャバレーを追い出された。通勤ラッシュあたりの新宿は、間抜けに朝日に全貌を明らかにされている。白白し い乾いたアスファルトの上を伊達は歩き、自分の街を眺め渡した。路上に転がる酔っ払い、当然サイフは無いだろう。朝まで飲んだらしい女をタクシーへ詰め込 み終えて、大きな伸びをしているホスト。誰かがぶちまけたヘド、その上を誰かが歩くのだろう。消えどころを見誤ったネオンがくすんでいる。
伊達は生臭いようなビル風を胸に受けながら、伊達は新宿を歩いた。
ごった煮の街、全てを踏みつけた伊達の足取りは軽い。



「お前はきれいだな」
そう昔、伊達はある男に言われた事がある。何て腹立たしい野郎だと憤慨した覚えがあった。その男はいまや政治の国に住む。
「ふざけてんのか?」
聞き返せば生真面目に首を横に振られた。ならばなんだと詰め寄らずに、伊達はそっぽを向いてこの話題の終わりを主張したつもりだった。
しかし男は空気なぞあえて読まないふりでか、壁によりかかる伊達へ自分の肩を寄りかからせながら、漫画を読む伊達の手を取った。
闘う男の手である、指は長く造詣はすばらしいが、傷も多い。伊達が振りほどく前にその手の甲へ桃は素早く鼻面を寄せる。
「おい、てめえ」
伊達がそうした事を嫌がるのを十分にわかっているだろうに、それもまたあえてなのか、伊達にはとんとわからないにせよ桃はそういう事をすることが多い。
「お前はきれいだ」
真摯なその声に横顔、祈りを捧げるような眼差しだったので、伊達の言葉は一瞬遅れた。
「………血まみれだろうが」
てめえよりも、ずっとな。伊達はより小さな声でもって続けると、桃が花開くような柔らかさで微笑んでいる。伊達の過去を知ってもここの男達はたじろぎもし ない、しかしそれ以上に好ましいとでも言いたげに接してくるこの男が、伊達は読めない。
「血まみれだろうが、上へと這い上がるお前はきれいさ」
這い上がる、それはたとえでもなんでもなく、伊達の始点であった。穴へと落とされ殺し合いをさせられ、文字通り這い上がる事が出来ないとその時点で死で あった。伊達はそこから這い上がる、と言う事は幾度も死に晒されて泥にまみれただろう。
それを桃はうつくしいと言う。
理解が出来ない、そんな顔を伊達はしたにちがいがない。
「嫌味にしか聞こえねぇな」
素っ気無い受け答えにも、桃の微笑みは尽きない。振りほどきそびれた手の甲へ、桃は唇を押し当てていた。
「きれいだ」
「泥まみれの俺がか、ハッ」
笑った。
「……蓮、お前は天上に咲く蓮のようだ」

そんな、文学的な物言いをする桃は珍しい。思いついたようにそう呟いた桃に、伊達は何も言えない。
泥より出でて茎を伸ばし、沈まぬように葉を広げ、頭は雲をついて花開く。


まこと、伊達とは蓮のような男である。








「………ここか、」
伊達はオニギリを頬張りながらさしたる感慨も無しにその雑居ビルを見上げた。コンビニのオニギリではなく、人の作った飯を頬張りながらビルを見上げる伊達 を通行人は何だと思うだろうか。カタギと見えるには、その頬が許さない。
「…やっぱりな」
飯を飲み込み終えた伊達の唇からは呟き。
七階建ての雑居ビルはレンガ風タイルの外見で、築は十年になろうかというところ。移動手段は非常階段と、エレベータ。見た限り非常階段の出入り口は封鎖さ れていて、通常の移動は全てエレベータを使わねばならないように見えた。
しかし外見以上に伊達の目を惹くもの、それは――

「ッに見とんじゃごらァッ!!」
かの伊達臣人相手にも罵声を浴びせてくる、ウンコ座りのいかにもなチンピラ達であった。入り口のガラス扉前に座り込んだ三名、一人は中国人。
一瞥をくれて、伊達は彼らをまるで気にせずにその入り口へと進む。チンピラ達が立ち上がった。
「オイ、なんか用かァ?」
力の差を感じ取れない、それだけで未熟だと知れる指が伊達の肩へ引き止めにかかった。次の瞬間、その男は地面に突っ伏している。
伊達が殴ったのか、蹴ったのか、それすら他二名には見えたかどうか。
「テメ、何しやがんだゴラァ!」
もう一人が拳を振り上げて掴みかかってくる、その拳を正面から伊達は掴み、身体を一歩左へ引いて、その手首ごと受け流して投げた。男は何もないところへ 突っ込む格好で大きく振り回されて路上へと尻餅をつく。
最後の中国人が一瞬のためらいを見せた、その隙を伊達が見逃すはずもない。今しがた食べ終えたオニギリの包み、丸めたアルミ箔をその口へと突っ込んで、去 り際にその頬を手の甲が叩いていく。しっかりとそのアルミ箔を噛締めてしまったらしく、男は顔をゆがめて頬を押さえた。
チンピラ達を一度も振り返りもせずに、伊達はビル内部へと入り込んだ。
一階はテナントが入っておらずエレベータが一基あるのみである。伊達は階数表示へ目をやった、自分が宛がわれたのは七階、見たところ三階に金融業が入って いるだけで他は空白である。
伊達はエレベータの上ボタンを押そうとした、が。
「待て」
聞きなれた、聞き飽きる程に聞きなれた涼しい声が後ろからかかった。どんな屈強な男の手でも阻む事ができぬ伊達を引き止めることが出来る声である。
「……何しにきやがった」
朝の新宿、白白しい朝日。照らされた汚い町の中でも穢れを知らぬようにすっとその男は立っている。
何度も呼んだ名前を伊達は、振り返りながら呼ばわった。
「桃」
「お前が旗揚げするって聞いたから、祝いに来たんじゃないか」
ハチマキをしていない、学ランも着ていない、ダンビラも持っていない、タイをきっかり締めたグレーのスーツ姿の男である。出で立ちはまるで違えども、剣桃 太郎という男はまるで変わりが無いように見えた。
誰にも言っていないはずのこの場所を、どうして桃が知っているのか。伊達はその疑問を口にしない。どうしてだか知っていて、どうしてだか現れる。そういう 男であった。
「いらん」
「三階に闇金が入ってるだろう、ここが今…不法占拠しているんだ」
わざわざエレベータホールまで入ってきて、桃はそう言った。なるほど、と伊達が頷く。
「なるほど。新宿でビルくれるって言うから話がウマイと思ったぜ」
「お前なら一人でもいいだろうが……俺も行こう」

そのために来たのだと、元男塾総代はそう言った。






「おい、銀行屋ァ!どうなっとるんじゃ!見てこんかい!」
ドン、と安いデスクを叩かれてもその顔は険しいままから変わりが無い。社長に言われるがまま、通称銀行屋は手提げ金庫の蓋を閉めるとゆっくりと立ち上がっ た。恨みがましい顔を一度社長に向けると、猫背がしずしずとエレベータに向かう。
「社長、銀行屋行かせて良かったンすか」
「あーいいいい、いかせとけ」
階下では確実に何かが起こっている、それは社長も、社長付きの髭面もわかっている。だからさっさと銀行屋が食い止めているうちに非常階段から出てもいい し、入り込んだのが雑魚ならばここまで引っ立ててこさせて遊んでもいい。
獰猛に銀歯をむき出して社長は笑った。
「ハハハ、どうせ松坂組がケツ持ってくれるんだ。ほっとけ」
「……なるほど、そういう事か」
声は社長のすぐ後ろからかかった。驚きに社長が椅子ごと振り返る、と、三階の窓から男が二人ひょっこりと顔を出している。
「!て、てめ、てめえらどっから!!」
「四階からさ」
一人、スーツをすらりと着こなした男が窓枠をまたいで入り込んだ。社長は慌てて椅子から立ち上がると壁際へと後ずさる。室内にいた男たちが色めきたった。 もう一人、頬に奇妙な傷の走る男が笑う。
「あの親父め、娘探しだけじゃなくゴミ掃除まで押し付けやがったな」
室内の誰もがわからぬ事を呟いて、その男は滑り込んでくる。一見して身軽、一見して精強。
二人はどこか楽しそうに笑って、

「このビルは、伊達臣人が貰い受ける……文句は無いな。有れば来い」

挑発的に中指を立てて、自分のほうへと手招いた。傷の男が笑う。
その瞬間、ニコニコファイナンスは壊滅の運命を決めた。






何もなかったと報告するべく、銀行屋が三階に戻ると、社長以下が床に転がっていた。首を傾げる仕草はどこかぼうっとしたものであるが、顔は酷く険しい。
「まだ残ってやがったか…おい、テメエは松坂組の関係だな?」
社長達を地面に蹴散らしただろう男たちのうちの一人、猫髭のような傷を頬に持つ男がそう尋ねた。
「そうです」
生真面目に答えた口調や、声の様子は普通であった。しかし顔は渋く、今にも世を憂えて出家しそうな苦しげなものである。
そうです、と銀行屋は答えたがそれは半分正解で半分不正解であった。格好いいヤクザになりたくって松坂組の門を叩いたのだが、組内部での人間関係がうまく いかずにもてあまされ、結果優れた計算能力や経理資格などを活かして末端組織であるニコニコファイナンスへ金庫番として放り込まれた。
松坂組出向、と言うのが一番正しいだろう。
「そうか、組へ報告しろ。不法占拠していた階は、遠慮なくやらせてもらったと」
スーツをバッチリ着こなした男が涼やかに笑った。笑ってはいるが、その拳に血がついているのを見ると薄ら寒い、銀行屋は更に眉根を寄せた。このまま後ろ手 にエレベータを呼び、到着と同時に背中から滑り込んで逃げようかと思ったが、恐らく銀行屋が指一本でも動かした瞬間、部屋の奥にいるはずの男達に捕まるだ ろうという確信がある。

「……はい」

静かに答えると社長が怒鳴った。

「おい銀行屋ァ!てめェ舐めた事抜かしてんじゃねえ!恩を忘れたかッ!」
「はあ、その…」

その、何だ。恩どころか、といった気分に銀行屋の唇が引き結ばれる。銀行屋にとって思いいれも無ければ、憐憫の情も無い。どうせヤクザには向いてないと分 かり始めていたので、辞職しようかと思っていたくらいである。

「…銀行屋?」
「どうやら金庫番らしいな。この金庫を開けてもらおう」
手提げ金庫を提げて、スーツの男が首をしゃくった。中には不法に集めたり偽造した証書やら、取り立てた金もある。そして今月の売り上げは壁に置いてある大 型の金庫に。どうやら社長達は組への忠義か根性か何か知らぬが、金庫の番号を口にしなかったらしい。
銀行屋は初めて、社長に対する認識をわずかばかり眉を動かして改めた。

「…銀行屋って面か、酷い顔しやがって」

ずけずけと言われても、銀行屋の顔は不機嫌そうな顔から動かない。笑顔がまるで想像できぬ顔をしている。

「よしテメエはチンピラとは違うみたいだな、おい、銀行屋ってくらいだ資格あるだろ」
「簿記と経理関係を少少」
「なら俺が雇う」

銀行屋が、ハ、と気の抜けた声を上げた。社長達が目を見開く、普段から渋い顔をし続けた顔が初めて崩れるところを見たのだろう。
手提げ金庫を提げた男が近づいてきてうんうんと大きく頷く。
「伊達、真面目そうだしいいんじゃないか」
「人手不足だからな」
おい銀行屋――猫髭の男が一度、銀行屋を呼んだ。呼ばれたからには答えねば、と妙な律儀さでもって答える。
「はい」
「…いや、銀行屋じゃ上品すぎるな。てめえのような、……」
何かたとえが思いつかないようで、猫髭はムッと目を伏せて一拍。隣の男は微笑を絶やさずにそのやり取りを見守っている。床に転がる社長達は事の成り行きを 見守っていたが、雰囲気が殺伐としたものから間抜けなものへと変じつつある。


「そうだ、てめえは俺が雇う。いいな、――仏頂面」
どこか意地悪く笑って、猫髭の男はそう言った。
「ぶ、」
「俺が伊達臣人だ。そして七階、伊達組の組長。てめえは最初の俺の手下だ、喜べ」
はい、は言わなかった。言わなかったが、事実としてその瞬間、銀行屋改め仏頂面は伊達組の所属となったのであった。
「それなら伊達、ここの奴ら全員飲んだらいい」
「あ?」
「いいだろ、どうせ末端だ」
「………そうだな。ここにいる全員、俺の配下に置く。文句のある奴はかかってこい」
覇気のある笑顔で猫髭あらため、伊達組組長伊達臣人はそう宣言した。
ニコニコファイナンスはその時、社長以外は伊達組の配下におかれることになる。




五月の中旬、伊達組。
事務所と手下総勢八名(経理一名、構成員七名)を手にしたことになる。
モクジ
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