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どこまで見えてるの?
本棚を見ればその人の人となりがわかるだろう、
食べているものをみればその人の親がわかるだろう、
それも一理ある。
そこでというわけではないが剣桃太郎は何気なく懐を探ってみる。深いポケットの底で指先に何かかさりとしたものが触れ、引き抜いた。
「ああ」
ため息と共に日の元へ出てきたのは千円札であった。多少染み込んできていた返り血に赤くされているもののまぎれもなく夏目漱石。
千円と言うのはなかなかヤッカイなもので、ラーメンを二人で食うには少しばかり足りないが、肉屋でならコロッケにメンチカツが胸焼けしそうなほど食える。
そこまで頼りがいがあるわけではないが、ガムを買ったりとつまらぬことに使うには札であるという事実が邪魔をするのだ。
千円と言うヤッカイな札を手に剣桃太郎、しばし考え込む。考え込んで伏せた横顔には春の午前の陽が照っている、白いハチマキの額を上げて剣桃太郎は隣を歩 いている男の名前を呼んだ。
「伊達、頼みがあるんだが」
「あ?…なんだ」
珍しくその傷が走る頬から緊張をといて、くかかとあくびをしかけていた伊達臣人は見られた気恥ずかしさも手伝ってかぶっきらぼうに答える。
「この金を預かって欲しいんだ」
「貯金箱にでも入れておけよ」
「そういうすぐに手出しできるところに置いておいたらいけないだろ」
「銀行にでも入れるんだな」
「それじゃイザって時に困る」
「…面倒な野郎だな」
「頼むよ」
手をそっと取られて、じっと見られて、なっ?とやられて、
伊達臣人が剣桃太郎を拒める筈も無いのだ。
こうして剣桃太郎は伊達に千円を預けた。預けたのではなく貸し付けたというのが実際には正しい。
伊達はこうして剣桃太郎より千円を預かる。預かったのではなく押し付けられたというのが実際には正しい。
「にしてもいきなり何なんだ」
「フッフフまあ、いいじゃねえか」
と、誰かが桃を大声で呼ぶ声がした。伊達が桃の答えをせっつくよりもはやく、桃はその呼び声の元へ歩き出している。
ここにまた、懐をまさぐる男がいる。
男を富樫源次と言った。その富樫源次が教官殿のキツいしごきに少少喉の渇きを覚えて立ち止まったのはちょうど自動販売機の前、反射的にポケットの底の底ま で突っ込んでいた手が探っている。しかし指先が捉えることができたのはたったの二十円ばかりで、これでは到底足りない。
「おっ、桃」
と、伊達がこちらへ向かって歩いてくる。富樫はおーいと桃を大声で呼んだ。桃が富樫の呼び声に気づいて歩く速度をはやめて近づいてきたところへ頼み込む。
「桃悪ィ、ちっと金貸してくれ。喉渇いた」
手を差し出して頼む富樫へ桃はいかにも気の毒そうに言った。
「すまん、俺も金が無え」
桃より一歩送れて富樫の元へたどり着いた伊達はアッと声を上げかける。桃は伊達にしか見えぬよう後ろ手で制した。
「そっか、悪ィな。水でも飲むわ」
「すまんがそうしてくれ。俺に金があったらその位貸すなんてケチくせえ事言わねえで奢ってやるんだがな」
「桃おめえは本当に気前がいいな。だがまあいいってことよ、んじゃあな」
「ああ」
富樫は駆けていった。校庭の隅にある水のみ場目掛けてである。
勢い良く富樫の爆走が立てていった土ぼこりを伊達は避けもせず、富樫を見送る桃の横顔へ視線を注いだ。
普段どおり清いみずみずしい頬に満足そうな笑みがともっている。たまらずに伊達は尋ねた。
「最初っからこういうつもりだったのか」
「え?何がだ?」
伊達はその貸し付けられた千円で雑誌を買った。三日後桃に返してくれと言われ、
「俺が借金したみてえじゃねえか」
と少し不満を覗かせた。
「伊達すまん、これを預かってくれ」
現れるなり桃は伊達のポケットへ手を突っ込んだ。伊達が何か文句や断りの言葉を言い出すよりも早くそのポケットへ何かを放した。
ジャリジャリチャリンと音を立てたのは明らかに小銭だ、それも五百円クラスの大物ではなく十円五円五十銭等の雑魚硬貨ばかり。
「てめえ!なにすんだ!」
「頼む伊達、…伊達」
桃はぐぐっと顔を近づけて、低くて吐息を交えた、伊達がぞくぞくするようないい声で頼み込む。そう真剣な眼差しで言われては伊達も邪険にはできぬ。
すっかり重たくなった学ランの裾に閉口しながらも伊達は不承不承その小銭を貸し付けられた。
「おい、桃ォ…おっ、伊達もおったんか。ちょうどよかった」
「よう富樫」
タイミングよく教室に入ってきた富樫は手にふじ屋の包みを持っていた。伊達の元まで届いた匂いは間違いなく行列が出来るほど美味いと評判のメンチカツ。
「ヘッヘヘ見ろや、ふじ屋のメンチカツじゃ。ようやく買えたんじゃ、…ちょうど三つあるぜ」
だがしかァし!と富樫は妙な節回しを持って力説した。
「このメンチカツは俺と虎の野郎の汗と涙の結晶じゃ、タダじゃあやれん。だがどうせ百円払っても買えんシロモノじゃい、売ってやらあ」
「俺は」
いらん、言いかけた伊達を桃は軽く首を振って制する。買ってやれよ、喜ぶから――そう目で言われたようで伊達、さっき桃から押し付けられた小銭からいくら かを掴みだす。
「…ほらよ、百円」
富樫の手のひらに小銭をチャリンと落としてやると、マイドッ!と威勢良い返事と共に熱熱のメンチカツを摘んだ太い指が伊達の方へ突き出される。手は洗った んだろうなと一応毒をチラと吐いておいてから伊達はそれをムシャムシャと雑に頬張った。きつね色のパン粉がいくつか教室の床へとこぼれて行く。確かにうま いなと伊達はたちまちのうちに平らげた。
「ほれ、桃」
富樫も自分の分をムシャムシャ食べながら桃へとメンチカツを突き出した。
「……ううん、」
困ったように桃は目を伏せて、首を横へ振る。
「なんじゃ、食いたくねえのか」
「食いたいさ、美味いって評判だろう?食いたいが、無い袖は振れねえ」
「?袖ならあるじゃろ、赤石じゃあるめえ」
「そうじゃねえよ」
伊達はたまらず口を出した、あぶらと肉汁で汚れた指を舐めるような男ではない。しかしハンケチを持ち歩く男でもない。仕方なく指先を切手のように舐めて、
「金が無えんだ」
貸し付けられた伊達のフォローは酷く寒々しい。だがその寒さを感じているのは伊達のみで、富樫は戸惑っている。
「も、桃おめえなんか最近金…こ、困ってんのかよ」
「貯金をはじめたんだ」
「そりゃえれえけど、けど…」
桃はポケットを探った。思わせぶりに探っておいて引き抜いた手のひらには、
「これっぱかりさ、フッフフ情けねえ。…笑うか?」
五十円がチンと座っている。富樫は半分ばっかりになったメンチカツを口にしようとして固まった。
「わ、笑わんが…伊達から金貰っちまったからな、ウン…」
富樫の目がキラリと輝いた、いいことを思いついたとばかりに桃の手のひらから五十円を貰い、かわりに、
「おら、半分」
と自分が半分齧ったメンチカツを渡してやる。富樫裁きィとオオイバリだ。
「……うまい」
桃は満足そうにそのメンチカツを頬張った。そうだろそうだろと富樫。
伊達はメンチカツの美味さはどうあれ、物言いたげにしていたが結局メンチカツと一緒に用意していた言葉を飲み込んだ。
「桃、てめえどこまでわかってやってるんだ」
「何がだ」
「しらばっくれんじゃねえ」
「フッフフ」
その後一号生筆頭剣桃太郎は伊達貯金をうまく利用して金を貯めた。そして、ある日、ある晴れた日。
「えらく美味いラーメン屋があるんだ、行こうぜ富樫」
「悪ィ桃金がねえ」
「いいさ今日はちょっと持ち合わせがある。フッフフ今度返してくれりゃあいい」
「えっ、い、いいんか」
「……さ、行くぜ。なにしろ限定五十食だ」
桃が走り出すと富樫もつられて走り出した。肩をぶつけあって駆けてゆく。
モクジ
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