「十蔵!おばさんが大変だ!」
日登の切羽詰まった叫び声に反射的に立ち上がった。あのバカ今度は何やらかした!
しかし、促されて覗いたテレビに腹の中が一気に冷える。
『このババアの顔キズモノにされたくなきゃ赤石は手を引け!』お袋がスキンヘッドの大男に大刃のジャックナイフを首筋に押し付けられていた。代理演説中に
人質にされたらしく街宣車の上でマイク越しの声はよく通る。リポーターが親父に対抗する組の見せしめだと言った途端に背中の獲物に手が伸びた。
「十蔵落ち着け!!」
剣の声で我に返る。ナメたマネしやがってクソが!とにかく行く。バイクのキーは手の中で湿っている。
「クソ!十蔵俺も!俺も行く!」バカヤロ信長、声震えてんじゃねえ。
「日登ニュース何処言ってた」ああ、剣そうだ。アイツ今何処いるんだ。「すまん。おばさんだと思った途端呼びに行ったから…」
「叔父貴!オレ叔父貴に聞いてみる!」
安東が携帯を取り出した、その時、
『あら待って下さいな』声はブラウン管からだ。思わず目を向けると、そこには刃を首に当てたままグリンと体ごと犯人へ向き直ったバカと、うわあっ!と派手
に叫んで刃を引いたハゲがいた。待て…何やらかしてんだこの下ぶくれ。
『ごめんなさい、折角だと思ったから…』
『助けが来るまで大人しくしとけ!!首ぶっち切れんぞ!!』
『あら剛次さんは助けないのよ。お見合いの時に仰ったの。お仕事も手を引かないわ。この国の為にしているんですもの』って、これもお見合いの時よ、とか絶
対今どうでもいいだろうが。
「おい、おばさん何考えてんだ…?」
「ヤベえだろ、これ」
俺に聞くな。ヤバいに決まってんだろ、見てわかんだろ。
『だから私あなたにキズモノにされないと駄目みたいなの』
おい、こいつ何狙ってんだ。俺の背中にはさっきから悪寒が走りまくっていた。
『それでね、こう…目を通ってほっぺたをスパァって切って欲しいの。家族お揃いで、こう、スパァって、ね?』
ね?じゃねえ。俺の頭は隣でブプーと吹いた剣を遠慮なく殴りながらも3人同じ傷顔で並ぶ家族写真を想像し、その余りの衝撃に目眩がした。タコ頭は、あきら
かにヤバイ物を見る目つきでお袋を突き放したが丸顔はひるまねえ。
『床屋で髪切るんじゃねえぞ!痛いし血も出るんだぞ!』
『あら私痛みには強いのよ』
大丈夫と胸をはる丸顔はだから何でこんなに笑顔なんだ。そして、お産の時俺がデカくて産道の入り口を麻酔無しで切ったとか、その後そこ広げて俺が出て来て
血だらけになったけど泣かなかったとか人の出生シーンを痛み自慢にしてんじゃねえ。更に『皆、産むときは嬉しい方が多いから我慢できるのよ』とか言って信
長泣かすんじゃねえ。っつか信長もグズグズ泣くなと横を見たら顔真っ赤な信長と悟空の向こうで、えん紹が乙女のようにポロポロ泣いていたので速攻テレビに
向き直った。俺は何にも見てねえからな!だから『さあ頑張って』とか何励ましてんだこの潰れアンマン!と、その時俺は妙な事に気付いた。
レポーターが喋ってねえ。そしてカメラも絶対右下を撮らねえ。さらに、この場を圧迫するような威圧感…突如体中の毛が逆立った。いるんだ、親父が。
『おい』
耳元で静かに言われたようだった。部屋の中の誰かがヒイッと転げた音がする。親父、いや伝説の男、赤石剛次その人だ。『警察はあっちだぜ』
優しい声だった。背筋が凍った。恐怖で。
動けない。動けば斬られる。それは予感でなく確信で、俺は俺が親父の獲物で一刀両断されるのを目の裏にくっきりと、見た。
そして、街宣車上のタコは果たして手すりを飛び出して顔から地面に落ちた。鼻も折っただろうがぐしゃぐしゃのまま一目散に野次馬の向こうの警察へ駆けてい
く。賢明な判断だ。
『今!犯人が無事警察に保護されました!』というリポーターの日本語は間違いだが気持ちはよく分かる。
そして街宣車の上に一人残ったお袋を見て、どっと息を吐き出した時、初めて今まで自分が息を詰めていたのを知った。
「良かったな」
笑顔の信長に手を握られて不覚にも涙が出そうになるが意地だけで耐えた。顎が噛み締め過ぎてガクガクする。
気が付けば周りは一号生で一杯で、しばらく俺は良かったなだの、親孝行しろだの肩やら背中を叩かれまくった。バカ、お前らなんでそんなにホッとしてんだ。
しかし、相変わらずブラウン管の向こうでは『女が顔に傷付けんじゃねえ』と親父に切々と叱られ、やっぱり何処か嬉しそうなお袋が流れて俺をいたたまれなく
させていた。
誰か頼むから街宣車のマイク消してくれ。
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