白日
手伝えと飛燕が言って、それに富樫が頷いただけに過ぎない。
そういう分けで富樫と飛燕は連れ立って商店街を歩いていた。
若く、どちらも未熟なある三月十三日の夕方のことである。
「つき合せてすまん」
「ヘッ、買い物の内容聞いてたら手伝やしなかったぜ」
苦笑交じりに詫びを口にした飛燕に富樫は毒づいた。手に提げた袋には飛燕の買い物らしくもない洒落っけの無いノド飴ばかり入っている。商店街は夕飯の支度
をする主婦と呼び込みで大層うるさい。富樫は両手の自由がきかないのを差し引いても不器用に人の波を揉まれながら歩く、隣の飛燕も富樫と同じように両手に
袋を提げているのだが器用に波をするすると泳いでいく。遅れを取った富樫は早足を試みるがそのぶん抵抗も強まり、返って飛燕との差は開いていった。
歩みをゆるめての飛燕の詫びに、追いついた富樫が放ったのが先ほどの言葉である。
飛燕は更に苦笑を深めた。
「そうか」
「ったりめえだ、誰が貰ってもいねえバレンタインのオカエシ買いに付き合うってんだ」
「…そうか」
もらえなかったのか、飛燕はわざわざ呟いた。別段悪気があったわけでもなく、単なる確認としての呟きであったが呟いたのが飛燕だったのがなお悪かった。誰
がなんと言おうと飛燕は千に一つの美人で、富樫はそれからずいぶん落ちて地に転がる。飛燕が一月と一日前に大量にチョコレートを貰っているのを富樫も見て
いた、嫉妬が生まれるのも当然と言えた。買った飴が安物なのは、幻滅して来年に繋がらぬようという配慮が含まれているのもいよいよもって富樫の気に食わな
い。
「オウもらえなかったぜ、悪いかよ」
「悪いとは言っていない」
飛燕は律儀に首を振る。そして歩みを再開、しかし富樫ときっちり肩を並べるようにペースを合わせた、それが富樫にはチョコレートの一件もあり拍車をかけて
腹が立つのである。
「…フン、軟派こきやがって。なァにがホワイトデーじゃ。傷口に塩塗りこむような事しやがって」
ホワイトデーから始まってバレンタインにまで悪態の対象を発展させながら機嫌を損ねてしまった富樫の肩へ、飛燕は下からすくうようにして自分の肩をぶつけ
た。トスン。反撃があるとすれば口でだろうと予想していた富樫はぐらり大きく傾ぐ。
「あげてよかったのか」
「あ?」
飛燕はふふふとくすぐったいような、櫻髪を頬から首筋に流しながら首を傾げて微笑み問うた。富樫の反応が遅れる。
少女漫画のように大げさではないものの確かに羽ばたく睫毛の向こう、飛燕の眼差しに星は宿っていた。その眼差しが悪戯っぽく揺らいで、うっとりするほどの
微笑みと共に胸打ちぬく殺し文句をズドンと放つ。
「毎年お前が貰えるたった一つのチョコレート、それは私が贈る」
「な」
ふふふ、…ははは!
飛燕は何故だか上機嫌で軽やかにくるくると回りながら商店街を駆け抜けた。一瞬見とれた直後富樫は脚をもつれさせながらついでに舌までもつれさせて、
「おいテメ、一つっきりってどういう事じゃい!!待ちやがれ!おい、飛燕!」
ズレた事をがなりながらガニ股でドッカドッカと走り出す。富樫は飴袋ブラ提げた腕を必死に人の波の向こうで髪の毛を揺らして踊るような飛燕へ伸ばしたが、
結局男塾に着くまで飛燕の髪の毛一筋ほどすら捉える事は出来なかった。
それ以来飛燕は律儀に富樫へチョコレートを二月十四日に贈り続けている。最初は富樫も嫌味な野郎だぜと渋い顔をしたが、卒業してからも続くとなると話は
別、もしかしたらの考えにオールバックの頭を抱えた。
そして何度目かの三月十四日、とうとう富樫は尋ねることにしたのである。学ランの代わりにスーツ、学帽の代わりに整髪料、ドスの代わりに手帳にボールペ
ン、まっとうかどうかはさておき立派に社会人となってから尋ねることにしたあたり、富樫はどこか抜けている。
呼び出した飛燕との約束、午後七時までしばらく時間がある。特に今日の日付を選んだ理由は無かったが、しかし理由を尋ねるのに一番ふさわしい日を選んだ自
覚は富樫にもあった。ぶらぶらとショッピングモールを靴底鳴らしてぶらつきながら、ふとあの日飛燕と歩いた商店街を思い出す。
「いつから商店街はショッピングモールなんちゅうモンに変ったんだ?」
誰もその問いには答えない。ツッカケはミュールに、地下鉄はメトロに、オーバーオールはサロペット。しかし富樫は富樫のままである。
ショッピングモールの角を一つ曲がると途端にうらぶれた、旧商店街に出た。富樫はどこか安らいで街灯の少ないその道を進む。
と、つぶれているのとさして変わりない外見の駄菓子屋が富樫の目に入った。懐かしいペラペラのガラス戸の奥に安っぽいが子供心を存分にくすぐるオモチャや
着色料タップリだがどうにもうまい菓子が積み上がったりぶら下がったりとやかまっしい有様。富樫は酷くそこに馴染んだ。店へ入り込むと置物のようなバアさ
んが一人座っていた。
「いらっしゃい」
「もう店しまいだったかよ、悪ィな」
何気なく富樫、店へと入ったはいいが目的は無い。しかしいくら片づけがなさそうだろうが閉店間際に駆け込んでおいて何も買わないわけにもいかぬ。富樫は吊
るしスーツのポケットをまさぐる。ちょうどさっきタバコを買った時の釣りが残っていた。
「これくれ」
「あい」
普通の店のように、一度商品を店へ預けてから代金を支払うことはしない。欲しい菓子を掲げ、小銭をバアさんの手にチャリンと渡してそれで終了。レシートを
出す駄菓子屋なぞ何軒あるかどうかだ。
富樫は昔懐かしい、円錐の飴にどういう理由でつけたかわからないが紐がついている飴を買った。名前はそのままヒモアメ。
(そういや久しぶりに十円単位で買いモンしたな)
感慨もそこまで。待ち合わせの時刻が迫っている。富樫は後ろ手にガラス戸を閉めて待ち合わせ場所へと駆け出した。
再びショッピングモール、待ち合わせ場所の定番となっているイルミネーションだらけで眩しい噴水のヘリに飛燕は腰を下ろしていた。遠くからでもすぐに分か
るほど見慣れた姿に、富樫は声を張った。
「飛燕!」
「…ああ」
飛燕は開いていた文庫本を閉じてバッグへとしまう。激務からか、少し痩せたのに気づくほどには富樫も大人になっている。
「痩せたな、飯食ってんのかよ」
「食べている、…お前は」
「食ってる」
富樫も少し痩せた。もともと余分な肉がついている方ではなかったが、世間の荒波にもまれたというヤツで顎は更に尖り、頬は細くなっている。
「どこへ行くんだ」
「決めてねえ、そうじゃこの辺りにうまいラーメン」
ガツ、と飛燕の細いつま先が富樫のスネを蹴った。イチャイチャ抱きあう待ち合わせカップルの真っ只中でラーメン屋と言える富樫はたいしたものであるが、飛
燕は許さない。
「ッデ、ちっきしょうやりやがったな!…じゃあ焼きモツ」
ガッ、今度は飛燕の拳が富樫の頭をどついた。今度は富樫も苦笑して、
「冗談じゃ」
と頭を掻く。ヤクザも真っ青な傷を持っている顔のわりに、富樫は笑うと愛嬌がある。
「…仕方が無い、お前が行きたいところでいい」
飛燕もその愛嬌に耐性があるほうだったが、ついついほだされてしまい、二人で結局富樫なじみのラーメン屋へと向かうことになった。
大層ラーメンは美味かった。
飛燕は塩、富樫は醤油にコショウたっぷり。
冬は終えてもラーメンはうまい。うまいラーメンで二人も満足。
しかしここで富樫は食べている途中で気づいてしまった。
ラーメンというのはいうまでもなく男の食事である。それも対個人の食事である。女子供がレンゲにミニラーメンこさえながらピーチクパーチクやるものではな
い。見かけはどうあれ飛燕も男塾塾生、スープを跳ねさせることはなかったが流儀にのっとって無言でラーメンをすする。
富樫は結局本題を切り出せないまま、ラーメン屋を後にしたのであった。
更に悪いことは続く。アテもなくとりあえずどこかゆっくり喋れるところへ、と考えて歩き出した矢先飛燕の胸に入れているポケットベルが鳴り出した。
携帯電話でなくポケットベルなのには理由があったはずだが富樫は知らない。
「しまった…」
飛燕の呟きに富樫はなんじゃいと尋ねる。嫌な予感が富樫の満腹の胸へ這い上がっていく。
「呼び出された。すまない富樫、また今度」
「おっ、お、おお」
飛燕が人の命と向き合う仕事をしているのは富樫もよくわかっている。すぐさま頷いて電車に乗るよりもこのまま太い通りへ走りタクシーを拾うほうが早いと判
断し、飛燕の手を引いて走り出した。飛燕も無言で走る。
「ひ、飛燕よう」
と、走りながら富樫は呼びかけた。富樫が引っ張る格好なので返事は後ろから追いかけてくる。
「なんだ」
なんだと聞かれて富樫、俺ァ何を言いたかったんだっけかと混乱した。混乱した頭に、太い通りに飾られたホワイトデーのキャンディを模したイルミネーション
が輝く。
「おめ、俺の事好きじゃろ」
「ああ」
飛燕の返答は短かった。
富樫は何を言っていいかわからない、もっと驚いたり、叫んだり、それから飛燕をギュウと抱きしめたり気持ちを問いただしたりするのが正しい。しかし飛燕も
富樫も走っている。そんなヒマはなかった。
「じゃあよ、コレ」
タクシーの目の前に両手を開いて立ちふさがり、無理やりに停めた富樫は飛燕を車内へ押し込んだ。飛燕が行き先を告げたのとほぼ同時に飛燕の口へ先ほど買い
求めたヒモアメを放り込む。ざらめがまぶされたパイナップル味の鮮やかに黄色な飴が飛燕の舌へ着地した。
「ほが」
富樫、と言いかけたのだろう。滅多に見られない美人の間抜け面に富樫は額へ汗をだくだくと浮かべて笑ってやった。
「行って来い。今日は味見だ」
ニッと太い唇に笑みを浮かべて言うなり富樫はその紐を引いた、飛燕の口の中に放り込まれてものの数秒の飴がポンと間抜けに飛び出す。ドアを富樫は思い切り
閉ざしして行け行けしくじるんじゃねえぞと追い立てる。タクシーの後部座席から顔を真っ赤にした飛燕が、口元を押さえて呆然と富樫を見つめながら黄色とオ
レンジのテールランプがうるさい道路を排気ガスだけ残して遠ざかっていった。
「ヘッヘヘ、…俺の勝ちだな」
汗を拭うとその飴を口へ突っ込み、モガモガと不明瞭に呟きながら富樫は頭に手をやった。今でもついついやってしまう仕草にヘッヘヘともう一度笑った富樫。
だが富樫は今の今まで健気にチョコレートへ想いを込めて、年に一度きり気持ちを示すに留めていた男の愛情を揺り起こしたに他ならない。
もちろん富樫は気づいていないのだ、相も変らず浅はかな男である。男はつかのまの勝利にヘッヘヘと笑っていた。
三月十四日の話である。
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