乳に腎臓、ハハハ無尽蔵
FROM:母
件名:剛次さんに
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あ遺体
本文ここまで
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仕方が無いので親父に早く帰るように連絡してやることにした。十蔵はこれで近所でも評判の孝行息子である、と言うわけには見た目と言動からなってはいな
い。
赤石さんちのぼっちゃんは今日も立派な剣豪です。
携帯電話を持つように母と父にすすめたのは自分だが、早くも十蔵は後悔している。
それというのも十蔵の携帯電話に母親からのメールが届くせいである。
十蔵は現代っ子である。友人達もそうだ。
「十蔵、携帯鳴ってんぞ」
獅子丸が十蔵の携帯電話を持ち上げた。十蔵のストラップはシンプルな黒いもの、シルバーの蜥蜴がきらりと光る。
「おう」
漫画を読んでいた十蔵が手を伸ばして受け取った、十蔵はどうしても腹ばいになって漫画を読めない。何か背もたれのあるところに寄りかかって読むのが習慣に
なってしまっている。
身体を起こして受け取った携帯電話は既に震えを止めている、どうやらメールのようであった。十蔵はどっかりと畳にあぐらをかいた。
「お袋さん?」
「……覗くな」
十蔵の肩に手をかけて、後ろから信長が覗き込んだ。彼の出生から考えれば多少のマザコンも仕方が無いと思って十蔵は信長に対しては、多少甘い。
まだ親友と呼ぶにはわだかまりの残る友人が覗いているのを感じながらも、十蔵は携帯電話を開く。
FROM:母
件名:今日も元気?ハハハ元気!
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GO!持参 老いて枯れた
本文ここまで
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「………赤石、これ…」
「言うな、時間がかかるんだ」
十蔵、額をおさえる。獅子丸も談話室の畳を腹ばいになってワニのように二人のもとへと近づいてきた。青い眼の友人は畳がとても気に入っていて、梅雨時で蒸
し暑さを感じた時などはここの畳にへばりついている。後ろから安東と日登がなんだなんだとついてきた。
母親の恥は自分の恥である。できれば広めたいものではない、しかし十蔵の考えもむなしく母からの携帯メールは彼らの目に晒される事となる。
「………」
「…………」
「………GO!って言われてもなぁ…」
獅子丸がしみじみと呟いた。
「老いて枯れてって、なんだかなぁ」
「よく見ると件名が本題みたいだな」
「何で笑ってるんだ?」
「母は、って打ちたかったんだろ」
安東も薄い眉をひそめる。安東が読み上げて、まだ文面へ目を通していなかった日登が声を上げた。
「あ、置いてかれて、じゃないか!?」
あっ、そこに居た誰もが納得する。なるほどなるほど、頷きながら獅子丸が上体そらしの要領で背筋を使い頭をもたげる。
「GO!…持参!」
「剛次さん、だな」
十蔵が頷いた。
「剛次さん 置いてかれた。……たぶんこうだな」
信長が内容をまとめる。まとめてみるとなんともくだらない用件である。怒りに十蔵が携帯電話を握る指へ力を込めた。
「おばさんのコロッケ食いたいな、十蔵今日おまえんち行っていい?」
そんな十蔵の怒りなど知ってか、それとも無視してか。獅子丸がねだる、信長がイイナー、という顔をしている。
安東と日登は状況を確かめようと十蔵の顔を盗み見た。
自分に刺さる視線に十蔵、ため息をつく。そろそろ実家へ一度帰ろうかとも思っていたが、こいつらをつれて帰るとロクな事が無いとわかっていたせいである。
と、再び携帯電話が震えた。
FROM:母
件名:HENNKAN OKASII
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今日は
乳の(lll゚Д゚)ヒィィィィ!DEATH★
ゼッ鯛帰って来て苦ダサーイ(´,_>`)プッ
本文ここまで
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予測変換と顔文字を考えた奴出て来い、十蔵は刀の柄を握り締めて今にも人を斬ってしまいそうな獰猛な顔をした。
「あー………」
フォローのしようがないのだろう。信長が頭をぽりぽりと掻いて口をつぐんだ。日登などは雨が降りそうだななどと世間話をして窓の外へ顔を向ける。
安東は笑っては悪いと思いつつ、口を押さえていた。
一人空気が読めない獅子丸は大笑い、腹を抱えんばかりにして大笑い。
「わはははっ!おばさん何書いてんだよー!」
「うるせぇ!テメェのババァはどうなんだよ!」
「会った事が無いからわかんねぇなぁ」
信長が一瞬、自分と同じかと気遣わしげな目を伏せる。しかし獅子丸自身はあっけらかんとしたもので、
「親父も話してくれないんだけどさ、手掛かりは自分で探せとか言って。ハンターハンターじゃないっつーのな」
漫画読みすぎでしょうがねえんだあの親父、そう豪快に笑い飛ばす。信長が肩の力を抜いたのを、十蔵は目に留めた。
目に見えて安堵している、この馬鹿で直情な優しい、女にからきし弱い男を十蔵は好ましく思う。
安東もそれをわかったようで、つとめて明るい声でもってメールに取り掛かった。
日登もそれがわかったので、普段よりも早口に言葉を交わす。
「この顔文字って何だろうな」
「このヒーッって奴だろ、多分…日、だな」
十蔵が首を傾げる。
「あ?なんで日だ?」
日登の指がそっと伸びて、乳の辺りを示した。
「乳の(lll゚Д゚)ヒィィィィ!って、多分…」
言いながら指先を画面から外して、カレンダーへ向ける。今日は六月十五日であった。太くしっかりとした首を巡らせた十蔵は目を細めてそれを見る。
「ほら、今日はって書いてあるだろ。メールの最初。今日は」
急に安東が大声を上げた、それが信長の右耳のすぐ側だったために、信長が耳を押える。
「父の日かぁ!!」
「うるせっ、コラ、耳が潰れんだろタコ!」
「あ――なるほど!すげぇな日登!」
更にうるさい声が今度は信長の左耳をつんざく。獅子丸が頬を興奮に紅くしていた、子供っぽいところを多分に残した彼はこうした暗号遊びを気に入ったらし
い。
「じゃ、じゃあ後はなんだ?」
耳をほじりながら信長が画面を睨んだ、十蔵は父の日という事柄と母の性格から推理を働かせている。
「安東、どう思う?」
獅子丸に聞かれて、丸い顎をさすりながら安東が唸る。
「えーと…DEATH★は、です。だろ?それで…ゼッ、タイ、孵ってきて、ク、」
「ダサーイ」
気の抜けるような発音で信長がついだ。携帯電話に明るい安東が更に、
「多分予測変換で、絵文字顔文字が出て来ちまったんだろうな。だから、たぶん、」
『今日は父の日です。絶対帰ってきてください』
「……って、事だな」
「ハハハ、十蔵、帰ってやれよ!」
無責任に獅子丸が十蔵の肩をなれなれしく叩く。ムスッと十蔵が不機嫌そうなものへと固まった、しかし信長がなおも、
「お袋さん、よろこぶぜ」
などと、純な顔をして言うものだから無碍にはできぬ。思いやりのある優しい子に、母の時折ベクトルがおかしい教育はそれでも十蔵をまっすぐに育てた。
と、携帯電話が新たなメールの着信を知らせる。
「オッ、来た来た、早く見ようぜ十蔵」
すっかり遊びのつもりで獅子丸が急かした、てめぇに見せる道理はねえ、言おうとしたが仲間たちが興味津々に覗いているので仕方が無く、十蔵はメールを開い
た。
どれどれ、むさ苦しい男たちが一斉に頭を付き合わせる。
FROM:母
件名:ひらがなしかでない
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めだまとじんぞうならふたつありますので、
ぷれぜんとできますよかった
あんしんしてこれからも
けがしてください
本文ここまで
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「!!?」
再び携帯電話が震えた。
FROM:母
件名:ごめんね
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ごうじさんにおくろうとしました
ごめんね
本文ここまで
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「!!!?」
「じゅ、十蔵!!」
素早く立ち上がると獅子丸が窓をがらりと開けた、びょう、と雨の近い湿気の多い風が吹き込んでくる。髪の毛を乱しながら獅子丸ががなった。
「とにかく十蔵、行け!!」
「そうだ、お袋さんトコ行ってやれ!」
信長も十蔵の背中を押す。思わず十蔵も立ち上がった。
「急げ!!」
バイクのキーを掴むと、十蔵は夕立が始まろうかという空の下、校庭を駆ける。
「これってまさか、」
安東がぽつりと呟いた。
「これってまさか、父の日のプレゼント何が欲しい?フフフおまえ、の流れでの会話じゃねえよな…」
「こ、恐いこと言うなよ!!」
信長が震えたのと同時に、雨が降り出した。信長とっては赤石剛次は恐ろしい先輩である。
いわゆる空気が読めない獅子丸は、
「そうか!赤石のおじさんもやるなぁ、」
などとからから笑っている。
真相はともあれ、赤石家は揃って父の日を祝う事ができたのであった。善哉善哉。
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