どちらにせよデッド
夏も間近である、夏と言えばビールが美味い。
しかし彼らは老け顔であるが、学生である。
ならばまあ、麦茶が美味い。
それも、風呂上り、腰にタオル巻きつけたままズカズカと冷蔵庫に行き、冷蔵庫の扉を開け放ちながら、
ぐいぐいと飲む麦茶である。
大変に美味い。
夏の醍醐味である。
夏には少し早いが、この夜も虎丸は夏の醍醐味を味わおうと風呂上りに冷蔵庫の扉を開けた。
麦茶のボトルを見つけると引きずり出し、扉を開け放ったままゴックンゴックンと喉を鳴らして飲む。
冷たい麦茶が喉を通っていく感覚に、きゅんとなる。きゅんとなるのは喉と頭と、それから玉袋である。
「おい、とっとと寄越さねぇか」
いつの間にやら隣へ富樫が虎丸と同じくタオル一枚きりでペタペタ近寄っていて、ボトルをギブミーしている。虎丸が渋渋あいよと渡してやったそれを、ふっとい喉首ごっとんごっとん鳴らして飲む富樫。虎丸はその喉仏に、再びの渇きを覚えた。
富樫の肌は浅黒い、虎丸のもそうだが、富樫の肌はどこか赤っぽく、風呂上りだと蟹のようだった。それを見た虎丸はなんだか自分まで暑くなって来てしまう、
「おい富樫、もっぺん」
「ア?……悪ィ、飲んじまったわ」
カラになったボトル。富樫は濡れて勢いの無くなった毛のせいで、まるきり濡れ犬のようである。
「おい富樫、そりゃねぇじゃろ!……オッ?」
不意に虎丸が怒りを引っ込めた。両手でもって腰に巻きつけたタオルもとい手ぬぐいの結び目を解き、
「ぱおーん」
と、タオルを耳に見立て、冷蔵庫へ向けて開いて見せた。
「バカやってんじゃねぇ!」
すぐさま富樫の平手が虎丸の頭へと振り下ろされる、ドリフであればタライが落ちるのと同じようなタイミングであった。
「うぁいてっ!…いってぇな、ホレ、ヒャーッとして気持ちエエぞ。富樫もやってみんか」
「アホゥ」
富樫の声はあくまで冷たい、しかし冷蔵庫へ向けてパオーンしている虎丸の顔の気持ちが良さそうなことといったら!
だんだん富樫もやってみたくなった。虎丸が少しずれて、冷蔵庫のベストポジションを半分明け渡す。
誘われるままに富樫も虎丸の横に立ち、ぱおーんとは言わなかったが恐る恐るタオルを冷蔵庫へ向けて開いてみた。
ひんやりとした冷気が、風呂上りの股間になんと清清しいことだろうか。富樫は思わず及び腰になりながら、この気持ちよさにため息を漏らす。
「うお…気持ちいいな」
「そうじゃろ」
後ろから見れば、男二人揃って冷蔵庫に向かってパオーンしているのだから、間抜けとしか言いようが無い。
しかし二人は気にせず冷蔵庫の冷気に股間を晒し続けている。
与えられる快感に次第に慣れて物足りなさを感じるのが人情と言うものである、虎丸がぽつりと言い出した。
「のう、もっとヒャーッとしないもんかのう」
「お?」
虎丸、タオルを落っことした尻丸出しの格好で冷蔵庫へ頭を突っ込んだ、冷蔵庫の一番奥にあるツマミのようなものをゴソゴソと弄っている。
「これを、フルパワーにすっとォ…ワッハハ、ブンブン言っとるぜ!」
いきなり『強』に入れられたスイッチに冷蔵庫が驚いてか、ブンブンと唸りをあげて急冷を始めた。
強まる冷蔵庫から流れ出した冷気に、二人再び腰を突き出して股間を冷やす気持ちよさに浸るのであった。
なんだかクセになってしまって一週間、今日も今日とて冷蔵庫の前で御開帳しようとしていた二人だったが、
冷蔵庫の扉を開けた瞬間から何やら、違和感があった。
「おえ?」
「なんじゃ虎、どうした」
「なんか……臭ェ」
「屁でもこいたか」
「ち、ちがわい!コレじゃ、コレが腐っとるんじゃ!」
おとつい入れたトマトがグズグズと腐って、何やら怪しい汁を出していた。夏も間近ということで毎日暑いから、なるほど腐るのも道理、
「な、なんで冷蔵庫に入れたものが腐ってんだよ!」
「れ、冷蔵庫が壊れた!!」
――なるほど、毎日の無理がたたって冷蔵庫が壊れれば、中のものが腐るのも道理である。
その日から二人、冷蔵庫当番(中身の検品、麦茶の煮出し、調理場の掃除)に立候補することになった。
麦茶を始め、数少ない食料は井戸にブチ込んで冷やしてこの事件を隠匿しながら、二人は修理代を捻出することに奔走する。
「おいバァさん、タバコくれや」
夏間近の日差しに、というわけではないが富樫は背中を萎れさせてタバコを注文した。
「あいよ、三本かい」
「いんや、一本でいい」
いつも三本ずつ注文していた富樫に、タバコ屋のバァさんは皺だらけの顔で渋ったく笑った。
「なんじゃいシケてんね、うちゃタバコ屋、シケた話はお断りだよ」
「うっるせぇや、とっとと寄越さんかい」
ホホホ、と年の割りに華やいだ、しかし茶色く枯れた笑い声を上げて、
「金に困ってンのかェ」
と尋ねた。富樫は一本きりのタバコにその場で火を点けて、惜しみ惜しみちょぼちょぼと吸う。丸めた背中がどうにもしみったれている。
「……まーな」
「なんじゃ水臭い、アタシが一つアルバイトとやらを口利きしてやろうじゃないかェ」
「ホ、ホントかよバァさん!」
途端に飛びつく富樫を愚かと言うだろうか。一号生筆頭の白ハチマキならば、その飛びつき先がどれだけアホウで、しょうもないものだったとしても、
『だからいいのさ、富樫は。あれがいいのさ』
などと言うだろう。
うまいこと世界は回っている。ただし中心は富樫ではない。
「ホホホ、アタシに任せておくがエエわ、ホホ」
ぷかりと煙管から煙を吐き出し、黄色い歯を見せて笑うバァさんは、さながら山姥。
その三日後、富樫と虎丸はナカノ湯に呼び出された。二人一抹の不安は拭えなかったが、タバコ屋のバァさんから提示された金額は普通に働くよりはだいぶいいもので、一も二も無く飛びつかざるを得ない。
「早かったね、ほら、お入りよ」
番台を通り過ぎて示されたのは女湯であった、二人顔を見合わせる。
「エッ?」
「おら、裸足ンなって、そうじゃ学ランが邪魔じゃ、脱いで中へお入りよ」
いぶかしむ富樫、しかし隣の男は富樫よりも更に単純に出来ていて、
「ウヒヒヒ、いいんじゃな、行くぜ女体の神秘!ピチピチギャルの園!!」
わけのわからん文句を喚いて、忽ちフンドシ一丁の見慣れた姿になると女湯へ突進していった。
「あ、あのバカ…」
タバコ屋のバァさんを良く知る富樫である、まさかギャルの園へ通される筈も無いと警戒を解いてはいない。
その直後、虎丸の悲惨な悲鳴を聞く事になって、ああやっぱり、と身体を奮わせるのだった。
アルバイト、というのは簡単な事である。
「ホホホ、年寄りは背中を流してもらうのが何よりの極楽でナ。それが若いオトコとなりゃ、ひとしお」
そう笑ったバァさんに、富樫虎丸はエライ事になったと顔を見合わせる。
「マ、顔は湯気で隠れっちまうし…モチロン、風呂上りは髪の毛乾かすのも仕事のうちだからしっかりおやりよ」
男前二人捕まえて散々なセリフを吐くバァさんに、二人はもう何も言えぬ。
ワリのいいアルバイトなどそう簡単にある訳もないのだ。
「……ン?バァさんよ、そんなら…こういうのはどうじゃ」
富樫が顎に手をやって、一つ提案をした。
「アタシャ、あのチョビ髭の兄ちゃんがいいわァ」
「なんの、オトコは尻よ、おとどよナ。あのまゆ毛のアンちゃんはいいケツしとる」
「アッハハ、おカヨちゃんお触りはダメよ、アハハハハ」
「アハハハハ、ちっとぐらいわかりゃしないわヨ」
女三人寄れば姦しい、それがダース単位で、しかもしなびたのばかり。それはそれはやかましい。
勝手な下馬評を聞き流しながら、富樫と虎丸は男湯にて睨みあっている。
「エエか富樫、恨みッコなしじゃ」
「オウ」
二人はせーの、で握ったサラシの端を女湯へ投げ入れた。
「どーちーらーにーしーよーうーかーなー」
ドチラニ大合唱を耳に、二人は固く目を閉じて祈りを捧げる。どうか隣のヤロウに当たってくれと。
富樫が提案したのは、分担制であった。片一方が背中を流し、片一方が髪の毛を乾かすという提案である。
しかし問題はどちらが背中流し係になるかということで、当然二人とも髪の毛乾かし係になりたがる。
そこでタバコ屋のバァさんは、二人が握ったサラシの片端を女湯に投げ入れ、引かれた一人が背中流し係とする方法を取った。
今まさに、どちらが女湯へ放り込まれるかを賭けての大一番である。
一週間もすると、富樫も虎丸も目に見えて痩せ始めた。早い夏ばてかと桃が案じて問うたが、曖昧に二人笑うばかりで答えない。
富樫のあの強い光を宿す目が曇っている、
虎丸のあのぷっくらと弾力のある頬が萎んでいる、
二人時折遠い目をする、
桃は二人を心から案じた。桃だけではない、級友達は二人を心から案じた。
「昨日わし、とうとう巨乳ギャルの写真集で…チンコが中中勃たなかったんじゃ」
ナカノ湯へと行く道、ドナドナが似合いそうな後姿で虎丸はぽつりとそう言った。
学帽のつばを引き下げながら富樫はそれを、いたわしそうに聞いて、自分の股間を案じる。
そう、ほんの気まぐれに冷蔵庫で自分の股間を冷やそうとしなければこんなことにはならなかった。
二人の胸には、後悔が強く点る。
「はぁ…」
「はぁあ……」
二人学ランを脱ぎ、フンドシ一丁になる。運命を決めるサラシを手に、二人の肩は更に落ちる。
男湯へ通じる脱衣所だったが、こことてババァ達と無縁とは言えない。番台に乗りあがって下品に囃したてる古つわものもいるのだ。
さあ、これからまた皺と肉と入れ歯の世界へ入る、二人は心を奮い立たせようと顔をパンパンと叩く。
と、
「押忍!失礼します!」
張りがあって、迷いのない声が富樫たちの耳に届いた。番台へ踏み込んだらしいその声の持ち主に、二人とも心当たりは大いにある。
「も、」
桃、その名前を呼ぼうとした富樫の声は半ばで遮られた。
「キャアアアアアッ!!」
バァさんたちが本当に出したのか、疑いたくなるような。まさに絹を引き裂く悲鳴。
干しぶどうのような乳首丸出しで鈴なりに番台にぶらさがって男脱衣所を覗いていたバァさん達は、突然現れた正統派の、きりり筋の通った男前に恥らう。
バァさん達の悲鳴に桃は面食らったようだったが、フンドシ姿の富樫と虎丸が走り出てきたのに声をかける。
「よう、悪いな。風呂屋行ったって聞いたもんだから」
「どうしたんじゃ、桃」
オットコマエじゃ、オットコマエ!
オオーッ!わしがあと十年若けりゃのう!
バァさん達は乳隠しながら桃に黄色い声を上げている。うるせぇな、と言いたいのを堪えて富樫が尋ねた。
「ああ、冷蔵庫なんだが」
ドキン!
二人の背中が目に見えて跳ねた。桃はくるくるとクセのある髪の毛に指を突っ込んで、言いよどんでいる。
「さっき実は早風呂を使わせて貰って、随分暑くてな…で、」
「で?」
「…ううん、つい涼もうと冷蔵庫を開けたんだが、あんまり涼しくならなくって、奥のツマミをいじってたら」
取れた、
そう言って一号生筆頭はすまなそうに、手のひらにもげたツマミを乗せて詫びた。
「すまん。お前達が冷蔵庫係だろう、お前達が咎められないようにとりあえず、説明しておこうと思ってさ」
「あ、ア、その…その…」
「あの冷蔵庫、わ、」
わしらが、虎丸が言いかける。
「冷蔵庫ならサッ、うちあったらしいの買ったから、古いのでよけりゃああげるよッ!!」
番台からバスタオル巻き付けたバァさんの一人がそう言い出した。
エッ、と富樫が振り向くと、そうしなよとバァさんたちが声を揃えている。
「いや…それは」
遠慮している桃へ、バァさん達はなおも、
「そうしなさいよ」
と強く勧めた。一分ほど問答した挙句、
「ありがとうな、バァさん。恩に着る」
とびっきり上等な笑顔と、軽いウインク。十分すぎるほどの対価を貰ったバァさんはそのまま彼岸へ行きそうなほどアワ噴いて卒倒した。
後日富樫は授業が終わった後桃に付き添って、バァさんの家へ行った。
リヤカーの荷台へ、もらった冷蔵庫をくくりつけてゴロゴロと帰り道を行く。
「桃よう」
「うん?」
桃は後ろから冷蔵庫が落ちないようにおさえながら、リヤカーを押してついて歩いていた。
顔を上げて、冷蔵庫越しに富樫の背中を見る。夏も間近の真っ黒い学ランは暑苦しそうだが、それが富樫によく似合っている。
暑苦しい男は、絞るように礼を述べた。
「桃よう、おめえがいい男で、本当によかった」
「フッフフ、いきなり何を言うんだ、バカ」
付き合ってもらってる俺のほうこそ、礼を言うべきだ。桃はそう苦笑する。
「……ヘヘヘ、良いんだよ」
「そうか?」
「おうさ」
「……フフフ」
「ヘッヘ」
富樫は富樫で幸せだったし、
桃は桃で、もっと幸せだった。それはそれは素晴らしい夕暮れになった。
しかし一方。
夜毎虎丸がうなされるので、伊達ははなはだ迷惑していた。
「う゛ーん………う゛ーん………」
「(うるせぇな)」
「う゛ーん…………ううううう………」
「(オイ、苦しいのか?)」
「ウ…ウウウウ………」
「(大丈夫か?病気か?)」
「ああ!シワッシワのオッパイが!!!!」
「!?」
伊達は物凄く損した気分だったし、
窓から蹴り出された虎丸は、もっともっと切ない気分だった。
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