エトワール憤然
「……脱いだら、脱いだら凄いんだから!」
「ピクリともこねぇんじゃねぇのか」
モヒカンのおじさま、うるさい!
「いや、お前の乳がどうこうとかいう話じゃなくてな、あいつ…」
あいつが、おじさまがどうしたっていうの?
「……だってアイツ、女に興味無ぇだろう」
「!!?」
「ようセンクウ、タバコ一本くれ一本」
「ああお前か。今…羅刹の部屋で何だかキャットファイトしてるぞ」
わはははははっ、卍丸は喉を仰け反らせて大笑い。
空調のきいた部屋に笑い声はからからと朗らかに響いた。
頬をこれでもかとばかりに膨らませ、羅刹の方を見向きもしない。眉を吊り上げ、唇を引き結んで、腕をしっかと組んでいる。
怒っているようだ。ようだ、ではない、見るからに紫色のオーラをわんわんと膨らませて怒っている。羅刹はため息をもらす。
床へ膝をついて、自分へ背中を向けた少女へ羅刹は声をかけた。
「おい、こっちを向かないか」
「………」
ブスッとふて腐れたまま、床に腕組みで胡坐という格好もそのままに顔だけを羅刹へ向ける。少女の額にはでかでかと『小猿』と流麗な筆跡で書き付けられてい
た。
思わずフ、と口内の空気を噴出してしまう。少女がたちまち赤くなって額を押えた。
「レディの顔を笑うなんて酷いわ、…おじさまの馬鹿」
「…すまんな、そこの流しの石鹸で洗うといい」
「レディは顔を普通の石鹸で洗わないの!もう!」
噛み付くようにではなく、あくまで恥じらいを多分に含んだその表情。その表情の出所がおじさまへの淡い心だとは、おじさま本人気づいてはいない。
「…ところで、私の顔の心配はしてくれないのですか?羅刹」
ふふふ、鈴を転がす笑みに少女がカッとなって怒鳴りつけた。
「お前の心配なんざ、誰がするかぁ!」
「山艶!あまりこいつをからかうな……ケガは」
「おじさま!」
「ふふふ、貴方のそういうところ…とても素敵ですね。無傷ですとも」
「ゲイシャアアア!!」
ゲイシャ、つまり山艶はいたく羅刹を気に入って朝に夕なに彼を構いたがる。一応仕事中は遠慮していたようだったが、仕事中にお茶だと言って、中国茶を給湯
室で淹れてふるまってくれたまでは良かったが、その後がよろしくない。
激務のために伸びかけた羅刹の髭へ頬擦り、ころころと涼しい笑い声を立てて、ついでとばかりに耳へ歯を立てていたところへ少女が飛び込んできたのだった。
ウオオオオ、少女のエトワールらしからぬ怒号が今も耳へ残る。
その後は猫二匹が入り乱れてのキャットファイト。
巻き込まれた羅刹と、書類。今も羅刹の部屋には書類が雪とばかりに降り積もっている。
「あ…」
エトワールが羅刹の手の甲の引っかき傷に気がついた。おそらく自分か、それとも山艶かが引っかいたものらしい。
慌ててポケットからハンカチを取り出そうとしていたところへ、
「おや、傷…」
山艶がさっと羅刹の手を取った、静かに顔を伏せると艶のある黒髪がはらはらと頬へかかる。紅をさした唇から薄桃の舌が滑り出て、羅刹の傷へそっと触れた。
一連の動作に思わずエトワールは息を飲んだ。バレリーナとして、ダンサーとして、山艶のその洗練された仕草に一瞬だが惚れ惚れとしてしまう。
「すまんな、もういい」
名残惜しげに舌が追いかけるのを押し留めておいて、羅刹は山艶へ微笑んだ。その微笑みにあるのは感謝、エトワールにとっては致命傷に近いダメージ。
いきなり乱入して、ケンカして、それもこれも全てが自分の子供っぽさのせいだと言われたようで。
エトワールは柄にもなく落ち込んだ。
「…おや、髪の毛が乱れて…失礼」
山艶がするりと執務室から退室していく。その去り際までも幕切れのような清清しい眼さばきで余韻を残す、素敵だと思ってしまう自分をエトワールは恥じる。
沈黙が執務室へ落ちる。
羅刹が書類を拾っては束ねていくのだが、それを手伝おうと言い出すのもはばかられて、エトワールはとうとう床から立ち上がる機会を失った。
そしてエトワールのふくらはぎの下に巻き込まれた書類へ、羅刹の指がかかる。
どうしよう、エトワールの目が揺らいだ。
書類を引っ張り出すか、と思った指先はそのままエトワールの膝裏へ回り、身体ごと抱き上げる。
「!?」
バレリーナである以前に少女、少女なら誰しもあこがれるだろう王子様の抱っこ!
絶句、絶句で済んで幸い、絶叫する寸前まで一気にエトワールの感情値が跳ね上がった。脚をばたつかせるヒマすらなく、羅刹のデスクへのせられる。
「ケガは無いのか」
「……ないわ」
「女が暴れるなんて」
「女だって、闘うわよ!」
思わず叩き付けるように言い返し、バツが悪そうに口を噤む。
「お前はダンサー、バレリーナだろうが」
「………」
「俺と違うんだ。お前の闘う場所は他にあるだろう、そのために膝や筋を痛めるなら、馬鹿もいいところだぞ」
「………」
何も言えない。エトワールの頭に羅刹はぽん、とそのたくましく分厚い手のひらを置いて、優しく髪の毛をかき回した。
少女の頬が赤らんでいるのに気づいただろうか。
少女のふくらはぎをそっと逆の手のひらで施すように擦りながら、思いついたように羅刹が口を開く。
「明後日、どこかへ連れて行こう」
「…え」
「せっかく日本に来たのだ、どこか行きたいところへ案内してやろう」
感激にエトワールの顔がぱっと明るくなる。感謝の言葉や、キスもしたいのに身体が動かない。
「おじさま」
「そうだ、ディズニーランドはどうだ。ちょうど平日でもある」
目の前の少女が何を好むのかわからない、
けれど、一般的に少女ならディズニーランドに心躍らせるだろう。そんな羅刹の思考に優しい眼差しが、なんと少女の胸を高鳴らせるだろう。
「おじさま!だ、」
だいすき、そう続く言葉は遮られた。
部屋へといきなり覆面を従えた帝王が入ってきたからである。
帝王大豪院邪鬼の登場に羅刹は少女のふくらはぎを手放し、帝王の前に頭を垂れた。少女より職務、そんな人柄が少女にとってはよけいに好ましい。
「羅刹」
「はっ」
「話は聞いたぞ」
「……は、」
「俺も明後日影慶とそのランドとやらに向かう予定であった。貴様も行くのであれば同行するが得策であろうな」
「そうですな」
少女よりも先に、帝王の背後に控えていた覆面が短い叫び声を上げた。
少女はどうしても、帝王と覆面がどうして二人連れ立ってあんな夢の国へ行くのか気になって、反応が一瞬遅れたのである。
「そんな!」
そんな覆面の叫び、それから少女の遅れてやってきた困惑をよそに帝王はゆったりと笑み含んで深く頷く。
「ならばセンクウや卍丸達も交え、日帰りの慰安旅行としようではないか」
「それは、あいつらも喜びます」
羅刹が嬉しそうに軽く頷いたのを見て、少女は思わず拳を固めたのであった。
「おい、あんまり気にすんなよ」
「……別に、別に命令なら仕方がないわ。でも、」
「でも?」
「あんなに嬉しそうにハイハイ頷いたりして!もう!もう!」
「しょうがねぇよ、邪鬼様も羅刹もKYなんだから」
「ケーワイ?」
「意味は今度教えてやるよ。まあ元気出せ」
「………ありがとう、モヒカンのおじさま」
「よし、キメろよ?」
「ええもちろん『今夜は帰さない』ね!」「その意気だ!」
バレリーナはどこか都合の良い夢を見る。
しかししかし当日。
「お招きに預かりまして…フフフ、羅刹と休日を過ごせるとは思いもしませんでしたよ」
ランド正門前で羅刹招待のゲイシャと出会う事になるのは、エトワールはまだ知らない。
大豪院邪鬼様の休日へ続く。かもしれない。
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