G戦場の…

あれが現れた。
あれ、
あのあれ。






「きゃああああああ―――っ!!」
粗末で粗末な、食事というよりも餌というような夕食を終えると、一日張り詰めっぱなしだった塾生達に安息がようやく訪れる。
夕食の片付け当番以外は、食堂で花札をしたり、テレビを見たりと思い思いの時間を楽しんでいる時間帯。
そこへ突然聞こゆるは絹を引き裂くような乙女の悲鳴。
「なんじゃ、また椿山か!」
「あいつもまったくしょうがねぇ野郎じゃのう!」
ではなく、男塾一号生椿山清美のものである。それは一号生達誰もが知っているところだったので、どこぞの学帽のようにフフフ義を見てせざるは…などといき り立つ事はない。
声の出所である調理場へとりあえず急いで駆けつけると、シクシク泣きじゃくる椿山が片隅で震えていた。片付け当番だった椿山は床へへたり込んでピンクのエ プロンで顔を覆い、涙を拭っている。
松尾が駆け寄り、肩を支えてやった。
「どうしたんじゃ、椿山!」
「で、で、出たのォ」
オカマか、と誰も言わなかった。椿山がナヨっちいのは皆分かりきっている。ただ椿山がふるふる震える太い魚肉ソーセージみたいな指が示す方向へ視線をやっ た。
椿山が割ったらしい食器、
クズ入れ、
備蓄している野菜籠、

特段変わった風には見えない。
田沢がメガネをずり上げながら恐る恐る、へっぴり腰でそちらへと近づいていく。と、
野菜籠から何か黒いものが飛び出してきた。
黒く、
素早く、
触覚を持ち、
ぬめぬめとした艶のある、

「ゴ、ゴキブリじゃあ!!!」
叫んだ瞬間、野菜籠から次々とその黒い塊が飛び出してきた。調理場は一瞬にして混乱の極みへ突き落とされる。
「ぎゃーッ!!い、いっぱいおるぞゥ!!」
松尾が両頬を手のひらで挟み、ぎゅんと高くそして後ろへ跳んだ。背後にいたJが松尾を支え、突然湧き出した黒い虫に尖った眼を吊り上げる。日本のものを見 るのははじめてであった、まさかこんなに素早く、そして大きいものだとは!
「う、俺、ゴキだけはダメなんじゃあ……」
ウブ、と吐き気を抑える富樫。隣の桃がさして嫌悪の表情を浮かべていないのに気づいた。
「桃、桃おめえ、大丈夫なのかよ」
「ああたいした事はねぇ、単なる虫だ」
たちまち哀願の格好、拝むように富樫は桃へ手を合わせた。
「桃頼まァ、俺ゴキだけはダメなんじゃ、殺してくれや」
「俺も!」「わしからも頼む!」
複数が桃へ富樫と同じように手を合わせた。いかに男塾塾生と言ってもあのあれにはなんともいえない、生理的嫌悪が拭い去れないのである。
「それはできねぇ」
だのに人情と男気に厚いはずの桃はあっさりと断った。
胸倉を掴む勢いで富樫がまくし立てる。
「な、なんでじゃい!!オメ、大丈夫なんじゃろうが!!」
「フッフフ馬鹿を言うなよ、虫が恐くってホンモノの男になれるか?あんまり怖がってやるなよかわいそうだから」

「そんなところに博愛精神持ち出すんじゃねぇよ!!」
背中にざーっと鳥肌を立てた富樫はがなる。既に魂が涅槃へ向かいつつある坊ちゃん育ちの秀麻呂は今にも倒れそうなのを支えてやっていた。

「あ、危ねェ富樫!!」
誰かが叫ぶ、富樫がその声の方をハッとして見ると、今にも富樫の顔に取り付こうと黒い塊が飛翔してくるのが見えた。

ひ、
富樫の喉が鳴る。
誰もが富樫の絶叫を予想し、あるものは眼を瞑り、あるものは耳を塞ぎ、あるものは十字を切った。

と、髪の毛よりも細い細い針が空中を光の速さで走り、黒い虫を横腹から突き刺して床へと縫いとめる。
鶴嘴千本。
誰が放ったか考えるまでも無い。
富樫の危機を刹那の寸前で救った男がようやく、一方的な敗色に染まりかけた戦場たる調理場へと足を踏み入れたのだった。


「大丈夫か、富樫」
首を傾げ、富樫の顔を覗き込む。
「ひっ、ひえ、ひ、」
声にならぬ。
「わかっている。私が来たのだ、もう心配はない」
櫻髪をさらりとかき上げ、頷きながら飛燕は凛凛しく微笑んだ。通りのよい、女のように高いわけではないが落ち着いてすべらかな声とその微笑みはその場を鎮 めていく。


「さあ!まずは彼らの餌たるその野菜籠を放り出すのです!」
「え、エサ!?だってこりゃ、腐ったクズ野菜しか…」
「それです」
きっぱりと飛燕が断じた。言われるがまま田沢が男らしく黒い虫の中を突進し、野菜籠を窓から放り投げた。
「腐ったタマネギがあったでしょう。タマネギが腐った時に出す臭いが彼らを引き寄せるんです。さあ、皆さん!」
次はこれだ、と飛燕はビニール袋を取り出した。中にはピンポン玉程度の大きさの、白い団子が入っている。
「手分けして配ってください。水周り、出入り口近辺、それから――ここ、調理場、それから各自隠している食料のあたりも」
「のう、これなんじゃい」
「ホウ酸団子です。雷電印の」
いつの間にか現れて、調理場に団子をまき終えた雷電が深く頷く。
「さよう、拙者、心をこめて作り申した」
「ならばさっさと配るとしよう」
Jが袋を掴む。合図にこたえて塾生達は散らばり始めた。
「そして出くわした際には、相手が動く前に雑誌などで殺す事。いいですね、容赦も情けも無用です」
美人が怒ると恐いというが、飛燕の形相はまさにそれである。吊りあがった眉がまさにそれであった。
と、

「あれ、虎丸は――?伊達もいねぇな」
誰かが声を上げる。桃がのんびりと応じた。
「ああ、虎丸の奴さっき、腐りかけた食料かき集めて、ワシはこれを食うとか――」
「しまった!!全員、虎丸の部屋へ!!」

悲鳴のような声を上げて、飛燕が走り出した。ホウ酸団子を松尾に預け、自らは千本を構える。

「私としたことが、迂闊――伊達一人では到底、手に負える相手ではないでしょう」
歯噛みする飛燕を誰もが追いかけ、寮へ突入した瞬間。







身の毛のよだつような、伊達の絶叫が聞こえた。
その日虎丸はロープで寮の窓から逆さづりにされる事となるが、それまでには幾多の戦闘を乗り越えることとなる。
「よろしい、ならば――」
ならば相手を根絶やしにするまで闘ってやる、飛燕は美しい瞼をひとつ閃かせて戦地へと飛び込んだ。
モクジ
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